田吾作様
「田吾作様。面白れえもの見ましたぞな」
走って来た十二~十三歳の子供が、子供ながらに片膝をついて、ガキ大将然とした子供に言った。
田吾作と呼ばれたガキ大将は、幅三尺ほどの石に腰かけて、鼻くそをほじっている。前に五~六人の同じ年頃の子供たちが、田吾作を見上げるように、座り込んでいる。
「面白いか?」
大して関心もなさげに、田吾作はそう言った。呼ばれている名前とは似つかぬ風貌だ。
百姓の子なら、大抵は平べったい顔をして、正面から鼻の穴が見える。しかし、田吾作は面長で、鼻筋が通っている。
但し、それは、中身のことで、服装は片袖のちぎれた着物に半袴、腰には荒縄を巻いて、じゃらじゃらと訳の分からぬ物ばかりぶら下げている。田吾作と言う呼び名にふさわしいと言って良いかも知れない。
「坊主が女子を連れ込んで、ねちゃねちゃと、いっときほどもやっとりましたがな。そのまえには、般若湯も飲んどりました。」
走って来た子供は、ガキ大将が興味を示すことを期待して、目を輝かせている。
「うぬは、それをずっと覗いとったのか?ねぼギツネ」
田吾作はにやにやしながら、ねぼギツネの方にすこし顔を寄せた。
「それで、真ん中のもんが邪魔にならんとよう走ってこられたのぅ。ハッツハッツハ」
田吾作の笑いに合わせて、他の子供たちも笑った。
ねぼギツネはばつの悪そうな顔になりかけたが、急に膨れて、
「あん坊主は、大人達にいつも偉そうに説教しとるだけでなく、わしらにも”己を慎しまんと、立派な武士になれん”とか、よう能書き垂れとりますがな。」
とムキになって言う。
田吾作は笑って、
「坊主も、おでい(親父)も、お前の親父も、その辺の百姓も、男は皆同じじゃ。坊主はそう言う生業だから、偉そうな事言うとるだけじゃ。大人でも、坊主は偉いものと思うとる虚仮は、ようけい居るが、おんなじじゃ」と大人びたと言うか、ひねた言い方で言う。
「田吾作様!」
別のひとりが急に声を上げた。
「田吾作様が気い悪うすると思うて、言わんかったが、あの坊主。田吾作様の悪口言うとりました。」
田吾作の眉が一瞬ピクリと動いた。
「あばた!うぬはいつから俺の気持ちを斟酌するようになった!」
“あばた”は真っ青になり、まるで大人の侍が主人の怒りに触れた時のように這いつくばった。
「はっつ。申し訳ありません」
「気を悪くするかどうかは俺が決めることだ!言え!」
「は、はい……」と一瞬言いよどんだが、曖昧な態度と、もたつくことが、この主人のもっとも嫌うことだと思いだし、すぐ続けた。
「恐れながら、彼の坊主が申しまするには、吉法師君は身体壮健、肝太くあらせられ、織田様の跡継ぎとして、末頼もしく思われるが、惜しむらくは、礼と節とに欠けるところがおありになる。そう申しておりました。その後、“しまった”と思ったのか、“ここだけの話。決して他言は無用。吉法師君に期待をすればこそ出た言葉だから、他人に言うてはならぬ。誤解されると困ると、くどくどと申しておりました。それで、今の話を聞いていて腹が立ち、つい・・・」
「であるか。」
吉法師は暫く空を睨んでいた。やがて、
「あばただけでなく、皆心得よ。俺に伝えるべきことはすぐに伝えよ。伝えて良いかどうか考えるな。嘘や悪意を持って曲げたものでなければ、決してとがめはせん。但し、今後、伝えるべきことを伝えなかった者は、命を失うつもりでおれ。分かったか!」
十二~十三歳の子供とは言っても、当時としては数年のうちに元服する年頃だ。普段、主人の好みに合わせて、村の子供のような会話をしているのに、皆いっぱしの侍なみに「ははっつ」と平伏する。
「坊主というのはな、頭がおかしい。」
吉法師はもう、田吾作に戻っている。
「死にかけて、生き返った奴は大勢おるが、本当に死んで生き返った奴などおらんわ。もし、生き返ったと言う奴がおれば、大嘘つきか、熱に浮かされて夢を見とっただけに違いない。ところが坊主どもと来たら、どいつもこいつも、あの世を見て来たようなことを平気で言い、偉そうに講釈たれるくせに、やっとることと言ったら、さっき、”ねぼ”が見て来たような有様だ。大体、経は釈迦が書いたものではないと聞いた。弟子どもがああでもないこうでもないと、大して廻らん頭を使って、釈迦はこう言った、ああ言ったとそれぞれに書き残したものだそうだ。それで、恐ろしく量が多くなってしまった。その後どうなったかわかるか?」
吉法師は皆を見廻した。
反っ歯の子供が口を開いた。
「沢山の宗派ができました。」
「そうだ。もし、うぬらが、俺の死ぬまで、俺に仕えていたとせよ。それぞれが、俺がどう生きたか、何を言ったか、書き物を残したとする。あったことについては、いずれも大差無く書き残すであろうが、
俺がどう考えていたなど書いてみてもせん無いことじゃ。皆違うであろうし、本当に俺が思ったことを正しく書き残す者など、誰一人居らん。それを、こっちの経が正しいの、釈迦はそうは言っていないなどと何百年も繰り返して、大したことをやっているつもりでいる屑どもだ。俺のたれる般若湯でも飲ませてやるか。」
翌朝、城下はひとつの話題で持ちきりになった。
前夜、ある寺に押し込みが入ったらしく、住職が真っ裸で庭の木に縛られているのを、朝になって、掃除の爺が見つけたというのだ。
慌てて住職の縄を解いた爺は、住職が止める間もなく、大声でふれ回ってしまった。
しかし、妙なことに、押し込みとは言っても、何一つ取られた形跡がなく、賊の人数、人相、風体について役人が尋ねても、住職は曖昧な供述を繰り返すばかりで拉致が明かない。うやむやなまま時が過ぎてしまった。
掃除の爺が後で人に語った話では、住職の顔のあたりが、なにやら小便臭かったとか。
太田牛一の「信長公記」に寄れば、うつけと呼ばれた信長の奇行が始まったのは、十六~十七歳の頃で、十二~十三歳の頃は弓や乗馬を熱心にやっていたそうですし、勉強もちゃんとしていたようです。
ですから、この作品はまるっきりの嘘です。いわば信長を象徴的に子供にしただけです。