異邦人
「もしやと思いますがノノカ、ヘトゥーラ大陸の出身ではありませんか?」
「へとぅーら? ごめんなさい、聞いたことがないです……」
「そうですか……」
首を傾げると、ジーイェさんは明らかに落胆した様子。現在、彼は牢屋にしては快適そうな部屋に胡坐をかき、わたしは鉄格子を挟んで正座している。同じように異世界から来たのだと話す彼に興味があったし、なぜこうして隔離されているのかとても気になったからだ。
しかし漢字のような文字を使っていたから地球の出身かと思っていたけれど、彼もまた別の世界から来たみたいだ。
「言葉が通じたので同郷の方かと思いました。それではやはり貴女は女神?」
「違います」
しょげるジーイェさん。なんだかしょんぼりしたワンコを彷彿とさせて、ちょっと可笑しかった。
思わず小さく笑ってしまうと、顔の横に垂れた茶色い房から覗く耳が微かに染まったけれど。「私は、」と気を取り直して話し出した。
「元いた世界で『何でも屋』のようなことをしていました。要人の護衛、荷運び、伝令、賊の討伐など、仕事は選びませんでした。私を拾ってくれた旅団の仕事でもあり、そうしないと生きてゆくことができなかったからです。私達は大陸各地をまわり、市井の雑用から王宮の用事まで様々な任務をこなしました。我が旅団は少しは名の知れた『何でも屋』だったのです」
捨て子だった彼を拾ってくれた団長さんのためにも、たくさん働いたのだと話す。
「ある日いつものように依頼を受け、仲間と共に指定された場所へ向かいました。私のいた世界ではちょうど皇位継承争いの最中で、第五皇子の陣営が伝令をと頼んできたのです。それ自体はそう珍しい任務でもなかったのですが……」
ジーイェさんはまるで何かを振り払うかのように首を振った。そしてどこか戸惑いの滲む声で続ける。
「森の中で私達を待ち受けていたのは第五皇子本人、そして手に手に武器を持った暗殺部隊でした。皇子は言いました、“お前は十二番目の皇位継承権を持っている”と」
「え」
固まる。皇位継承権。ということは、目の前の彼は……皇子様?!
「……驚きました。何せ自分の生まれなど覚えていませんからね。旅団自体が少し有名になってしまったことがまずかったのでしょうか、脅威は端からなくすに越したことはないと判断したのかもしれません。事の真偽はともかく、彼らははじめから私を消すつもりでいたのです。――仮に皇帝と同じ血が流れていたとして、私はそもそも権利から除外されざるを得ない者だと、そんな簡単なことも調べられなかったようですが」
「それはその……捨て子、だから?」
わたしの質問に、ジーイェさんは首を振っただけで苦笑したまま答えなかった。
「ともかく、襲われた私達は剣で応戦しました。皇子抱えの暗殺者達はやはり簡単に倒れてはくれず、しかも数が多かった。そして……今でもあの瞬間のことはうまく言葉にできないのですが……」
「あの瞬間?」
「投げられた凶器を避けに後ろへ跳んだのです、確か。そしてそこに穴や崖などなかったはずなのです。それなのに私はあの瞬間、“落ちた”」
「落ちた……」
まさか、と思う。信じがたい思いでジーイェさんを見つめると、彼はわたしの考えを肯定するように真剣な表情でうなずいた。
「視界が暗転し、謎の浮遊感に包まれ……気づいた時には、ここの衛兵に取り囲まれていました」
あり得ない、と思う。でも現にわたしが召喚された身であるのだから、となると、彼も世界を“渡った”ことになるのか。
一方であれ?と思った。だって皆さん、初めての異世界からの人間だと言って便宜を図ってくれるじゃないか。わたしよりも後に来たのか……?
「あっ」
そうだそうだ、そうだった! ノエルさんや公爵様が言っていた、恐らく違う世界から来た、言葉も通じない“例の男”――あれがジーイェさんのことなんだ! ここに至るまで気づかないとは、わたしってばなんてマヌケ。
であれば彼は恐ろしいことに、召喚魔法なしで異世界トリップしていたことになる。でもどうしてわたしは優遇されて、ジーイェさんは牢屋なの?
