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第二章 「クリスマス」

 女という生き物は本当に面倒くさいと思うときがしばしばある。

クリスマスがどのように有難いのか、なんてことは、俺が理解しようとしても、一生理解不能なことだろうが、女たちにとっては重大な、それもかなり気合の入る一大イベントらしい。

「久しぶり! プレゼント交換しましょう! 明日! 恋人たちの夜に!」

 一体いつの時代からクリスマスが恋人たちの夜にされたのかは知らないが、そう電話してきたのは二週間ほど前に、喫茶店で俺の顔を見事に左ストレートで打ち抜いた元彼女の一人だった。あいつは何をたくらんでいるのか、昨日突然電話をかけてきたかと思うと、約束を取り付けてきた。

「あ! あと、あんたもプレゼント買ってきてよ! 交換よ、交換!」

あきれたもので、言いたいことを言うと、そいつはそのまま叩きつけるように電話を切った。

 翌日の十二月二十四日、朝。俺は奏を連れてショッピングセンターに来ている。

女のプレゼントに買っていいものがまったく分からなかった俺は、奏の部屋の窓を数回ノックして、当日買い物に付き合ってくれるよう頼んだ。

「……」

いつもそれほどしゃべることのないおとなしい奴だが、どういうわけか、今日は心配になるほど無口だ。

それに、いつもと違うとことは他にもある。学校の時と同じ装いに見えるが、注意してよく見ると、微妙に所々違っている。

ベージュのジャケットはいつも通りだ。スカートの丈は色気のないほどの長さだが、ほんのりと明るい色に変わっていた。

前髪も、右に結っていたものが左右に分けられている。

「…亮…くん」

「ん?」

ショッピングセンターを練り歩く中で、奏がやっと重い口を開いた。

「きょ…今日はなんで私と買い物にきたのかな?」

「あ、そういえば言うの忘れてたな。ごめん。」

 事情を説明すると、見ているうちに奏の肩の力が抜けていった。今にも口から煙の出そうな奏をつれて、俺たち二人はプレゼント選びを開始した。

 当てもなくショッピングモールの店を転々と歩き回る。店を回る数に比例するように、奏の顔に輝きが戻ってきた。

 可愛らしい服をうらやましそうに眺め、レースのついた服をつついては、満面の笑みを俺に向けてくる。

「なぁ、奏」

「え? なぁに? 亮くん。」

「それ、着てみろよ。」

俺の言葉を聞くと、奏はメトロノームを最速でふったように全力で両手を動かし、懸命に否定した。

「や、ヤダよ! 恥ずかしいよ! それにホラ…あれだよ、今日は亮くんの彼女さんのプレゼント買いに来たんだし、私が着たらなんだか意味も分からないじゃな?…」

「いいから着てみろって! ほらほら!」

俺は服を手にとって、奏を試着室に引っ張っていく。アタフタと無駄な抵抗を繰り返す奏だったが、俺は有無も言わさず、試着室に奏を服と一緒に押し込んだ。

「亮くぅん…あれだよ…恥ずかしいよ。」

今まで見たこともないほどに奏は高揚し、奏は服を大事そうに両手で抱えている。

「お前がその服を着るまではこの店を出ないからな! お前に似合わないなら、きっとあいつにも似合うことはないさ。いいからさっさと着てみろ。着てみたいんだろ?」

「う…うん…わかったよ。」

カーテンを閉めていく。途中、カーテンを完全に閉め終わる刹那に顔を出して、

「待っていてね? 置いて行ったりしないでね?」

「ばーか。そんなことしたりしないから早く着ろって。」

残りのカーテンが閉まった。俺は一人で店内を歩き回った。

自分でも、何でこんなことをしたのか分からない。

奏の違った格好を見てみたかったからか、それとも、単なる好奇心か。

すくなくとも、あの元彼女のためにこうして奏に服を選んでもらっているなんて事は、百歩譲ろうが千歩譲ろうがない。

「…着たよ。」

 奏の入っているカーテンから声がした。

「あ、あぁ。着たか。あけるぞ?」

 なんだか緊張する。俺はカーテンの折れ目に指をかけようと手を伸ばしていく。

「ちょっ、ちょっと待って亮くん!」

「わっ! な、なんだよ…。」

