第32話
長塚は暗い階段を銃と携行ライトを構えて上っていた。中野刑事の事に責任を感じていた。これ以上の犠牲者を出したくないが為に、仲間の刑事を1階フロアに残し一人で2階へと上って行く。2階の通路入口のドアをそっと開けた。「カチャリ」と音がしてドアが開いた。2階通路は深として静まり返っていたが、冷たい空気に混じって異臭が漂っている。長塚は後ろ手にドアを閉めてから2階通路に入った。入ってすぐに獣の呻き声を遠くに聞いて長塚の心臓は早く打ち始めた。携行ライトの先を通路の奥に向けた時、通路の奥にうずくまる何者かの影を確認した。呻き声もそこから発せられ、長塚は明らかに獣人であると確信した。獣の雄叫びが通路に響き渡った時、獣人が立ち上がったのが見えた。長塚には遠いが赤く光る眼光だけは十分にわかった。長塚は銃を携行ライトと平行させて構えた。再度の雄叫びを上げた後、獣人は四つん這いになり長塚めがけて突進して来た。引き金を引いた。銃から発火する火花が通路を青く照らし出す。立て続けに引き金を引いたが、獣人は左右に蛇行しながら進み、巧みに弾丸をかわし長塚が全弾を撃ち尽くすのにたいした時間は掛からなかった。標的は人間大の大きさなのに、あまりにも動きが素早かった。長塚は弾がきれた事にも気付かずに空撃ちを続けていた。もう打つ手はなく、2メートル前方に獣人は達してから宙を舞った。長塚の喉笛に食らいつく為に。長塚は目を閉じた。
「ドン!」という音がすぐ隣でしてから、獣人がもんどりうって倒れこむのがライトの明かりの中に映る。獣人は腹から煙を噴き出し、焦げた臭いが通路に流れた。長塚はライトを音の方向に向けて「ギョッ」とした。ライトに照らされたゼロは長塚のすぐ隣で棒の銃を構えていた。
「あ、あんたは・・・・」
「あの豹は元は人間でした・・・見てください、ズボンを履いている。しかし、もう人間には戻れない・・・哀れな豹人間です」
豹人間は痙攣を繰り返してから動かなくなった。長塚はゼロの頭からつま先までライトで照らした。驚きの表情を隠せずに口をパクパクさせた。
「あんた、いつのまに・・・は、早見の言っていた仮面の男か?」
「長塚警部。一人でこんな所にいては危ないですよ」
「俺の名前をなんで知っている?」
「あっ、そうか。いえ、早見、早見さんに聞きました。それより警部、僕は今急いでるんです。3階に行きます。警部は下で待っていてください。危険ですから」
「ふざけないでくれ。これは警察の仕事だ。あんたは一体何者なんだ?」
ゼロはこれ以上の議論は時間の無駄に思えた。こうしている間にもケイの曲が全世界に配信されてしまう。そうなればもう手の打ちようがなくなるのだ。ゼロは長塚を無視して後ろの階段に通じる階段を開けて出た。
「おい、ちょっと待ってくれ、話はまだ済んじゃいねえぞ」
長塚も慌ててドアを出てゼロの後を追った。ゼロは一気に3階のドアを開け通路に入った。2階とは異なり蛍光灯の明かりがこうこうと通路を照らしている。ゼロは数日前の事を思い出した。カガミと命からがら逃げ出した場所。カガミがいなければ今頃どうなっていたか、思い出して「ゾッ」とした。そして奴の顔も思い出し怒りに震えた。右の営業課を横目で見やり、広報の部屋へ急いだ。長塚が3階通路に出て来てゼロの後を追って来ている。ゼロは広報課の前で立ち止まり、大きく息を一つ吐いてから片足で力一杯にドアを蹴り破った。ドアの蝶番がはずれてドアが内側に大きな音をたてて吹っ飛んだ。二人の社員が目を丸くして驚いてデスクから立ち上がり妙な奇声を上げてゼロに襲い掛かった。ゼロは数日前に自分を二人掛かりで押さえ付け、獣人に変えようとした二人にお返しとばかりに反撃した。もはやゼロとなった雄多郎の相手ではなく、一人の腹に思いっきり棒をジャストミートさせた。社員は後ろの壁に吹っ飛んで崩れ落ちた。もう片方の社員は鼻に大きなバンソウ膏をしていたが、ゼロはその鼻目掛けて棒を刀の様に袈裟にはらった。「バキッ!」という音と「ギャア!」という悲鳴が重なり床に倒れて鼻を押さえてもがいた。操られている人間にやりすぎかとも思ったが怒りは押さえられなかった。
「大丈夫だよ。電気はいれてない」
長塚が息を切らして部屋に入って来て、倒れている二人の男を見てから。
「何だ、これは・・・?」
「警部、逮捕してください。急いで」
「ああ、わかった」
ゼロは奥の部屋へ進んだ。そしてもう一度ドアを蹴り破った。向かい合った応接セットのソファの上に無惨にドアは倒れ落ちた。正面の大きなデスクに安河内は座っていた。目の前にノートパソコンを開き、相変わらず銀縁メガネの奥から蛇の様な鋭い眼光を放ち、ゼロを見るなり安河内は言った。
