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Eins:end  作者: えんじゅ
中央区編━━《鬼因子》第二世代の子供達。
10/16

青〈王子〉③

〈鬼〉


 赤神(あかがみ)つがなの突進を無防備な状態で受け止めた東雲(しののめ)紫於(しお)は、肋骨が幾つも(ひしゃ)げ、広く肺挫傷を起こしていた。

 気管からこみ上げる喀血(かっけつ)が、彼の口元にぶくぶくと真っ赤な泡を作っている。


「お客様、だ、大丈夫ですかっ!?」


 数分前、雀の涙ほどの出玉を駄菓子に引き換えてくれた金髪の女性店員の表情からは、すっかり笑顔と血の気が失せていた。


「……っ」


 処置の数秒の遅れが生死を分ける状況にありながら、紫於の瞳孔と意識はパチンコ店の外へ固定されていた。

 真っ赤なマフラーを横風になびかせて立つ赤神つがな、そんな死神(ヒーロー)と至近距離にて相対する東雲(しののめ)命琉(めいる)


 人が死に際に垣間見る走馬灯とは、この世に生を繋ぎ止める為の手掛りを記憶の中に見出そうとする症状なのだと以前に聞いた覚えがある。

 だが、そんな紫於の脳裏に蘇ってきたのは、不思議なことに命琉との出会いの日であった。



〈黒〉


 東雲命琉……或いは黒鳴(くろなり)命琉の生い立ちは二言三言に語れない(もつ)れを伴っていた。

 

 中国には黒孩子(ヘイハイズ)と呼ばれる子供達が居る。

 一人っ子政策の影響で、戸籍を得られなかった子供達を指す言葉だ。

 特に農村部では政策による負が顕著となっており、労働力として利用する為に数多くの黒孩子を抱えていたとされている。

 黒孩子の命はとても安い。中絶、人身売買、マフィアの駒。黒孩子(かれら)は数え切れないほど生み出され、数え切れないほど命を散らせていた。

 その中で、人形のように華奢で脆い体躯をしており、まるで生産性を伴わない命琉の命もまた、生みの親にとっては手元に置いておく価値のないものだった。

 やがて彼女は親の意思で裏社会へ売り飛ばされてしまう。

 そして、磨けば光る宝石。いわゆる愛玩目的で富裕層の売り場へ競り出される形となっていった。

 

 その頃の命琉は心身ともにくたびれていた。いずれはEinsを埋め込まれ類希なる才覚を発芽させる命琉であっても、この時はまだ、十歳にも満たないただの子供だ。

 生みの親に売り飛ばされても気丈に振る舞えるほど、彼女は達観しておらず、かといって厭世観に染まりきってもいなかった。

 しかし、先の見えない恐怖に打ち震える命琉に思わぬ救いの手が伸びた。

 なんと人身売買に携わっていた青年が、他の仲間達の隙を突いて、命琉を逃がしてくれたのだ。

 どうして彼が、犇めく商品の一つに過ぎない自分を逃がしてくれたのか、命琉にはおよそ見当もつかなかった。

 でも……彼女には帰れる場所なんてなかった。頼れる相手だって唯の一人もいなかったのだ。

 雑多な路地は湿っぽく、どんよりと沈む薄闇を孕んでいた。

 闇の住人達の淀んだ視線から逃れようと、命琉は入り組んだ路地裏を闇雲に突き進んでいく。

 角を右へ左へ曲がり、短い階段の上り下りを繰り返す。自分が何処へ向かっているのかなんて分からなかった。

 彼女が親に捨てられた原因でもある運動音痴という毒が、瞬く間に息を苦しくさせ、足を鈍くさせていく。

 意識が薄れていくの感じていた。

 次に目が覚めたとき、自分は何処に居るのだろうか。

 朦朧とする意識の挟間、彼女はなにかとぶつかってしまった。



〈鬼〉   


 当時、東雲紫於が中国へ足を運んでいたのは、それこそ偶然だった。

 計画自体は《災厄》を境目に凍結してしまったが、過去、七色機関はEinsの海外進出を計画していた。

 また、別の目的として、紫於は非合法に流出しているEinsの回収も命じられていた訳だが……彼は、いかに報告書を誤魔化して、遊び尽くすかに脳細胞をフル稼働させていた。

