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拠り所

 なんやかんやと本人は不服そうだったが、ジーイェさんの寝床は一階に決まった。アンブロシアさんとは別に、綿を敷いて寝床を作ったみたい。

 旅団では世話役の子もいたらしいけど、身の回りのことは多少自分でやっていたそうだ。最低限の家事ならそれなりに出来るということが判明したため、アンブロシアさんは大いに喜んでこき使っ……いや、お仕事を与えていた。まぁ男手が増えるのはありがたいことではあったからね、水汲みとか。ジーイェさんもどうにか身振り手振りを交えてコミュニケーションがとれつつあったし、すっかりアンブロシアさんに慣れて穏やかに接していたから、わたしとしては一安心?

 ちなみにお勉強会は継続中。魔女ですら彼の飲み込みの早さには少し驚いていた。


 テッセルというレモンみたいな香りのするハーブの収穫を頼まれ、わたしとジーイェさんは菜園へ。元の世界にもレモングラスという香草があった気がする。こちらでは氷菓子の香りづけに使うことが多いんだって。

 今日は快晴。早起きすると一日が長く感じられて良いね。なんという健康的生活。うへへ、心なしか肌つやもよくなったんじゃないっ?

 わたし達が外に出ている間アンブロシアさんは家の中で裁縫をすると言っていた。ジーイェさんの着物を見よう見まねで作っているのだそう。こちらには西洋風の衣類しかなかったから、今は彼も簡素なシャツとズボンという出で立ちだ。うーん、こっちも似合うけどやっぱり中華な服装の方がしっくりくるかも。本人も出来ればそうしたいということだったから、なんでもできちゃう魔女さんが縫ってくれるのだそうだ。「故郷の証でもありますからね」、とお願いした時に彼が静かに微笑んだのがやけに印象に残っている。

 しゃがみ込み、いつもの石包丁みたいな形状のナイフでテッセルを摘む。ジーイェさんはやっぱり要領がよくて、ここに来てからの仕事も数日と経たずすぐに覚えてしまった。ただちょっとだけ力を入れ過ぎることがあって、たまーに変な箇所で葉っぱをちぎりとってしまうことがあったけれど。


「それ、返してもらったんですか?」


 彼の腰にベルトで固定されている得物。外に出る時にわざわざ一旦取りに戻ったので気になっていた。そういえばこちらの世界に来たときに没収されたのじゃなかったか。


「はい、我が女神に何かあったら困りますから。あのロサーノという領主は信頼に足りますね。悪くない」


 あくまで護衛、番犬というわけだ。そうそう魔物やら追剥が出るはずもないだろうに、と苦笑する。え、大丈夫だよね? あれれ。

 ぶら下がっているのは、前に彼自身が言っていたように三日月刀? シャムシール? みたいな太いサーベルのような剣。手を止めてまじまじと見ていたら「持ってみますか?」と差し出された。


「いいの?」

「こういったものを見るのは初めてのような顔をしていましたから。重たいですよ?」

「っと……おおお」

 

 すーごいなあ! 鞘のままだけど、たぶん刃の部分は短くて五十、六十センチくらい? 湾曲している。持ち手とか鞘とか使いこまれたくすんだ黄土色っぽいし、そこにはめ込まれた宝石と柄の端についた房が、派手ってわけではないけど格好いい。

 お礼を言って返すと、彼は慣れた手つきでベルトに剣をはめ直す。さわさわと吹いてきた風は青い匂いに満ちている。


「元々これは剣舞用の型なんですが、少々改良を加えてあります」

「けんぶ?」

「祭事や祝い事の席で、こうした剣を使って戦いの真似をする演武です。私も同僚に少し教えてもらいましたが、どうにも性に合わなかったんです。まぁ元が野生育ちでしたからねえ」


 笑って肩をすくめる。本人の中では笑える過去なのだから他人が勝手に気を遣うのは失礼だとわかってるんだけど、どうしても気になってしまうのは仕方ないだろう。過去形なのが、ちょっぴり寂しいような。

 わたしの複雑な胸中に気付いたのか顔に出ていたのか。ふとジーイェさんは目尻を下げる。


「……大丈夫ですよ。私はきっと同年の他の人より鍛えられていますから、貴女が思ってくださるより強いんです」


 おもむろに腰を下ろした彼に倣う。端正な顔立ちはいつになく柔和な表情になっていて、『何でも屋』として戦う時の鋭さは微塵もない。きっと彼には、わたしがワイバーンの件から抱いていたもやもやなんてお見通しなのかもしれない。

 ゲームじゃない、漫画でもない。現実としてそこに生きていたワイバーンという魔物。アホな考えと言われそうだけれど、あの生き物にも一生があったのだと思うと、みんなが助かったのは素晴らしいことだけど何だかやるせない気持ちが残ったのも事実だったのだ。


「ノノカ。私は最初は人ではなく獣として森に住みました。幼いながら、いえ幼いからこそ生き延びるのに必死だったのでしょうね。獣、魔物。生きるためには力と知恵を振り絞るしかない。戦って勝つか、見つからないように逃げ切るか。彼らの世界は思っている以上に単純なのです。……私がそれを理解できたのは、団長に拾われて人間らしい生活をするようになってからでしたが」


