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第三話

 来月の競技大会に向けて、蒼の騎士団の面々も訓練を重ねる日々を送っていた。

 そんな中、ノルトの名を恐れる一部の人間は、クルトの実力を確かめようと蒼の騎士団の訓練所に偵察に訪れていた。

 だが、その目に映るのは『動きは悪くない、でもそれだけ』という少年騎士の姿であった。


「なんだ、あれなら恐れることもないな」

「ああ。今は若いが、成長すればいい騎士になるだろう」


 そんな会話が訓練所周辺で交わされるのを聞き、ランスはいつも以上にニヤニヤと嬉しそうに笑っていた。


「はっはっは。いやはや、こりゃ面白いぐらいに思い通りにいくなぁ」

「ランス、お前……。クルトに訓練所では全力を出すなと指示したのはそのためか……」

「あったり前だろ! ベルンハルト様まで出るんだ、今年はうちも本腰入れて勝ちにいくぞ。少しでも有利になるなら、こんな情報操作くらい、いくらでもやるさ」


 ランスの予想通りの答えに、エリオスは頭が痛くなってきた。確かに、言ってることは間違っていない。勝利のため、最善の策と言えよう。

 だが、騎士の正道を見事に踏み外している。絶対にあとで他の騎士団から文句が出るだろう。そして、その処理は自分に押し付けられるはず。

 そこまで考えて、エリオスはこれ以上の会話は余計に精神力を削られるだけだと考え、高笑いをするランスから離れて、他の団員に話を振ることにした。


「……あー、ヴィルヘルム。今年の競技大会の相手はどんな感じだ?」

「ん? 今年は守備隊に生きのいい新入りが入ったらしくてな。そいつも馬がカタワレらしいから、試合が楽しみなんだ」


 もしかしたら俺の遠縁かな、なんてにっこりと笑うヴィルヘルムに、エリオスは今度、胃が痛む気がしてきた。

 ――何だ。何だこの人間の差は。ランスとヴィルヘルムに落差がありすぎだろう!

 今年も全力で大会に臨むとヴィルヘルムが笑顔で告げる中、二人の話を聞きつけた他の団員も混じってきて、競技大会についての会話が弾む。

 騎士の競技大会は、貴婦人に愛を――ミンネを捧げ、その貴婦人のために勝利を目指す。

 勝てば捧げた貴婦人の名誉を高め、負ければ貶める。そのため騎士は貴婦人に恥をかかせないよう奮起し、勝利を目指す――という形なのだ。

 そのため、競技大会の開催前は特に若い男女が色めき立つ。互いに婚約者がいない場合、ミンネの誓いは公衆の前で婚約を申し込むことと同義なのだから。


「あ~あ、俺は今年も妹なんだよなぁ~。誓いはともかく、そろそろいい相手見つけたい……」

「去年は守備隊の奴が凄かったよな。気高きミンネの誓いというより、全力土下座って感じで。あいつ平民出身だっけ? 叙任はしてるのかな」

「あの試合で認められて済ませたらしいぞ。それにしても、あれは相手も引いてたよな……。確か男爵の娘だとか。ま、準決勝まで進んだ実力を認められて、上手くいってるらしいけど」