「そ…その…まだ心の準備が…」

「何言ってるんだよ…んなもんあるか! こんなところでグズグズしてると日が暮れるぞ。」

「ごめん! やっぱり脱ぐよ! はずかしいよ!」

「ばか! 脱ぐなよ!」

俺は破れんばかりに力いっぱいカーテンを横に裂く。

「ダメッ…亮く…」

奏の白いブラジャーに負けないほどの、純白で小さな奏の胸元が俺の目の前に現れた。

「あっ…」

 顔が火照る。

 奏はまだ腕に残る脱ぎかけの服で、ゆっくりと赤面しつつも胸元を隠す。

 俺は視界から奏をはずし、瞬時にカーテンを閉め切った。

「な! 何で脱いでるんだよ!」

「ごめん亮くん…あの…あれだよ…恥ずかしくって…」

「だからってもっと恥ずかしいことになってるじゃねえか…いいから早く着替えて出てこい…いつもの服でいいから。」

「…………。」

 服を着た奏は、大事そうに試着した服を抱えて顔を隠し、服を元あった場所へ戻しに向かった。俺は奏の手首を捕まえる。

「わっ! な、なにかな? 亮くん…」

「買ってやる。」

 俺は奏と視線を交えることなく言った。

「え?」

「それ…買ってやるっていったんだよ。」

「で…でも」

「それ買ってやるから、だから…今度はちゃんと着て、ちゃんと俺に見せろ! わかったか?」

 今日の俺はなんだか変だった。自分でも何を言っているか分かったものじゃない。それでも奏は、頬を赤くしてもなお嬉しそうに口元と、目を細めて微笑んだ。

「うん…わかったよ。」

 俺は初めて人にクリスマスプレゼントを買った。自分のためでなく、人に頼まれたわけでもなく、俺が、誰かのために。本当に、今日の俺は変だとつくづく思う。

 昼飯を食い終わると、俺たちは再びまだ回りきれていな店に出向いた。がしかし、俺は元彼女のプレゼントは何でもいいと考えていることに気がついた。奏にプレゼントを買った時点で財布が軽くなったことも、理由の一つだ。結局、百円ショップで「今人気です! 品切れ必至! 動物の同部消しゴム。」というものをたまたま発見し、購入。品切れ必至の割には何の障害もなく手に入れた。

「亮くん…それはさすがに誰も喜ばないよ…。」

 百円ショップで会計を済ませてすぐに、奏がさとす様に言ってきた。

「そうか?」

「わたしも貰ったらきっと困るもん。」

「そか。じゃあ来年のクリスマスは奏にこの消しゴムの全シリーズをプレゼントしよう。」

「いらないよ?」

「ライオンの同部だぞ? キリンの同部なんかは、恐ろしく曲線が美しいデザインなはずだ!」

「だからいらないよ? 本当にいらないよ?」

「安心しろ。ちゃんと予約しておいてやる。枕元に置いておくから安心しろ。」

「…もしホントになったら、亮くんの家の窓に全部投げつけてあげるから。」

「……それは困るからやっぱりやめとく…」

 俺たちは歩き疲れれば喫茶店に入ったり、ベンチが空いていれば座って休んだ。室内で休憩すればどこにいても温かくて、何の苦にもならなかった。

途中、奏が刺繍の材料を買うといって付き合った以外に、目的の代物を手に入れた俺と奏は、自由気ままに冬休み初日を満喫した。

元彼女との約束の時間が少しずつ近づく。夕日は沈み、空は深海のように濃く、闇に染まっていく。俺は奏を駅の改札まで送っていった。

「今日はありがとうな…。」

「ううん…わたしこそ、本当にたのしかったよ。」

「…………」

「…………」

 こいつとはよく調子が崩れる。でも、なんだか…

「亮くん…」

「ん?…」

 こいつといるのは…

「彼女と楽しんできてね?」

 心地よかったことが今日、今分かった。

「……」

「…亮くん?」

「え? あ…あぁぁ、うん。楽しんでくる…楽しんでくるよ。当たり前だろ?」

 奏は笑顔で帰っていった。

 俺は元彼女との待ち合わせ場所に来ていた。駅前の大きな時計の前だ。

 口から真っ白な息が蒸気のように揺らめいて、その煙をやさしく押しつぶすように今年初めての雪が降りてきた。見上げると、漆黒の闇から白い結晶は次々とこの町にロマンチックな雰囲気をもたらしていくのが見えた。俺は凍えないように小刻みに足ふみを繰り返して、消しゴムをポケットの中で握る。

