第16話
ユニバーサルエナジーの研究所は白川水源を基点にして山を登った人里を離れた場所にあり高い森林に囲まれ目立たなかった。廻りに民家は一軒もなく陸の孤島の様で携帯は圏外になった。入り口に研究所の看板が掛かっている。研究所へ向かう道は両側が緑の木々に囲まれ、観光でくれば森林の空気を体中に満喫できそうな素敵な場所であると雄多郎は思ったが本当にさびしい所であり、連絡の取り様の無い場所、ますます不安をつのらせるばかりだった。入り口から50メートル坂を登った所に駐車場があった。20台以上の車が駐車されており、ナンバープレートには九州各県のナンバーが多い、中には関東の物もあった。雄多郎は車を駐車場に停めて装備を確認した、バックには小型カメラを仕込んである、人目見ただけではカメラが仕込んであるとは思われなかった。ジャケットの胸ポケットには超小型のボイスレコーダーを仕込んだ。最新式の物で胸ポケットに入れていても服のすれる音は採らずに録音できる優れ物である。雄多郎はここで起きる事を全て記録しておきたかった、長塚が言う証拠がいるのであればできるだけ記録しておきたかったのだ。しかし、あちら側もバカではない、こんな事を簡単に許すとも思っていなかった。ただ記録できればめっけものである、雄多郎は最期に自分に言い聞かせた。
(大丈夫だ、必ず帰る、マリ子に会いに帰る。)根拠は無かったがそう思わなければ車を降りれそうに無かったからだ。駐車場の左側に研究所の建物はあり、森に囲まれた閉鎖空間だった。一見すれば病院のような建物である。3階建てでかなり大きな印象を受ける、コンクリート白が建物の新しさを感じさせた。車を降りようとしてドアを開けたが、雄多郎は思い出してドアを閉めた。昨日の今日であるまさか安河内が来ているのではないか、そこの所が不安であった。入り口で安河内に待ち伏せされ、はい、それまで、では何をしにここまで来たのかわからなくなってしまう。しかし、打つ手は無い後は神にでも祈るしかないのだ、安河内が来ていない事を祈るしかない。
雄多郎は後部席のバックから帽子を取り出し深くかぶった、メジャーリーグチームのキャップである、それからサングラスを掛けた。車のルームミラーに写る自分はいかにも怪しかった、まるで犯罪者の様である。逆に不審者と思われ中に入れてもらえないのではないか、だが、雄多郎はやるだけやってみるしかないと腹を決めた。当たって砕けろである。
車を降りた雄多郎はできるだけ平常を装って入り口へ向かった。内心、心臓は強く打ち続けていた。2段の階段を昇り、入り口の前まで来た、扉は観音開きで、すりガラスである為、中の様子はわからない。雄多郎は思い切って扉を引いた。扉は音をたてずに軽く開いた。雄多郎の目に映ったのは幅3メートル程の通路、5メートル程先にカウンターが一つ、その中に白衣を着た一人の男の姿が見える。雄多郎は昨日のユニバーサルエナジー本社を思い出した。何だか作りが似ている様な気がして、冷たく、光をわざと遠ざけた様で、白衣の男の頭上のみ蛍光灯が付いている。雄多郎のいる入り口には外の光が入るのみで、扉を閉めればすりガラスは外の光をさえぎり雄多郎の足元を薄暗くした。このまま180度体を反転して帰りたいと心底思ったが、足は気持ちとは裏腹に男のいるカウンターに向けて進んでくれている。遠目に見える男は昨日本社では見ていない顔である。それだけでも雄多郎は少し気持ちが落ち着いてきた。白衣の男に少しづつ近ずいて行く。
白衣の男は髪を七三にわけ黒渕メガネを付けいかにも学者風で、歳は30過ぎであろうか、雄多郎が男の前に来た時、男は表情を変えずに言った。
「セミナー受講者の方ですか?」
雄多郎は震える声で返事を返した。
「それではこちらにお名前と住所、電話番号を記入して下さい」
カウンターテーブルの上には一枚のカードがあり記入欄があった、予め考えていたデタラメを記入した。ペンを持つ手が震えてうまく書く事ができない、不信に思われるのではないか、雄多郎の体全身から汗が吹き出た。
