異世界で生きるには
「久しぶりのお城はどうだった?」
「んもー! 迷子になって大変だったんですよ!」
小屋に帰ったわたしを出迎えてくれたアンブロシアさんに、ここぞとばかり思いっきり抗議する。
「着いてきてくれたらよかったのに」
「でも自力でなんとかできたんでしょう? なら良かったじゃない」
「思いきり他力でしたけどね」
でも他力に頼もうと動けたのはわたしだ。日本にいた頃は顔見知りとだけつるんで、なんとなく仲の良いひと達と曖昧な関係を続けてきたけど、異世界に放り出されて常識すら通用しなくて。きっとそれだけじゃ生きていけないんだろう、大げさな話ではなくて。
わたしの考えまで全て見透かしたように、魔女さんは夕飯の支度をしながらただ笑う。慌てて手を洗い、豆をさやから取り出す作業を手伝う。今日のオートミールの具材かな。
「ノノカ、だんだんいい顔になってきたわよ?」
「いい顔?」
「なんて言うのかしら……吹っ切れた、って感じ?」
吹っ切れた、か……。確かにそうなのかもしれない。慣れないことに戸惑うばかりで必死に日々を過ごしてきたけど、だからこそ、これはアニメや小説の中の出来事でもなければ一大テーマパークでもなくて、ここで生きている人達がいるんだなぁってことを実感した。ここは紛れもなく“異世界”なのだ。
不安がないと言ったら嘘になるけれど、わたしはわたしなりにこの世界で生きなければならない。
「豆は私が茹でておくわ。ノノカは洗濯物を取り込んできて頂戴?」
「はーい」
思うと胸がきゅっとなるのだけれど、まるで……、そう、まるでお母さんのようなアンブロシアさんにわたしは色々なことを話したし、訊いた。
今日もたくさんのことを話す。家事を手伝いながら、一番気になっているジーイェさんのことを尋ねた。
「わたしよりも先に来た異世界の人のこと、知ってますか?」
「うーん、話だけは聞いてるわね。何、そのひとに会ったとか?」
「なぅっ」
言葉に詰まると美しい魔女さんは声をあげて笑った。なんで!
「ノノカ、わかりやすすぎるわ。ほんと、素直ねぇ。……で、どんなひとだったの?」
「う……。いえ、若い男のひとでしたよ。普通の」
付け足すことを忘れない。狼になった!、なんてわたしの正気が疑われかねないし、何よりジーイェさんの安全は守ってあげなくては。
ふうん、と呟いてアンブロシアさんは思案顔。
「結構、凶暴なひとだって聞いたけど」
「違うんです! それは、なんだかこっちに来る直前まで追われてたみたいで……」
暗殺されかけていたこと、言葉も通じなくて右も左もわからなかったこと、いきなり衛兵に囲まれて仕方がなかったこと等々、必死に説明していたら、気づいたらアンブロシアさんは生暖かい眼差しをこちらに向けていた。って、えええ?!
「ちょ、アンブロシアさん?」
「若いって素敵よねぇ。でもちょっと先走り過ぎよ、その男。女神女神って、“私の”ノノカにべた惚れじゃないの」
だあああ。違うんですそういう意味じゃ! そしてなめっ、舐められたくだりを話さなくて心底よかった!
「――ま、とりあえず今はロサーノは出張中みたいだし。同じ異世界から来た人間として、ノノカがいちばんそのひとの力になれるんじゃないかしら?」
その言葉にはっとする。そうか、わたしにはこのある意味でチートな能力がある。それを生かして、本当に彼にとっての女神たりえるかもしれない。
少しはそりゃドキドキしたけど、別に惚れたなんだという楽しい話ではない。ひょっとしてノエルさんが魔法に失敗していたら、わたしも今頃牢屋の住人だったのかもしれないのだ。そう考えるとどうしても放っておくことができなかった。
「ねえアンブロシアさん。わたしはこんなに歓迎されるのに、どうしてあの男の人に対してはみんな執着しないんですかね? 言葉が通じないから?」
「それだけじゃないでしょうね。ノノカが歓迎されるのは、異世界召喚魔法が成功したことが大きいの」
それ以上は気を遣ってくれてか何も言わなかったけど。
そうか、貴重な研究成果って言ってたもんな。なんだか納得する。ちょっぴり悲しいけれど、仕方がない。ここではわたしが来たことよりも、その手段が完成したことに対してお祝いムードだったのだ。
だが。だが、である。
そこで終わるわたしじゃあないぞ。ジーイェさんにとっての女神、ハーブに詳しい魔女手伝い、異世界の技術の伝道師(?)。いずれにせよここで役割を、居場所を掴みとることができればいいのだ。
――だって、みんなは希望を持たせてくれるけど。もしかするともう、帰れないのかもしれないんだから。
* * *
何がどうしてそうなったんだか、方向音痴としては偶然としか言いようがないのだけど、次のおつかいの時になんとも上手い具合にあの牢屋まで辿り着くことができて。(この運、本当に目的地を目指そうと思っている時に発動しないのが恨めしい!)
そうしたらジーイェさんはちゃっかり手製の地図を用意して待っていた。広すぎて全部とはいかなかったようだが、ざっくりしたものでもたいへんありがたい。おまけに
「ノノカのためなら何でもします」
てな宣言までされてしまった。これで城内迷わなくて済むかもしれないけど、どんだけ時間をかけたのだろうこのひとは。呆れるやら嬉しいやらである。
それで公爵様がしばらく帰ってこないことを伝え、文字やこの世界で得た知識を教えることを提案すると彼はたいそう喜んだ。まぁこれはわたし自身の勉強にもなるから助かる。それに必ずといっていいほど、わたし達はお互いの故郷のことを話し合った。決まって結論は「心配だけど、やるっきゃないよね!」で終わったが。
たまにはアンブロシアさんが持たせてくれる、お手製ケーキを持っていくこともあった。「変なことされたら言いなさいね」なんて言いつつ、アンブロシアさんもわたしとジーイェさんしか共有できない気持ちがあると知ってだろう、快く送り出してくれるのだから本当に感謝だ。だからもちろん菜園のお手伝いも続けてる。
もうそろそろ公爵様が帰ってくるかなって日のこと。いつものようにジーイェさんと話していたらちょっと帰りが遅くなってしまった。きれいな夕焼け空も相まって、なんだかノスタルジックな気持ちになりながらてくてくと小屋への帰路を急いでいたときだった。森の中へと消えていく、見覚えのある後姿に足を止めた。
こんなところで、こんな時間に、一体どこに行くんだろう?
そういえば、お城を囲む森の中には入ったことがなかった。なんだか危なさそうだし、特に用事もないし。
でも今回またわたしは好奇心に負けた。帰ったらアンブロシアさんには遅くなったことを謝らなければ。
見かけたのは青い髪の青年。だって、あのプライド高そうな男がなんだかすごく周りを警戒しつつ、いそいそと森へ分け入っていくんだもの。気にならない方がおかしいでしょう?




