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第12話

ヘッドホンからは金属音がしていた。何か音楽や台詞が有るのかと想像していたが、違った。不思議な金属音である。最初は抵抗していた雄多郎だったが、ものの10秒程で体から力が抜けていくのを感じた。心は抵抗していたが、少しづつ思考能力が麻痺していく、大きく見開いていた目が段々と閉じていくのが分かる、自分はこのまま獣人になってしまうのかと思う。恐怖心もなぜか無くなってきていた。自分の過去、今まで生きてきた記憶が一瞬駆け抜ける。思えば雄多郎が生きてきた人生は、平凡であった。母親をすぐに亡くしたが、決して辛くは無かった。人並みに勉強して、高校、大学を受験し、志望した学校へも行けた。人並みに恋もした。失恋もあった。別れた人の事を思い一週間以上立ち直れない日もあった。しかしそれを元気付け立ち直らせてくれた友人の事も、全てを含めて楽しかった。

東都新聞に入社してからも仕事は中々うまく行かなかったが、自分で選んで進んだ道、決して泣き言は言うまいと思った。マリ子にもう一度会いたかった。自分はマリ子が好きなのだ。ただそばにいてくれるだけでいい。自分には不釣合いだと分かっているが、マリ子の為なら何でもしたかった。何でもしてあげたかった。新井の顔が浮かんだ。そしてワニの顔、その顔とマリ子の顔がだぶる。(ダメだ、このまま終わっては何のためにここまで来たんだ)

雄多郎は、薄れていく意識の中で必死に抵抗した。まるで深い眠りに落ちて行く様な感覚、決して不快ではない。このまま眠りたい衝動に駆られる。眠ってしまえば楽になるのかもしれない。しかし目覚めた時にはすでに人間ではなく、人の心を持ち得ない獣人と化しているのだ。眠りの誘惑を雄多郎はギリギリの線で踏みとどまっていた。だが、それも時間の問題であろう事も雄多郎自身感じていた。その時、ドアが激しく開く音が意識が朦朧とする中で耳に届いた。深い眠りに落ちる雄多郎を引き戻した。

「なんだ、貴様は、どこから入った!」

安河内は予想もしなかった突然の侵入者へ叫んだ。激しくドアを蹴破って入ってきたのはあの男であった。黒いコートを着た男、雄多郎が二度接触したあの男である。

「あっ」と言う間であった。男は素早い動作で移動した。ありえない状況に呆然とする二人の社員は未だに雄多郎の両腕を確保していた。左側の社員めがけて右足で高い蹴りを入れた。ちょうど首の下の辺りにヒットして一人目の社員は後ろの壁へたたきつけられ、そのまま床に崩れ落ちた。もう一人の社員も動く暇は与えられなかった。蹴り上げた右足を下ろしながら、今度は後廻し蹴りを素早くもう一人の社員に放った。左足の踵が社員の顔面に激しく入った。鈍い音がした。多分鼻の骨が折れた音であろう。同じく先程の社員と横並びに壁に背中を強くぶつけ倒れた。安河内は驚きと困惑の表情浮かべ自分の机の方へ後ずさっていた。

「いっ、一体何者だ?」

安河内はうわずった声で男へ尋ねたが、男は無言で安河内を凝視している。

安河内はこの状況が理解出来ず男を困惑していたが、ふと思い出した様な表情に変えた。「そ、そうか、お前か」

安河内が言ったと同時に男は倒れている二人の社員を飛び越えて、安河内の目の前へ来た。安河内は目を大きく見開いて驚愕の表情を浮かべた。男は両手で安河内の両肩を強く押した。安河内は壁に打ち付けられた。

強く壁に打ち付けられた安河内は、そのまま尻もちをついた。

男は、雄多郎の前へ来て、ヘッドホンを払いのけた。雄多郎の意識はまだ朦朧としている。半分以上眠りに落ちているといった状況である。男は雄多郎の肩を激しく揺らした。

「おい、しっかりしろ、聞こえるか?俺の声が聞こえるか!」

雄多郎はまるで眠惚けた様子でまだ焦点が定まっていない。今度男は往復で雄多郎の頬を平手で打った。心地よい眠りから誰かに強引に引き戻された様な感覚で、不快な気持ちで雄多郎は目覚めた。段々と目の焦点が合ってくる。目の前の男の顔が少しづつハッキリと輪郭を現す。

(誰だ、俺を起こすのは、うるさいなー、誰だあんたは?)

