ある日森の中、魔法使いと
どうやら慣れた道みたいで、黒ローブ姿のユーグさんはどんどんと森の奥へと進んでゆく。まさか誰かが後をつけているとは思わないのか、わたしの方を振り返ることもない。それでも見つからないように、かつ遅れないようについていくのは、運動不足なか弱い女子の足にはかなり厳しいものがある。このままじゃ見失うどころか森で迷子だよ!
倒木に足をとられている隙にぐんぐんと距離を離され、ピンチなわたしの前に現れたのは……銀色の、妖精?
「……シルフェーちゃん!」
小さな悪戯好きの風の精霊さんは、空中で羽ばたいたままこちらに向かっておいでおいでをしている。案内してくれるの?
魔力を司るというこの子達が森の中にいてもおかしくはないんだろうけど、この世界で精霊さん達には助けられっぱなしだなぁ、と思いながら、道案内を得たことで先よりも落ち着いて小道を歩くことができた。
すっかりあがっていた息を整えるだけの余裕もできて、黄昏時の森を進むこと暫し。あれを見て!、とでも言うように茂みの向こうを指さして、シルフェーちゃんはきゃははと笑ってどこかへ飛んで行ってしまう。あ、待って、帰り道どうすればいいの?!
途方に暮れつつも、そうっと覗き込む。すると、そこにあったのは湖。規模的には大きな池かな?
おお、と見惚れたわたしは、そのほとりに目当ての魔法使いがいることに気付いて慌てて身を隠す。ばれないようにそうっと顔だけ覗かせてみると、ユーグさんはちょうど小さな杖を取り出し、うまく聞き取れないけれど何かを唱えるところ。
――魔法?!
間近でそれらしいファンタジーな出来事が起きる予感に、心臓が緊張でばくばく言っている。あのユーグさんのことだ、どんな派手な魔法を使うんだろう?
「――体現せよ、描け、緻密なる軌跡を!」
朗々たる詠唱と同時、空中に振るわれる杖。魔法がその先から、だったのかは一瞬でわからなくなった。なぜなら澄んだ青い光が――そうとしか表現できない自分の語彙力が恨めしい――幾筋も描き出され、それに合わせてきらきらとした氷のような花弁が一斉に舞ったから。まともに見たことがないけど、流星群ってきっとこんな感じなんだろう。
なんて、きれいなんだろう。
会えば嫌味を言ってくるあの傲慢男が作り出したものとは思えなくて、思わず口を開けていた。だって、だって。魔法もそうだけど、夕暮れの中でこんな素敵な光景を生み出している男の横顔も、いつもと違って見えるのだ。
その間にも青い煌めきは続く。杖の動きに合わせて踊る。
わたしには魔法の機微なんてさっぱりわからない。せいぜい水魔法かな?って思うくらい。でもこれはかなりの技量が必要なんだろうと直感した。ユーグさんの杖が振るわれる度に寸分の狂いなく従う光たち。さすが、優秀と言われるだけあるなと悔しいながら思わざるを得ない。
どのくらいの時間経ったろう。青の魔法使いが最後に思いきり杖を振ると、ごうっと音を立てて花弁が舞いあがった。
「うわぁ?!」
その風圧はわたしのところにまで届いて。口を押さえたがもう遅い。
「……誰だ」
すっかり幻想の消失した森の中。恐ろしく低い声と共に杖を向けられれば、おとなしく出ていく他に選択肢はなかった。
わたしの姿を見とめたユーグさんは一瞬目を瞠ったが、すぐにいつもの不機嫌顔で睨んできた。さっきは格好よかったのに!
「異世界人、なんでこんなところにいる」
「いやぁちょっと……えへへへ」
「えへへじゃない。お前の世界じゃ他人の後をつける行為が推奨されていたのか?」
うぐぐ、むっかつくー! 日本は世界に誇るマナー大国だぞ。もし日本に来ることがあったら、おまえの口の悪さと根性も叩き直してやる!
とはいえ後ろめたさがあったのも事実で。睨み返すに留めていたら、彼は何かに気付いたらしい。
「お前、それ……魔女の“所有印”か。また厄介なものをつけられたな」
え、厄介? しかもアンブロシアさんのおまじない、なんでわかったの?