「何かありましたか?」
「い、いえ。すみません、続けてください」
そんな殺伐とした世界で生きてきて、訳もわからない世界で言葉も通じなくて。牢屋っぽくないとはいえ隔離された場所で、少なくとも(わたしがここにいる日数から考えると)十日以上。それでも自棄にもならず、むしろ今も穏やかに微笑んでくれる精神力は並大抵じゃないと思う。さっきの滂沱の涙だって納得。ひいてごめんなさい、自分なら発狂する自信がある。
「あの時は、どうやら違う世界に来てしまったことに気付かなかったのです。運の悪いことに、落ちた先というのがここの衛兵の訓練場のようなところだったらしく、たちまち囲まれた私は未だ命を狙われているものと思い、周囲へ剣を向けたのです」
「うん……それは仕方ないですよね。誰だって混乱するよ、そんな状況」
「ありがとうノノカ、そう言ってもらえると救われます。といっても私は手負いでしたし、手持ちの武器も三日月刀しかなく、ここの兵士の持つ長剣とは相性も悪かった。それですぐに取り押さえられた私は言葉も通じないこともあって、ここへ放り込まれたのです」
「何度逃げ出してやろうかと思いましたけどね」と笑う。こんな過酷な状況を経て笑えるのがすごいよジーイェさん。
「怪我の手当をしてもらいましたから、害する意思はないと思ったんです。それにここへ入れる時も、恐らくこの土地の領主であろう男は随分と申し訳なさそうな顔をしていた。言葉の通じない場所で単身逃げ回ることは難しいだろうし、何か好機を待とうとじっと耐えた。そして――貴女が現れたのです、ノノカ。これを僥倖と言わずして何と言う!」
「……!」
あああイケメンのにっこりはだめ! 兵器!
なんというか、徳川家康のような感じ? ジーイェさんは忍耐のひとだ。肝が据わりすぎてるのは生まれた世界の違いかな。
「それでノノカ。貴女はどうしてここに?」
わたしも自分が魔法で召喚されて来たのだという旨を話した。恐らくジーイェさんのように“事故”ではなく、ノエルさんが言っていたように召喚という手段で来たから、言葉が通じるのかもしれないとも伝えた。元の世界、わたしがいた国ではそういう争いはなくて、だからあなたの前にいるのはしがない学生であって、
「女神ではないんです、まじで」
「いえ、私にとっては幸運の女神です」
その認識を改めてくれるつもりはないらしい。いや、いいけど、本当に何もできないよ……?
あ、でも。もしかしたら、わたしが公爵様に話したらジーイェさんは自由の身になれるのでは?!
「そうしてもらえるなら有り難いことではありますが……」
「こんなところで閉じ込められるより、わたしみたいにお城のお手伝いとかさせてもらうでもいいからさ! 外に出た方が精神衛生上ぜったい良いですって!」
よし、公爵様に会いにいこう! 今までは意思の疎通ができなかったからこうなったわけで、聞いた話を伝えれば衛兵に抵抗したのも仕方ないってわかってもらえるし。せっかく女神と呼んでくれるのだ、少しは報いたい。
と、重大なことを思い出す。一気に気持ちが萎む。
「ど、どうしました、ノノカ?」
「ジーイェさんごめん。そもそもわたし、お城の中で迷子になってここに来ちゃったんだった」
傍らに置いた籠にはまだハーブ類が入っている。公爵様に会うどころか、アンブロシアさんからのおつかいも達成できていないんだった……。
どうしよう。とりあえず元来た道を引き返してみる? 元来た道がわかる保証もないけれど。
「ノノカ、」
するとジーイェさんが格子の隙間から腕を伸ばして、悩むわたしの手をとった。ざらざらしているのは剣ダコ? 無骨だけれど温かい両手で包まれて鼓動が高鳴る。
「少し、力になれるかもしれません。ちょっと見てきます。どこへ行きたいのですか?」
「調理場、だけど……え、見てくるってどうやって?」
「目を閉じていてください。怖がらせてしまうでしょうが、貴女に危害を加えないことは命を懸けて誓います」
そうまで言われたら従うしかない。よくわからなかったけど、言われるままに目を手で覆った。
しばらくして突如聞こえたのは格子がガシャンと揺れる音。一度のそれに思わず身を震えさせて、それでも言われた通りに目を閉じていると、すぐそばで柔らかいものが床をしたりと打つような音が複数。
「目を開けても良いですよ」
なんだかジーイェさんの声がさっきよりも遠くから聞こえる? というか頭の中に直接響くような変な感じだ。
何かまた魔法みたいなことが起きたのかもしれない。そう思って恐る恐る目を開けると……
「ノノカ」
わたしの名前を呼んで嬉しそうに“尻尾”をゆったり往復させるのは……
ひとも乗れそうなサイズの、大きな狼だった!




