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男は狼なのですか?

 狼。狼だよ?!

 アイスブルーの瞳はそのまま、それに髪色と同じような茶色の体毛。愕然とするわたしの目の前で、その獣は従順そうに大きな体躯を伏せる。

 っていうか牢屋! 檻から出てるよジーイェさん!


「いつでも出られたんじゃない!」

「はい。ですが、この世界の住人は獣へ変化(へんげ)することもないようでしたので。この姿を見せたのはノノカ、貴女が初めてです」


 振り返って見上げる。大人がジャンプしただけじゃ到底届かないが、格子の上部は天井とくっついてはいない。まさかさっきの音はこの狼さんが鉄格子を飛び越えた音?

 まぁ異世界から来た人間ってだけでもすごいのに、こんな特徴を持っていたとあっては、マッドサイエンティスト達(いや、本当にいるかは分からないが)の恰好の餌食となってしまうかもしれない。しかしこれに起因していたのか、彼の余裕は。


「故郷ですら、このような生まれは忌み嫌われました。だから私は捨てられたし、皇位を継ぐこともあり得ない。しかしおかげで幾度も危険な任務をこなすことができましたが」


 元々犬派のわたしに、これはなんという天国だろうか。そっと頭を撫でてみる。毛並みは柔らかくて、特に襟のような首元の毛なんてファッサファサに決まっている。抱きつきたい衝動を抑え撫でるに留めていると、気持ちよさそうに目を細めてくれる。あああ素敵。


「格好いいねぇ」

「ありがとうノノカ、この姿をそう言ってくれて。嬉しくて、貴女を食べてしまいそうです」


 ぎょっと手を引っ込めると狼さんは喉の奥で小さく笑った。そんな冗談、ひとが悪いなぁ。とそこで、ずっと撫でていたそれが元は成人男性だったことを思い出して一気に熱くなる。わわわ、なんつーことを!

 急に挙動不審になったこちらにお構いなく、彼は重さを感じさせない動作で立ち上がると


「少し廊下を覗いて来ます。調理場への道を教えましょう」


 なんて言った。道を覚えてきてくれるってこと?


「え! その姿で?」


 さすがに城内をこんなにでかい狼が闊歩しているのはまずいんじゃなかろうか。


「これまでも何度か抜け出していましたから、見つからない術は心得ています。失敗していればこの安穏とした部屋を追い出され、今度こそ処罰されていると思いませんか?」

「た、確かに……いや、でも危ないよ! わたしなら何とかなるから、ジーイェさんはここにいて大丈夫だよ」


 そりゃそうなんだけど、果たしてこの大きな獣さんが人目につかず出歩くことは可能なのかしら。これで万が一にも何かあったら、単なる迷子で巻き込んでしまうなんていたたまれない。

 心配するわたしにぐいっと鼻面が近づいてくる。な、なに?


「……この姿になるとどうも理性が働き難くていけない。ああノノカ、ノノカ、私の女神」


 ぐるる、と喉を鳴らし――齧られる?! などと馬鹿な想像をして目を瞑ったら、ぺろりと。頬を熱く湿ったものが濡らしていった。


「えっ?」

「では、少々お待ちを」


 笑い含みの声音で言うが早いか、まさしく疾風のように駆けていく。


「……味見、された?」


 口に出したら余計に羞恥心が増した。ぼんやりするのは、ときめいたからなんかじゃ、ない……きっと! だって相手は狼だ、ワンコだ。いくら懇願するみたいな色っぽい声だったとしても、初対面の相手に、男性にぺろって、「私の」って……

 ふいいい! やめだやめ!! 考えたら負けだ。あれは、ワンコ。ジーイェさんは、やっと言葉が通じたから懐いてくれただけ。うん、それ以上でも以下でもないっ!


 わたわたひとりでやっていたらいつの間にか狼さんは戻ってきていて。本当にどうやったのか、調理場までの道を教えてくれた。


「このことは内緒ですよ」


 また元通りに牢屋の住人となった彼はヒトの姿で無邪気に笑う。「また来てくださいね?」なんて言う姿はご主人様の帰りを待つワンコそのものなくせに、それでいて弧を描く唇は随分と艶っぽい。半ば放心状態で何度もうなずいたわたしがその後、無事におつかいを済ませられたのは奇跡と言えるだろう。いくら半分獣?とはいえ、ちょっと情熱的すぎるよう……。