「この世界に馴染もうなんて、異世界人のお前には無理だ。なぜそんなに能天気に笑っていられる」
でもそんな疑問はあっさり吹き飛んだ。気にしていたことをいとも容易く、このひとは。
自分が思ってることは少なからず相手も思ってくれる、だからなるべくいいところを見つけて好意をもつようにして、頑張って笑顔で。そうしたらいつか馴染めると思っていたのだ。
けれどここの世界の住人は、そんなこと思ってくれていなかった。鼻がツンとして額が熱くなる。ここの人達とわたしとの間にある壁。ずっとずっとどこまでいっても埋まらない溝。ずっと……もしかしたらわたしは帰れないかもしれないのに。
気づいたら泣いていた。この数日気にしていたけれど見ないふりをしていた不安が、涙が、知らないうちに次々零れてくる。と同時、張りつめてた糸を切った相手に無性に腹が立った。
「なんなの! あんた、なんなの?!」
茂みを出て大股で近づく。ユーグさんの呆気にとられたような表情なんてすごくレアだったけど、それすらも気にならなかった。ただ、むかついていた。
「こっちに来た時から睨んでくるしいじめてくるし! わたしのことなんで嫌いなのか知らないけどさ! わたしだって――」
そう、これは八つ当たりだ。ユーグさんの反応は宇宙人と等しいわたしに対して、すごく真っ当で正常な反応だ。
だけど優しくしてくれる人達に甘えたくて、不安から目を背けたくて、心のどこかで他人を信じきることができない自分に何よりむかついて。
「わたしだって、帰りたい……!」
ワンピースが汚れるのも構わず、その場にしゃがみ込んでわあわあ泣いた。それはもう恥ずかしいくらいに泣いた。
……まぁ、その。泣き止む頃には、こんな場面を見せてしまったのがよりによってユーグさんだという、尋常じゃないくらいの恥ずかしさで死にそうになっていたけれど。しかも掴みかかる勢いだったよね?! 勝手に後をつけてきた上に! あああわたしの中の乙女が死んだ。
一向に顔を上げられず、ユーグさんがどうしているのかもわからなかった。でも未だべそべそしていると、
「……飲めるか」
と、存外に静かな声が降ってきて。意外性に上を向くと、完全に困惑顔の魔法使いが、葉っぱで作ったコップを差し出してくれているところ。わたしに?
お礼も言いそびれて飲み干す。冷たくて甘いお水だった。
気まずくて俯きながら空になったコップをいじっていると、ユーグさんは嘆息しつつも隣に座った。腕を伸ばしてやっと触れられるくらいの隙間を保って、だが。
「……少し言い過ぎた。八つ当たりだ、悪かった」
驚いて横を見ると、あの時――この世界へ来た日、公爵様の部屋で見たような消沈の表情のユーグさん。憂いに沈んでも美形は美形なんだな、なんて場違いなことを思ってしまう。まつ毛、長い。
「幼い娘がひとり、他人の都合で連れてこられて。不安でないはずはないよな」
そう、ひとりごちる。ん?
「ええと、わたし、二十一歳です。元の世界だともう成人してるんで、幼くはないかも」
「は――嘘だろ?!」
その驚き顔は心外である。いや、喜ぶべきところなのか?
さっきよりも深く嘆息して、彼は額を押さえている。
「同い年かよ……十五くらいだと思ってた」
「え、ユーグさんも?」
「ああ。しかもその歳で魔女の所有印……? お前、ほんとに運ないのな」
失礼極まりない話だ。それにわたしにはちゃんとノノカって名前がある。親がくれた大事な名前だぞ。
まぁそういえばこちらに来てから、名乗ったことは数あれど年齢を訊かれたことはなかったように思う。今度アンブロシアさんやノエルさんにも改めて伝えておいたほうが良いのかな。
「……それ、そんなに面白いか?」
居心地の悪い沈黙を振り切るような小さな声。それ、というのが手の中のコップだとわかって、また恥ずかしさに熱くなった。小さい子供じゃないんだから、もう!
そこでまだちゃんとお礼を言っていなかったことに思い至り、急いで頭を下げた。「なんだよ」って不機嫌そうな声が降ってきたけど構わない。照れ混じりの声だもの、怖くない。
「あの、ありがとう」
それと。
「さっきの魔法、すごく、その……きれいだった」
途端、我に返ったように声を上げたユーグさん。びっくりするわたしの肩を掴んで覗き込んでくる。ちょ、近い近い!
「お前、さっきの絶対誰にも言うなよ! 特にノエル!」
「え、なんで……?」
「いいから! 絶対だぞ言ったら氷漬けにするぞ」
えええ理不尽な。これだけ焦っていると逆にからかいたくなるものだが、さっきの魔法の迫力を見ている手前、疼く悪戯心はどうにか抑えつけることに成功した。あんなの食らいたくないもん!
泣いたらすっきりしたみたい。ちょっと余裕が出てきた感じがして、嬉しくなる。
「わたしにも魔法使える?」
「馬鹿言え。お前みたいな素人にできるもんか」
「えー残念……。でもユーグさん、もっとバーンって派手な魔法使うのかと思ってた」
「攻撃魔法ってことか? こんなところでやったら森が死ぬだろ」
その言い回しが精霊の恩恵を受ける魔法使いらしくて微笑ましい。笑うとふいと目を逸らされた。ユーグさんだってひとのこと言えないくらい中身は幼いんじゃないか、もしかして?
そうしたら目を合わせないまま、彼は呟くように、でもしっかりした声を発した。
「元の世界に戻れる魔法、俺が必ずつくってやる」
それはとても嬉しい言葉。嘘でも気休めでもいい、なんて思わない。必ず、絶対に、実現させて欲しい願いだ。
「……出来るの?」
「俺を誰だと思っている。セーデルンド家が末裔、“神童”ユーグ・セーデルンドだぞ。……別に、お前のためなんかじゃない。勘違いするなよ」
いつもの調子かと思いきやおもしろいことに、言った彼の耳は真っ赤だった。本当は優しい奴なのかも?
帰りも「迷子になられたんじゃ寝覚めが悪いだろうが」という理由で、アンブロシアさんの小屋まで送ってくれたユーグさん。
去り際にしっかりと「俺が練習してたこと、絶対に喋るなよ」とフリ……じゃなかった、念押しをしてからお城へ戻っていった。あのレベルで練習だってことにも驚きだが、今日いちばんの収穫は、青の魔法使いがツンデレ属性持ちかもしれないってところだな、うん!