「それでは、左奥の突き当たりがセミナールームとなっています、左に真っ直ぐお進みください」
雄多郎は少し拍子抜けした、予め受付で聞かれる事を予想してきていたのだった。誰の紹介なのか、何回目の受講なのか、等聞かれた時に慌てない様に準備していたのだが、全て無駄だった。そんな事を聞く必要が無いくらいユニバーサルエナジーは余裕なのか、手持ちのバックさえノーパスだった、ここに入った者は二度と出る事が無いのでいろいろと知る必要も無いのだろうか、雄多郎は又も不安に押しつぶされそうになりながら通路をセミナールームに向かった。通路の突き当たりにセミナールームと書かれたプレートが扉の上に付いた部屋がある。通路の左側に一つだけ部屋があるのを確認したがドアの上には何も書かれていなかった。雄多郎はセミナールームの前にたった。鉄のドアが一つ、ドアノブを廻して扉を押した、「カチャリ」と音をたて扉が開いた。そこに広がった光景は何の変哲もないセミナー会場で、入り口の扉はちょうどセミナールームの真後ろにあり、真正面にステージがある。ステージ中央に演台、その後ろにはスライド式のボードがあり、ホワイトボードになったり、映写機のスクリーンになったり、どこの会議場等でも良く見かけるものである。そこを中心に二人掛けのテーブルが三台づつ10列に渡って続き約六0人分の席が、すでに過半数は埋まっていた。
見た目、貸し会議室によくある中会議室と言った所に男女がセミナーの始まりを待っているといった、どこにでもありそうな光景であった。一つ違う所は、全部のテーブルの上にヘッドホンが置かれている、コードレスのヘッドホンである。雄多郎は昨日の事を思い出して身震いした、あの中から流れる異様な金属音を聞き、気が遠くなりそうになったのだ
、カガミが助けてくれなければ自分も獣人になっていたのかも知れない、思い出すだけで体が震えずにはいられなかつた。雄多郎は思った。カガミはどうしているのかと、そして感じた、カガミはこの近くに必ずいると。
二度も雄多郎の命を救ったカガミが、何者かはわからないがユニバーサルエナジーに敵対する者であり、我々人類にとっては救世主の様に思えた。そしてカガミの言った「フェイズⅡ」と言う言葉の意味を知るまでは雄多郎は絶対に死ねないと思った。カガミが仲間であると思い込む事によって、雄多郎は少し気持ちが楽になり、少しだけ余裕を持って辺りを見渡した。参加者の顔ぶれは男7女3の割合で、年齢はさまざま、特に20代30代が多い中には50は過ぎていると思われる中高年の男性も混ざっていた。雄多郎は安河内の言葉を思い出していた。
(人は皆いつも変りたいと思っている、今の自分自身を変えたいと思っているのです。だから自己啓発に励むのです。しかし、人は簡単には変らない、セミナーに参加して自分は変ったと思い込んでいるだけなのです。時が過ぎればまた悩み苦しむ、同じ事の繰り返しなのです。人は皆愚かだ、しかし、我々ユニバーサルエナジーは違う、正に本物です。正しく自分以外の者に変えてくれるのです)
雄多郎は安河内の言葉を思い出して吐き気をもようした。
(確かに人類が優れているとは思わない、人間は色々だ、向上したい者もいるし、小さな幸せを噛み締めている者もいる、夢を持っている者もいる。だから皆向上したいのだと思う。その夢を奪う権利は誰も持ってはいない、人の人生を強制する事はできないのだ。
それを力を持った一部の者が支配する等、絶対に許す事はできない)
雄多郎は少し驚いていた、自分の正義感は何処から来ているのだろうか、自分自身ここまでやるとは思わなかったのが本音だった。昔から人一倍正義感は強かったが、自分の命を落とす危険性がある事にここまで行動するとは思いもしなかった。本来自分の性格はどちらかと言えば嫌な事には首を突っ込まない性格なのだ。逃げ腰と言ってもいい、自分自身を再発見した様なそんな雄多郎だった。参加者は全体的に間隔を空けて座っていた。
