茜〈邂逅〉②
〈鷹〉
来海鷹雄。
無断欠勤常習犯。未提出書類多数。先月の重役会議では、出席せずに己の管轄している部署━━即ち六課の部下達を連れて「昼下がりのコーヒーブレイクは必要だよね」とのたまって外出していたことが判明。更には職権濫用の疑惑すらある。
警視庁内において、故意に規則違反を繰り返す彼の評判はすこぶる悪い。
が、それでも鷹雄は警視庁過適合犯罪対策課こと通称「六課」の頂点に君臨している。なぜか? それは先述した問題を補って余りある貢献を、彼が成しているからだ。
過適合犯罪に限って言えば、検挙率はおよそ五割……飛躍した。検挙率そのものは、犯罪の総数ではなく警察が認知した事件の総数から割り出される為、全体としての増減がまま良し悪しと直結する訳ではないのだが、それが鷹雄の貢献度を疑う要因になるという話でもない。
来海鷹雄の功績を特記する場合、主に疑似EinsとEins相殺装置の開発が挙げられる。
「解析の進捗は、どうかな?」
付着した雨粒の渇いた汚れが目立つ窓の傍に立って、来海鷹雄は色外と六課の衝突を傍観していた。
場所は彼等が相対する車道から目と鼻の先の位置にある雑居ビルの三階。
空室らしく、足元に散見するのは剥げたセメント片や朽ちた虫の死骸ばかりだ。
がらりとしていた灰色の室内に、バーベキューなどアウトドアでよく目にするような簡易テーブルを組み立てて、上に幾つかの機器を広げていた。
「ようやく半分……といった所でしょうか」
ノートパソコンの液晶を睨み、眉根を寄せている女性警察官が細々とした声で答える。
鷹雄の両隣りには、彼の肩に届くか否かといった具合の高さまで伸びたパラボラアンテナ型の装置が並んでいる。
波長を受信し、そのパターンを卓上の機器まで送信しているのだ。
彼女が睨むものとは別のノートパソコンでは、専用のアプリケーションが展開されており、波の幅を幾つかの弧線で記し続けている。
ビルの外へ視線を戻せば、視界を占める銀色の焔の割合がより一層と増していた。
「皆さん、もつでしょうか……」
「大丈夫さ。みんな、僕の自慢の、部下だからね」
「来海さん。あなたの口からそのような言葉を聞くと、とても不愉快です。爪剥がれたショックで死んでください」
「愛だね」
「違います」
部下の辛辣な扱いに目頭を揉む鷹雄。彼に選ばれた理由を理解している彼女だからこそ吐ける暴言だった。
鷹雄は、いまだ姿の見えない部下こと大馬保則に連絡を求めようとスマートフォンを手に持つ。
しかし、彼が通話を掛けようと指を滑らせた直後、解析に集中していた彼女が上擦った声をもらした。
「来海さん。あの銀髪の子……ええと、夕藤茜君でしたか?」
「どうかしたかい?」
「銀の焔のパターンが変化しました……まるで生きているみたいに」
「とりあえず、もう一度やり直してみてくれ」
鷹雄は彼女の傍まで歩み寄る。彼女の解析画面と放置されていた受信画面とを見比べて、顎に指を添える。
「ほほぉ」
「なんですか?」
不機嫌そうに聞き返す相手に対して、鷹雄は得意げになって頬に皺を寄せる。
「Einsの波長は個々に依存しているだろう?」
「……はい」
「放射線はその波長パターンによって目に映る色合いが異なる。だから、過適合者達が変身するときにみせる発光も色が違うわけだ」
「えぇ」
「僕はね、銀の焔は相手のEinsを無力化すると聞いていた。どういった原理でそれを可能としているのか……興味深くあったんだけど、こうして拝んでみればなんのこともない」
珍しく饒舌に語り続ける鷹雄。
「僕の相殺装置と同じさ。あの焔は他者のEinsから発せられている放射線と同一の波長を返して相殺させているわけだ」
「可能なんですか?」
「素人考えでも不可能だと分かるようなものさ」
「ですが……」
それを貴方も可能としているではないですか? と婦警の喉から出かかった疑問を遮るように、鷹雄が先を制する。
「そもそもEinsの発明自体が長く謎に包まれていたからね……君はあれが何から生まれたか知っているかな?」
「いえ、存じておりません」
「原子番号99の原子━━アインスタイニウム。これはローマ字に書き換えると……」
と、鷹雄は胸元からボールペンを引っ張り出すと、カチリと芯を押し出して、彼女が卓上に広げていた色外の資料の余白部に書き綴っていく。
einsteinium。
「七色機関は当て字で誤魔化しているみたいだけど……些か馬鹿にしすぎさ。それにアインスタイニウムは銀色の金属体であることが確認されている。素敵な偶然だろ?」
「その、アインスタイニウムとやらが、なぜ人間に変化を?」
「細胞を侵しているんだ。七色機関はEins細胞と呼んでいるみたいだけど、金属体として生成されたアインスタイニウム固有の放射線が人体に細胞レベルでの変化を与えている。僕はこれを発癌リスクにおける確率的影響と捉えている。まぁ、正確には意味合いが異なるのだけど、発症率そのものが曖昧模糊となっており、発症者が被る害影響も不明確なわけだ……しかし、常にアインスタイニウムの傍に身を置いていれば、遅かれ早かれ確実に発症すると考えられる。それが、過去の教育課……などと銘打った七色機関の実験施設だった訳だね」