 語る青年は本当に大人びている。

 ああ、彼は人間なのに。魔物に噛みついた感触もきっと覚えているのだろう。想像したらどうしようもなく申し訳なくて悲しくなって。


「獣の姿であった時は魔物と戦い、また逃げ。幾度か人間に狩られそうになったこともあります。だから仕方のないことなのです。優しい貴女には辛いかもしれないけれど」

「……強いね、ジーイェさん」

「折り合いをつけること。自分勝手であると自覚することが、我々の免罪符なのかもしれませんね」


 それがジーイェさんなりの生きるってことなんだろう。

 ずび、と垂れそうな鼻水をすする。泣かない、泣かないぞ。わたしにとっての大概の辛いことっていうのは、恐らく断然乗り越える余地のある代物なのだから。それに、女の武器は最後にとっておくもんだぜ! ……ユーグさんの前で号泣した恥ずかしさが尾を曳いているのは認めよう、うん。


「ジーイェさんが本当に王様になったら、きっといい国になるね」


 思ったままを言うとアイスブルーの瞳が大きくなる。全然そういう立場になるつもりはないと言っていたから怒られるかと思ったけど、一瞬固まった彼はやがて「それも……いいかもしれませんね」と冗談か本気かわからない調子で微笑んだ。


「ノノカはやはり私の女神ですね。本当、食べてしまいたい」

「え?!」

「ふふ、もう少し愛らしさを堪能してからにしますよ」

「えええ」


 さらりと言って作業を再開する狼さん。顔が熱いよどうしてくれるんだよー!


 とか思いながらハーブを摘んで帰ると、「いつもよりちぎれたものが多いわね。何かあったの?」なんてアンブロシアさんに訊かれた。ひええごめんなさい、それわたしが動揺してたせいです!


「な、なんにもないですよ。あ、ほら、ちょっと茎が細めのやつが多かったんで!」

「そう? 使えないわけじゃないから全然平気だけど。……ああ、それよりこれ、出来たわよ!」


 完成したそれを見てジーイェさんと二人、思わず感嘆の声をあげた。アンブロシアさんの髪より少し明るい深緑色の詰襟の上衣に、麻のようなベージュのズボン、それから帯。早速シャツの上から着せてみれば、狼さんは見事元通り、東方出身の剣士といった感じになったのだ。良いね、似合う!


「ありがとう! ありがとう!」


 珍しく大はしゃぎしてジーイェさんはアンブロシアさんの両手をとってぶんぶん。せっかく簡単な挨拶は習得したってのに、つい故郷の言葉が出てしまったみたい。言葉はわからなくとも喜びは否が応でも伝わったらしく、魔女さんもニコニコ顔だ。


「あらあら私も嬉しいわ。こんな感じでいいのかしら? 何着か用意しておくわね」

「ジーイェさん、もういくつか作ってくれるって」


 布地をためつすがめつ、彼は本当に感動しているようで。「もう……なんとお礼を申し上げるべきか」とか呟きながらしきりに嘆息していた。それはそうだよなぁ。見ず知らずの世界においての拠り所というかアイデンティティというか、どうやらわたしが考えていた以上に重要なものだったみたい。

 わたしの地球人としてのアイデンティティってなんだろう? パジャマ姿の身ひとつで来たからなぁ。何も、持っていなかったし。だとすれば自分の生き方考え方こそが大和魂なのだ! ……なんて。うんうん、まぁちょっと寂しい気もするから、元の世界に帰ることができたならもっと日本文化を大事にしよう。ほら、ええと……お茶とかお花とか、着物、あとは折り紙とか?

 あ、折り紙くらいならこっちでもできそう。鶴なら見なくても折ることができるし。あとでアンブロシアさんとジーイェさんにも見せてあげよう。


 さて、そろそろ昼食の時間だしとハーブを干しに行こうとしていたら。


「――アンブロシア様、ご在宅でしょうか?」


 控え目にノックされる音。気付いたアンブロシアさんが出ると、よくお城で見る軽装の兵士さんだった。


「はいはい、どちら様?」

「お取り込み中に失礼いたします。公爵様より言伝を預かって参りました。――世界間転移術の成功を祝し、宴を催される……ということです」

「そういえばそんなことも言ってたわねぇ。いつ?」

「五日後、でございますね。御用意、よろしくお願いいたします」


 聞き耳を立てていたわたしはぎょっとする。五日後?! それって多分あれだ、ユーグさんが言っていたわたしの“お披露目会”的なやつだろう。忘れてた、っていうか冗談だと思ってた。なんにも準備してないよ! マナーとかわかんない助けてアンブロシアさん!


「あと、リーリヤお嬢様からですが。異世界のお菓子を召し上がりたいということでしたので、ぜひ足をお運びくださいとのことでした」

「それは……」

「出来る限り早く、でしょうね」


 リーリヤお嬢様……ああ、公爵様の娘さん! 成り行きでプリンを作ったあれだ。

 いまいち飲み込めないわたしに振り向いたアンブロシアさんは苦笑いだったけど、今回もどことなく楽しんでいる雰囲気を漂わせて言った。


「ノノカ、覚悟してね。とっても忙しくなるわよ?」

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