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Eins:end  作者: えんじゅ
中央区編━━《鬼因子》第二世代の子供達。
4/16

プロローグ

〈灯〉


 雨脚が勢いを増していた。凪いだ平地に降り注ぐ雨粒が、傘もささずに立つ彼女の艶やかな黒髪を濡らし、頬を伝い落ちて、足元に波紋を立てている。

 辺りに青々と生い茂る披針形の葉も、雨に打たれ、小刻みに震えていた。

 視界のひらけた平地は、遠方に建物を霞ませており、人の影も見当たらない。かつて《災厄》により外側と遮断され、《銀火葬》により大部分が焼け朽ちた中央区のなれの果て。そこでは深々と降る雨音だけが耳を打つ静けさを伴っていた。

「……また雨か」

 彼女がこの地を訪れる時、なぜかいつも決まって空は曇天に覆われ、頻りに雨が降り始める。彼女自身、その数奇な繰り返しをジンクスと受け止めていた。

 背丈は十代後半の女性としては標準よりやや高いぐらいで、160cmは超えており、体つきは艶美な曲線には乏しく、頭の天辺から足の爪先までなだらかな起伏を描いていた。

 上下を煤竹色の背広に包んでおり、微かな光をも吸い込む黒髪と相まって、全体的に重たい印象だ。

 一方で、肌は年相応にきめ細かな白い柔肌を晒していて、鋭さを秘めた双眸は色素の薄い灰みがかった赤の色彩を灯している。


「俺も、春も。元気にやってる。変わらずにな」


 夕藤(せきとう)(あかり)は再度、独り呟く。それは彼女が自身へ設けた習慣のようなものだった。自分達は確かに生きていると、かつての仲間達へ示すように。

 伏し目がちの視線の先には、素朴な石碑が並んでいる。刻印もなく、形も大きさも不揃いな幾つかの石の塊だ。

 だが、それこそが灯にとって、唯一、過去の繋がりを再認識できる墓標銘(エピタフ)でもある。

 整然と横一列に並ぶ、等身半ばまで地面に埋められた石碑の一つへ焦点をあて、その墓の主へ呼び掛ける。

「茜。お前の目指していた先を、春はたしかに受け継いでいるよ。安心してくれ……俺達は、そう簡単には挫けない」

 女性らしい端麗な容貌に似合わない、男勝りでぶっきらぼうな口調。だが、その言葉の節々に優しい響きが混じっていた。

 

「灯さーんっ!! もう、傘ちゃんと持ってくださいっ!!」


 不意に、背後より聞き慣れ親しんだ少女の快活な声が、灯の名を呼んだ。

 振り返れば、彼女の瞳に派手なピンク色の傘が映り込む。水飛沫をばしゃばしゃと撒き散らしながら、泥水に塗れた革靴を気にも止めず、彼女の傍まで駆け寄る少女。

 少女は残る一方の手に握りしめていた真っ赤な傘を灯へ差し出しながら微笑んだ。


「風邪、引いちゃいますよ」

「悪いな」


 灯は、傘を頭上へ広げつつ、行動を共にして半年経つ少女の横顔をちらりと見やる。癖っ毛なのか、淡い桃色の頭髪は所々はねており、そのはね具合は、湿気のせいか普段より一段と激しく、駄々をこねているようにもみえた。少女はそんな髪の毛を強引にリボンで左右へ結びつけている。並び立つと、身長は灯よりも頭一つ分以上低く、顔立ちにもまだあどけなさが残っている。

「春、安藤(あんどう)誠一(せいいち)はどうした?」

「安藤さんなら、車で待ってるそうです」

「……そうか」

 春と呼ばれた少女━━穂純(ほずみ)(はる)は、眼下に整列する石碑を見つめ、先程まで浮かべていた笑みを消す。両目を細め、僅かに歯の根を噛んで、じっと押し黙る。

 故人を(しの)ぶように、沈黙を一貫し、傘を間に挟めつつも手を合わせる春。

 そんな彼女の振舞いを横目におさめつつ、灯は薄暗い虚空を見据える。

 七色機関は滅んだ。それでも、影響力というものは決して無くなりはしない。Einsはこの先も、人々の日常を脅かし続けるだろう。

「灯さん」

「なんだ?」

「今日は春がご飯つくりますね」

「無理しなくても、俺がやるよ」

「ううん、やらせてください。菜子さんが教えてくれたスコーンを食べて貰いたいんです」

 甘い物は苦手だ。春の屈託のない笑みを受けて、灯はその一言を喉奥へ引っ込めた。晩御飯としては些か物足りない気もするが、彼女の頑張りを無碍にしたくないと思い至った灯は黙然と頷いて返してみせた。

 あとで安藤誠一にも釘を刺しておかないとな。

 そこでふと、春が名前を出した式咲(しきざき)菜子(なこ)の姿が脳裏に蘇った。


 あれはまだ、色外の皆がまとまって暮らしていた頃の話だ。

 眼鏡を脇に置き、栞を挟んで頁を閉じ、読んでいた本の背表紙を指でなぞりながらゆっくりと息を吐き出す菜子へ、灯は問い掛けていた。

「なぁ菜子。本は、為になるか?」

「ん、まぁ……たぶんね」

「なんか、歯切れ悪いな」

「これ、お姉ちゃんが大好きだった作家、安藤誠一の本なんだけど……どうも私には難解すぎて。これだったら、ミニスの漫画を借りて読んでる方がずっと役に立ちそう」

「安藤誠一は、菜子や紫於の持つEinsを狙っていると聞いたが」

「みたいね。譲る気もないけど」

 菜子は、かつての姉との日々を懐かしむように、指輪の形をしたEinsへ視線を落とす。

「いつかは、こうやってこそこそしないで、皆で旅行とか行きたいね」

「旅行か」

「逃避行じゃなくて、きちんと目的地を決めてさ。想像してみると、すごく楽しそうじゃない?」

 ほんのりと頬を赤らめる彼女は、この時、一体どんな未来図を思い描いていたのだろうか。

「茜を説得するのは大変そうだな」

「そこは灯に任せるわ」

「いいのか?」

「ちょっと、どういう意味よ?」

「……いや、別に」

「もう、椚の所為で、灯まで茶化すようになっちゃったじゃない」

 ヒーローと戦う事を決めた夕藤茜に惹かれるように集まった色外の面々。

 灯は、最後の一瞬まで抗い続けた仲間達の雄姿を決して忘れないだろう。


「灯さん、そろそろ戻りませんか?」

 過去に耽る彼女を、現実へ呼び戻すように、春のか細い声が耳打った。

「あ、あぁ。そうだな」

 先立って、安藤誠一の待つ方角へ歩き出す春。

 その小さな背中を見つめつつ、灯は人知れずぽつりともらす。

「旅行はもう少し待っててくれ」

 彼女の旅はまだ終わりそうになかった。

 

 灯と春が去ると、茜達を弔う石碑に降り注いでいた雨脚も途絶えた。

 やがて、どんよりと鈍重な雲群に亀裂がはしり、その隙間から暖かな日が差し込み始めていた。


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