雄多郎はできるだけ目立たたない場所に座ることにした。自分の席を確保してバックをテーブルの上に置き、廻りの状況を観察しようとして振り返った雄多郎は「ギョッ!」として椅子からすべり落ちそうになった。すぐに席を離れて、二つ後ろのテーブルに向かい、静かに座り雄多郎は慌てる自分を押さえながら小声で話し掛けた。
「明日香さん、何してるんだこんな所で!」
声を掛けられた明日香もキャップとサングラスをしていたが、雄多郎はそれが明日香である事はすぐにわかった。キャップとサングラスの雄多郎に声を掛けられた明日香は最初誰だかわからず返事をしなかったのだが、サングラスをはずした雄多郎を見るなり驚いて言った。
「早見さん!」
その声は以外に会場に響き、参加者の視線を集めてしまった。
「しっ!声が大きい」
雄多郎は自分の口元に指を立てて小声でいった。同じ様な格好の二人が並んで座っているとまるで怪しいコメディアンの様で滑稽に写った。雄多郎は小声で話し続けた。
「どうしたの、こんな所に、家に帰ったんでしょう」
明日香も小声で答えた。
「はい、帰るには帰りましたけど・・・・どうしてもじっとしていられなくて、兄の手帳に今日がここのセミナーと書いてあったものですから、何か手掛かりが掴めるのではないかと思いまして・・・」
明日香は雄多郎に対してバツが悪そうに頬を紅くして下を向いた。雄多郎はその明日香の仕草を見て愛しく思った。優しいしい娘なのだろう、帰らぬ兄に対して心配でたまらず、いてもたってもいられないのであろう、と思い雄多郎は愛しくなった。だが、ここが危険であることに間違いはなかった。
「明日香さん、ここは危ないんだ、すぐに帰った方がいい、後は僕にまかせてくれ」
明日香は下を向いていたが、雄多郎に向き直って言った。
「嫌です」「明日香さん!」
「早見さんの事信じてます、でももう待つのは嫌なんです、いつ帰るかわからず待つのはもう嫌です、私も知りたい、ここに何があるのか、兄は何に巻き込まれているのか、私自身のこの目と耳で確認したいんです」
「気持ちはわかるよ、でもここは本当に危険なんだよ、何が起こるかわからない、はっきり言って君の命の保証はできないんだよ、たのむから帰ってくれ」
「嫌です、早見さん私の事はご心配なく、自分の命は自分で守りますから!」
明日香の言葉は強かった。ここで雄多郎が見て来た事を説明するにはあまりに時間がなさすぎる、信じるにも時間が掛かるであろう。
力づくでも外に出そうとして腰を浮かしかけたが、雄多郎考え直した。先程よりセミナー受講者の数が増えている、ほとんどの席が埋まり掛けていた。ここでの騒動はあまりにも目立ち過ぎる、明日香は大声を出して抵抗するかもしれない、せっかく中には入れたのにここで自分が逆に外に出されたのでは、ここまで来た意味がなくなってしまう。
「明日香さん、もう一度言う、帰れ」
「嫌です、帰りません!」「帰れ!」
「嫌です!」「帰れ!」「嫌です!」
雄多郎は黙り込んだ。明日香が優しさだけではなく、強い芯のある娘であると思った。
そろそろこのひそひそ話も限界である、周りが静かな分だけ目立ってしまう、サングラス越しに二人は睨み合っていたが雄多郎が先に折れた。
「本当に君も頑固だなぁ・・・」
雄多郎は笑顔に変えて言った。
「わかったよ、君には負けたよ」
怖い顔の明日香も笑顔に変えた。
「すいません、早見さんのお気持ち本当にうれしいです。でもこれだけは許して下さい。
私、兄の事が心配で、とても心配で・・・」
明日香は今度は涙ぐんでしまった。
「明日香さんこれだけは聞いてくれ、僕の側を絶対に離れちゃだめだよ、わかったかい、ずっと僕の側にいるんだよ、いいね!」
明日香黙って頷いた。これから起こる事は想像もできない、はたして明日香を連れて帰る事ができるだろうか、雄多郎は憂鬱な気持ちになった。ただ逆に一人ではなく、仲間が増えた気にもなり、恐怖よりも明日香を無事に帰すと言う使命感が、少し恐怖に打ち勝ってくれそうである。これから明日香が目にする事は想像を絶する事になる、雄多郎は明日香の恐怖を受け止めなければならない、それは自分自身が恐怖する余裕は無いと言うことである。すでに席はほとんど埋まり約60人がセミナーの開始を待っていた。目をぎらつかせた者、欠伸をしてやる気がなさそうな場違いな者、参加者は十人十色である。それからすぐに室内のスピーカーが音を立てた。