 あいつは来るのだろうか。図られたのかもしれない。俺はなんでここにいるのか。約束の時間を三十分以上過ぎても、元彼女の足音すらせず、俺はけなげに待ち続けていた。

 人を待つ時、人はその人のことを思うものだ。しかし、そのときの俺には、元彼女の面影のひとかけらも思い浮かべることはなかった。

 奏のことばかりが、俺の頭の中に流れ続けていた。

 奏はいつも俺のすぐそこにいて、いつも俺の後ろを歩いていた。手をつなぐこともない。ただ、一緒に学校に行って、一緒に帰ってきた。子供の頃は帰ってきてからは隣り合う部屋の窓を行き来して遊んだな。そのことで、よく親にも怒られた。それでも、あいつといるのが楽しくて、毎日そうやって遊んでいた。いつから、そんなことをしなくなったのだろう…。

「あれぇ? 亮じゃん。何やってるのこんなところで。」

 顔をあげると、そこには約束したはずの元彼女が他の男と腕を組んで立っていた。その顔には勝ち誇った何かがにじんでいる。俺は一つため息をもうけて、ポケットに突っ込んだ消しゴムを差し出した。

「なによこれ?」

 勝ち誇った顔が一気に崩れる。

「これでその汚い顔でも拭けよ?」

「は?」

「その厚化粧は、化粧落としでも落ちにくいんだろ?」

 俺はそれだけ言うと、消すゴムを握ったままポケットに再度手を突っ込み、歩き始めた。俺は元彼女の男の脇を通り過ぎる際、男の肩に哀れみをこめてポンと手を添えた。

「明日の朝になっても、こいつのことを愛してやれよ。」

 捨て台詞の決まった俺は、奏の見送った改札を通って家路についた。

 久しぶりに、俺は一人で帰り道を歩んだ。

 後ろを振り返っても誰もいないのはわかっている。それでも俺は何度も繰り返し振り返った。誰がいてほしかったのか。誰を、その背後の景色に望んだのか。答えはすでに分かっていた。俺は、一人で通るには大きすぎるいつもの帰り道を、できるだけ急いで帰っていった。

 家に到着し、電気のついていない自分の部屋に入る。上着をかけると、意識的に奏の部屋を見た。

 奏の部屋のカーテンは、珍しく閉じてはいなかった。奏が机に向かって座り、こちらに背を向けているのが見える。俺はポケットに入っていた消しゴムを取り出すと、部屋の窓を開け、奏の閉め切った窓に投げつける。思いのほか大きな音がなる。奏は飛び上がって俺が帰ってきたことに驚き、窓越しにこもる悲鳴をあげた。机の上を片付け始め、奏は何かを袋に詰めて後ろに隠すように持ち、窓に駆け寄ってくる。

 俺は窓をすべてスライドさせる。俺の家と、奏の家の隙間に落ちている雪が一緒に流れる。飛べば届くことができるほどの距離にある奏の窓に、少しでも近づこうと窓辺に座った。