雄多郎の意識が戻るのに数秒掛かったが、男の顔が雄多郎の意識を現実に戻した。ここ何日間かの出来事で、最も雄多郎が会いたかった男、事件のカギを握る男、そして新井を殺した許せない男、その男の顔が今、正に雄多郎の目の前にあるのだ。ほとんど意識を取り戻した雄多郎は男につかみ掛かった。まだ力の入らない指で男の胸ぐらを掴んで言った。「お前!見つけたぞ、誰なんだ、お前は!今度は逃がさないぞ、お前は誰だ!」

まだ完全に呂律が廻っていない口調で男に言ったが、迫力も何も無かった。男は雄多郎の腕を軽く払いのけて

「行くぞ、しっかりしろ」

男は雄多郎の腕を自分の肩に廻して雄多郎を立たせた。情けなかったが、まだ完全に元に戻っていない。足がふらついていた。取り敢えずこの男に身を預けるしかなかった。三人の男が床にうずくまっていた。低くうめいている。一人の社員は鼻から大量の血を流している。安河内といえば背中と腰を強く打ったらしく、先程までのニヤけた顔は無く苦痛に顔を歪ませていた。雄多郎と男は部屋を出て社員の部屋を通って、通路へ出た。

安河内は背中と腰の痛みで、立ち上がれなかったが、首だけを持ち上げて怒鳴った。

「何をしている!グズグズしてないで被験者を出せ!」

力を込めて叫んだが、又その顔は苦痛に歪んだ。胸元に蹴りをくらった社員がなんとか立ち上がり、自分たちの部屋へ戻った。安河内は怒りに震えていた。

(おのれ、許さんぞ、ここから生かして帰すものか。我々にはむかう者は誰であろうと許さない、何人たりとも我々にははむかえないのだ。殺してやる、殺してやるー)

安河内はまだ痛みで立ち上がれず、強く拳を握り締めた。

男は雄多郎を抱えて通路を進んだ。途中よろける雄多郎を強く支えている。エレベーターの前まで来た時、エレベーターの稼動音が聞こえた。階数の表示がR(屋上)から下へ降りて来ている。男と雄多郎はエレベーターの前で少し佇んで、階数表示のランプを見つめた。表示ランプは3階で止まった。

「チン」という音と共に静かにエレベーターの扉が開いていく。エレベーター内の灯りに照らされながら、開いていく扉の中にその者は少しづつ姿を現した。

「うわー!」雄多郎が声を出してのけぞった為、支えている男も雄多郎と一緒に倒れそうになったが、ふんばった。

そこにいたのは直立不動のライオンだった。茶色のたてがみを背中の後まで流している。身に付けている物はスラックスの黒のズボンだけ、肩の筋肉は盛り上がり、手の指先には太くて鋭い爪がのぞいている。靴は履いていない。しかし、その口元からは鋭い牙が、エレベーターの灯りに照らされ光沢を放っている。ライオン男は、両手、両足を開いて首を廻して大きく雄叫びをあげた。

男と雄多郎は後づさった。ライオン男は獲物を狙うように、少し腰を折ってエレベーターから出てきた。かなりの大きさである。2メートル近くはあるであろう。その体は、元の人間体の大きさを物語っている。雄多郎は恐怖した。世の中には、体が大きくて、スポーツをしたりする者や、武道をする者、格闘技をする者も大勢いる。そんな人間たちが獣人になれば、非力な人間たちは太刀打ち等できない。女性や老人、子供等はひとたまりもないであろう。ライオン男を顔前にして、雄多郎は呆然とした。