「マジかよ。くそっ、何で俺だけ! 妹から『どうせ一回戦負けよ。相手役代として一ヶ月は家来ね』とか言われたんだぞちくしょう!」

「ははっ、頑張れ頑張れ。――あ、今回のエリオス隊長のお相手は?」

「ん? 当然、姉上だが」


 ミンネの誓いで話が盛り上がる中、エリオスは迷わずライラの名を出した。

 そもそもミンネの誓いとは、大分して二種類ある。一つ目は婚約を申し込むためのもの。ただ、貴族の結婚は家の繋がりが関係するため、こちらは殆ど廃れている。

 もう一つは、恋愛を楽しむためのもの。主君の奥方などにミンネを捧げ、騎士が高貴な女性との擬似恋愛を楽しむのだ。今はミンネと言えば、こちらが主流である。

 ただ、蒼の騎士団の主である王太子に妃はいない。また、擬似恋愛を楽しむつもりがない場合や、恋人がいない場合は、親族の女性に相手役を勤めてもらうのが一般的だ。


「あっ、そーでした。エリオス隊長には姉上様がいましたね」

「失礼しましたー」

「そーだよ当たり前じゃんか」


 だからエリオスの即答に驚くこともなく、団員たちは当然のこととして受け入れた。だが気持ちいいほどの理解力に、なぜかエリオスはムカついた。

 ――なんだこの生暖かい視線は。

 その苛立ちを感じたのかは分からないが、団員はすぐにエリオスから他の人物へ話を振った。


「じゃあ、団長もまたあの方ですか?」

「おう。今年も叔母上に頼むつもりだ。俺の限りないミンネを独り占めするご令嬢を選ぶなんて罪な真似、俺にはできんからな」

「……きゃーだんちょうさすがー」

「黙れこの色惚け男」

「わーだんちょうかっこいいー。すてきー」

「いや、棒読みが過ぎるわお前ら! それと聞こえたぞエリオス!」


 ランスのお花畑発言に、恋人のいない団員中心にして、形ばかりの声援という名の非難の声が飛ぶ。

 もちろん、その中にはエリオスからの痛烈批判がざっくり入ってくる。


「全く……。お、そうだ。クルトはどうすんだよ。ブリジット様にでも頼むのか?」

「はい。今年は、わざわざ姉上が王都に出向いて下さるのです」


 エリオスと同じく『姉上至上主義』のクルトは嬉々として答えたが、ランスへの返答に蒼の間は一瞬で、しん、と静まり返った。そしてクルトの言葉を――『女帝』の登場を正しく理解して、今度は場がざわめき出す。あのヴィルヘルムもギクリと大きく反応したほどだ。

 しかし、せっかく四家の男子が三人も出場するというのに、みんなミンネを捧げる相手は親類で済ませる予定だという。この面白くも何ともない事態に、団員はがっかりと肩を落とした。


「まーたご令嬢らが泣き暮らすぞこれ……。あ、ヴィルヘルム隊長も去年と同じ人ですか? 確か、従姉妹の方でしたっけ」

「……」

「――隊長?」

「!! あ、ああ。そうだ。またあいつに来てもらう予定で……、だけど……」


 わずかではあるが、ヴィルヘルムの様子がおかしい。何があったのか、顔を赤くして急に慌てだした。

 その様子にみんな不思議そうにしていたのだが、一人の団員があることに気がついた。


「ははーん、さては気になる方がいらっしゃいますな? しかしヴィルヘルム隊長は、そのご令嬢にミンネを誓う勇気がない、と」

「いや、ちが、俺は……っ!」

「えっ、ではまさかどこかのご夫人で?」


 ヴィルヘルムという思わぬ伏兵の登場に、蒼の間は大盛り上がりを見せた。今どき珍しいくらいの真面目で純朴なヴィルヘルムは、三十を越えた今まで、浮いた話の一つもなかったのだ。


「おいヴィルヘルム、誰だよ!? 応援するから俺には教えろって!」

「あ、団長ズルいですって! ヴィルヘルム隊長、俺らも応援しますから、ね!?」

「そうですよ!」


 ランスまで混じって詰め寄る姿――しかも目をキラキラさせて――に、後ずさりしていたヴィルヘルムは、扉まで追い詰められてしまった。

 ヴィルヘルムは嫌な汗が頬を伝うのを感じ、思わず叫ぶ。


「――か、勘弁してくれ!!」


 そして背後の扉を開け放ち、ヴィルヘルムは逃亡したのであった。

 ――さて、ヴィルヘルムの浮いた話に蒼の騎士団の空気も浮ついてしまい、誰も仕事が手に着かない。

 今度ばかりは、エリオスもランスに注意が出来ない。エリオス自身、書類に向かいながらペンを指で弄びつつ、色々と考えてしまうくらいなのだから。

 こうなると団員の話題はヴィルヘルムのお相手予想大会となり、次々に女性の名が上げられていく。

 その対象は多岐にわたり、主なところは王女、美女として名高い子爵令嬢や、宰相の姪などだ。果てはヴィルヘルムがかつて所属していた騎士団の団長の娘、なんてところまで名が上がっていた。


「なあ、クルトは誰だと思う? ヴィルヘルム隊長の想い人は」


 そんな時、一人の団員がクルトに話題を振った。

 人の気持ちの機敏を介さないクルトには難しい質問だろうが、これも大切な交流の機会だ。そう思っての行動である。

 しかし、クルトはとてもまともな――だが驚愕の答えを返したのである。


「私の姉上でしょう?」


 ――蒼の間、再び沈黙。沈黙が全てを支配する。

 喧しい野郎共のおしゃべりが消え去り、その視線はクルトに集中する。


「な、何だって……?」


 流石のランスも混乱したのだろう。額を抑えつつ、その精神力の強さで、何とか沈黙を打ち破った。


「ヴィルヘルム隊長がミンネを捧げたい女性のことでしょう? 違うのですか?」


 と、まるで確定事項のように言うクルトに、ランスは驚きを隠せないまま、言葉を続けることとなる。


「お、おい。その、何か知ってたのか?」

「いえ。ただ、ヴィルヘルム隊長は、先ほど私が『姉上が王都にお越しになる』と言ったときの反応が、皆さんとはどこか違いました。それに、大会にお越しいただく方は決まっていた様子。それを覆すか、いきなり顔を赤くして悩み始めたのですから。それが理由です」

