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第一話

 王都での誘拐事件から一ヶ月後。

 大公領に帰っていたライラは、今日、再び旅立とうとしていた。勿論、今回もいつもの男装である。大切な双剣の片割れも、きちんと腰に帯びている。

 ただしその目的地は、王都ではない。


「グレーテ、準備終わったわよ」

「では、馬車にお乗りになりましてお待ち下さい。すぐに出立いたしますわ」

「分かった。それにしても……何か起きなきゃいいけど……」


 そう言ってライラが見上げた方向は東。気高き聖山ジフがそびえ立つ。

 その聖山ジフに連なる山脈。その麓に今回の目的地、ヴォルフェンベルク辺境伯領がある。広さはそれほどでもないが、大公であるアドルフが所有する領地の一つだ。

 その管理を、なぜかライラが領主代理として任されているのだ。その時期はエリオスの出仕とほぼ同じ、二年前からである。

 あの破天荒なーー人のことを言えないライラではあるがーー父のことだ。未来の夫を支える領地経営を学ぶ、花嫁修業の一環なのかも、とライラは考えていた。


「申し訳ありません、姫様。お待たせ致しました」

「いいのよ。探し物頼んだのは私なんだし。――さ、みんな出発しましょう!」


 こうして一行は、ヴォルフェンベルク辺境伯領に向けて歩みを進めることとなった。

 今回は、春の作付けの様子を確認して、夏の治水対策を考える二ヶ月の滞在を予定している。その合間に騎士の訓練に混ぜてもらったり、お忍びで見回りもするのがライラの日常だ。

 ただし、今回は少々の緊張を強いる旅路だ。先日の王都の誘拐事件はもとより、辺境伯領では不審人物を発見したものの、取り逃がしてしまったというのである。その報せが出発の前日にライラへもたらされていた。


 ――その後、ライラは無事に辺境伯領へ到着し、今は領主館での政務に励んでいた。

 当初は連絡をもらっていた『不審人物』に警戒し気を張っていたのだが、到着から一ヶ月以上経った現在まで、何も起きることはなかった。残す日程も二週間ほどとなっている。


「姫様、準備が整いました」

「待ってたわ。ありがとう、グレーテ!」


 となれば初めは警戒して控えていた『お忍び』も、その衝動が再熱するというもの。領主の見回り、という大義名分をもって外出を繰り返すことになった。


(そもそも、不審人物が本当に不審人物なのか、って問題もあるのよね……)


 ここは辺境伯領、国境の地である。しかし貿易の中心となる土地ではない。そのため、人の流入は非常に限られている。だからこそ『見たことがない』人間にすぐ反応出来て、『不審人物』に警戒するのだ。


(軍事目的の侵入で無い限り、あんまり目くじらたてて捜索するのも考えものだしなぁ……)


