返信を兼ねて一つ書かせていただきます
ある方から、本日メッセージを頂きましたので、その返信も兼ねて少々書かせていただきます。
まあ、正直、自分自身の納得いかない事を感想に書かせていただく事がありますし、少々きつめに書かせていただくこともあります。
ですが、その感想を書かせていただくのはある種期待をもっているからです。
私自身が色々あり、そのあった事をほかの作者の作品に求めているのではないか? と思われるかもしれませんが、恐らくそう思われる方はこちらの愚痴に書かせていただいている中にある「医療事故にあった」事を読まれているからだと思います。
ですが、正直書かせていただきますが、医療事故にあったのは平成27年8月半ば以降であって、感想自体はそれ以前から書かせていただいており、医療事故にあったという事で少々感情移入しやすくなったかもというのはあれども、以前から考え方は変わっておりません。
後、私が物語の感想で生き死にに関して厳しいのは
個人的に交流あった方々から、戦争時代での悲惨なエピソードと、そのエピソードも加害者、被害者、加害者の家族、被害者の家族、一般人、武術家の方々から色々お聞かせいただいたことが元になっております。
(武術家が捕まって、ある場所で殺し合いで見世物にされたエピソードなど聞くとおいおいとは思いますし・・・それでも日本人より共産党の方が嫌いと言い切るのですから、どれほど酷い事をしたんだろうと思いますが)
物語への考え方の基本は、以前に読んだキャラクター小説の作り方 (角川文庫)の中に
「物語とは欠けた物を埋めて完成させるまでは物語である」
というのに感銘を受けてから、その考え方が元になりました。
また同著作の中で
「特徴をつけるにあたって、その特徴には理由が無くてはならない」
「その理由を膨らませて行く事で話が膨らんでいく」
という技法を紹介されており、その為、なろうで読ませていただいて、理由が無い、理由との整合性が合わないと思われる事に関して感想で厳しい意見を書かせて頂いています。
ただ、感想欄で書くようではない事、感想欄に書き込むとあまりに猛毒がある事、あくまで我見で独善である事がわかっていることに関しては書き込まずこちらで淡々と記入させていただいているわけです。
もちろん、作品は作者さんの物であります。
ただ、発表するという事は人に見てもらうことを意識するという事です。
ならば、そのことによって、人が見ることを意識しなければならないという事なのです
これに関しては老舗の小説雑誌の選考の感想に良く書かれています。
「小説はまず読む人がいることを意識しなければならない」
これが大前提です。
誰もが見れる場所に発表する以上、それは覚悟しなければなりません。
雑誌ならば載った後に感想で読んだ人からの反応が返って来るわけですし、なろうでは感想で返って来るわけです。
ですので、感想欄を閉鎖している事に関しても聊か疑問を呈しているわけです。(部分閉鎖は荒らしがいる以上、プロと違って編集が止めてくれるわけではないので致し方ないかもしれないなとは思います。)
ですので、因果という言い方は悪いですが、原因があって結果がある。
そこに生まれる必然性があるなら整合性がないと意味はない
と思いますので、感想に関してのスタンスは変えるつもりはありません。
ただ、こちらにお運び頂き、お読みになっていただいた事には謹んで感謝申し上げます。