「……お、おう」


 クルトの言葉は、紛れもなく正論である。そうだ、ミンネの話に特に参加していなかったヴィルヘルムが、あの時だけ人一倍反応していたじゃないか、と銘々が思い出す。

 だが、騎士団はそのまま、しばし無言を貫いた。

 ――そして。


「……た、隊長が……」

「ヴィルヘルム隊長がぁあああっ!!」

「駄目だ、あの人には女帝――いやいや、ブリジット様は無理だろ! なあクルト、高嶺の花すぎるよなっ!?」

「泣きをみるから! 絶対にブリジット様に袖にされて隊長泣いちゃうからっ!!」


 騎士団はクルトに気をつかいつつも、ヴィルヘルムを擁護――いや、保護しようと躍起になった。それほど年頃の男たちにとって、女帝ブリジットは恐怖の存在なのである。


「ご心配なく、姉上の御夫君については、その選定は姉上に一任されています。父上や家格のことは気にしなくて大丈夫です」


 この言葉なら大丈夫だろう、とクルトなりの気遣いを見せるも、それは大いに的外れである。

 しかし、『今度は正解したはず』とわずかに表情筋を動かしてキラキラとした顔をみせる少年に、『いや、的外れだよ』と告げられる大人はいなかった。


「その……。なんだ、それならヴィルヘルムがブリジット様のお気に召すよう、俺たちが手助けすればよいのでは……?」

「それだぁあああ!!」

「さっすがエリオス隊長!」


 エリオスの苦し紛れの提案に、主に第一部隊から喝采が巻き起こった。誰一人として、あの純朴な隊長が悲しむところ見たくないのだ。


「クルト、ブリジット様の好みは!?」

「ヴィルヘルム隊長みたいなゴツい男は大丈夫か!?」

「やっぱり四家なら、楽器の一つも優雅に演奏出来なきゃ駄目かな?」

「馬鹿、それ聞くなよ! あの人楽器なんて王都に来て初めて触ったような人だぞ! そこで頷かれたら全て終わるだろうが!」


 第一部隊はクルトに意見を求めつつ、隊長のためにと大騒ぎになってしまった。しかしそんな喧騒のなかでも、クルトは律儀に一つ一つ質問に答えていく。


「好みの男性について、姉上に質問したことはありません。ですが、どんな容姿でも姉上は受け入れるかと。それと楽器は……」

「おい、そこまで!」


 答えている間もまだまだ続く怒涛の質問責めを、ようやく団長らしい働きをして、ランスが間に入って無理やり止めた。

 そこでランスは団員たちに、この話でヴィルヘルムをからかわないこと、本人から聞き出さないことを誓わせていく。


「まあ、俺も色々気になるが……。あー、そのだな。相手が誰であろうと、本当にミンネの誓いをたてるなら、俺たちに手伝えるのはヴィルヘルムに最高の舞台を整えてやることだけだろう?」

「た、確かに……」

「それにな、きちんとミンネを捧げたなら、そんな大それたことをやる男を無碍にはしない。確かに規格外だが、ブリジット様はそういう方だ」


 ランスの言葉に、団員たちは珍しく聞き入る。なにせ、珍しくランスが正論を吐いているのだから。

 そうだな。確かに。と、みんなが頷く。


「大会でつまらない邪魔が入らないよう、今回は特に注意が必要だな。一番大切なのはヴィルヘルム本人の行動だが、その後押しは俺に任せておけ!」


 ――しかし、いい話の終わりに続いた言葉に、団員たちからは不安の声が上がった。


「えっ、団長に……?」

「大丈夫かな……」

「いやいや、何でだよ」

「普段の行動と言動をよく思い返せ、色惚け男。――まあ、もしヴィルヘルムがきちんとブリジット様にミンネを捧げ、そのまま優勝したら――」


 エリオスには、先ほどのランスの言葉を聞いて、考えたことがあった。何度か女帝と会っているからこそ、分かることがある。

 そのエリオスの言葉を待って、団員たちは息をつめる。


「どんな形であれ、ヴィルヘルムはブリジット様に認められるだろう。なあ、クルト」

「はい。姉上はヴィルヘルム隊長のように、努力家で真っ直ぐな方を好む傾向にあります。大会で活躍なされば、夫君に選ぶ可能性は十分にあるかと」


 そして弟クルトの後押しに、蒼の間の盛り上がりは最高潮に達した。


 これにより、蒼の騎士団の競技大会における標語は、以下に決まった。


 一、ヴィルヘルム頑張れ

 二、ヴィルヘルムくっつけ

 三、ヴィルヘルム負けるな

 四、ヴィルヘルム泣くな

 五、三部門制覇


 ――ただし、この標語は四番までは機密情報である。

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