 農作物の出来高を監査するための国の役人がうろつく場合もあれば、山伝いに近隣の領地の人間が迷い込む場合もある。

 しかし、それはある意味『いつものこと』なので、ライラにまで連絡してきた以上、やはり何か感じるところがあった、ということなのだろう。


 しばらくお忍びを繰り返すうち、ライラは泊まりがけで領地でも一番小さい、山麓の村にやってきた。ここは『不審人物』が最初に目撃された場所でもある。

 そこでライラは、領民と話をするうちに彼ら――領主と代理の違いをよく理解しておらず、ライラを新しい領主と認識している――から、おかしな話を聞くことになった。


「領主様、恐ろしいことです。お山を越えてきた者がおります」

「えっ、あのジフ山脈を!?」


 ライラが驚くのも無理はない。

 ジフ山脈は『神々の屋根』といわれ、人間には踏破不可能とされる急峻な地形なのだから。

 そのためライラは『不審人物』といえど、近隣の領主が放った密偵がせいぜいと考えていた。いや、『不審人物』の話を聞いた兵や役人の全員がそう思っただろう。

 しかし、ジフ山脈は国境線である。もしもこの話が真実なら、事態は急を要する。


「ええ、ええ。村は今、その話で持ちきりですとも。あのお山を越えてくるたぁ、ただ事ではありませんよ。きっと恐ろしいものがやって来たんです」

「――わかった。お願い、みんなを集めて頂戴。くわしく話を聞かせて!」


 そうしてライラは村の者たちを集め、話をとりまとめた。

 ジフ山脈を越えた人間がいる、というのは誰かがはっきり目撃したわけではない。しかし、山で遊ばせていた村人のカタワレたちが何度も何かを目撃している、というのである。

 カタワレの意志は片割れに伝播する。ただ、明確な言語で伝わらないため、片割れが他人にその内容を説明しようとしても、とても難しい。


「私のカタワレは山羊でして、何かをお山で見ています。たくさんの何かです」

「俺は烏ですが……。たぶん、山越えを見た、のかも。何かがお山の向こうから来たんです」


 村長の家に、村人たちが集められた。そこで村人たちが口々に語り出すが、その内容はあやふやで、報告書に纏められなかったのも頷ける。

 村人たちは『何か』が人だとは言わず、悪霊かなにかのような口振りた。これでは『不審人物が目撃されました』という他にないだろう。しかし、他の土地でははっきり『見知らぬ人間を見た』という証言がある。この二つを合わせると、とんでもない事態が想定される。


(その何かが人ならば、『不審人物』の動きを放っておくわけにはいかなくなる……)


 ジフ山脈の向こうには、セバトという王国が存在する。ラミナ以外で唯一、カタワレをもつ国だ。

 そのセバトの歴史は、オスト家と関係が深い。かつての古王国時代よりさらに昔、ジフ山脈の麓に存在した国の王家が二分し、現在のセバト王家とオスト家に別れたのだ。

 その証拠に、いずれも標とするカタワレは狼と定めている。


「お山に何かあったのかしら。こんなのおかしいもの」

「嫌だ、怖いこと言わないでよ。お山を越える奴なんて、何か季節外れの動物を見間違っただけよ。そうに決まってるわ!」


 村人たちに、ざわめきとともに不安が広がる。


「――落ち着いて下さい」


 しかし、その場に年若い乙女の声が――ライラの声が、響きわたる。


「皆さんの話は参考になりました。礼を言います。もしまた何かあれば、領主館までお願いします。この村にも鳥のカタワレはいましたね?」

「は、はい。おります」

「では、そのように。私は帰館次第、この地域の見回り強化を図るよう、兵に徹底させます」

「お願いします、領主様。ああ、これで安心出来る」


 村人の安堵の言葉に頷くと、ライラは村長の家を出て馬に飛び乗った。

 ――どうしてもセバトが気になる。

 セバトでは『血の即位式』と同時期に政変があった、という情報は周知の事実だ。現在は王太子などを殺した前王の王弟が玉座にいるという。

 だが政変の終わりとともにセバトは鎖国し、以降の正確な情報は入手出来ていない。ただ、わずかな伝手ーーつまり入国を許されている他国の商人ーーによると、政情は不安定で、セバトの民は飢えに苦しんでいるらしい。

 ならば、もとは軍事国家のセバトだ。豊かな隣国であるラミナに、いつ戦争を仕掛けてもおかしくない。


(ラミナでは聖地としてジフ山脈には立ち入らないけど、セバトは信仰が少し違うもの……。今は軍隊を動かせる道を探しているに違いない)


 その日、ライラは日が落ちるまで馬を走らせた。何とか日没とともに館に滑り込むことに成功する。

 帰宅は明日の予定であったのに、汗塗れで帰館したライラに、領主館の使用人たちは大慌てである。


「姫様、どうなさったんですか!? 出先で何か!?」

「大丈夫よ、グレーテ。安心して。ちょっと急いで調べたいことが出来ただけだから。まずは父上に手紙を書きたいの、用意して」

「は、はい。分かりました」

「それと明日の朝一番で、騎士たちを召集して。評議を開きます」

「は、――ええっ!?」


 ライラの突飛な行動はいつものこととはいえ、騎士まで動かすとなれば尋常ではない。グレーテはいつも通りに返事をしようとしたが、ライラの言葉を理解して、あまりの驚きにそれは出来なかった。

 グレーテが改めて聞いても詳しく話してくれないが、念のための行動であるという。しかしライラは、騎士を招集して評議を開くことに迷いはない。


「わ、分かりました。では姫様、代官様を呼んできますわ。彼を通した方が話は早いかと」

「そうね。すぐ部屋に呼んでくれる?」

「はい、姫様」


 ライラは部屋に戻り、最低限の身なりだけを整えて、代官の到着を待った。

 彼はライラがいないときは領地を代わりに取りまとめ、今は補佐の任についてくれる、有能な人物だ。

 その人物がライラの部屋の扉を開けた。


「失礼します、ライラ様」

「待ってたわ。相談したいことがあるのよ」

「今日のお出掛け先から思うに、不審人物の件でしょうか?」

「話が早くて助かるわ。そうよ。本当にセバトが動いているなら、ゆっくりしていられないわ」

「確かに」


 代官は白が混じる髭に手をやり、何かを考えるように何度か頷いた。


「兵士からそれほど報告は上がっていませんが、ライラ様は評議が必要なほど急務であるとお考えだ、と」

「そうよ。山のことは山の人間が一番知ってるもの。あれだけ小さい村だから、あの村出身の兵士はいないと聞いたわ。確かにあやふやだったけど、きちんと話を聞いたのかしら? 大きな町ばかり巡っても見落としてしまうわよ」

