第29話
雄多郎はその場所にはいなかった。それは夢と現実との区別がつかない空間、夕暮れのせまる茜色に染まる光景の中に雄多郎は一人たたずんでいた。遠くでカラスの鳴き声が今日という日に終わりを告げているかの様に響き渡る。雄多郎に見える景色はどこか懐かしく、そして暖かな感じがした。夕暮れに染まる山々がたくさんの影を作り出し、その美しい光景に雄多郎はしばし見とれていた。突然耳元で子供達の声が届き振り返った。公園だった。雄多郎は公園の入口に立っていた。数人の子供達が、砂場やすべり台、鉄棒やジャングルジムで楽しそうに遊んでいる。もうすでに陽は落ちかけているにもかかわらず子供達は時間をわすれたかの様に元気に遊んでいる。そのうち雄多郎とは反対の入口から子供達を呼ぶ母親の声が聞こえてきた。数人の母親の声がそれぞれに子供達を呼んでいる。夕食の時間が来たのだ。子供達は皆、遊ぶのを止めて一目散に母親の声がする方向へ掛け出して行った。騒がしかった公園に静寂が訪れた。陽は西へ大きく傾きかけ、雄多郎の足元に二つの長い影が、いつの間にか陽に照らされ映し出された。その影は人気の無くなった公園の砂場から伸びていた。てっきり全員が家へ帰ったと思っていたが、砂場にはまだ二人の子供が砂で山を作り遊んでいた。雄多郎は憑かれたかの様に二人の子供に向って歩き出した。子供達は沈む夕陽を背にしているので顔に影が掛かってよく見る事ができない。雄多郎は二人の影にそって歩き、砂場を囲む木でできた枠まで来て足を止めた。なぜ今ここにいるのかわからない、先程までどこにいたのかさえ雄多郎にはわからなかった。二人の子供は無言のまま砂で山を作り続けている。
「君達もう遅いよ。まだ帰らないのかい?」
雄多郎はやさしく語り掛けた。声に反応して一人の子供が顔を上げた時、その顔を見て雄多郎は驚いた。汚れてすすけているその顔を見間違う事などなかった。その瞳はまだ汚れを知らず、これから先に起こるであろう未来の出来事に何一つの不安も感じていない、幼き日の自分自身であることに疑い様はなかった。雄多郎は驚いたまま幼き日の自分と向き合っていたが、耳元で一際高くカラスの群れの鳴き声を聞いた時、すでにそこにはいなかった。雄多郎の体、いや心なのか、場面は強い夏の日差しが照りつける午後の神社の境内だった。日差しの強さに思わず手の平を目蓋の上にかざした。体に猛暑を感じ、暑さに全身から汗が吹き出し、夢とは思えない現実の感覚にとらわれた。セミの鳴き声が境内を包む様に激しく響き渡り、雄多郎の目の前にまたも突然何かが浮かび上がる。子供達が数人で輪を作りぐるぐると回っている。手には竹の棒やゴムのパチンコ、それぞれが何かを持って回っている。一番体の大きな子が竹の棒を振り回しながら何か叫んでいるが、雄多郎にはセミの鳴き声しか聞こえない。輪の中には一人の女の子がしゃがんだまま両手で顔を覆っている。女の子は肩を震わせて泣いていた。子供達は女の子の周りを回り続ける。雄多郎はこの光景に見覚えがあった。自分の子供の頃の光景に間違いなかった。なぜ今、自分が昔の出来事を見ているのか、理解できなかった。女の子はいじめられているのだ。女の子を助けようと思い足を踏み出そうとしたが体は動かない、まるで金縛りに掛かった様に。雄多郎はこの後の展開を思い出した。境内に至る石段を大きな汗の粒を滴らせながら一人の男の子が登ってきた。境内に全力で走って来てから、輪の中に入り女の子を庇った。輪はみだれ、体の一番大きな子が何かを叫んで竹の棒で助けに入った男の子の背中を強く打った。助けに来た男の子を見て雄太郎はかすかに呟いた。
「俺だ・・・。やっぱり俺だ・・・」