「動くんじゃない。それ以上動けば、すぐに配信する」
安河内の右手はパソコンの横のマウスにあった。人差し指はマウスのクリックボタンに掛かってる。
「私の指一本に全世界の運命が掛かっているのだ。この私に触れる事はゆるさない。武器を捨てろ!」
ゼロはしばらく動かなかったが、棒を床に放り投げた。
「安河内、もう終わったんだよ。あんた達は操られてたんだ。あんたももう少しすれば全てを忘れる。操っていた者はもうこの世にはいないんだ、無駄な事はやめよう」
「そんな事はどうでもいい。私が世界を変えるのだ。このくされきった世界を最高の楽園に変えてやる。お前もこの私の奴隷にしてやろう、はっはっはっはっはっ!」
「操られているのか、本当に狂っているのかよくわからんなぁ・・・」
「いざ、新世界へ」
クリックボタンに掛かる安河内の指に力が入った。その時ゼロの全神経は安河内の人差し指に向いていた。安河内の指は固まっていた。いくら押そうとしても動かず指は震え、額から大粒の汗が流れ出した。そのうち指は震えながらボタンからじょじょに遠ざかっていく。指は逆方向に反り始めた。人差し指は天井を向いている。震える指をしばらく見つめてから安河内はあまりの激痛に顔を歪ませて指を掴んでから立ち上がった。痛みに暴れだし周りの本棚に何度もぶつかり、本やCDを床にぶちまけていく。指は不自然は方向に反り返り、段々と手の甲に近づいていく。「ギヤァァァァァァァァー!」安河内の高音の叫び声が部屋中に響いた。そして「ボキッ」と、鈍い音がして安河内の人差し指と手の甲は完全に平行にくっついた。安河内は白目になり口から泡を吹いてから大の字にぶっ倒れた。完全に失神していた。ゼロは棒を拾い上げた。
「今の俺なら、これくらいの事はできるよ」
長塚がトランシーバーで応援を呼びながら入ってきて倒れている安河内を見た。
「警部。お願いがあります。これから言う事を約束してほしいのです」
「何だ?約束って」
「男と男の約束です」
「あんた、言う事が早見そっくりだな」
ゼロは少し「ギョッ」として長塚を見た。長塚は怪訝な顔つきでゼロを見ていたが、長塚の勘は鋭い。長い会話はボロを出してしまいそうでやばい気がした。
「警部。お願いします」
「わかった。できる事はやる。言ってくれ」
「ここにあるパソコンやCD、書類等をいっさいがっさい、どこにも流出しない様に警部の責任で処分していただきたいのです。特に宇津木ケイという歌手の歌が入ったサンプルCD、これはマスコミ各社にも送られています。草の根をわけてもすぐに全て回収して下さい。特に危険な物です」
長塚はだまって聞いてから言った。
「と、言われてもこれは大事な証拠物件、俺一人の一存で処分するわけにも・・・」
「警部、あなたも獣人を見ましたよね。そのCDを聴く事によってあのような姿に変化するのです。変化した後は我々にはどうする事もできない。殺すしか方法はないのです」
長塚はその言葉で中野刑事を思った。中野刑事に噛み付かれた機動隊員。獣人になった中野刑事。長塚に撃たれる中野刑事。中野刑事と一緒に捜査をしていたころを思い出していた。長塚は腹を決めたが如く言った。
「わかった。俺にまかせてくれ。俺が何とかする。俺の命に代えてもな。もうこんな事は終わらせなきゃなんねんだなぁ」
長塚は目に涙を浮かべながら言った。
「警部。くれぐれもよろしくお願いします。それから、警部もご存知でしょうが、巷にはすでに獣人が数匹動いているはずです。それらは多分にマスコミ関係者でしよう。宇津木ケイの新曲のサンプルCDを聴いた者達です。急いで手を打って下さい。ほっておけば市民が危険な目に遭います。くれぐれも捕獲ではなく、抹殺しなければなりません。重装備で対応して下さい。私もできる限りの事はやります。悲しい事ですが、先程も言ったとおり残念ながら人間に戻る事はできません。心も人間のものではありませんから・・・本当に悲しい事です・・・」
二人はしばらく黙り込んだが、長塚が先に口を開いた。
「それだけかい・・・」
「ええ、私が言いたいのはそれだけです」
「だったら今度はこっちがたっぷり、あんたの話を聞かせてもらおうか。社長の響木はどこだ」
「奴なら熊本ですよ。でも・・・何も憶えちゃいないでしょう」
「何だと。どういうことだ」
数人の声が長塚を呼んで通路に足を響かせた。仲間の刑事が上がって来たのだ。長塚は通路に向って大声で叫んだ。
「おーい!こっちだ!」
長塚が向き直った時、ゼロの姿はすでになかった。