肩に置かれた男の手に力を感じた。男はライオン男を見たまま、雄多郎に静かに言った。

「走れるか?」

「えっ!」

雄多郎の返事を聞かぬまま、男は雄多郎ごと体を180度廻して、先程来た道を走り出した。突然の事に体がついて行かなかったが、男の力も相当なもので、まるで運動会の二人三脚の様に走る。途中、雄多郎は足がもつれて片膝をついた。男も止まるしかなかった。

雄多郎は、後ろを振り向いた。ライオン男は四つん這いで獲物に近付きながら唸り声を上げている。二人との距離は急速に近付きつつある。

「もうだめだ!」

雄多郎は近付くライオン男を見ながら言った。

「立て!」

男は雄多郎を立たせた。男のすぐ後が営業課の部屋のドアだった。

「こっちだ!」

男は雄多郎を片手で支えて、営業課のドアノブに手を掛けた。雄多郎は慌てた。

「待て、そこはダメだ!社員が大勢いる!」

またも男は雄多郎の返答を聞かずに、ドアを開けた。ライオン男が飛び掛かろうとするより一瞬早く、二人は部屋に飛び込んだ。男は部屋に入るなり、雄多郎を放した為に雄多郎は遠心力で床に転がった。

男は素早くドアを閉めた。閉めたドアにライオン男が激しくぶつかる音がした。

雄多郎は一瞬「ホッ」として息を吐いた。

倒れている雄多郎は顔を反らせて後方を見た。現在視界は逆さまに写っている。雄多郎は目を疑った。確かに入った部屋は営業課の部屋だった。雄多郎は上体を起こして部屋を見廻した。あれから数十分と経っていない。部屋の広さは一緒だが何も無い。窓からの太陽光は冷たい空間をさしている。そこにいた大勢の男女やそこにあった机や書類の入った棚、多くのパソコンや電子機器等、いっさいがっさいがなくなっていた。

先程まで楽しそうに語り合っていた者も、上司に怒鳴られていた者も、タバコをふかしていた者も、全てが消えていた。

確かにこの階には営業課と広報課しかなかったはず、部屋が違うとは思えない。この数十分の間に全て人も物も移動したというのであろうか。不可能である。雄多郎は自分が夢でも見ているのかと困惑し、まだ目が完全に覚めていないと思い、目を擦り、頭を叩いた。動揺している雄多郎を見ながら男が言った。

「おい、何をしている、大丈夫か」

「え、いや、無いんだよ、無くなっているんだよ、さっきまで大勢いて仕事してたんだよ、人も物も無くなっている、全部無いんだ、俺はまだ寝てるのかなー」

雄多郎は部屋と男を交互に見ながらまくしたてた。男は雄多郎に軽蔑の眼差しを向けながら言った。

「おい、あれを見てみろ」

男が向けた目線の先を雄多郎も追った。部屋の角の天井、三角のコーナー部分にカメラの様な物がついていた。都合、三箇所。

「何だあれは、カメラかな」

「フォログラムを作るカメラだろう」

「フォログラム?」

「多分、さっきの奴らが管理しているマスコミ対策か何かだろう。仮想映像を見せて安心感を持たせる、古い手だな」

その時、安河内の声が部屋中に響いた。

「君たちを外へ出す訳にはいかない」

安河内の声は痛みを堪えている様で言葉がつまり、息が上がっている。まだ回復していない様子だ。

「私を傷つけたらどうなるか、教えてあげましょう。そこでライオンの餌になりなさい」安河内は高らかに笑った。が、痛みでむせている。耳元でザワザワと人の話し声がしてきた。雄多郎の目の前に来客者用のカウンターが突然、出現した。雄多郎は驚いて立ち上がった。カウンター越しに机や椅子、男、女、棚、コーヒーメーカーやパソコン、テレビ、色々な物がどんどん雄多郎の目の前に姿を現し出した。そして数10分前の空間へと戻ったのだ。

