1―3
「は――ァ?」
唖然としてソウルは口をぽかんと開けたまま固まって――すぐにかっと怒りに頬を染めてマナの手を振り払った。
「ふ――ふざけるなッ! 俺はこの国の王族だぞ! それを、それを――!」
軽々しく扱われた――。
それはソウルが見ないようにしているコンプレックスをまともに刺激してくれた。
「貴様のようなロクに魔力も持たん小娘が契約しろだと! ふざけるなッ!」
「――っ」
びくとマナは身を震わせ、拳を硬く握って耐えるように唇を噛んだ。その表情はすぐにでも泣きだしてしまいそうで。
「お、おい?」
自分は悪くない。悪くないと思うのに、何故か悪い事をした気分になる。
「判ってるわよ……っ」
「っ?」
顔を上げてきっとソウルを睨んだマナの眼には、やはり僅かに涙が滲んでいた。しかしそれでも泣くまいとする意思が叫ぶ事で思いを散らそうとする。
「だから強い魔力を持った相手と契約しなきゃいけないのよ……ッ!」
「まさか、その為に魔界に侵入したのか? 自分の眼で見定める為に?」
「それもあるけど、私の魔力じゃ喚べる相手が限られるのよ。だから直接交渉しに来たの」
「ご苦労な事だ」
原則、魔界は人間を受け入れない。マナが落ち着いたのにほっとしつつ、しかしソウルは冷たく突き放すセリフを吐いた。
その熱意は買ってもいいが、だからと言って契約してやるつもりなど更々ない。
「駄目なの?」
「駄目だ」
「そこをなんとかっ!」
「くどい!」
どんなに言われようと御免である。何より。
「強ければ誰でもいいという態度が気に食わん!」
「うっ……」
尤もと言えば尤もなソウルの怒り。反論できずにマナは言葉に詰まった。
「さっさと帰れ。己に釣り合わん相手と契約する物好きなどいるものか」
「待って!」
「ぐぅえッ」
立ち去ろうとしたソウルの襟首を掴み引き止める。焦っているのか思い切り引っ張られたので本気で息が詰まった。魔力で肉体強化していない時の体の強度は、魔族であっても実は人間とそう変わらない。
本気の悲鳴にマナの方も慌てて手を離し、ソウルは地面に手を吐いてゲホゴホと咽た。
「なっ、何をするか貴様ァ!」
「ご、ごめん。焦ってたの。つい」
「ついで首を絞めるな可愛気のない! 袖とか裾とか、色々あるだろーが!」
「……君、乙女だね……?」
女性に求める挙動が、ソウルの方が余程乙女だ。マナの言葉にがんっ、と明らかにショックを受けた顔でソウルは仰け反った。
「な、なっ、何をッ! 女に女らしさを求めて何が悪いか! 俺はなぁっ、図々しい女は嫌いなのだッ!!」
ソウルの理想像は何年にもおけるルクエールのトラウマからともいえる。
「私もそれはそーだと思うけどそこまでわざとらしいのは要らないなー。ってか、出来ない。ソレ出来るの計算づくの子だと思うよ。むしろ可愛くないと思った方が良い」
「うううっ、うるさいッ!」
聞きたくないとばかりに言葉に噛みつくソウルにマナは肩を竦めて反論しなかった。
そのマナの態度は腹が立つ。腹は立つが――これ以上この論争をしたくなかった。
「と、とにかく! 貴様と話す事など何もない! さっさと帰れ!」
「契約するまで帰らないって決めて来たの!」
「だったら勝手にしろ!」
「だから契約して!」
振り払おうとするソウルの腕をしっかと掴み、ずるずる引き摺られながらもマナは手を離さなかった。
「他の奴を見繕えば良かろうが! 俺様程でなくともそれなりの魔力の持ち主ならゴロゴロしておるわ!」
「君が良い!」
「誰でもいいんだろうが!」
「誰でもいいけど君が良い!」
マナとて魔界に来る事に恐怖がなかった訳ではない。初めての遭遇であるソウルがそう話せない相手でもなかったのに、正直ほっとした。
「訳が判らんぞ貴様ッ!」
遠慮なくズルズルと引っ張っているのに、マナの手は離れない。中々の握力だ。
「――お前、何かやってるのか?」
いっそ感心してしまって、溜め息をついて立ち止まるとソウルはそうマナに訊ねた。
「うん。武術は一通り」
「ふぅん?」
少しばかり興味を持ってソウルはマナの肩を、腰を、足に触れ。
「何してんだァッ!」
ゴッ!
「っだァッ!」
当然と言えば当然だが、思いっきりマナに殴られた。
「何っ? 子供な容姿しててアンタ痴漢ッ?」
「誰が痴漢だァッ! つーか俺様は子供ではないゆうとろーがっ!」
「だったら確実に痴漢でしょーが! 勝手に腰やら足やら撫で回してきたら何を言おうと痴漢よ!」
マナが正しい。ソウルがマナの体を触ったのに性的な意味は無かったが、言われて気が付きぶんぶんと首を思い切り左右に振る。
「違っ、違うぞ! 単に体つきを見ただけだっ」
「紛う事なく変態のセリフよ!」
言い方が悪い。よりマナの軽蔑の視線は痛くなった。
「だから違うと言っとろーが! どの程度鍛えているのかを見ただけだっ!」
「あのねえ!」
そんな言い訳――と更に怒鳴ってやろうとしたが、しかし目の前のソウルはどうやら本気らしかった。
「それでも許可なく触りゃ殺されたって文句言えないわよ」
「殺っ……」
「当っ然でしょ」
そこまでかっ? と顔を引きつらせるソウルにマナはきっぱりと断言した。
「あんただって知らない奴に尻やら腰やら撫で回されたら嫌でしょうが」
「うっ……」
今まさにルクエールから己の意思と無関係に愛人にされそうになっているソウルとしても反論できなかった。
「で?」
「……で、って何だ」
「自分が悪い事をしたって自覚はあるのよね?」
にっこり、と笑ったマナの顔にうっと呻いてソウルは後ずさる。マナが何を求めているかは判る、判るが――
「おっ、俺様は謝らんぞ! ハインシュベルクの王子たるこの俺が人間ごときに謝ってたまるか!」
「じゃ、謝んなくていいから契約して」
「なっ! けっ、結局そこに戻るのかっ!」
「だってそれが目的だもの!」
マナの言葉にソウルはくらりと目眩がした気がした。こんな事になるならいっそ痴漢で通した方が良かったか――いや駄目だ。やはりそんなのは耐えられない。