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ノノカ二十一歳、はじめてのおつかい

 アンブロシアさんのお手伝いをするために、ひいてはこの世界で生き抜くために、わたしは文字のお勉強をすることとなった。

 申し訳ないことにアンブロシアさんにはちょっとだけ付き合ってもらって。話し言葉は勝手に翻訳されるので、この世界の幼児用の本を読んでもらい、その単語に日本語訳をふっていく。そうして作った対応表をひたすら暗記することにした。

 文字は一種類で、三十文字。見た目は音楽記号のフェルマータみたいに、曲線と点を組み合わせたような文字だ。まずは一文字ずつ対応する音を覚えて、それから単語を覚えていくという、途方もない作業が始まった。


「これは……す、り、ばー、てぃ?」

「そうそう。ティじゃなくてその音はチね」

「すりばち!」


 異世界の文字を日本語で読んでそれが相手に伝わるのだから、本当に、上手く召喚してくれたノエルさんには感謝の思いでいっぱいだ。よくあるラノベの設定で主人公が強大な力をーってあるけど、言葉の壁こそ最強の敵だと思わなくもない。

 あ、ノエルさんといえば。ここで生活し始めてすぐに、生活用品一式を大量に差し入れしてくれた。特に衣服! ワンピースが多かったけど、どうやらこっちの女の人はズボンは履かないんだそうな。


 異世界トリップして、魔女さんの家でちょっと暮らして、気づいたことがある。スマホやらパソコンやらがないとお勉強も家事もはかどるはかどる! 最初は不便だと思っていた生活だけど、慣れればこれはこれですっきりとしていいものだ。娯楽は大事だけれど……今までちょっと時間の使い方が下手だったなと思ったのです。

 おかげさまで簡単な単語ならだいぶ読めるようになってきた。それでもまだまだ道のりは長い。英語を初めて習った時みたいだ。まぁ当時はアタマももっと柔らかかっただろうけどね。


「今日はニュリロを収穫してみましょう」


 時々、ハーブ園の手入れやハーブの加工をお手伝いすることもある。香りが一番強くなるのは花が咲く直前で、収穫は晴れた日の朝行うのが良いんだそうだ。


「ニュリロはよく肉の臭みとりに使われるの。油に漬けこんだり、すりつぶしてソースにすることもあるわ」

「ふんふん。何に効くんですか?」

「気持ちを落ち着かせたり、からだの痒みを鎮めたりするわね。集中力も高めてくれるから……そうね、悪い気を追い払って、優れた機能を強化してくれるような感じかしら?」


 メモメモ。この舌を噛みそうな名前の植物は草!って感じの匂いがして、強いて言うならバジルに近い香りかな? ジェノベーゼソースを作ろうとしてバジルを大量投入した時に、これと似たような芝生っぽい匂いになった経験が……。

 摘む時には薄い金属のナイフのようなものを使い手作業だ。歴史の教科書で見た石包丁の鉄バージョン? とりあえず骨の折れる作業であることには違いないけど。


「アンブロシアさん、こんな大変なお仕事、ずっとひとりでやってたんですか?」

「慣れたら簡単よ。色々考え事をしながらこういうことをするの、嫌いじゃないもの」


 お喋りしながらもやはりアンブロシアさんの仕事は速い。わたしも頑張らねば!

 摘み取った葉は小屋の裏手に広げて乾燥させる。ニュリロは生のままでも使うらしいけれど、今回は乾かしてから細かく砕くんだって。


 そんなこんなで十日ほど経った頃。魔女さんからお仕事を仰せつかった。


「城に?」


 夕飯を食べながら聞き返す。今日の献立はオートミールのお粥に、豚肉を串に刺してローストしたもの、葉野菜のサラダ、それから金柑に似た果実のシロップ煮だ。美味なり。


「ええ。貴女も久しぶりにお城に顔を出しておきましょう、いずれは“お披露目”の場に立たされるんだし」


 ああ、そういえばユーグさんがそんなことを言っていたような……。


「それに簡単なお仕事よ。ただ何種類かのハーブを調理場まで運んでくれたら良いの。貴女、料理長と面識があるんでしょう?」

「面識というか、まぁ成り行きでしたけど。あれ、ていうか一人でですか?」

「大丈夫大丈夫、なんとかなるから。じゃ、明日はお城へ行ってきてね。朝の収穫作業はないから」



 本や衣服や甘味を持ち込んですっかり快適空間と化した屋根裏部屋で一晩休み、翌朝。気持ちの良い晴天の中、わたしはてくてくとお城へ向かって歩いていた。手の籠にはハーブの入った小瓶が数種類。気分ははじめてのおつかいだ!

 前は公爵様に連れられていたけれど、方向音痴のわたしですら迷う余地がなかったのはお城までの外の道(何せ大きなお城がアンブロシアさんの小屋から既に見えるもんね!)。どこから入ればいいのかなぁ?

 じっとりと汗で手が湿る、ばくばくと心臓が跳ねる。周りは異世界人だらけ。今は馴染めている気がするけれど、一度口を開けば“仲間外れ”であることはすぐにばれるだろう。なんとなく、魔女さんの意図を察したような気がする。――どうしたって、一人で放り出されたら、自力でコミュニケーションをとらないことにはおつかいは完遂できない。

 深呼吸。

 意を決して、近くの壁にもたれてぼんやりしていた青年に声をかけた。


「す、すみましぇん!」


 うわぁああ噛んだぁぁあ。

 泣きそうなわたしを見て、それでも丁寧に「はい?」と返してくれた彼は、きっと衛兵か何かなのだろう。簡素ではあるが胴に鎧?を着ているから。


「あの、アンブロシアさんに頼まれて来たんですけど、調理場へはどうやって行けば良いですか?」


 途端、青年はぎょっとした顔で心持ち身をひいた。くまなく全身を見る奇異の視線。

 ああ、ああ、これが嫌なんだ。でも。

 嫌だと思っていたらきっと相手に伝わってしまう。だから頑張って笑顔を作るんだ。わたしはあなたと、あなたたちと仲良くなりたいんだって思いを込めて。


「……とすると、貴女が異世界からの?」


 声をひそめて問うてきた彼は、うなずいてみせるとやや戸惑い、やがて「失礼しました」ともごもご目を伏せた。

 緊張顔はそのままだったけれど、いくらか思いは伝わったろうか、少し離れたところにある小さな戸口を示してくれた。


「あちらが城内関係者の出入り口となっています。調理場へは、入ってまっすぐ行って、左に折れてください」

「あ、わ、わかりました。あの、ありがとうございます!」


 普通の親切がこんなにも沁みたのは初めてだ。勢いよく頭を下げて、その出入口へと向かう。

 一般人と会話が出来た! 嫌がられなかった! アンブロシアさんのおまじない、というより恐らく影響力に感謝しながらも、きっと好意を見せれば異世界の人間であれ応えてもらえることがわかって、少しだけ足取りが軽くなった。

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