「すごい、こんなのどこのテーマパークに行ってもないぞ、ここまでの物が出来るなんて驚きだ、有り得ない」

雄多郎は我を忘れて感心していた。そしてユニバーサルエナジーの計り知れない科学力に恐ろしさを感じた。男の声がした。

「おい、感心している場合じゃないぞ」

部屋のドアがカチャリと音を立てて開き始めた。部屋のドアもどうやら管理されているらしい。安河内が部屋のドアを開けている。男はドアを押し返そうとしているが、ドアは少しづつ開いていこうとしている。男は力を込めてドアを押し返したが、無駄だった。ドアが半分ほど開きライオン男が、悠々とした足取りで室入してきた。正に王者の風格と言った所である。四足の為、ライオン男は男よりも視線が低く、真正面にいる雄多郎を先にとらえた。雄多郎と目が合った。雄多郎は動けなかった。先程に比べると頭もハッキリしている。殆ど目覚めたと言ってもいい。やはりプレッシャーを感じた。ワニを前にした時よりもライオンの方が格が上である。それも2メートル以上もある。巨大なライオン、諦めが雄多郎を支配していた。もう逃げられない。このまま喰われる。雄多郎は目を閉じた。最後の瞬間を待つかのように。男の叫び声がした。

「バカヤロウ!逃げろー!」

ザワザワするフォログラムの男女の声より、ひときわ高く、そして大きくその声を雄多郎は聞いた。ビクッとして目を開けた。

ライオン男はすでに雄多郎の目と鼻の先にいて、叫び声を上げた。雄多郎は慌てて振り返ったが、目の前にはフォログラムの来客用カウンターが、横に5メートル程伸びている。雄多郎はカウンターの脇に沿って走った。

カウンターの終点は壁になっていて、行き止まりである。雄多郎はすぐに壁に突き当たって壁を背にした。ライオン男は真っ直ぐに雄多郎めがけて、突き進んでくる。気が動転していた。もう逃げ場がないと思った。雄多郎は叫んだ。

「うわぁぁぁぁぁー」

又も男の声がした。

「バカヤロウ!全部フォログラムだ、そこには何も無い。左へ走れー」

雄多郎は「ハッ」とした。気が動転していて全てがフォログラムである事を忘れていたのだ。左手をカウンターに触るとそこに触される物はなかった。左手はカウンターの中へと消えた。掴める物は何も無い。左手を戻してみても何も変化は無かった。

雄多郎はカウンターへ走りこんだ。カウンターの向こう側へ出た。立ち話をしている二人の女性社員の目の前に出た。勢いは止まらず女性社員にぶつかりそうである。

「すいませーん」

言いながら、女性社員にぶつかったが体は女性社員をすり抜けた。何事も無かった様に立ち話を続けている。

(そうだ、ここにある物は全部フォログラムなんだ、人間も物も全て)

カウンターからライオン男がのっそりと突き抜けて出てきた。赤く光る目は雄多郎をとらえている。今度こそ雄多郎は走った。そこにある物全てを無視して。

机や人間が次から次へと雄多郎の体を突き抜けていく。後からライオン男も同じく、あらゆる物を突き抜けて走って来るのが見えた。しかし、ライオン男の速さは並ではない。すぐにも追いつきそうな勢いである。ライオン男は雄多郎の斜め後ろに来ていた。その姿は雄多郎にも確認する事が出来た。