ステージの左隅に白衣を着た司会者らしき男がマイクを手にしゃべりはじめた。
「皆様、本日は我がユニバーサルエナジーのセミナーにようこそいらっしゃいました。本日おこしの皆様は、このセミナーを何度か受講された方や、初めての方もおられます。初めての方はどうぞお喜び下さい。本日は我がユニバーサルエナジーの創立者でおられます、響木元一郎社長が皆様直々にセミナーをして頂けるのです、どうぞお喜び下さい」
司会の男は参加者の拍手を待つ様に一泊おいた。会場から少しづつ拍手が巻き起こり、会場全体に拍手が鳴り響いた。雄多郎はやたらと元気な司会者が、わざとらしく皆に拍手を要求した事に嫌らしさを感じたが、早くも謎に包まれた響木元一郎なる男を見る事ができる事に胸が躍った。響木元一郎、今までの出来事の元凶、3年前にこのユニバーサルエナジーを立ち上げた事しかわからない謎の男、経歴どころか写真さえも公表していない。人間を獣人に変えることができ、世界を死と混乱に落とし入れ文明を取り除こうとしている男。人間なのか、それ以外の者なのか、雄多郎には想像もできなかった。ただ、人間ではなく、外宇宙からの異星人であってくれた方が納得がいく思いだった。司会者は元気良く続けた。
「それではお待たせしました。響木元一郎社長にご登壇して頂きましよう、拍手を持ってお迎え下さい」
会場内で拍手が沸き起こり、雄多郎の手には汗が滲んでいた。左手から出てきた者は確かに人間の姿をしている、静かな足取りで中央の演台に向かって歩く、かなりの長身であり遠目に見ても背の高さが190㎝はあるのではないか、服装は周りと同じく白、他の社員は白衣を着用しているが社長の服は、なぜか詰襟だった。長い裾が足の膝まで伸びていて、どことなく中国の正装を思わせた。社長は一歩づつ歩を進め、演台の後ろで止まり正面を向いた。正面から会場を見渡す響木社長を見た時、雄多郎は強烈な威圧感を受けた。短めの頭髪の中央が逆三角形を作り、額をM字にし、揉み上げが長い顔の顎の近くまで伸び、二つに割れた顎を際立たせていた。そして太い眉毛のしたにある鋭い目、一重の目蓋が「じっ」と会場を見渡した。年齢といえば全く予測がつかず、若くも見えるし年嵩にも見える。雄多郎は思った。
(まるで暴力団員じゃないか!)
過去仕事柄そういう人間に会った事があり、チンピラの様な者ではなく若頭と呼ばれる肝の据わった奴ら、何をしでかすか予想さえできない、一度火が点けば人殺しもいとわない、そんな目をしている。雄多郎も一度、取材をして怖い目に遭った事がある。ミスマッチを感じながらもこの男を見ていると、人類の粛清等平気で行えるほどの冷たさと、非凡性を感じ取り妙に納得もしていた。安河内の様な隠れた威圧ではなく、ストレートに見る者を威圧するその容姿。背が高く服の上からでも筋肉の盛り上がりがわかるほど鍛えられた肉体が、まるで格闘家を思わせた。強い者が生き残ると言う考えが、正にこの男が提唱してもおかしくない。マットサイエンティストの様な年配のじいさんが社長ではないかと少し予想していた事も、全くかけ離れていた。拍手が続く中、雄多郎はショックを受け一人呟いていた。
「参ったなぁ、やばいよ、勝てないよ・・」
「何ですか?早見さん、何か言いました?」
雄多郎の独り言を耳にした明日香が聞いた。
「いや、なんでもない。なんでもないよ」
正面にも向き直った明日香も一人呟いた。
「あれがユニバーサルエナジーの社長なんですね」
今の明日香の気持ちを汲める程の余裕は今の雄多郎にはなかった。やがて拍手は止み、会場は静まり、皆社長の言葉を待った。社長は強くしゃべり始めた。
「諸君、良く我がユニバーサルエナジーのセミナーに来てくれた、礼を言おう、ありがとう」
名前の様に響く、大きな声が会場を包んだ。雄多郎は思った。
(いきなり上からかよ、一応お客だぞ、ありがとう、じゃなくて、ありがとうございますだろう!)