 同行していた七極彩の赤━━赤神(あかがみ)仁衛(じんえい)も、元より計画に渋る反応を見せていた一人で、紫於の奔放な振舞いを咎めたりはしなかったのだ。

 かくして裏社会の肥溜のような、陰気臭い路地裏を放蕩していた紫於は偶然にも命琉と遭遇する。


「んだぁ!?」


 紫於は道の角で衝突し、そのまま寄り掛かってきた少女に驚きの声を上げていた。

 米袋よりも軽い少女の体を受け止めて、目を丸くさせる。

 紫於は中国語を知らない。彼は身振り手振りで「まぁなんとかなる」と信じていた。

 一方の命琉はそもそもほとんど言葉を知らない。彼女には教育権すら認められていなかった。

 それでも、彼女を逃がしてくれた青年が、おまじないのように言い聞かせてくれた言葉を、命琉は咄嗟にたどたどしく呟いていた。


「……じ、じお、みん、あ」 

「ん? みんなじお? カミーユもびっくりだべな」


 が、紫於に正しく伝わる筈もなかった。

 それでも、命琉の暗い瞳に滲む涙が、紫於を戸惑わせた。

 紫於の間抜けた一言を皮切りにぐったりと気を失ってしまう命琉を、彼はしばらく呆然と見つめていた。


「あなた、にほんじん。ですね?」


 突然の呼びかけは日本語によるものだった。音程の調子はどことなく外れているが、充分に聞き取れる範囲内の日本語だ。

 声の方を振り返ると、路地の先に一人の青年が立っていた。

「んだ。おめぇ、日本語喋れるんか?」

「はい。ぼく、ちょと喋れます。名前は、(れい)(ふぁん)いいます」

 痩せこけた褐色の頬に蛇の刺青を彫っている青年は、あまり煌いているようには見えなかった。

「お願いあります。その子、にほんに連れて行って、くれませんか?」

「なして?」

「その子、捨てられました。このままだと、おもちゃとして売られます。ぼくたち。麻薬売ってます。でも、たまに子供も売ります。たまにEinsも売ります」

 黎煌は、命琉の肩を抱く紫於の指の付け根に目を向ける。

「あなたのその指輪、ぼくたちにとってお宝です。はやく、ここ去るべき」

「おめぇが助けたんなら、責任もって面倒見ればいいべ」

「ぼく、お金も力もありません。それに、きっともうすぐ殺されます」

 黎煌はまるで他人事のように、冷めた口振りで続けていく。

「けじめ、です。にほんじんみたいに切腹なんてできません。みっともなく逃げても、結局けじめで死にます」

「この子を逃がしたから、仲間達に殺されるってのか? んだら、おめぇも一緒に来ればいいべ」

 しかし、黎煌は首を横に振った。

「ぼく、今までたくさんの子供、しらんぷりしてきました。勇気、足りなかったです。でも、今ならできるから。ぼくにも、けじめあります」

「死ぬとわかっててもだか?」

「けじめ、ですから」

「俺な、これでもヒーローなんだべ。死のうとする奴、見捨てられるはずねぇだよ」

「わお、ヒーロー知ってます。はっとりはんぞー、ぼく大好きです」

「チョイスが渋いべ」

「ニンジャ。あこがれます。ぼく、らせんがん、たくさん練習しました」

「もうちょっと現実的な忍術の鍛錬から始めろってばよ」

「でましたっ!! てばよ。にほんじん、やっぱり言いますね」

「いや、普段はいわねぇけどな」

「ぼくにほん好きです。にほんごで喋れる。とても嬉しい。でも、そろそろ去ってください。その子、とても可愛い。きっと高く売れます。だから、みんな必死です」

「ってもなぁ」

「だいじょぶです。密入国のプロ、知り合いいます。この番号、出たら僕の名前伝えてください。きっと手伝ってくれます」

 そう言って黎煌は、一枚の紙切れを紫於の手に握り込ませた。

「いや、そうじゃなくてなぁ」

 密入国の心配は微塵もしていなかった。なぜなら、彼の同行者は赤神仁衛である。初代七極彩の赤である彼のEinsは空間の超越さえも可能としていた。

「ぼく、そろそろ行きます。勇気があるうちに、たくさんの人を助けたいです」

「東雲紫於ってのが俺の名だ……黎煌、いつか日本さ来い。で、俺を訪ねてこい。この子供(ガキ)と一緒に色んな所さ連れてってやんべ」

「はい。とても楽しみです」

 そして、黎煌は駆け出し、瞬く間に紫於の視界から姿を消した。

 この時、紫於は既に心の隅で黎煌との再会を諦めていたのかもしれない。

 自分よりも小柄で頼りのない背中を追えなかったのは、彼の覚悟を尊重したかったからなのか、或いは、紫於に寄り掛かったまま浅い呼吸を繰り返している少女の身を案じたからなのか。

 走馬灯に没入していた紫於にも、答えは思い出せなかった。


 過去と現実の景色が交錯する中、どうやら赤神つがなが硬直している模様であることが見て取れた。

 対峙するつがなと命琉の姿が霞み始めている。

 口を開けば、ごぽごぽと血が溢れ出し叫びを妨げた。

 Einsの安全装置を解く掛声「変身(チェンジ・オーバー)」ではなく、大切な人を案じる一言を……せめてもの一言が、今の紫於にはどうしたって言えなかった。

 どれぐらいの時が過ぎたのだろうか。

 