* * *



 つまり人狼ってことになるのかなぁ。

 ぼやぼやと頭の隅で考えつつ、人にぶつからないよう味付き干し肉を皿にとる。おつかいを済ませて、食堂でちょっと遅めの昼ごはん。ここで食事をするのも久しぶりだ。今日のメニューも前とそんなに変わらない、野菜ごろごろスープとかパンとか。

 ファサファサした狼さんの素敵っぷりと彼にされたことを思い出して熱くなり。ちょっと浮かれていたわたしは、一緒に列に並んでいる見知らぬ人に「このスープおいしそうですね」なんて声をかけてしまった。相手は曖昧な笑顔で相槌を打ってくれるくらいだったが。そりゃそうか、すんません。

 まぁさすがに根っこは人見知り、はじめましてな人々と一緒にテーブルまで囲むことはできない。これはぼっち飯かな……なんて思っていたら、見たことある赤毛のおかっぱ頭を発見。あ、あれなら話しかけられるかも!


「ロロット……さん?」


 ひとりで山盛りのパンに齧りついていたメイドちゃんは、食べかけを咥えたまま顔をあげた。


「はへ、はほははふほは……」

「あ、食べ終わってからで大丈夫です」

「んむっ……あなたはたしか! 誰だっけ!」


 スープを持っていたのでずっこけるタイミングを逸する。そりゃないよ!

 「相席、いい?」と訊くと元気いっぱいサムズアップしてくる。このジェスチャーはこの世界でも意味通じるんだ。


「あっ! 思い出した思い出した~。異世界人のノノカね! ノノとロロって似てるよね!」

「え……あ、そうですね~!」


 前も同じことを聞いた気がするのは気のせいか?

 見たところ小柄なロロットちゃんだが、パンだけでなく他のお皿もてんこ盛り。よく食べるなぁ。負けじと、わたしも干し肉に齧りつく。ビーフジャーキーみたいでおいしい。端っこはそこにいたサラマンダーくんに差し上げた。よしよし。


「ノノはいつもこの時間にご飯食べるの?」


 飲み込む合間に尋ねられる。前に会ったときはちゃんと顔を見る余裕もなかったんだけど、ぱっちりおめめとそばかすが愛らしい田舎娘って感じのロロットちゃん。カチューシャの向こうにしっかりあほ毛が生えてて思わず吹きそうになったのは内緒だ。

 視界の端ではさっきのサラマンダーくんがチロチロと小さな炎でお肉を焼いてる。こんがりというかほぼ炭と化したそれがお好きみたい。


「ううん、久しぶりにアンブロシアさんからのおつかいでお城に来たの。ロロ?は、休憩時間?」

「そうだよー。ふーん、魔女のところにいるんだ。楽しい?」

「う、うん! アンブロシアさんは本当によくしてくれるし、たまにノエルさんも遊びに来てくれるし」

「そうなんだぁ」


 女友達のように話せるのが嬉しい。言ったら失礼なのはわかっているけど、この全く深く考えていなさそうな感じがすごく付き合いやすい。

 思えばこの子があの栄養満点ジュースを持って走ってこなければわたしがプリンを作ることもなかったし、魔女さんのところへ住んでハーブ園のお手伝いをすることにもならなかったかもしれない。そう思うと感謝しなければならないのかも。


「そういえばリーリヤお嬢様がノノに会いたいらしいよ~。今度お菓子でも作ってあげればいいんじゃない?」

「リーリヤお嬢様って公爵様の娘さん? そんな気軽に会えるもんなの?」

「んー? わかんない!」


 おいおいって突っ込みたかったけど、下手に嫌われると困るので合わせて乾いた笑いを発しておいた。まだそんなに親密になってないし、そうずけずけと踏み込んじゃぁまずいよね。

 しかし公爵様の娘さんが? うーん、プリンを気に入ってくれたのかな? わたしなんかでいいなら喜んで会うよ!


「でも今は公爵様がお隣の領地に出かけてるから、とりあえず遊び相手は探してるんじゃないかなー? よくノエルさんが一緒に遊んでるんだけど、今回の出張について行ってるし」

「じゃあノエルさんも留守なの?」

「うん。戻るまで十五日くらいかかるらしいよ」


 そんなに?! それじゃジーイェさんのことを話すのはまだまだ先になりそうだ。ロロはあの牢屋のことを知ってるのかなと思ったけど、あまり広めるのもよくないかと思ってこの件はお持ち帰り。帰ったらアンブロシアさんに訊いてみよう。

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