「諸君はなぜ今ここにいるのか、そう、諸君らは選ばれし者達だからだ。世の中は今狂っている。惰性で生きている者が大半である。利益中心で金を持つ権力者が大きな顔をし、金が支配しているのだ。人ではない。ある物は怠惰をむさぼり権力者にまとわりつき、権力者が落とす微々たる金にむらがり、蟻の様に生きている。なげかわしい、このままでは世界は滅んでしまうだろう。金を使い自然を破壊し自らが住むこの地球という星を、自らで破滅しょうとしているのだ。あまりにも愚かである。諸君らはそれを感じているのか!」社長は一泊おいた。雄多郎は社長の力強い饒舌に驚いていた。廻りの参加者は目を輝かせて社長の話に聞き入っている。確かにそうなのだ、話の持っていき方が上手い。今ここに来ている参加者は現在、何らかの不満があり今以上の人間になりたいと思っている。その原因が参加者自身ではなく、世の中の動きが悪いのだと言い切っているのだから、参加者は当然自分の事を忘れて社長の意見に賛同するだろう。自分の心にいつも引っ掛かっている事を社長が代弁してくれているのだから。その上、自然破壊まで訴えている。自然を愛するかと問われて、愛さないと言う人間は90%いない。会場の約60名の参加者は響木社長の話に真剣に聞き入っていた。
雄多郎はセミナーと言うよりはテロリストのリーダーの演説の様に感じた。そう我々はお客ではない、どちらかと言えば同志的な扱いなのだと思った。
「諸君らは選ばれた者であり、この世を変える者達でもある、もうすぐ世界はかわる、諸君らの手によって。どうか私を信じてついて来て欲しい、私の元で自分を変えるのだ、いや私が諸君を変えてみせる。ここで一人、ある人物を紹介しょう、彼女も私が変えた一人だが、諸君も良く知る人物である。彼女も又今までは陽の目を見る事が無かったが、私の力によって才能を開花させた。諸君も彼女の様になれる才能を意識の下に隠し持っている。私はその才能を表に現す事ができるのだ」
響木社長は誰かをステージにあげるつもりらしく、彼女と言うからには女性である。雄多郎は息を呑んで、参加者と共にその人物の登場を待った。
「では、その人物を紹介しよう、宇津木ケイ君を!」
会場内がどよめいた。雄多郎の横で明日香がサングラスを取って身を乗り出した。宇津木ケイ、と言う名前が最初雄多郎にはピンと来なかったが、すぐに昨日の記憶が蘇った。宇津木ケイ。そう、10代20代にとってのカリスマ的存在、テレビには出ないが曲は全てミリオンセラーになり、プロモーションビデオでしかその姿を見る事ができない、実際に存在しているのかさえも怪しいと言われている謎の多いシンガー。その宇津木ケイがここにいるというのか?雄多郎は昨日の局でのマリ子との会話を思い出して奇妙な偶然を感じた。
なぜ今、ここに宇津木ケイなのか、昨日の話題の人物が、今ここにここにいるのか。ただ理解出来る事はユニバーサルエナジーが、彼女のスポンサーであろうと言う事である。彼女のデビューにあたって、かなりの後ろ盾をしているはずである。でなければこんな所にわざわざ呼ばれて出てくるはずが無いからである。彼女は社長が出て来た同じドアから現れた。最初、参加者は正かあの宇津木ケイがと、半信半疑だったが現れたケイを見て、会場のどよめきは大きな拍手へと変り、会場を包み込んだ。宇津木ケイは美しかった。ビデオで見た美しさそのままで、まるで妖精の世界から抜け出た様な美しさである。妖精の世界があればの話だが。その容姿からあの歌声が流れるのであれば、誰もが好きにならずにはいられないであろう。彼女は清楚に白のドレスを身に着け、黒いストレートの髪は彼女が歩く度に美しく揺れた。彼女の動きに会場全体が金縛りにあった様になり、彼女から目が離せなくなったが、それはけっして不快な事ではなく、あまりの心地良さからだった。となりで明日香が声をあげて雄多郎に話し掛けて来た。
「すごい、早見さん、宇津木ケイですよ。キレイ、私大ファンなんです。初めて観ました。すごい、すごいです、うれしい!」
明日香は涙ぐんで喜んでいる。初めて観たのは、多分この会場の参加者全員に言える事であろう。明日香も今だけは兄の事を忘れて素直に喜んでいたが、雄多郎にしても宇津木ケイを観た事で今までの緊張感が消え去り、恐怖の現実とのギャップに驚いていた。会場全体は宇津木ケイがステージ中央に進む間、至福の時を感じ、ケイに羨望と尊敬の眼差しを送った。ただやはり、50代の男性にしてみれば、自分の娘ぐらいの女性の登場にはさして何も感じる事もなく、皆に会わせて拍手をしているだけの様だった。雄多郎は冷静に危惧していた。