雄多郎は恐怖で半泣き状態になっていた。

今度こそ本当の壁が顔前に近付いている。その壁はフォログラムではない、本物の壁、正に突き当たりである。壁の上にはガラス窓がはまっている。逃げ場は無い。

すぐに壁にぶつかり、雄多郎は壁を背にして立った。ライオン男は速度を下げて近付いて来た。これから雄多郎をどう料理しようか迷っている。そして楽しそうにである。

雄多郎の横では、上司が部下にネチネチと嫌味を言っているフォログラムが写っている。今にも自分の命が掻き消えそうな時に見ている様な物ではない。大沢の顔が浮かんだが、最後の時に浮かべる顔ではないと思った。隣の映像がそうさせるのであろう。雄多郎の目の前の枕を抜けて、ライオン男が姿を現した。もうライオン男との間には何の映像もない。雄多郎は今度こそ最後だと思った。だが雄多郎の右斜め方向から、フォログラム映像とは全く結びつかない、異形の存在が人や物を突き抜けてこちらに走って来るのが見えた。その仮面は黒く光沢を放っている。その体は甲冑が青く光り輝き何者にも屈しない強い意志と力強さを感じる事が出来た。雄多郎はすぐに昨日の仮面の男だと分かった。そしてあの男が変身した姿であろう事も想像できた。テレビの仮面ヒーロー等という形容があまりにも似つかわしくない威厳を備えている。その姿を雄多郎は懐かしくもあり、頼もしく感じた。この状況では雄多郎には神様に近い存在に見えたのかもしれない。

仮面の男の気配に気付いたライオン男は後ろを振り返った。取り敢えず、雄多郎より先に片付ける優先順位を仮面の男に変更した様だ。ライオン男は踵を返すと、仮面の男目掛けて突進した。仮面の男は走りながら腰の棒に手を掛けて棒を抜き出した。昨日、ワニ男になった新井を仕留めたあの棒である。

「キュイーン」棒が又伸びて根元から先に掛けて電流が走った。パチパチとした音が、フォログラムの喧騒の中でかすかに聞こえる。仮面の男は棒を両手で握り、斜め下に構えながら、ライオン男に向かって進んだ。やがて二人、いや一人と一匹であろうか?最大に接近した時、ライオン男は跳んだ。仮面の男は下から上へ棒を振り上げた。

「ブン!」空気を切る棒の音がした。

しかし、棒が切ったものはちょうど歩いて来たフォログラムの男の社員だった。切られた社員は当然何も無かった様に歩き去った。仮面の男はすぐさま後ろを振り向いたが、一瞬遅かったのか、同時だったのか、ライオン男に正面を取られた。ライオン男は仮面の男の左の肩に噛み付いた。その獰猛な二本の上顎の牙は、深々と仮面の男の方に突き刺さった。接近して高々と跳んだライオン男は何とも早いスピードで、逆向き、つまり仮面の男の背中を見る格好で着地し、そのまま仮面の男に飛びついたのだ。ちょうどそれが振り向きざまであった。

見ていた雄多郎もあまりの速さに驚いた。   

人間業ではない。もちろん今は人間ではない。仮面の男の苦痛の表情が仮面の上からも伺えた。両者はそのまま倒れこんだ。

ライオン男は噛み付いたまま、仮面の男から離れようとはしない。左肩には甲冑の様な物がついているが、見事にその上から図太い牙がくい込んでいる。少しづつ血液だろうか、肩の部分にシミの様な物が広がっていく。ライオン男の牙が刺さる部分から血が噴出し始めた。

ライオン男は、両手を仮面の男の腕の辺りに置いている為、仮面の男は両手が使えない状態である。握った棒も振るえない。

仮面の男の出血はかなりひどくなってきていた。赤い血は地面にも達して、少しづつ赤く広がり出した。雄多郎は恐ろしさで座り込んでその光景を見ていたが、恐怖の裏でふっと気が付いた。

(赤い、赤い血だ、奴は人間なんだ)

