第5話
新聞社に着いたのは午前11時を回った頃だった。雄多郎は編集局に入るのを躊躇した。大沢に対しての事だった。考えてみれば上の決定だろうし、あの話は確かに吉田京子の幻覚の線が強い。載せる方がどうかしているかもしれない。編集局の前に立ち止まっている雄多郎の背中を、誰かが思い切り叩いた。
「わぁー!」
驚いた雄多郎は思わず飛び上がってしまった。振り返るとそこには中条マリ子が笑い顔で立っていた。マリ子はフリーのカメラマンである。昨年から東都新聞に契約社員として入っている。歳は25歳。学生の頃から戦争の被災地などを回り写真を撮り歩いてきた。その写真が認められて東都新聞に引き抜かれたらしいが、夢は世界的な報道カメラマンになる事で、ここはどうも腰掛らしい。本来女性が行かないような危険な所に好んで出掛けて行く。顔は美人で、大人しくしていればどこかのご令嬢と言ってもおかしくない程の美女である。しかし、性格は危険を好むだけあってかなり男っぽい。それがこの世界で生き抜くには必要な事である。お陰で中では皆とうまくやっている。特にうだつの上がらない雄多郎とは日頃から親しくしている。雄多郎も、年下ではあるが姉御肌のマリ子には信頼を寄せ、アドバイスを受けたりもしている。どちらかというと、母性本能をくすぐるタイプの雄多郎はマリ子にとって年上の弟的存在なのかもしれない。
「雄多郎、なにやってんの!こんな所で。早く入りなよ。それにしても朝刊やったわね!良かったわ、あんたにしては上出来よ!」
「マリちゃん、あれはさぁ・・」
マリ子は雄多郎の前に手のひらを突き出して
「分かってるって、何も言わなくていいの。とりあえず今日は堂々としてなさいよ。」
マリ子はドアを開けて雄多郎を中へと押し入れた。ほとんどの局員は出払っているらしく数名しか残っていなかった。デスクの山路も今週は出張と聞いていた。雄多郎を見つけた大沢が
「おお早見、よくやったな。こっちへ来い」
雄多郎はサブのデスクまで行った。
「早見、今朝は悪かったな。上の命令だから仕方なかったんだ。スマン、スマン・・」
大沢は言葉では謝っているが、全く心がこもっていない。いつもの事である。大沢は心にも無く雄多郎を褒めた後、言った。
「早見、それでお前にお客さんだ。今、応接室に通してあるからな」
雄多郎は、そういえば今朝電話で言っていた大沢の言葉を思い出した。
「お客って、誰ですか?」
「実は、新井を探しているらしいんだ」
「新井をですか?」
「早見、お前悪いけど話を聞いてやってくれ」
「俺がですか?」
「お前、新井と同期だろうが」
「それはまぁ・・そうですけど」
なるほどそういう事か、大沢は雄多郎に厄介事を押し付けようとしているらしい。新井信彦27歳、雄多郎とは同期入社である。雄多郎と違い、入社以来社会部に籍を置いている。何事も雄多郎とは正反対で、行動力もあり性格も非常にアクティブな男である。スクープ最優先で、何を差し置いても仕事一筋、他人を受け入れず蹴落としてでもスクープをものにする。社にとっては、有能な男ではあるが人間としては好きになれない男である。入社以来、雄多郎には仕事の面で大きく差をつけている。東都新聞では有望な人物だが、大沢にしてみれば、命令を聞かずに単独行動を取り続ける異端児で、手を焼いている状態だ。何かネタを見つけると何日も連絡をよこさず局にも姿を現さない。すると、何日かして突然顔を出してスクープを持ってくる。大沢も気に入らないが何も言えない、といったところである。その新井がもう10日間も社に連絡をよこしていないのである。最低でも、1週間もすれば連絡をよこしていた奴がである。
そのうちに平気な顔をして出てくると言う声もあれば、もしかして何らかの犯罪に巻き込まれているのではないかという懸念もあり、そろそろ自宅を訪問して、最悪は警察に捜索願を出そうかどうかを思案していた所である。
「さっきからお前が来るのを待ってるぞ」
大沢はニヤけて言った。
「俺じゃないでしょう」
「俺も忙しいから頼むよ」
大沢はそう言いながら、すでに手元の書類に目を落としている。雄多郎は嫌な顔をして無言で応接室へ向かった。途中マリ子が自分のデスクから雄多郎に小さくガッツポーズを見せ、すぐ自分の仕事に戻った。応接室は入り口からすぐ左の場所にある。応接室のドアを軽くノックして開けると以外だった。ソファーには若い女性が一人腰掛けていた。雄多郎は自分の名を名乗り、新井とは同期である事を告げた。女性も立ち上がり挨拶をしてきた。
