術士と自由の行進
私は森の中を、必死に裸足で走った。
整地されていない獣道を、なりふり構わず走り続ける。整地されていないだけあって、剥き出しになった石や木の根に、もはや足はボロ雑巾のようだった。
だが、この森を抜け、海を泳げば他国へ行ける。そう思うことで、すり切れていく精神を僅かに支えていた。島国であるモリージェリーを出るには、その方法しかないのだ。
幸い、それほど大陸とは離れていない、と判断したので、皆が浮かれている間に、ここまで辿り着いて来たのだ。
自由の為に、人として、生きる為に。
数時間も走れば、視界が変わってきた。木々の間から青白い光がキラキラと輝いて見える、はっきりと耳に伝わる鼓動と密封された空気が鼻をかすめる「あぁ…!!海だ!!」生命の母と呼ばれる海なる物が、私の瞳に映るのかと、ここまで来て初めて、自由への希望が生まれた。
だが、すぐにそれは、絶望へと変化した。
「えっ_」
ただ海は、広がっていた。
何処を見ても、青に埋め尽くされている。さして問題ではなさそうだが、そこが重大な問題だった。ポケットから半分に折られた紙を開き、あたりを見回した、地図には海を挟んだ所にバルンカ帝国と言う、島国があるのに、何処を見渡しても、面影も何もないのだ。まさか偽物じゃないか、と思うがそれは決してあり得ないだろう。
自分達を買ったお金持ちが、偽物をわざわざ買うなんて、馬鹿な事はしない。
ドサッ
私は結局、自由にはなれないのだろうか。膝から崩れ落ち、小さく切った地図を握り締めた。
奴隷と言う立場で、一生人生を人ではなく、物として使われるのか、両手で顔を覆い体が崩れ落ち、肩をふるわせた。日が沈み始めたからなのか、半袖のワンピース一枚では寒くなってきた、それでも私は、海を睨んでいた。
このまま、終われるか?
終わらせない、そう思い頬をバチーンと両手で叩き、気合いを入れた。何処までも泳いでやる、必死に生きてみせる、その思いだけで自身を奮い立たせた。
「振り返らない」
自分に言い聞かせて徐々に、海へと入っていった、肌や服に当たる水の感触に、不愉快と言う感情を抱く、ズキンっとすり傷などに激痛が走る、だが一歩ずつ確実にバルンカ大陸を目指して、歩いた水位が首までたっした時、周りが人工的な光で明るくなり、とっさに後ろを、見てしまった。
「ッ_!!」
「ッ_!!ッ!!」
「ッ!!ッ_!!」
見たことの無い、軍服のような物を着ている3人組に大きな声で、何かを叫ばれた。私を捕まえる為に、雇われた人達なのかも知れないと思った瞬間、胸、肺、喉に痛みが走る、水中の中なのに、足がガクガクしてきた。
「モリージェリー人だ!!今すぐ海から出てこい!!」
「それは自殺行為よ!!」
「死ぬぞ!!」
意味の無い、私を心配する声に背き、私は陸とは反対に泳ぎ始めようとした。急いでいるため、動作がおぼつかず溺れそうになると後から、小さな女性の悲鳴が聞こえる。
魚なのかわからない物が、私の手や体に軽く触れる。傷口が痛むのか時々、チクっとした痛みが腕に走る、感覚が麻痺したのかピリピリしてきた、その感覚に溺れそうになったとき、耳を劈くような大きな声が聞こえた。
何を言ってるのかは、分からない。
ただ感覚が、よく分からなくなってきたのだけは、はっきりと理解できた。口を開くも言葉が出てこない中、やっとのことで音にした言葉は、自分でも情けないと思うほど、頼り無い声だった。
「…花?」
水中に浮く、四つの花びら…脳がそれを理解した瞬間、何も感じる事が出来なくなった。
一切の光もなく、ただ凍るような風が吹く新月の夜。
まともに整地されていない道に、石や木の根が、剥き出しになっている。
かすかに空気を震わす空洞音は、枯れ果てた井戸からの音だった。少し壊れている無人の家で先程、海に溺れていた少女と俺達は休息をとっていた。
変色した壁や家具が、長い間使われていない事を強調している、蜘蛛の巣だらけの隅を見て俺は、眉を中央に寄せた。きしむ床と建物の錆た臭いが印象的な、散らかった室内に赤髪の術士のウィンは、木製の壁に背を預け、俺は床に腰を下ろし、黒髪の術士のユキノは、気絶した少女の看病をしていた。
イグルス森林の中にある、小さな村は奴隷狩りにあったのか数多の家は、崩れ落ち柱などには深い傷がついている、悲しいことに今の時代。そんな事は珍しくない。静寂が広がる中、ただ少女の痛ましいうめき声だけが聞こえた。