「――うむ、それは道理ですな。まこと、耳が痛い話だ。では明日、評議を開きましょう」

「ええ、よろしく」

「ですがライラ様、一つご忠告を。――この土地は『神々の屋根』に守られて長い。土地の者は、誰もが山を越えての行軍など、不可能と信じております。私やライラ様は、まあ、余所者ですからな。万が一のことを考えられる。明日は面倒なことになりますぞ」


 そう告げた代官の瞳には、憐れみも蔑みも存在しない。強い、ライラを叱咤激励する光だ。


「ええ。ありがとう、頑張るわ」

「まあ、本当にセバト軍が出てくるかは未知数ですが……。何にしろ、今回は斥候に留まるとみて間違いないでしょう」

「ええ。だけどその斥候の存在すら、みんな予想しないでしょうから。明日は応援してね」

「心得ました。この老体、オストの姫君のお役にたてるなら本望でございますとも」


 そして、翌朝。

 夜のうちに連絡が回っていた、辺境伯に仕える騎士たちが集まっていた。

 ただし代官の懸念通り、その男たちの表情は一様にライラを嘲るものであった。


「まあ、代理様の言い分は分かりますがな。些か心配しすぎではありませんか」

「うむ。年若い女性が野蛮な戦に怯えるのは至極当然。しかし代理様は、来月にはこの地を離れられる。いたずらに民を怯えさせるのも如何なものかと」


 ライラが村での報告や約束を告げても、この反応である。

 だがライラは年若い女で、あくまでも領主代理。侮られるのは仕方ないとしても、その結果起こり得ること――この地が蹂躙されること――に騎士たちの考えが向いていない。それが嫌で堪らなかった。

 だからライラは、綺麗な言葉で取り繕うことをやめた。


「皆様お分かりでないようだけど、いつまでも『神々の屋根』が無敵の盾であると盲信するのは阿呆のすること。時は進むのみですよ」

「なっ、何を……! この地に先祖代々住まう我々を愚弄なさるおつもりか!」

「そうだ! あの山脈を越えてくるなど、それこそ軍隊に怯える女子の盲信ではありませんか!」


(――笑わせないでよ)


 命のやりとりの恐さは、あの地下道で知った――いや、知らされた。裏切りの悲しさだって。


「ご心配なく。人を斬る感触も血の温かさも、殺しにかかってくる人間の形相も、果ては死を感じた人間の悲鳴も知っています。――何か不足かしら?」


 ライラの言葉と笑みに、大半の男たちが押し黙った。

 ライラは少し大袈裟な言葉をわざと選んだが、それも狙いのうちだ。この場にいる男たちは、大半が実際に人を斬ったことがないのだから。

 大抵の犯罪には自警団が出動するし、二十年前の動乱は体験していても、こんな辺境の地にはほとんど影響がなかった。わざわざ王都に参戦しにいく騎士も僅かであった。

 その僅かの一人が、ぽつりと言葉をこぼした。


「用心に越したことはないでしょう。あの政変以来、鎖国したセバトの情報は全くないのです。しかも雪が最も少ない今だからこそ、山越えの道を見つける可能性はある」

「うむ。――それに、いくら大公閣下の縁深いこの領地とはいえ、タダ飯喰らいの金食い虫を飼うほどの余裕はありませんからなぁ」


 その男の言葉に、他の騎士たちも反論出来ずにいる。男はこの場で数少ない実戦の経験者。その口から出た意見は重い。財政を預かる代官の追撃も決まった。

 ライラは思わぬ助け船に感謝しつつ、集まった騎士たちに檄を飛ばした。


「この土地は『辺境伯領』、国境の要衝です。だからこそ、あなた方騎士が何より必要とされるのですよ。――その剣の意味、今一度考えなさい!」


 この叱咤に、今度こそ騎士たちは言葉をなくし、ライラに頭を垂れた。


 その後、見回りの強化にあたり、騎士たちとの話し合いが進められた。土地に根付き、土地を守る騎士がいるのだ。まだライラへ反感があるとしても、とにかく警戒が強まることで、領民も安心出来る。そうライラは思った。

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