「柳田明日香と申します。新井さんの事でお話がありまして」
まだ歳は20歳ぐらいだろうか。小さな体つきで、目が大きく可愛い印象だが、不安を隠せずとても疲れているようだ。目の下に隈を作っている。
「どうぞ掛けてください」
二人は向かい合わせに座った。
「兄が8日前から行方不明なんです」
「あなたのお兄さんが?」
「兄はユニバーサルエナジー社に勤めております」
雄多郎は少し引っ掛かった。ユニバーサルエナジー社・・最近珍しく台頭してきた会社である。やっていることは、人間の潜在能力を開発し、使っていない潜在意識を引き出すという教材などを販売している。まだ設立されて3年と経っていない会社である。なぜかその教材は人気があり、全国でも多くの使用者がいると思われる。並み居る同業者を差し置いて、業績はかなりのものであるらしい。噂では政界や芸能界、更には警察関係者までもが使用しているという。一連の無差別暴行傷害事件の加害者が皆、能力開発に興味があり、色々な会社の教材を使用していた。その中に、ユニバーサルエナジー社の能力開発CDも含まれていたのだ。警察も各社の教材、テープ、CD等にチェックを入れているはずであるが、これといって何ら確証は得ていないと考えられる。
「8日前ですか?8日間も連絡をしてこないなんて事は無いわけですね」
「ええ、その通りなんです」
明日香は雄太郎の言葉を聞いて、少し明るくなった。たぶん警察にも相談したが、相手にしてくれなかったのだろう。
「警察にはこのことを?」
「はい。簡単な調書を取られただけでその内帰るでしょう、って・・」
やはりそうだ。警察は事件が起こらなければ動かない。
「お兄さんと新井はどういう関係なんですか?」
「同じ大学の同期生なんです。これを見てください」
明日香はバッグから携帯電話を取り出し、リダイアルのボタンを入れ、雄多郎に渡した。リダイアルの欄には、10月2日・新井信彦・PM9時と、PM9時30分の2回入っていた。又、リダイアルや着信履歴には過去に何回も新井の名前が出ていた。
「これ、兄が忘れていった携帯なんです。8日前の10月2日に新井さんに電話をかけた後行方が分からなくなっているんです」
「お兄さん、お名前は?」
「柳田広二、歳は27歳です。大学を卒業して故郷の熊本に戻り、ユニバーサルエナジー九州研究所の技術部に入社しました」
そういえば、ユニバーサルエナジーの研究所が熊本の阿蘇にあると聞いたことがある。熊本県の阿蘇は雄多郎の出身地でもあった。
「それじゃ、柳田さんは熊本出身なんですか?」
「そうです。私も兄も熊本出身です。私は今東京の大学に通うため、こっちに来ているんです。私に黙っていなくなるなんて、考えられません」
「ユニバーサルエナジーに連絡は取ってみたんですか?」
「はい、そしたらずっと出社していないと言われました」
明日香は涙ぐんで言った。確かに新井と会っていた節があると考えられる。連絡を取り合っていた二人が、一緒にいなくなっている。明日香が涙を溜めているので、雄多郎はいたたまれなくなった。
「大丈夫ですよ。今から新井のマンションに行ってみましょう。案外居るかもしれませんよ、二人して・・」
二人で新井のマンションにいるなんて事は考えられなかったが、明日香への慰めのつもりで言ってみた。
「明日香さん、大学では何を専攻しているんですか?」
「保育の方を・・私、子供が好きなので将来保母さんになりたいんです」
「へぇー、やっぱり、そう思った。ピッタリですよ」
明日香は笑顔を見せて先ほどより少し元気になった。雄多郎は思った。吉田京子とは違う芯のある子だと。
「僕も熊本の阿蘇出身なんですよ」
「えーそうなんですか。私たちは市内です」
「ご両親は?」
「市内の自宅におります。兄の事をとても心配しています」
「そうでしょうね」
「早見さんのご両親は?」
「もう早くに亡くなりました」
「すいません、余計な事聞いちゃって」
「いいんですよ、気にしないで。でも最近忙しくて全然帰ってないなぁ・・」
明日香は両親の事を思い出してか、また不安な表情になってきている。とにかく行動するしかない。
「それじゃ明日香さん、今から新井の所へ行ってみましょう」
「はい!」
明日香は涙を拭った。