今まで雄多郎は、仮面の男の事を人間ではない、もしかして何かわからないが、この世のものではない、人間ではない存在の様な気がしていた。しかし今、肩から流れるおびただしい赤い血液を見て、彼もまた人間なのだと実感した。雄多郎は立ち上がった。

雄多郎は自分に気合を入れる為なのか大きな声を上げた。「うわー」

ライオン男に向けて走った。ライオン男の腹を蹴り上げた。びくともしない。雄多郎は叫びながら何度もライオン男を蹴った。ライオン男を蹴る度に、顎に力が入る為か、仮面の男の苦痛に耐える声がしている。しかし、雄多郎は構わず蹴り続けた。

何十回か蹴り続けた後、ついにライオン男は雄多郎の蹴る足をはらうために片手を外した。蹴り上げようとした雄多郎の足をはらった。雄多郎は蹴った足をはらわれて尻から強く地面に落ちた。その瞬間を仮面の男は見逃さなかった。握り締めた棒が一際高く、音をたてた。「チューンー」

ライオン男の横腹目掛けて光る棒を突き刺す。「バチバチバチバチ・・・」

ライオン男は噛み付いた牙を抜いて高く叫び声を上げた。急に牙を抜いた為、血がほとばしった。仮面の男も鋭い痛みに叫び声を上げた。激しい高電気が流れているためか、ライオン男の背中から煙が上がり始めている。嫌な臭気が辺りに漂う。ライオン男は完全に動きを止めて、仮面の男の上に覆い被さった。

両者はお互い動かなくなってしまった。男の棒の音が少しづつ小さくなって止まった。フォログラムの喧騒はまだ続いている。 

「おい、大丈夫か、おい!」

雄多郎は仮面の男に声を掛けた。男は肩で息を始めた。一瞬、気を失っていたのかもしれない。男はライオン男の巨体を横に放り出して、身を起こした。肩からはまだ出血は止まっていない。仮面の男は言った。

「行こう」

仮面の男は立ち上がったが、ふらついている。雄多郎は肩を貸そうとしたが、仮面の男はそれを制して、「大丈夫だ、急ごう」雄多郎はそれより先に、フォログラムの中を出口に向かって歩き出した。雄多郎も後に続いた。二人が営業部の部屋を出た時、広報室の前に安河内が立っていた。その顔は鬼の様な形相をしている。その鋭い目は雄多郎と仮面の男を突き刺す様に見ていた。

仮面の男と雄多郎はエレベーターに向かって歩き出した。雄多郎は振り返ったが、もう安河内の姿は無かった。

仮面の男は左の肩を押さえたまま、エレベーターへ向かうが、男の血が廊下に少しづつ滴っている。その後を雄多郎は追った。

「おい、かなりの出血だぞ、大丈夫か?」

「大丈夫だ、心配ない、早くここから出よう」

「一体、あんたは何なんだ!」

「お前が知る必要はない」

「なんだと、ふざけるな!あんたには聞きたいことが山ほどあるんだ、だいたいなぁ!」

雄多郎がしゃべりかけるのを男は制した。

仮面の男はエレベーターの階数表示を見つめている。雄多郎もつられて見た。

階数表示のランプが2Fからこの3Fへ向けて上がって来ている。

雄多郎は思った。獣人はライオン男一匹ではないのだと。であれば、今のこの男の状態では、とても太刀打ち出来ない、自分と言う荷物もついているのだ。

「おい、どうする、やばいぞ!」

「慌てるな!」

仮面の男は左側の階段の方へ廻った。階段へ通じるドアノブに手を掛けたが、ノブにはロックが掛かっていて、開かなかった。

男は腰の棒に再び手を掛けた。「キュイーン」と音がして、又も棒に生命が宿った。棒の先に電流がほとばしる。男は、棒をドアノブに力一杯振りかざした。ドアノブは音を立てて弾け跳んだ。男はドアを蹴押した。