二年前まで、七色機関は体系を大まかに三分立させていた。それが派遣課……所謂ヒーロー活動と、教育課ことEinsの教習施設、そして、残りは開発課である。
「それこそ建材の一部にでもアインスタイニウムを埋め込んでおけば、教習生は皆等しく放射線に人体を通すことになるよ」
「まさか」
「そのまさか、がもしかしたら中央区の瓦礫の中に眠っているのかも知れないのだけど、どちらにせよ今の僕達に確かめる術はないわけだね。各地の教育支部は解体されているし、そもそも災厄の時点で、七色機関は僅かばかり慎重に事を成すことを覚えていたのかもしれない。実際、僕は二年前に瓦解した押切区教育支部の残骸を入手しようと尽力してみたが、塵一つ得られなかった……真相は杳として知れぬままさ」
「では、なぜ……七色機関はそのような人道に外れた発明を……」
「これは僕個人の意見だけれどね、動機なんてものは組織を相手取る場合、あまり頼りにできないと思っている。まぁ、数多の意思が渦巻いているのは確かだろうさ……怨念と言い換えてもいいかもしれないね」
鷹雄は先程、銀を拝んだと発言し、今度は動機を怨念と言い換えた。
二年前の銀火葬を揶揄したような皮肉めいた言い回しである。
「あの、長々と語っていただくのは結構なのですが、やはり解析は不可能そうですが」
「そんなことはないさ。紛れ込んでいるだけで夕藤茜君の波長パターンも存在している筈だ。それを見極めればいい。……のだけど、六課の疑似Einsの波長パターンを記録したデータが手元にないから、今すぐは無理そうだね」
「でしたら、のんびりしてないで早急に指示を変えなければならないのでは?」
「ははっ、確かにそうだ」
「……早く虎継さん達に連絡してください」
「うーん、もうちょっと色外のEinsを観察しておきたいんだけどなぁ」
「さっさとしろ」
「愛だね」
「違います」
数分前と同じやり取りを繰り返す二人。
一方で、肝心の色外対六課の形勢は片側へ傾きつつあった。
〈茜〉
彼の記憶だと……昔、菜子に誘われて足を向けた七色機関の教育支部にて、古賀大臥や式咲叶子が話してくれたEinsに対する見解はこうであった。
適合者の場合、変身とは呼ばず変化と呼ぶ。
それは部分的かつ必要最低限……つまり意味のある変身しか叶わず、また得る力は物質的なものに限定されるからだ。
過適合者の場合、変身の部位は不必要な部分、衣装や容姿そのものにまで及ぶ。そして、一見して人外じみた能力を発動させるものも珍しくない。
「このままじゃジリ貧だっ!! 方角を決めて逃走路を確保すべきだべ!!」
東雲紫於は曲がりなりにも過去ヒーローを務めていただけあって、Einsがなくても、体術だけでそれなりの応戦をみせていた。
「茜っ、どうする!?」
夕藤灯もまた、彼女自身の能力である日本刀で六課を凌いでいた。
六課が操る疑似Einsとやらは、意図的にEinsの変化の度合を抑えているようだった。
彼等に限って言えば、それは変身ではなく武装に近い。
あくまでEinsを悪と断定する六課らしくもあり、やはり、六課の正しい在り方ではないな。と茜は心中もらす。
茜は、群がる六課達を振り払うように銀の焔を振り撒く。
火の粉に触れた六課の数人が、Einsの武装解除を強いられ後退りする。
「わかった。二人はバイクに乗ってくれ。経路は俺が切り開く……紫於さん。迂回を忘れずに頼みます」
「んなことしても居場所はばれるべさ」
「時間を稼げればそれでいいんです。最終的には菜子を頼る事になるんだろうけど……」
「茜君っ!!」
茜や灯の持つ刀とよく似た形状の刀剣型疑似Einsを片手に握っている長内芽鶴が叫んだ。
茜は迫り来る芽鶴を拒むように、刀で宙を翻し、銀焔を躍らせる。
それでも、足を止めずに焔の中へ飛び込もうとする芽鶴の腕を、虎継の太い指が掴んだ。
「てめぇら、いつまでも逃げ切れると思ってんのかっ!?」
「思ってないさ。だから、予定を早めるつもりだ……六課には伝えておこう。俺達は月を跨いでのち、中央区へ踏み込む」
「中央区だと!?」
正確には災厄にて隔離された壁の向こう側へ。
「古賀虎継、それに芽鶴さん。俺達の行く手を阻みたければ、そうするといい。だが、俺も退くつもりはない。七色機関だろうと、六課だろうと、敵対する者は全てこの焔で薙ぎ払う」
「ふざけんなよっ!!」
虎継の咆哮が響き渡る。
「ふざけてなんかいないさ……すごく、大切なことなんだ」
「茜君……」
「芽鶴さん、いつかまた一緒にご飯でも食べれるといいですね」
「そこに葵ちゃんは含まれてるの? ねぇ、茜君。あの子が君のことをずっと探してるって知ってる?」
「……」
茜は何も答えなかった。
彼は口を閉ざしたまま、代わりに刀を振るう。
際限なく暴れ狂う銀の焔が、彼等の会話を強引に切り離した。