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緊急事態と疾駆する狼

 ジーイェさんの作ってくれた地図はそれはもう役に立っている。今じゃお城に来る時は必携だ。

 作製してくれた本人が格子の向こうで微笑む。ハスキー犬の瞳は瞳孔がくっきりしてて実はちょっと苦手だったのだけど、彼のは同じアイスブルーでも柔らかいパステルのように感じるから不思議だ。欧米顔なのに服装諸々は中華風……異世界人、なんだなぁ。


「あの、聞いてますか?」

「聞いていますノノカ。貴女の世界では剣と魔法は空想の産物で、世界はまるい大地に乗っていると考えられていたのですよね」


 違いなく繰り返されて思わず口をへの字に曲げた。だってさっきからジーイェさん、わたしを見てにこにこしてばっかりで、地球の話をしているのにまるで右から左みたいに見えたんだもの。

 お勉強会をしていて気付いたのだが、彼はなんとも要領がいい。まだ完璧とは言えないしわからない語句の方が多いに違いないが、たった数日でおよそ片言の挨拶程度なら(言うなれば中学生英語くらい?)話せるようになってきた。わたしが教えていたはずが、今となっては読めない単語を教えられる立場になっていることもしばしば。あれー?


「ジーイェさんって頭良いんだね……」


 嘆息したら、まるで嫌味なく彼は首を振る。多少大仰なくらい。


「とんでもない。ノノカの教え方が上手なんです。さすが、私の女神」

「だーから女神じゃないってー」


 女神呼ばわりも相変わらず。お世辞に耐性がついてきたというか麻痺してきたというか。

 もう一つ気づいたことだが、この牢屋には食事と生活用品を届ける以外はお城の人は誰も来ないみたいだ。見張りもなし。そんなに無防備でいいのかなと思ったけど、公爵様としてもせっかくの異世界人をこうして閉じ込めておくのは本意ではないのだろうか。


「それで、ノノカの世界では私は“人狼”や“狼男”と呼ばれる存在なのですね?」

「そうだね。まぁ満月を見ると変身してしまうらしいけど、ジーイェさんはそんなことないんだね。自分で変身できる」

「ええ。それにあれはオオカミではなく、イェランという生き物なのです」


 石で書かれた文字は“夜狼”。横に“疾夜”と自分の名前を並べて示してくれる。


「この“夜”の字はそれに由来しているのです。私の姿を見た旅団の団長が名付けてくれた」

「へぇ……」


 疾風、夜。想像でしかないけれども、ジーイェさんを拾った団長さんもあの獣の姿を見て美しいと思ったのだろうな。異世界のわたしからすればあれが忌み嫌われる理由が、その未知に対する恐怖が頭ではわかる気がするけど、どうにも真に迫る感じがない。

 ジーイェさんにとっても旅団の人達は家族のようなものだったんだろう。彼は……帰りたいと、思っているのだろうか?


「どうしました?」

「あ、ううん! なんでもないです」


 わたしがジーイェさんのところに通っていることはアンブロシアさん以外誰も知らない。たぶん。お城に出入りするのはおつかいを頼まれた時だけだし、食事の時間とはかち合わないように気を付けているし。これだけ働いている人が多くて、わざわざわたしを注視するほど皆さん暇じゃあないだろう。きっと。

 ……まぁ要は公爵様の出張が終わるまでは宙ぶらりんな状態なのだ。予定ではそろそろ戻るはずなんだけど。


 ま、休憩ばかりもしていられない。持参した手製の単語帳を開く。


「じゃあ再開しよっか。今日は、果物の名前を覚えようと思って」

「わかりました」


 ――その時、だった。

 金属のけたたましいあれは……鐘の音? チャペルとかで鳴っていそうな重い鐘をつくような音が、突如として城中に響き渡ったのだ。


「……なんだか、穏やかではありませんね」


 ふとジーイェさんも出口、通路の方へと顔を向ける。確かに時報というにはちょっと切羽詰まった音だ。まるで火事を知らせる時みたいな音色。

 まさか、と腰を浮かせる。何かあったのだろうか。ここは隔離された場所だから、もし逃げるにしても早く行動しないといけないだろう。とりあえず城内の様子を見てこようか?