子供の雄多郎は体の大きな少年に向かって行ったが、強烈なカウンターを食らってぶっ倒れてしまった。それからは無防備なまま、子供達に蹴られ続けた。近距離からゴムパチンコで額に石を打ち込まれ出血した。女の子は泣き叫び、雄多郎の額の血を見た子供達は怖くなったのか散り散りに姿を消し、皆いなくなった。女の子はしばらく泣いていたが、血だらけの雄多郎が笑顔を見せたので泣き止み二人は笑いあった。勝てもしないのによく立ち向かって行ったものだと、自分ながらに微笑んだ。そして女の子は忘れもしない、ユウカだった。ユウカがポケットから飴玉を二個取り出して一つを雄多郎に差し出し二人で仲良く食べた。額の傷はたいした事はなく、二人は立ち上がり石段を降りて行った。残ったままの雄多郎はこれが夢であると確信していたが、今だに感じる暑さ、現実の様なこの夢はいつ覚めるのかわからなかった。列車の大きな警笛を近くで耳にした時、雄多郎は夢から覚めたと思ったがそうではなかった。そこにいるのは自分自身、だが今の自分ではない、子供の頃の自分自身になっていた。今日はユウカが父親の転勤でどこか知らない町に転校していく日である。朝から雄多郎は列車の良く見える丘の上にいた。ユウカが乗る列車の時間は昨日会った時に聞いていてわかっていた。雄多郎はユウカの事が本当に好きだった。ユウカがいなくなる事は、雄多郎に取ってこの世界が意味の無いものに感じて悲しかった。悲しくて死にそうだった。悲しくて仕方なかった。悲しくても子供の自分にはどうする事もできず大人の事情を怨んだ。今日はユウカがいなくなる日、昨夜はほとんど寝られずにいて早朝からこの場所で待っていた。定刻に発車した列車は時間通りに雄多郎の待つ丘にさしかかる。昨日のユウカの言葉を思い出していた。二人は泣きながら手を取り合った。
「雄ちゃん、ユウカの事忘れないでね。ユウカ大きくなったら雄ちゃんのお嫁さんになる。だから、ユウカの事忘れないで」
「うん。絶対忘れないよ。約束する。また会えるよユウちゃん。僕ユウちゃんの事、大好きだから!」
列車は丘に近づき、雄多郎とユウカを一瞬会わせた。手を振るユウカを見つけた。ユウカはよそゆきの白いワンピースを着ている。雄多郎にはまるで天使が天に帰って行く様に思えた。雄多郎は手を振りながら列車と一緒に駆け出した。涙が止めどもなく溢れ出し、途中何度も転び続けた。
「ユウちゃぁぁぁぁん!何で行っちゃうんだよぉぉぉぉー。待ってよぉぉぉぉー。行かないでぇぇぇぇー!」
ユウカを乗せた列車はユウカと共に消え去った。泥と涙でぐちゃぐちゃの雄多郎はその場に座り込んで泣き続けた。悲しみが全身を支配し、その場を動く事を拒否し続けていた。段々と落ち着きを取り戻し、雄多郎は今の自分、大人の自分に戻っていた。顔も服も汚れてはいないが雄多郎は泣いていた。あの日の記憶、ユウカとの思い出は雄多郎が心に鍵を掛けた、悲しいけど大切な記憶だった。それが今、せきを切った様に溢れ出していた。
「なぜだ・・・なぜ、こんな物を見せる。なぜ、こんな事をするんだ・・・誰か、誰かぁぁぁぁー、教えてくれぇぇぇぇぇ!」
雄多郎はいつか泣き叫んでいた。冷静な感情は今は何処にもなく、あの日と同じ、陽は傾き空は茜色に染まりつつあった。雄多郎は涙を流し嗚咽する自分のすぐ隣に小さな人影がある事に初めて気がついた。いつからそこにいたのかわからなかったが雄多郎は人影を見てから驚いて立ち上がった。
「ユウちゃん・・・?ユウカ・・?」
隣にいたのはユウカだった。意味がわからず声にならなかったが、少女は雄多郎に優しく語り掛けた。
「それはね、雄ちゃん。私も同じ気持ちだったから。私も雄ちゃんの事、本当に大好きだったよ・・・・」
沈む夕陽が白いワンピースを着た少女のユウカを照らし出す。それからユウカは少しづつ変り始めた。顔や体が一瞬に、そして一気に。雄多郎は唖然としてそれを見ていた。ユウカの身長は伸び、髪の毛も伸びていく。可愛らしいその顔は美しく変っていく。目元口元に面影を残し、腕も足もしなやかに伸び大人の形を作っていく。その美しい顔立ち。ユウカは宇津木ケイになった。




