奴隷少女
「次の魔物はフィーリングテイク、観客の皆様目を合わせないように気をつけて下さい」
シトリンは重々しく開けられた反対側の鉄格子に向かって構える、前から出てくるのは人間が感覚的に怖いと思ってしまうコウモリのような物だ、何とも言えない形容しがたい姿に俺はこの魔物とはこれ以降会いたくないと切実に願った。
コウモリはかなり怖いとされ、自然界でも同じような理由でコウモリの形をもつ植物型魔物がいる。
諸説ではブラックキャットと言う植物の遺伝子組み換えを使ったさい出来損ないで出来たなどという逸話もあるほどブラックキャットと呼ばれる植物に似ていると言われている。
因みに俺は見たことも無いし見たくも無い。
特徴は二つの口と一つの目玉をもつ異様な気色悪い植物のような魔物だ。
「ユキノあれは…」
「そうねシルバー、どうやらこの国は性格のいい人が集まっているようね…肉体攻撃の次は精神攻撃ね」
「えぐ」
俺の口から言葉が漏れる、それと同時にユキノの顔から表情が抜け落ちる。女は感情的だと誰が言ったのか、的を射てるようでそうではない言葉に物申したいと思うほど俺は現実逃避を頭の中で展開させていく。
シトリンは何処か辛そうに肩で息をする、植物タシロイモ科心理型魔物フィーリングテイクはシトリンをじっと見ていた。
中央にある瞳は葉の上に鎮座し上に向かって伸びる茎の先端にある花は唇を中心として花弁があり、それは反対も同様でお互いを向き合う形で向いてる、瞳の下から茎とも根とも言い難い物が無数にあり一切動かない。
自分にかかる重力を科学的魔法応用〈無力〉で軽減させているためふよふよと空中を浮いている、この科学的魔法を常時使っているため攻撃は一切してこない…否、出来ない。
だがしかし無害とは言えない心理型の魔物なために口は達者だその為、攻撃は無力に等しい。
カチャリ
シトリンとフィーリングテイクの目が合ってしまった。
互いの方向を向いていた唇達はシトリンの方向に向き、鎮座している目玉はその瞳孔をこれでもかと開かせた。
シトリンはフィーリングテイクの動きに反射的にVLN-735を強く握り構え直す、先の戦いで肺が潰れてしまったのかVLN-735をもつ手は震え、目標が定まらないからかトリガーに添えられた指は引き金を引くことはない。
沈黙。
最初に動いたのはフィーリングテイクの左側の唇_心の声を読み取る口だった。
「痛イ、痛イ」
シトリンの瞳は大きく見開かれる、そんなことを気にすることなく右側の唇_過去を覗き込む事が出来る口が土足でシトリンの心の中に入る。
「ヤクソクシタノニ、シンジテタノニ」
あいつの過去を知らない俺達でもわかる、シトリンの知られたくないデリケートな部分を覗き込まれたのだろう、シトリンの強く拳を握り締める姿は小さく見えた。
シトリンの口が僅かに動く、コロシアムには冷笑、嘲笑、失笑…どれも違う物だがそれはシトリンを見下す悪意のこもった物だった。
シトリンの唖然、呆然どちらともとれる表情はだんだん憎しみによって歪んでいく。
「…れ…ま…黙れ!!!!!!!」
小さな声が怒鳴り声となって響きコロシアムは静まり返る。
シトリンの声はコロシアムの観客達に向かってはかれたのか、それともフィーリングテイクに向かって吐かれたか、なんて一目瞭然だった。
それでも考えるための器官が無い!脳を持っていないフィーリングテイクはしゃべり続ける。
「カイホウシテクレルッテイッタノニ、ジユウニシテクレルッテヤクソ…」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!!!!!!!」
シトリンは絶叫する。悲鳴ともとられる声が響く、ため込めきれない憎悪と怒りがあの優しい努力家の少女を徹底的に変えたのだ。
