始め
「さぁ経験に勝る知識は無いわよ」
まだ日も出てない朝の時間、ユキノは腕を組み、自信に溢れる顔つきで正座しているシトリンに微笑んだ。
明日の方向を見て口笛を吹き、首の後ろを掻くウィンを横目で見てから、目線をシトリンに向ける。綺麗になった金髪は、ヴァルレオーネの軍帽に仕舞われ、少し大きめのユキノのカーキ色の軍服を着用し、背中にはユキノの補助武器である銃と、通信用の通信機械を背負っている。
はっきり言おう、重たそうだ。
「貴方には山を越えて、ここまで戻ってきて貰います」
「え」
ユキノの無慈悲の訓練に、俺とウィンは瞬時に軍帽のつばを下げ、困惑するシトリンの瞳から逃げる、すまないユキノは止められない。
「因みに期間は三日、一日と半日分の食料それからサバイバルナイフと2リットルの水が、この鞄に入ってるから心配しないでね」
そう言いながら、肩掛け式の鞄をシトリンに渡す。シトリンはあまりの重さに、重心がぐらつき必死に立っている。
「それじゃ、始めよっか」
あぁ可哀想だ、見てて泣ける。
ニコッと笑うユキノにシトリンは、困惑した表情で恐る恐る左手を挙げる。
「地図が無いから不安です」
「」
「」
「そう言えば、渡すの忘れてたわ」
シトリンが、何処か抜けていると言う事実を忘れていた。口角が麻痺してるかのように、ピクピクと動く感覚がする。
ウィンなんか笑顔で硬直し、ユキノは何ら気にとめない様子で、四つに折りたたんだ紙をシトリンに渡しす。
シトリンはその事に安堵し、それを鞄に仕舞う。
「え?それでいいの?」
ウィンの虚しい声が響く、言いたいことは理解できるが、言っても無駄だ。
俺は静にウィンの肩に手を乗せると、ゆっくりこちらを振り向き俺がいけない?みたいな顔をする。
「男どもは置いといて、さぁ出発、出発」
「行ってきます」
「頑張ってね」
ユキノは戸惑っている俺達を無視し、地図の方向に向かうシトリンに手を振る。その途端嫌な予感がした。
シトリンが見えなくなると、笑顔で振り向き手招きしてくる。
「そう言えばシルバー…貴方、変化の科学的魔法得意よね?」
「…はい」
「そう言えば貴方、数ヶ月前、軍人無差別殺人事件で犯人をチラリと見たって言ってたわね」
「……はい」
ユキノに掘り返される過去に、ウィンがこちらを二度見してくるが、それを無視しユキノは笑顔でシトリンの向かった方向に指さす。
次に言われた言葉に、一度シトリンに合掌して俺は準備し始めた。
一日一食半、一日少量の水。
心の中で計算をして目標を出していく、地図を見ながら、間違えないように何度も確認した。
歩いたことの無い道を通るのは、胸がドキドキする。ユキノに貰った方位磁針を強く握り締めた、そうでなければ落としてしまいそうで、酷く手汗をかく。
もたもたと歩いてはいけない、道を間違えてはいけない、諦めてはいけない。
三日で向こうに戻らないといけない、ゴツゴツとした道を、慣れない軍靴であるく感覚は不思議な物で、慣れない軍服で出歩くのは少し恥ずかしいような、嬉しいような気持ちに陥る。
肩も背中も痛いし重いが、そんなのは一切気にならない、大丈夫、きっと大丈夫と言う思いだけが重い足を動かす。
日も出てきた筈なのに、可笑しな寒気に襲われる。一瞬だけ怖いと思った、その感覚が気持ち悪く、足が変な風になりその場でこける。
その時、頭の上を何かが通り過ぎた。
「うぇ」
驚き、変な声が出て来た。どうしようも無いほど恥ずかしいが、そんなこと考えてられない。瞬時に立て直して、サバイバルナイフを構える。
そこには中性的な体格の多分、男が居た。茶髪で顔が隠れてて見えないが、好戦的に口角が上がっている。
隠しきれないその狂気に、鳥肌が立つ。
本能的に脳が逃げろと叫んだ。
瞬間、走り出す。
肩も背中も痛いし重い、先程まで何も気にならなかったのに、今やその感覚は自分の足枷へとなっている。
「ハハハハ!!」
追いかけてくるのが、笑い声で確認できる。重い、主に通信機械が、ユキノには悪いが私は通信機械の肩にかける部分をサバイバルナイフで切り、通信機械を捨てる。
機械より、命だ。
段差などのせいで、普段より体力がどんどんすり減っていく。重い足を振り上げ、必死に逃げる、いきなり走ったせいで、体が思いのほか動かない。
「あっ」
左足がぐらつき、そのまま視界が急落する、あっ落ちてる、と気づいた時には左半身に強い痛みが襲ってきた。
痛みの次に感じたのは、冷たいと言う感覚だった。うっすらと目を開け、一番先に視界に入ったのはドロドロとした地面だった。髪も濡れていて、頬に水が打ち付けられている感覚に瞬時、理解する。
「雨…」