「東雲紫於。ずっと会いたかったよ」


 やがて、誰かが彼の名を呼んだ。



〈椚〉


「おいおい、こいつまじかよ。この俺、僕を煽るなんて命知らずにも程があるだろ。くそったれ、覚えとけよ……リアルで会ったら、ぜってーばらばらにしてやる」


 萩原(はぎわら)(くぬぎ)はネットゲームの対戦相手に怨言を吐いていた。

 彼はパソコンのディスプレイを鬼気迫る形相で睨んだまま、キーボードを叩く指に必要以上の力を込めている。

 カタカタと室内にこもる音。

「この恨み忘れねーぞ」

 聞いている方が惨めになるような負け犬の遠吠えに、近くで仰向けに寝っ転び漫画を読んでいたミニス・ヴァリア・レインも思わず口を開いた。

「ちょっとくぬぎー。そんな顔真っ赤なるんだったら、他のゲームやればいいじゃんかー。ってかさー、あたしに代わってよー」

「いやいや、ここでログアウトしたらさ、このネカマ野郎。ぜってー気持ち良くなるだろ? それだけは許せないぜ」

「たかがゲームじゃん」

「されどゲームってな」

「意味わかんないし」

「死んだ相手に座るって、モラルどうなってんだよ!!」

 怒鳴る椚。

「あんたにだけは言われたくないと思うよー」 

「ミニスちゃん。思い出したくない過去をほじくり返すのはどうかと思うぜ。俺、僕は真人間になったんだからさ」

「どーかしらねー」

 薄い茶髪に一房だけ混じり込んだ黒髪が特徴的な青年、萩原椚。

 鮮やかな金色の長髪を橙色のシュシュで束ねている女性、ミニス・ヴァリア・レイン。

 二人は、色外のメンバーがまとまって住まう山荘でぐうたらを満喫していた。

 ひっそりと静まり返った室内に、キーボードを叩く音と、ネットゲームのキャラクターが上がる情けない悲鳴とが飛び交っている。

 デニム生地のショーパンからすらりと伸びる真っ白い素足を宙にふわりふわりと交互に浮かせながら、自身が着てるTシャツにプリントされたキャラクターが活躍する少年漫画を読み耽っているミニスをちらりと一瞥する椚。

 萩原椚は、ミニスに心底惚れていた。

 彼女の言うことであれば、たとえそれが自らの生甲斐である殺人衝動を否定するものであっても彼は忠実に従う。  

 だから、たとえ彼女が……別の誰かに惚れていて、その誰かを追いかけて、色外などというくだらない組織に入ったとしても、表面上は一切の反発をみせなかった。


 夕藤(せきとう)(あかね)とは最後まで殺し合う関係だと思ってたんだけどなぁ。


 しかし、椚の予感と期待は裏切られた。

 彼は現在、夕藤茜とは、一緒に飯を食ったりするような間柄なのだ。

  

「ほんっと、わかんねぇもんだよな」

「なにがー?」

「いやさ、凍結した相手に火力のあるスキルぶつけようとしてんのに、遠距離から弓の糞スキル被せてくるスコア厨とか、まじ何の為に生きてんだろうって思ってよ」

「くぬぎだって最初はさー、遠距離から一方的に虐めるの楽しすぎ、ぶひーとか言ってたじゃん」

「俺、僕はぶひとは言わねぇよ。キャラ設定いじんないでくれよな」


「ご飯できたよ」


 椚とミニスを会話を遮るようにして、透明感ある声音が部屋に届いた。

「なこー。あかねはー?」

 ミニスに名前を呼ばれた式咲(しきざき)菜子(なこ)が、廊下から顔を覗かせる。

「茜君、一人で追い掛けていっちゃった」

「女の尻をか?」

「違うから。今朝ね、高炉さんから電話があったの。紫於さんがまた逃げ出したんだって。で、それを聞いた途端、俺も向かう……って」

 夕藤茜の声真似を挟みつつ、菜子はどこか不機嫌そうに唇を尖らせた。

「押切区まで?」

「うん」

「あいつ馬鹿だろ。押切区までどんだけ遠いと思ってんだよ」

「紫於さんのバイクがなくなってたから、たぶん、それで向かったんだと思う」

「無免か。っは、どっかで事故ってたりしてな」

「どうして止めなかったのさー」

 ミニスが漫画を脇に放って、上半身を起こす。

「私が止めたって無駄だよ」

 菜子は目を伏せて答えた。

「ならさぁ、俺、僕達も追い掛けようぜ」

 椚は数分前のやり取りを忘れたかのように、ネットゲームを強制終了させていた。

「どうやって?」

「それはほら、空飛ぶミニスちゃんの出番だろ」

「やだよー、あたし乗り物じゃないし」

「茜のやつが心配じゃねーの?」

「そりゃあ……やっぱ心配だけど」

「俺、僕はこれでも色外の皆を家族のように慕ってるんだぜ。こんなところでだらだらゲームしてる間にさぁ、誰か一人でも欠けちゃったら、死んでも死にきれねーよ」

 心にもないことを平然と口に出す椚。 

 そんな彼に対して、式咲菜子は真意を探るような鋭い視線を向けていた。

 椚は堪えることもなく、へらへらと表情を崩したまま言い放つ。


「俺、僕に任せな。家族は誰も死なせないぜ」


 萩原椚は、自分の手で殺した両親の顔など……とうの昔に忘れていた。


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