第四話
あの決定から十日、辺境伯領では、未だに不審人物のはっきりとした動きはない。ただ、騎士のカタワレにも何かを感じたものがいたらしい。領内で、もうライラの決定に異を唱える者はいない。それだけが救いだろうか。
この十日間、ライラは騎士だけでなく、自警団や信頼のおける周辺の領主とも早急な話し合いを重ね、警戒態勢を盤石のものとした。だが、そろそろライラが辺境伯領に滞在する期限であった、二ヶ月が経過しようとしている。
このまま領地に残るのが良いのか、それとも初めの予定に従うほうな良いのか。
(領民の不安は増すだろうけど、私が領地を離れることで、何か新しい動きがあるかもしれない……)
ライラという領主代理が来てから警戒態勢が急速に整えられたことは、相手も把握しているだろう。ならば、危険を承知でわざと離れてみようか、という考えだ。
このまま無駄に警戒態勢が長引けば、領内の兵に気のゆるみが出るのは当然のこと。そこを突かれるより、緊張感のある今、向こうから穴蔵を飛び出してきてもらうほうな良いのではないだろうか。
「……グレーテ!」
「は、はい。姫様、どうされましたか?」
ライラは窓の外の景色を見る。種蒔きが終わり、小さな芽が畑に育っているその景色を。
それは美しく、何者にも代え難い。
(この景色を壊さないためにーー。いいえ、奪われないために、壊すかもしれない賭けをしよう)
「代官を呼んで。最後の評議を開く準備をしてもらうわ」
「ーーはい!」
そうしてライラは己の決断を騎士たちに告げ、全員からの同意を取り付けた。
初めはライラを軽んじていた騎士たちも、この十日間のライラの働きぶりに、考えを改めたらしい。ライラの考えに、すぐに頷いてくれた。さらには『代理様の名を汚さぬよう、粉骨砕身、勤めます』とまで言ってきたのだ。これにはライラも驚いた。嬉しい誤算、と言ったところか。
そうして三日後、ライラは王都へ向かう馬車に乗り込んだのだった。
その四日後。王都に到着したライラは、喜びを隠しきれないエリオスに迎えられた。いつものことではあるが、この弟は本当に姉に甘い。
「姉上! 今年も私は自由武器で出場し、優勝を目指します」
「ええ、応援しているわ。それにしても……。私達の剣は、どうしても特別だから、仕方ないわね」
「まあ、オストの伝統的な剣は反りがありますからね。剣術でのエントリーは……。でも、私は槍や斧とやれる自由武器の大会、好きなんですよ」
そう言って、エリオスは自分の腰にある剣を撫でた。
この国、もとい周辺国でも、剣と言えば太い細いの違いはあれど、真っ直ぐなもので、両刃が普通だ。
だがオストと隣国セバトだけは、遥か東方との通商の影響を色濃く残し、伝統剣は片刃なのである。先から身頃まで緩い反りがあり、剣術の型式も余所とは全く異なる。そのため、ラミナの正式な大会では『剣』として扱われないのだ。
だからエリオスは騎士学校時代、正式な『剣術』の授業のほかに、『武術』の授業も熱心に学んだ。そこなら、自分の誇りを掲げられるからだ。
「あら、そうだったの? 初めて聞いたわ」
「ふふ。学生時代を思い出すんです。この剣の相手は、大抵がそうでしたから」
そうして二人は五日間、穏やかな時間を過ごした。その間、ライラは心配性の弟に、わざと辺境伯領の出来事を隠した。何かあったとき、王都に縛り付けられるかもしれないからだ。
くしくも、その配慮は最大限の効力を発揮することとなる。ライラへ最悪に近い情報がもたらされのだ。
「……っ!」
(ついに、動いた……! ああ、でもーー!)
辺境伯領から届けられた報告書には、偵察任務を帯びて山に散ったカタワレが立て続けに射られた、とある。しかも数人の負傷者のうち、一人の従騎士が半身不随に。もう一人の自警団員はーー死亡。
この国で鳶を射る狩人はいない。だからこれは、鳥が偵察任務を帯びている可能性があると考える人間の仕業だ。
(作戦は計画通りだわ。でも、でも……っ!)
誰も傷つかない方法など、無いと分かっていた。それでも、誰にも死んでほしくなかったのに。
ライラは報告書を強く握りしめ、ぐっと涙をこらえた。ーー泣いている暇などない。
「ーー馬車の用意を!!」
もともと予想はしていたことだ。わずか一時間ほどで準備を整えると、ライラは馬車に乗り込んだ。馬車もこれまでと違い、速度を重視したもので、馬の数も質もグンと違う。
先日は休憩を挟みつつ、四日かかった。だが、今度はその行程を半分以下で、二日たたない間に突っ走る。
(ごめんなさい、エリオス……。あなたとの約束、破るわ)
大会の応援に行きたかった。本当は、何も起きないでほしかった。
エリオスとアドルフは、明日まで館に戻らない。その帰りを待って、相談する暇さえ惜しい。だから二人には、手紙を置いてきた。
アドルフになら、当然代官から近況の報告がいっているだろうが、エリオスは仰天するだろう。
翌日の朝ーー日の出と共に、ジフ山脈がライラの前にそびえ立った。