赤〈超人〉①
〈猿〉
春を間近に控えた三月末。野猿幸太は突如、上司の口から転属を言い渡された。
転属先は警視庁過適合犯罪対策課━━通称「六課」Eins絡みの犯罪を専ら取り締まる独自部署だ。
六課といえば、好戦派で名高い虎鶴コンビこと、古賀虎継と長内芽鶴を抱える部署である。猛獣の如く、手に負えないことで有名な二人だが、評価もまた周囲の折り紙つきだった。
幸太にとって、六課への転属は意図せぬ偶然だった。が、そこに僥倖とも天運とも言い難い、宮代桜の言葉を借りるとすれば━━作為的な予定調和を感じ取っていたのは確かだ。彼の目的を達する為に、六課が近道であることは間違いなかった。
Einsで変身する過適合者達を対象として、オカルトめいた犯罪と向き合わなければならない六課。その長を務め、虎と鶴を見事に飼い慣らす(実際に六課に配属されて思い知ったが、これは誇張表現も甚だしかった)人物もまた、変人極まりない男だ。
男の名は来海鷹雄。建前上は六課で一番偉い人物になる。そんな鷹雄個人名指しで、先週末、奇妙な封筒が届いていた。
送り主の名は萩原椚。場所は押切市内の郵便ポストより。
幸太は、犯行声明文と一緒に同封されていた一枚のルーズリーフの複製を他の資料と共に応接間の卓上に広げ、真剣な眼差しで眺めていた。
殴り書きにて箇条書きされた文面には、一年と半年ぐらい前から国内を騒がせている反抗組織「色外」の構成員について、一人一人ドイツ語の数字と合わせて紹介されていた。文末には一際大きく「モーニンググローリーはまだ必要かい?」と、オアシスの楽曲を連想させるような一言も添えられている。
色外は世間から反抗組織として認識されている。では、彼等は一体何に抗っているのか? その類の討論にて度々挙がる名は、Einsの始まりとされる七色機関だ。Einsによる変身、その変身が齎す超人的な能力を活用し、ヒーローとして地区の治安維持に尽力する七色機関。だが、義務ではなく、言うならば正義感などという曖昧で酷く偏った動機から駆けつける彼等ヒーローは、六課とも非常に反りが合わない。
そして、そもそも六課が創設された原因もまた七色機関にあった。彼等の開発したEinsが、彼等の管理下から散らばった為、Einsによる犯罪が今日、国民の平和を脅かしているのだ。
万人に受け入れて貰えない七色機関。だとすれば反発する者達も当然現れる。反抗組織の台頭は半ば必然とも思われた。
真偽の程が定かではないにしろ、色外という名称の由来も、きっとそこら辺の推測に基づくものなのだろう。
「芽鶴さん。これ、なりすましですかね?」
卓を挟んで向かいに座る上司、長内芽鶴は目の下の隈を濃くさせた顔を僅かに上げて、疲労を吐き出すように長く深い溜息をついた。
普段は爽やかに映る短くまとまった頭髪も、くたびれて輝きを失っている。
彼女は卓の角に寄せられたまま冷めきってしまったほうじ茶をぐいっと煽ると、右の目尻を指で擦りつつ、小声で答えた。
「うちは本人達からだと思うけど」
「どうして、言い切れるんです?」
「ほら、この子」
言って、芽鶴は文面の一部を指差す。幸太は、彼女の指先を目で追い、その名を読み上げる。
「夕藤茜ですか?」
「そ、《銀火葬》って、幸太君はどこまで知ってる?」
問われて幸太は二年前を思い出す。彼も実際に《銀火葬》を目撃していた為、その日の光景は鮮明に想起できた。
《災厄》以後、分厚いセメント壁を築き、国から隔離された中央区。二年前、その上空が突如として銀色の炎を燃え上がらせた。当時、嬉々としてあることないことを真実のように嘯くオカルト研究家が「災厄に眠る魂を弔う浄化の焔」だと発言し、誰かが《銀火葬》と崇め黙祷を捧げた。そして、自然と銀火葬という名称が世間に浸透したのだ。
幸太も。夜闇を照らす銀色の天蓋がとても幻想的だったのをよく覚えている。
「《災厄》の日からずっと中央区に残っていた雪を、全て溶かしたんですよね?」
《災厄》により地図上から塗り潰された中央区は、物理的にも法律的にも人の立ち入りを禁じていた。
だから、非合法な動画が流出するまで、中央区に残雪があることを世間は知らなかった。
雪国を連想させる白雪は燃え去り、あとには廃礫と化した街並が取り残された。
現在も人体に害を及ぼす危険性が懸念され、立ち入り禁止の処遇は変わっていない。
「うん、模範的な回答。じゃあ《災厄》は?」
「六年前、東京都中央区広域にて、Einsによる影響で理性を裂いた都民が暴動を起こす。……結果的に中央区は地図から消された。ですよね?」
口に出していて違和感が拭えきれなかった。過程がすっぽりと抜け落ちているのである。
「そうね」
芽鶴は頷き、幸太の言葉にならない疑念をも肯定するように先を続ける。
「《災厄》の詳細はひた隠しにされてる。この国の、うちらの届かない圧力によってね。《銀火葬》も同じ。国民が、本当の意味で知るべき部分は公表されていない」