フィーリングテイクに怒りに身を任せ何度も撃つ、フィーリングテイクはそれを軽やかに躱し、当たりにくいように動き回る。俺達は言葉を失って立ち尽くした、それは観客達も同じなのか沈黙する。
それでもシトリンは憎悪、憎しみ、悪意、絶望の感情を乗せるように吐き続ける。
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ煩い!!!!!それ以上喋るな!!!!!!!!」
負の感情が込められた声に俺は顔をしかめた、これ程何かを恨むことは可能なのか?一体何が彼女をここまで追い詰めたのか?疑問で頭が埋め尽くされる。
昔、ユキノが俺に聞いてきた言葉が頭の中をよぎる。
「貴方は人を恨んだことがある?…そう、ないのね、聞いた理由?特にないわよ…でもね私は一度だけ恨んだことがある、それ以降から思ったわ…もう二度と恨みたくない、誰かが言ってた『人を恨んでいるときはまるで死んだような感覚』…本当にそう感じたわ」
「オジョウサマハ、ワタシヲタスケテクレルッテ、アナタヲカイホウスルッテイッテクレタノニ」
「結局、他ノ奴隷所有者ト同ジダッタンダ」
「煩い!!黙れ黙れ!!」
銃弾がきれたのか玉が出て来ない事に気づいたシトリンは構え直してフィーリングテイクに斬り込む、口から滲み出る血に見向きもせず何度もVLN-735を振るう。
冷静な判断をとれないシトリンはただ負の感情に身を任す。
その姿を俺は見たことがあった気がした、誰かとシトリンが重なる決して顔が似てるとかではない筈なのに懐かしいと思ってしまう。
あるはずも無い腕の中の温もりが出て来る、最期に瞳を見たとき俺はどうしようも無い悲しみと罪悪感と達成感に溢れていた。
そんな事は決して思ってわいけないと知っている、だが火薬の臭いと鉄の臭いに慣れてしまった救いようのない俺はただ仲間の死にホッとしていた。
恐ろしいほどの恐怖と喪失、憎悪が体中を駆け巡るそんな感覚に溺れる。
仲間達の思いが俺には痛いほど理解できた。
国に対する憎しみの歌が
王に対する反感の声が
俺に対する呪いを紡ぐ音。
それと同時に楽しかった愛すべき過去の記憶が音を立てて壊され、引き裂かれ、砕かれていく。
誰かはもう忘れた、そんな同級か先輩か後輩か、部下か上司か誰かかはわからない者だった物が口を開ける、言葉を紡ぐ。
「 た、 い」
聞き取れないかすかな声で俺に何かを言う、眩い光がその人物の輪郭をぼやかす。
見えないし、聞こえない。
それでもその人物は俺に伝える為に必死に言葉を掠れている声を張り上げる、次は聞き取るためにその体を上体を起こすがそれも無意味になる。
残酷なまでに時が過ぎたのだろう、手の重みも全て消える。
あんな事があると知っていたら死んでしまえば良かった。
あの時、屍の中で静に死んでいれば良かった。
心の中の後悔は今でも深く記憶に残る。
思考の渦に身を任している俺を次の瞬間、冷えるような殺意が襲ってきた。
背筋を蛇が伝い、首を締めに来たのではないかと思うぐらい強烈な恐怖と怖気が走る。腰に差していた軍刀の柄を掴み生きよい良く振り返り確認する、俺の視線の先にはコロシアムの観客席に繋がる階段に立つ黒い影があった。
モリージェリー王国にいるからなのか目立つ黒い髪は短く切られ、肌は白と言うよりも青白く見えた。
茶色の瞳はしっかりと俺達を見ていた、加えた煙草を左手で口元から離しその男はしっかりとしたスーツのネクタイを緩め、煙と息を吐き出す。
「ここには ~~」
東洋人らしいと思ったがやはり言語は東の国の唐頂国の言葉だ、しかしその国独自のイントネーションからか最期の方が聞き取れない。
男が俺達の方までゆっくりと来る、動きたいがどうやら術者らしい、科学的魔法基礎151番〈重力〉で抑えられる、冷汗が背中をつたう、男は膨大な殺意と憎しみのこもった声で俺達に問いかけた。
「お前ら…ヴァルレオーネ帝国の軍人だよな?」