よくわからない人に追いかけられたことを思い出すと、体がこわばり少しの恐怖が私を襲う。私の体を打ち付ける雨とはまた違い、私の頬を生暖かい物が流れる。
それは確かに涙で、痛みと恐怖のせいで生理的涙と言う物が、流れたのだろう。
土でドロドロになった服は、先程よりも重く立ち上がるのに、少々時間がかかる。
「太陽…どこ」
いつまで気絶していたのか、わからない。
今は1日目の午後なのか、それとも2日目なのか、取り敢えず私に出来るのは進むこと、銃と鞄を背負い直し必死に進む。
幾分か時間がたった後、私は行き先を遮るツタをナイフを使い、目の前を開いていく。
段差を登りながら、周りを警戒し山を登ると雨が霧雨に変わる、少しの休憩のために木を背もたれのように使い座り込む。
腰を落とし、座り込み顔を傾ける。予想以上に疲れたし、想定外の事が起こりすぎた。頭を上げると歪な月が見える。息がし辛く体がだるくなる。眠たい、そう思うはずなのに、目は存外にはっきりと覚醒している。
お腹あたりが重く痛い、足も鉛のように重い、些細な音に体が過剰に反応する。
あたりを警戒して目をこらす、しかし動く物は無い。
「速く、進もう」
体に鞭を打ち、補助武器を支えに立ち上がる。足取りがおぼつかない、体が無理だと悲鳴を上げる。しかし背筋が凍る。
スコープを覗き、数発打ち込む。しかし弾は何かに弾かれる。
来る、そう思った瞬間さっきみた銀色の光が煌めく、数発打つが一切当たらずこちらに突っ込んでくるナイフが、私を襲おうとしたとき目を瞑る。
頭の中で歪な現実逃避が始まる、空気の塊が護ってくれないかなぁと、不思議な事を考えながら来るべき衝撃のために、体に力を入れた。
ガチン
激痛が走るわけでも、意識が落ちるわけもなく私は重い音に驚き、目を見開いた。
薄い何かが見える、透明度の高いそれは、ギリギリ私を襲ったナイフを受け止めている。
また、まただ。ユキノに始めて補助武器を借りたときに出て来た物、初めてじゃない、何度か見た不思議な力。
この銃を持っているときだけ使える、それに私は困惑したが、謎の納得感を得られる。
確かにユキノは私が凄い、と言ってくれた。しかし、それは根本が違う。私はちっとも強くない、この銃が、あのユキノ達が凄いんだっと、私は動きが止まった相手に向かって、近くの土を握り締め、相手の目に向かって投げつける。
相手が防御の態勢に入った瞬間、私は反対方向へと駆け出す。
腕を一生懸命ふる、喉が痛くなって、息がし辛い、山の中を懸命に走り、草木の多い場所を見つけて体を隠した。
緊張から解かれた為か、安堵する。瞼が重く、酷く強い睡魔に襲われる。
意識が一気に暗闇に落ちた。
鋭い痛みが私の右足を襲った。
あまりの痛さに、言葉にならない声が出る。いつの間にか寝ていたらしく、暖かな日差しが私の頬を照らす、痛みさえ無ければ清々しい朝なのにと思う。右足を見ようと起き上がろうとすると、今度は違った痛みが私を襲う、肩がとても痛い、心なしか腹部も肩と同じような痛みさえ感じる。
右足と違い、外の痛みではなく、内が痛い気がする。
「うわぁ、腫れてる」
何かに噛まれたのだろうか、足は腫れており、正直見たくない。しかし私の事を期待してくれているユキノ達の思いを、裏切りたくない、という思いが私の足を動かす。
「今はここで、ここをこうして、ここを通れば」
地図を見ながら、小石で現在地を確認する。逃げていても、ちゃんとルートを外れないようにしたおかげで、ここが何処か把握できる。
手短な枝をとり、鞄の中に入っている包帯を使い右足を固定した。一定の怪我の対処をユキノが教えてくれたから、困らずにすんだことに胸をなで下ろす。
今度は長めの太い枝をとり、杖のように使い痛む足を気にせず歩いた。
少し歩いた後、ふと周りを見ると何か黒い粒々が見えた。スコープを覗き見てみると、それは騎士だった。
「モリージェリー王国の騎士だ」
見つかってしまったらまずい、歩いた方向を引き返そうとするが、時間が無いことに気づき一つ舌打ちをする。
「息を潜めて行くか」
誰にも見られないように、そう願いながら身を縮め、銃を背負いながら匍匐前進する。
誰にも見られないように、誰にも見られないように、誰にも見られないように、誰にも見られないように、誰にも見られないように。
「待て、ここに誰か居なかったか?」
「いや、そんなわけないでしょ」
ガチリ
背筋が凍り体が固まった。息を止め、震える手を押さえ、こちらに近寄ってくる音に恐怖を感じながら、ひたすら居もしない神に祈った。
ガサリ
かき分けるような音に心臓が煩くなる、死んじゃう、嫌だ、生きたい、助けてユキノ!!