『――緊急招集命令、緊急招集命令です。総員に告ぐ!』


 え?、と思った。紛れもなくそれは――ノエルさんの声だったからだ。戸惑い、立ち上がりかけた姿勢のまま停止する。彼、いや彼女は公爵様と出張しているはずだが。

 緊張した言葉は続く。きっと魔法でやっているのだろうけど、館内放送そのものだ。いつの間にか鐘の音は止んでいた。


『オーヴェストの森、北方地点にてワイバーン出没! 兵士、魔術師各位は至急集まられたし! 繰り返します、オーヴェスト北部にてワイバーン出没! 危機水準5(クェルト)大型一体、兵士および魔術師は――』


 いつになく厳しいノエルさんの声。ワイバーン。もしわたしの世界の空想動物と同じであるなら、そいつはきっと翼のある竜だろう。そしてノエルさんがこうした手段で通達してくるということは……公爵様が危ない?

 咄嗟に見たのは格子の向こうの彼のこと。ジーイェさんは柳眉をひそめて怪訝そうな顔。


「何が起きているのですか?」


 そうか、そうだった。まだジーイェさんはこのレベルの言葉がわからない。

 恐らく公爵様がピンチだということを伝える。ワイバーンが実物はどうであるかわからないけど、ジーイェさんの元いた世界でも魔物が出没して土地を荒らすことはあったようで、どうにかニュアンスは伝わったみたいだった。


「つまり」


 顎に手をやり目を細める。すっかり笑顔は消えていて、さすが数々の依頼をこなしてきただけある大人の表情。


「ここの領主と、ノノカの友達の命が危ういのですね?」

「うん。いや、多分の可能性だけど……でもどちらにしろ、ここから一旦出た方がいいと思う」


 オーなんとかの森っていうのがどこにあるかはわからないけど、わざわざ言ってくれるなら避難した方が良いんじゃなかろうか。脱獄云々で咎められるのなんて、命が危機にさらされるのに比べたらずうっとましだ。

 わたしがそう言うと彼は立ち上がり、両手を払いつつ。


「……その友達に何かあったらノノカは泣きますか?」

「う、うん! もちろん、ノエルさんも公爵様も無事でいて欲しい。でもとにかくここから逃げないと――」

「ならば私は助けましょう、ノノカ。貴女を守ります。心も」


 わたしの言葉を遮って、ついでに告白まがいの言葉を口にして、彼は格子へ手をかける。抗議する間もなくひらりと跳ね上がる身体。こちら側に着地した時には既に、異邦の皇子は獣の姿だった。四足をつき身を屈める。


「どのみち脱するならば同じこと。行きましょうノノカ。私とて、ここの領主に保護された恩義は感じないわけではない」

「……の、乗れってこと? わたしが?」

「貴女をひとり残すわけにはいかないでしょう。大丈夫です、しがみついていていただければ」


 ぐっと低い姿勢になった狼さんはわたしを見つめている。馬にもろくに乗れなかったのに狼に乗るなんて!

 無理、と言ってしまいそうなのを飲み込んで茶色の毛並みを跨ぐ。ここにひとりで居ても仕方がないし、ジーイェさんに何かあった時、わたしがついていないとこの世界の人々には理解されないだろう。


「どうぞ掴まっていてください」

「うん……ご、ごめんなさい、痛くないですか?」

「平気ですよ。さ、もっとしっかり」


 首元の毛はやっぱりふさふさで柔らかい。そこに顔を埋めるようにして思いきり腕をまわしてしがみつく。苦しくないかしらと思った時には「いきますよ」の声。


「――うわぁああ?!」


 わたしの叫び声だけを牢屋に残し、まさしく疾風のように駆けているのだろうジーイェさん。すさまじい勢いで過ぎ去る地面。酔うに決まっていたから早々にぎゅっと目を瞑り、ふわふわの体毛と唸る風を感じながら、ジーイェさんの声がするまでひたすら必死に掴まっていた。というか抱き枕のように体全体で抱っこちゃん状態だった。振り落とされませんように!

 ぐんと速度が落ちたのは意外とすぐのこと。胃の中が引っ掻き回されたみたいだし目が回る。酸っぱいものを飲み下し、顔を伏せたまま深呼吸。その状態で唸るような声を聞いた。


「ノノカ、前方に大きな竜がいます!」

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