「それと色外に関係が?」
「茜君の、あの子のEinsは銀色の焔を操るのよ」
芽鶴の声色には、変わり果ててしまった過去の友人を嘆く様な切なさが混じっていた。
「つまり……」
「二年前、中央区に《銀火葬》を齎したのは、きっと夕藤茜なの」
「でも、どうやって中央区に?」
「七色機関でしょうね」
《災厄》を鎮圧したのも、《銀火葬》後の現地調査を任されたのも、いつも必ず、中央区と最も近い立ち位置を占めるのは七色機関だ。
「七色機関と色外が裏で繋がってるって事ですか?」
「あら、そっちに思考が向いちゃったか。変に深読みしなくていいんだって。そのまんまよ。敵対してるから。でしょ」
「それで、この……夕藤茜の紹介文に《銀火葬》の主犯って記されている部分に信憑性があるって事ですか?」
「そういうこと」
「いや、待ってください。だったら七色機関が送ってきたって可能性もありますよね?」
手に負えない反抗組織を鎮圧する目的で、六課を利用する魂胆なのではないか? しかし、幸太の疑問は、芽鶴に否定される。
「ないわ。構成員に元《七極彩》が含まれてるでしょ?」
「橙が一人に、紫が二人ですね」
「他にも、姓が同じだったから調べてみたんだけど、この式咲菜子って子も、どうやら元、藍の血縁者みたいだし」
それなのだ。幸太は表面上はあくまで平静を装っているが、内心、動悸の激しい乱れを自覚していた。
年齢的には妹になるのだろうか。なんにせよ彼女に……式咲叶子に妹が居たとは、一度も聞いた覚えがない。
むしろ、彼女は天涯孤独の身だと話していた記憶がある。
だとしたら、この式咲菜子という人物は何者なのか?
幸太が式咲叶子と交際していたのは、彼女が七色機関に就職する以前の話だ。七色機関と式咲菜子。これは単なる偶然なのだろうか?
「ただでさえ信頼ぼろぼろなのに、この上、自ら首を絞めるような真似は、さすがにしないよ」
七人の過適合者から成り立つ《七極彩》は、過去、七色機関のネームバリューに直結していた。二年前の《銀火葬》の後、明らかとなった《七極彩》の全滅は、七色機関の大幅な規模縮小にも繋がっている。
「どんな、可能性でも、否定してしまっては、駄目さっ!!」
突然、背後より第三者の声がかかり、幸太は慌てて立ち上がった。胡散臭く抑揚をつけ、必要以上に句読点を挟む独特な喋り方。
聞くものを総じて苛立たせる、この声の主は六課のまとめ役、来海鷹雄のものだ。
「おつかれさっ……」振り返って、先言後礼に倣い、挨拶を口にしかけた、幸太の動きがぴたりと止まる。
「朝から、御苦労さまっ。二人とも、あまり、無茶はしないでくれたまえ。なんたって、僕が心配するからねっ!!」
「……そうで「あんた、いい加減にしろよ!!」」素気ない芽鶴の返事に、低く唸るような雄叫びが被さる。
のしのし。と足音を大きく立てながら来海に近寄り、彼の華奢な肩を太い指で掴んだ人物は、猛獣の片割れこと古賀虎継だった。
普段から自他区別せず厳しく接する虎継故に、彼が怒鳴っている光景はそう珍しくない。それに、今回ばかりは、なぜ彼が牙を剥いているのか、その原因は一目瞭然だった。
「クゥル、ビズッ!!」
と、人差し指だけを真っ直ぐ伸ばした両腕を胸の前で交差させて、二丁拳銃よろしくイケメンにのみ許されそうなポーズを決める来海。しかし、彼は、ブリーフにネクタイという、警察にあるまじき恰好をしていた。
「模範となるべき警察が、下着一丁ってなぁ、あんたそれ、示しつかんだろうが!!」
「ははっ、返す言葉もない」
「だったら今すぐ服を着ろっ!!」
部下に怒鳴られるという恥を晒しておきながらも、来海はどこ吹く風といった調子で、先程まで幸太と芽鶴が睨み合っていた色外の資料を覗き込む。
「あー、そうだったね。これ、話し合わないと、うん」
「そういえば、まだヤスの姿が見えませんが、別件ですか?」
幸太は、歳は離れているが、六課の同期にあたる大馬保則の不在について、来海に尋ねた。
「あぁ、彼なら、パチンコの新台がね、出るそうだから、遅刻します。だ、そうだよ」
「あんの……」金剛力士像を彷彿させる憤怒の表情で、握りしめた拳を震わす虎継。
「そんなに打ちたいなら有給使えばいいのに」
芽鶴の溜息に、来海が答える。
「さぼっていくから、意味がある。だ、そうだよ」
「清々しい屑ですね」
「もういい。あいつは後回しだ。とにかく、来海さん!! あんたは服を着ろっ!! いくぞっ!!」
さすがの虎継も中年男性の裸体に何度も触れるのは抵抗があるのか、来海の手首を掴もうと伸ばし掛けていた腕を引っ込め、けれど、ネクタイで引き摺る非礼も避けたいらしく、吠えたてて来海を促していく。
「それじゃあ、お昼休みの後、保則君も合流したら、会議をしようじゃないか。あっはは」
「笑うなっ!! 腹立たしいっ!!」
嵐の様に過ぎ去っていく二人。残された幸太と芽鶴は、ふと視線が交わり、お互いに苦い笑いを浮かべた。