 奏が窓を全開にする。

「早かったんだね?」

 寒そうに肩をすくめる。白い息も一緒にあがる。

「あぁ。なんかよく分からん用事だったよ。なんだか新しくできた彼氏を見せたかっただけみたいだ。」

「そんだったんだ。なんだったんだろうね?」

どこかホッとした表情を浮かべ、奏は笑った。俺も釣られて笑っていた。

「ホントにな。何がしたかったんだろうな。」

「ね……なにがしたかったのかな。」

「………」

「………」

 沈黙がここまで心地いいことは、今までなかった。俺たちは何を話すわけでもなく、つかの間、雪を眺めた。大粒で、湿り気のある雪がだった。

「ねぇ…亮くん。」

「ん…なんだ?」

「小さい頃はさ、こうして寝る前にお話したよね…。」

「そう…だったかな? 子供の頃なんてあまり覚えてないからさ。」

「わたしは覚えているよ。たくさんのこと。」

「…そっか。」

「うん。…そうだよ。」

 つかの間に沈黙。

「それしても、奏はいつまでたっても彼氏ができないな?」

「な…なにそれ? 何でそんな話になるかなぁ…」

「今日だって、帰ってきたら誰か彼氏と遊びにいってるのかと思ってた。」

「わ、わたしは…あれだよ…で、でも、今年はほら、亮くんだって一人だし…」

「ま…まぁそうだけどな。今年は俺も奏も一人だ。」

「そうだね…そうなんだね。」

静かに笑った。チラつく雪のせいなのか、奏が綺麗に見えた。昼間と変わりないのに。いつもと、少し違うだけなのに。思わず目をそむけて、俺は雪が微かに降りてくる屋根と屋根の隙間を見つめることでごまかした。

「…奏」

「なに?」

「こういう時ってなんていうんだろ?」

「え? なにって…なに?」

「あの…ほら、あれだよ、あれ…」

「あれって…エヘヘッ…」

 俺は久しぶりに奏の笑い声を聞いた。思わず俺の顔も柔らかくなる。

「なにわらってんだよ…」

「エヘヘヘヘッ…ごめんね、だって、亮くんがわたしと同じこというんだもん…」

「同じこと?」

 首をかしげる。

「うん…困ったときに、わたしはいつも『あれ…あれだよ』とか言ってるんだよ。」

「あぁ…そういえばそうだな。」

「気づかなかったのかな?」

「気づかないわけないだろ。何年一緒にいると思ってるんだよ。」

「エヘヘッ…そうだよね。実は最近友達に言われて気づいたんだよ。」

「遅いだろうが…もっと早い段階で直してやればよかったな。」

「でも、友達からはかわいいって言われるんだけどな…。」

「知らねぇよ。それより奏…」

「エヘヘッ…なに?」

「言いたいことがあってな…」

奏の笑顔が緊張で固まる。

「な、なにかな? 何でも言って?」

 俺も照れくさくて鼻をかく。指先が冷たかった。

「あぁ…じゃあ言うぞ?」

「うん…」

「笑うなよ?」

「絶対に笑わないよ?」

「じゃあ…ゴホン…」

 口元に手を添えて喉を鳴らし、俺はまっすぐに奏を見つめた。

 奏は真剣に口をヘノ字にまげて構えていた。

「メ…メリー…クリスマス…」

「…………へ?」

 奏は首をかしげた。

「へ?」

思わず俺も聞きなおしてしまった。

「あ…エヘヘ…あれだね…メリークリスマスだね。」

 奏の笑顔がまた俺の前に現れた。まぶしいほどのその笑顔は、俺の笑顔を無理やりに引きずり出していく。

「あぁ…メリークリスマスだ…」

 奏は俺がそう言うのとほぼ同時に後ろに隠し持っていた紙袋を俺の前に差し出した。

「奏、これは…」

「うん…今日渡そうと思って…その…作ってみたんだ。」

 俺は手を伸ばして受け取った。茶色い紙袋は羽のように軽かった。

「…あけていいのか?」

「うん。いいよ?」

 丁寧に包まれた紙袋を、俺は難解な知恵の輪を解いていくように、慎重に、丁寧に開けていく。

 中にはかわいい女の子の形をしたパペットが入っていた。手作りのようだ。

「わ、わたしね、パペットを作るのが好きってい言うか、得意って言うか、手芸は全部好きなんだけど、その中でも一番好きなのは、やっぱりパペットをつくることで…だからその…あれだよ…あの…」

相当慌ててることが聞くだけで分かった。

「だから…あの…」

「ありがとう、奏。」

 俺は本当の意味で、久しぶりに笑っていた気がする。奏の表情にも明るいものが、内側から顔に浮き上がる。

「大切にするよ、これ」

「うん! ありがと…亮くん。」

 俺たちはその晩、奏が眠くなるまでいつまでも話し込んだ。小さい頃の思い出が、いつもの大学の他愛もない出来事が、俺たちの会話をもりあげた。もちろん、今日起こった出来事もすこし笑いの種なった。

 その日、俺は眠る前に自分が今日たくさん笑っていたことをジンワリと思いながら眠った。


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