(宇津木ケイの登場はただの客寄せパンダには終わらない、このケイの人を惹き付ける何かは異常だ、彼女がユニバーサルエナジーの広告塔になればユニバーサルエナジーに群がる人間がとめどもなく増えていくだろう)
雄多郎は我に返り恐ろしくなっていた。ユニバーサルエナジーはとんでもない隠し玉を持っていた。ケイは響木社長の側まで来ると社長にお辞儀をしてから、会場の参加者にお辞儀をした。響木社長さえケイの前では笑顔を作りケイに握手を求め、会場に向き直り話し出した。
「諸君も良くご存知の宇津木ケイ君だ、彼女も諸君と同じ我社の受講者である。彼女の歌を聴いた者であれば誰もが素晴らしいと思うだろう、彼女は今自分の才能を開花させた。しかし、以前は大勢の歌手志望の一人でしかなかったが、今はどうか、誰も知らぬ者はいない。それも我社の能力開発の成果である。諸君にも意識の下に、まだ見ぬ才能が隠れている、私がその才能を引き出してみせよう、間違いなく」
会場全体から大きな拍手が巻き起こり、ケイはにこやかに参加者たちを見つめた。雄多郎は思った。宇津木ケイは本当にユニバーサルエナジーのおかげでここまでになったのか、ケイには全く否定する様子はなく、完全に響木社長を信用しきっている様である。
(君は、ここまでになれたのは響木社長のお陰だと思っているのか、違うぞ宇津木ケイ、
君の才能は君が自ら作り出したものだ、けしてユニバーサルエナジーの力なんかじゃない、君自身の力なんだ)
雄多郎はユニバーサルエナジーの人智もおよばない計画を知るだけに、ケイがユニバーサルエナジー側にいる事が辛く悲しかった。今ここで大声でケイに、いや会場の参加者全員に叫びたかった。早くここから逃げる様に、しかし、今この状況で雄多郎の話を聞く者等一人もいない事も雄多郎にはわかっていた。
会場の興奮は頂点に達し、ケイの登場が参加者全員に心地良い夢を見せている。となりにいる明日香さえ瞳を潤ませて社長の話に聞き入ってしまっているのだ。今、会場にいる参加者全てが自分は本当に変れると信じている、宇津木ケイの様な成功者に、当然獣人等にではなく。
「諸君、今日は宇津木ケイ君より諸君へのプレゼントがある」
会場はざわついたと思うと大きな拍手に変った。
「それは諸君への新曲のプレゼントである。彼女自身が作詞作曲した、まだ誰も聴いた事のない新曲をここで諸君の為に披露してくれるのだ」
喚起の声があがり、男女の声が入り乱れると同時に会場全体の照明が少しづつ落ちていった。暗くなった会場にスポットライトが当たり、宇津木ケイの姿のみを映し出した。ライトの明かりがケイの美しさを一際引き立てている。そこへ美しいメロディーが鳴り響いた。曲はバラード調で、聴いた事の無い旋律、美しいイントロが会場を包んでいく。
静かにケイが歌いだした。美しい歌声が会場に解ける様に流れ出す。会場全体がケイの歌声に酔いしれ始め、全ての参加者が静かに聴き入っている。雄多郎もケイの歌声に表現的に言えば、痺れ始めていた。
(何と言う美しい歌声なんだ、それに素晴らしい曲だ、何だか全身の力が抜けていくみたいだ。宇津木ケイ、君は最高だ、本当にいい曲だよ)
雄多郎はあまりの心地良さに自分がここにいる目的や立場を忘れかけて曲に聴き入っていた。曲の前半が終わり間奏に入った。雄多郎は隣にいる明日香が、自分の肩に頭を乗せてきている事に、今気付いた。恋人同士でもあるまいに雄多郎は照れ臭くなり、明日香を小さな声で呼んだ。
「明日香さん」
反応がない。寝てしまったのかと、雄多郎はもう一度名を呼んでから、少しだけ自分の肩を上げてみた。それと同時に明日香の頭が背もたれの後ろに垂れ、顔は上を向いた状態になった。雄多郎は「ぎょっ」とした。遠目に見れば寝ている様に見えるが、明日香のその目は閉じられてはいなかった。薄暗い会場でもわかる、明日香は目を開けたまま気を失っているのだ。雄多郎は肩を揺すりながら明日香を呼んだ。ケイの歌は最後のサビを繰り返していた。雄多郎は昨日の出来事を思い出していた。ユニバーサルエナジー本社で無理矢