今からモリージェリー王宮に行くには、少し気がひける。それに森林の近くには〈魔物〉達のテリトリーがきっとある、今ここを抜け、モリージェリー王宮に行くのは無謀だ。だが、早めにこの任務を終わらせたいのは、本心である。考えるほど頭はゲシュタルト崩壊していく、俺は軍服の袖をもてあそび、過剰に唾を飲み込んだ。
やはり、明るくなるまで待たなければならない。
俺は少女を見て眉をひそめる、少女は胸の位置で自身のお世話にも、綺麗とは言えないワンピースをぎゅっと掴んでいる。ユキノはそれを見て、はっと息をのむウィンも目を見開きユキノと目を合わせた。
「私の声聞こえる?聞こえるなら右手を挙げて」
「今タオル持ってくる」
「シルバー!私の鞄から風邪薬とって」
弱々しく挙げられた右手を握るユキノは、少し動きがぎこちなかった。俺は鞄からラベルに、丁寧に風邪薬と書かれた瓶を渡す、わざわざラベルを書くとは、律儀な女だ。タオルを取ってきたウィンは少女の額に流れる汗を拭くために、触れるとその体はこわばる、ユキノは少女の顎を前に出し気道を確保し呼吸をしやすくさせる、そして薬と水を飲ますとその顔は苦さを表すように歪んでいる。流石と言うかどの国でもこの薬はまずいらしい。
「やっぱりこの子を置いては行けない」
痛みを訴えるように声が響いた。
濡烏色の髪が動きに合わせて揺れる、黒色の瞳が映すのは目の前にいる少女なのか、それとも、生きていたらこの歳ぐらいの、流産で失ったウィンとの子供なのか、美貌の二文字が合うその顔は、わずかに険しい表情で、唇をぎゅっと結ばれ、不自然なほど、押し黙り治療の手が止まる。
またも、沈黙する。
欠陥した部分から、冷たい夜風が入り天井からつるされたランタンが揺れ動く、ウィンはユキノの隣に座り体を引き寄せ、自身の唇を強く噛みうつむく。胸が締め付けられるような気がした、自分はその出来事と一切関係無いはずなのに、喉の奥が強く痛んだ。
「ん…」
欠陥した天井から顔に太陽の光がかかり、心なしか温度差で目が覚めると、布が擦れるような音がした。起きたか、と思い俺は瞼を上げると、少女は上体を起こし、気落ちしたような表情が見える、今の状況が分からないのか、その視線は一つに、留まる事は無かった。鳩のように、キョロキョロと周りを見る少女は、やっと俺が居ることを把握出来たらしく、肩が数ミリ上がり、目を丸くした。
「起きたか?何か飲み物を持ってこよう」
「え?は?」
「おい、ユキノ!ウィン!起きたぞ」
なかば少女を無視する。台所からとても良い匂いが漂ってくるので、きっと2人ともそこに居るだろうと想定し、俺は二人を呼ぶと、何処から持ってきたかよく分からない、木製の茶碗を4つ持ってきた、目をこらさずとも見える湯気に、食欲がそそられる。
「おそようさん」
「太陽は、もう真上にあるよ?」
「昨日は色々あって疲れてるんだ、つまりウィンの寝相で何回か起こされた」
「は?え?」
コトンと床にお粥が入ったお椀が、目の前に置かれる、少女は口をポカンと開けて、お粥を二度見し、頭を傾けている、ユキノは少女に目線を合わせお椀を受け渡す。まだ頭がついてこないのか、恐る恐るお椀を受け取りじっと見つめていた。
「あの…」
「まぁ話は、後にしましょ?熱を出していたから疲れたでしょ?ほら お食べ」
ユキノは優しく少女の金髪を丁寧に撫でる。幸せそうな光景を見ながら、黙々と食べていると右側の肩に違和感を感じ、その正体に気付いた。
右側の肩を肘置きにされる俺の顔は、きっと不愉快に歪んでいるだろう、それとは反比例するように俺の右側に、座るウィンは気持ち悪いくらいに、はにかんでいた。
「俺の妻、可愛いだろ?」
「任務中にのろけ話しすると死亡率上がるぞ、そして気持ち悪い」
俺はお粥を食べながら、2人を見つめていた。ウィンの視線も必然と2人に向く、あぁ平和だ、幸せだ、こんな日が続けばと本当に思う、何の変哲も無い光景を見るといつもそんな事を思う、少女は一口恐る恐る食べるとその顔はみるみる花が、ほころんだようにはにかんでいく、誰かに盗られる訳でもないのに、必死に急いで食べる姿を見て、お椀を持つ手の手首にある痣を見て、胸や手足が重く感じるのは、胸が張り裂けそうなのはきっと勘違いだと、無視できたら、どれほど楽なのかと思った。