「なんだ、誰も居ないじゃないか」
遠ざかる音に段々と冷静さが戻った、止めていた息のせいで、呼吸は荒く体は異常なほど震えてた。
早く、早くあの安全な、ユキノ達が居る世界に戻りたい。
涙が溢れるが気にせず走る。重いなんて知らない、痛いなんてわからない。
辺りが暗くなることさえ気にせず、無我夢中で走る。足元が明るい気がしてきて、それに勇気づけられ走った。
くらっと視界が揺れる、あたりは真っ暗でよくよく考えたら、何も食べていないことに気づいた。どさっと地面に倒れ行儀悪いが寝そべりながら冷たいパンを食べた、一口また一口手でちぎりながら、味を噛み締める。口を動かすのと比例して、視界がぼやけ涙が溢れんばかり、零れていく。
一人で食べることは慣れていた筈なのに、涙だけではなく、心から寂しいという感情が溢れる。
口に思いっきりパンを放りこみ、心を紛らわせる。思いのほかパンは塩っぱく、美味しくない。
肌寒い夜、いつ来るかわからない恐怖に体がこわばり、肩がガクガクと震える。
その日の夜は一切睡魔が来ず、怖くて震えていた。
眩しい朝日を感じ、目を開けた。今居る場所から、重い体を起こし、水を飲み込みながらナイフを使って前に進む。
精神的にも、肉体的にも、限界を迎えた体はまるで鉛のように重いし、痛みに悲鳴を上げている。
数時間歩けばヘトヘトになり、空腹に悩まされた。あぁ死んでしまうのかと思った瞬間、体が右方向に吹っ飛んだ。
頭が追いつかず、痛みに声にもならない悲鳴が渇いた喉からかすかに出る。
こちらに近づく足音に、ある程度の諦めの心情が垣間見る。
自身のはぁはぁという荒い息が、意識しなくても聞こえる。自身が居た場所に目線を向ければ、やはりあの男か女かわからない奴が立っていた。
諦めたい、死にたくない、疲れた、生きたい。
サバイバルナイフを自身の前で構え、土器のように重い腕を振り上げながら突っ込み、目の前に居る人の頭部に向かって、振り下げる。
金属同士のぶつかり合う音と共に「ひはっ」と言う声が聞こえた。嫌な予感を感じ、後ろに下がる。さっきまで心臓があった場所には、別のナイフがあり、手が震えた。
こっちに向かってくる者に、体が一瞬固まる。
死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない!!
「うぁぁあ!!」
ナイフを水平に振るう、瞬間大きな雷のような光が、ソイツを襲った。
理解が出来ない、理解が追いつかない。だけど気絶したかのようにピクリとも起きないそれを理解した瞬間、からだが勝手に動く、急いで躓きそうになるが、必死に手を振り足を動かした。
整地されてない道を走り、密封された空気の漂う、壊れかけの民間が見えた。口の中に広がる鉄のような味、まるで吐血してるのではないかと思うが、そうではない感覚。体の節々に感じる痛みによる、悲鳴が心に垣間見る。疲れと諦めが一気に消える。風に揺らめく黒色の糸のようなもの、綺麗な黒曜石が二つ…ユキノが手を広げ待っていてくれている。
溢れんばかりの涙が、一気にぼろぼろと溢れる。
一気に駆け寄れば、暖かな温もりが、優しい微笑みが、私の冷え切った肌を、心を、温めた。
「よく、頑張ったね」
安堵を感じ、心が暖かくなる。怖くて来なかったはずの睡魔が、私を襲う。やだ話したい、ユキノと話したい。
褒めて欲しい。その感情があるはずなのに、視界はくらみ睡魔が完全に、私の意識を暗闇に落とした。