理ヘッドホンを着けられ、妙な音を聞かされて気を失いかけた、あの時カガミがいなければ自分はどうなっていたのかわからない、あのまま獣人にされていたのかもしれないのだ。あの時の状況に似ている。雄多郎は明日香の頬を平手で打った。ケイの歌声が流れる会場で雄多郎はかなり大きな声で明日香を呼んでいるのだが、誰も止める者は無く、数人が二人の方を見ているだけである。
「明日香さん、明日香さん、起きるんだ、しっかりしろ!、明日香さん!」
何度かの平手打ちで明日香はやっと我に帰り雄多郎との視線を合わせた。
「早見さん、私どうしちゃたんですか・・」
まだ完全ではない明日香には答えずに、雄多郎は会場を見渡した。ほとんどの者が明日香と同じ様な状態になり、頭を後ろに垂らした者、テーブルにうつ伏せている者、ケイの歌を正面を向いて聴いているのはほんの数人である。5分強にも渡るケイの曲は終わりに近づいていた。相変わらず美しいケイの歌声は今の雄多郎に取っては、大きな疑念となっていた。曲が終了してからケイは何事もなく笑顔のまま深くお辞儀をしたが、誰もケイに拍手を送る者は無く、会場全体が異常な空気に包まれていた。ケイを照らしていたスポットが消え、まるで宇津木ケイをも消えてしまったかの様に会場全体が暗くなった。数秒して会場に薄暗い明かりが灯った時、ステージ上に宇津木ケイの姿は無く、明かりと同時に女性の悲鳴が上がった。雄多郎が悲鳴の方向を見た時、後方の女性が立ち上がって口元に手をあてている。女性の隣に座っていた男に変化がおこり、テーブルにうつ伏せている肩が上下に大きく揺れた。半袖のシャツから見える腕は明らかに人間ではない、灰色をしたザラついた皮膚、先程より筋肉の隆起が増し、ついにはシャツを引き裂き、にわかには信じ難い鎧の様な背中を現した。静かに立ち上がる、その姿とその顔、すでに人間の面影は無く、灰色のその顔の中央には角が二本、目は小さく鋭い、頭の上についた耳は敏感に良く動き、口先は尖り妙な音を発した。人間の格好をしてはいるが、間違いなくサイである。
人間サイは正面を向いて肩を上下させている。隣の女性は声にならない声を上げた。
次の瞬間、女性の体が宙に舞った。その体は紙の様に舞い上がり、への字に折れて3メートル先の壁にあたって落下した。瞬時に人間サイが、その二本の太い角で女性の腹部を刺し、上半身の力で振り飛ばしたのだ。鈍い音をたてて落下した女性は腹と口から大量の血を流し、ヒクヒクと痙攣して、やがて白目を剥いて止まった。場内は騒然となったが、声を発したのは数名であり、60名中約40名の動きはなく、それどころか同じ様な変化があちこちで起き始めていた。雄多郎と明日香のすぐ後ろでもそれは起こった。体の大きな男が立ち上がり、狂った様に自分の上着を引き裂き、全身から大量の褐色の体毛を伸ばし始めた。縦も横も増幅し、2m以上はあるであろうそれは見間違いようもない熊である。自分の廻りにある物すべてを、その獰猛で巨大な爪で引き裂いていく。生きている者、気を失っている者、見境無くその爪は攻撃を仕掛けていく。テーブルにうつ伏せている者の背中へその爪を打ち込み、背中から大量の血液をほとばせらせ、大きな咆哮を上げた。多くの者が、狼やハイエナに獣人化して、あちらこちらで殺戮を始めた。今、正気と言うか変化の無かった者は10数名程度であり、皆恐怖にかられて一斉に出入り口に殺到したが、次々に狼人間の餌食となった。恐怖で女性同士仲間三人で抱き合っている者たちの体から数十本の針の様な物が飛び出し全身を貫いた。抱き合っていた仲間の一人がヤマアラシに変化
して仲間二人の全身に体毛針を突き刺したのである。二人は全身から大量の血を流しながら死んだ。今や獣人の数は二十体を越えていた。会場は地獄絵図の様に大量の参加者の血が床を埋め尽くしていた。高齢者や女性は次々と獣人の餌食となり、雄多郎と明日香はその光景を抱き合ったまま震えながら見ていた。明日香は少しずつ正気を取り戻し、今目の前で起きている事が夢から現実になろうとしていた。明日香の目の前に眼球が両目共潰された人間が上から落ちてきて足元に転がった。明日香は大きな悲鳴をあげて雄多郎に抱きついた。頭上には蝙蝠人間が逆さずりで、
薄暗い天井の蛍光灯に鋭い爪を架けてぶらさがり、その紅い目を光らせていた。
「明日香さん、俺から離れちゃだめだよ。絶対に」
あまりにも絶望的な状況に、雄多郎と明日香は抱き合ったまま地獄絵図を見つめていた。
空中には鳥類に変化した者が、鋭利な足の爪で人間の心臓の辺りを突き刺し、ぶら下げたまま飛び回っている。最初は動きもがいていた者も、すぐにこと切れて動きを止め、その度に放り投げては新しい獲物を探した。残った人間の数は十人弱になり、獣人の数は二十数匹、まだ変化する以前の動きのない者もハイエナや狼人間たちの餌食にされた。生き残った者たちは入り口の扉の付近で恐怖の形相のままうずくまっていた。人間がいなくなるのは時間の問題に思われたが、しかし、次は獣人同士の殺し合いが始まったのだ。体の大きな、熊人間やサイ人間に狼人間数匹が群がり、噛み付き襲う。熊人間は大きなその爪で狼人間を引き裂き、振り飛ばすが狼は再度、熊に襲い掛かった。雄多郎はその恐ろしい光景を見ながら考えていた。
(まだ、この獣人達は完全ではない、昨日ユニバーサルエナジーで見た獣人達は安河内の命令に従っていた、自分とカガミを殺す為にだ。奴らは獣人を洗脳していた、洗脳しなければ当然ただの動物、で、あれば戦争は起こせない筈だからだ。今の段階ではまだ完全ではないのだ。昨日安河内が言っていた、獣人を操る方法がまだあるはずである。今、獣人になった者は自らの本能のまま闘っているだけだ)
獣人達の叫びに呼応するかの様にスピーカーから音楽が流れ始めた。それは先程聞いたばかりの曲、宇津木ケイの新曲だった。この地獄にはあまりにもふさわしくない曲、宇津木ケイの歌声が流れ始める。そして獣人たちの動きが止まり、先程の争いが嘘の様に獣人達の動きが止まった。ケイの曲を静かに聴いているかの様に。雄多郎は最初に感じていた疑念が今解けていた。
(やはりそうだ、最初はあの自己啓発のCD、あのCDを聴く事により人間の理性を取り除き、本能のままの行動をする。人間が凶暴化したのはそのせいだ。安藤和雄や新井は突出して次の段階へ進んだ。特に野心の強い者は変化の速度が速く、いや、聴いた回数や時間があまりにも多かったのかもしれない。そしてCDのあの無機質な音は宇津木ケイの歌に進化した、昨晩大沢さんはケイの新曲のPVを持って返った。警官の目撃では間違いなく大沢さんは獣人に変化している。初めて聴いた者でさえ獣人に変えてしまうほどの即効性を持つほどにCDは進化したのか・・・)
雄多郎は今度こそ最悪の絶望を感じた。
(長塚警部の言っていた、惨たらしい3体の死体もケイの新曲を聴いたマスコミ関係者が獣人に変化して起こした事件と考えて間違いない。そしてこの曲を数回、聴く事によって
獣人はユニバーサルエナジーの配下にくだり、ただの獣から人間を襲う殺戮集団に変る。
人間をこの世界から排除して、安河内の言う地球本来の姿に変えていくのだ。いや、違う、地球本来の姿ではない、ユニバーサルエナジーが支配する世界の間違いだった!)
雄多郎は獣人がおとなしくしている、支配される前の今しかないと思った。
半ば放心状態の明日香に声を掛けたが、明日香は又もケイの歌に我を失いかけていた。
「明日香さん、しっかりしろ!、行くぞ」
明日香はまだ、意識が遠く、雄多郎は明日香の頬を打った。
「明日香さん、お兄さんを探しにいくぞ、しっかりしろ!お兄さんを探すんだろう!」
兄の事を言われ明日香の目の焦点があった。その瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
自分には到底理解する事の出来ない現実が目の前にあった。
「早見さん、これは一体なんなんですか、夢ですか?現実ですか?信じられません」
明日香は泣きながら雄多郎にしがみついた。
「明日香さん、出口はあっちだ、静かにここを出るんだ」
「もうダメです、私、一歩もここを動けません・・・」
「バカ言うんじゃない!行くぞ」
明日香を連れ出そうとしたが、明日香は体を固くしたまま動こうとしなかった。
「明日香さん、兄さんに会いたくないのか、兄さんはここの何処かに必ずいる、このままじゃ兄さんに会えないままだぞ!」
雄多郎の言葉を聞いて、明日香は下を向いたまま少しづつ体を動かし始めた。足元の死体を避けながら二人は出入り口に進んだ。
「早見さん、一体何が起こったんですか?」
震える声で明日香は聞いてきた。
「事情は後で説明してあげるよ、兎に角この曲が終わる前に外にでるんだ。早く」
首の無い死体を避けながら、雄多郎は吐き気をもようした。二十人以上の死体の山はいくら新聞記者の雄多郎でも初めてであり、それも惨殺死体ばかりである。ケイの曲は最後のフレーズに近づいていた。