ドアは音を立てて開いた。

「上へ行くぞ、下はマズい」

男と雄多郎は上階へ階段を駆け昇った。薄暗い階段を昇りながら、雄多郎は言った。

「おい、どうするんだ、どこへ行くんだ!」

「屋上だ!」

「屋上?それこそ逃げ場がないんじゃないのか!」

「下よりはマシだろう。下には奴らが何匹いるか、わかったものじゃない、だまって着いて来い、死にたくなかったらな!」

雄多郎は「ムッ」としたが、今は男に従うしかなかった。とにかくここから出る事が先決である。2階分の階段を昇った突き当たりにドアがあった。屋上へ出るドアであろう。今度は、ドアが開くかも確かめず、男は再度、棒を抜いてドアを叩き壊した。ドアが開いて屋上へ出た時、空は曇り空ではあったが、雄多郎には眩しかった。男と雄多郎は屋上へ出て、しばしたたずんだ。屋上には、二人が出てきた階段とその横にエレベーターのボックスがある。

雲の間から少し日差しが照り出し、二人を照らしている。雄多郎は雲の隙間から漏れる日の光を見ていたが、光を背に空から急速に降下する黒い物体を見とめた。黒い物体は二人を目掛けて急降下してきた。雄多郎はそれが何であるのか最初はわからなかったが、それが段々近付くにつれてカラスである事がわかった。

「カラス?」

近付くにつれてそのカラスの大きさもわかってきた。

普通のカラスの大きさではない。それが人間の大きさである事がわかった。黒光りするその体は当然カラスであるが、ズボンをはいたカラス等は見たことも無い。ズボンから出る足の先からは三本の鋭い爪を付けた、鳥特有の足をのぞかせている。

開いた翼の中間にはやはりそれが人間の変化であろうことがわかる。人間の腕と手らしき跡が残っている。人間カラスは、エレベーターボックスの上まで降下して動きを止めて、その姿をさらした。

「もう、勘弁してくれ、なんなんだ」

今にも消え入りそうな声で雄多郎は言った。人間カラスは又も上昇した。約20メートルは上昇したであろうか、今度は両方の翼をたたんで急降下の体制に入った。明らかに雄多郎を狙っている様である。人間カラスは一気に降下してきた。見る見る雄多郎に近付いてくる。雄多郎は動けなかった。

黒光りするくちばしが、雄多郎の心臓に狙いをつけている。雄多郎まで数秒である。

その時、雄多郎は横からの衝撃を受けて地面に転がった。側には仮面の男がいた。

「おい!何回も同じ事を言わせるな、死にたいのか!」

間一髪、人間カラスは先程雄多郎がいた場所をすり抜けて上昇した。仮面の男がいなければ、今頃雄多郎も鳥の餌になっていたかもしれなかった。仮面の男は片膝をついて、腰から棒を取り出した。今度はいつもよりも棒は長く伸びた。仮面の男は、持ち手のグリップの部分を折った。カチャリと音がして、グリップの部分が90度折れた。雄多郎はその棒が今度は銃に変化しているのに気付いた。銃は銃でも先の長さを考えればライフルに近い感じである。腕の上に銃身をかまえて、男は人間カラスに狙いを定めた。

棒の先に電流が集まるのがわかる。棒の先に集まる電流が、白い雷の稲妻のごとく集まり、丸い形を作っていく。人間カラスは螺旋飛行を続けて、襲撃の機会を狙っている。

仮面の男は、狙いをつけて一発発射した。

丸い稲妻の固まりが、人間カラス目掛けて高速で発射された。しかし、人間カラスはそれをよけた。稲妻の弾は空に消えた。

二発、三発目と立て続けに発射したが、弾は人間カラスには当たらない。人間カラスは、弾丸を間一髪の所でよけている。おそらく、先程ライオン男に噛まれた肩のせいで狙いが定まらないのであろう。

「おい!大丈夫か」

「黙って見ていろ!」

仮面の男は、雄多郎に言葉を返してから、再度人間カラスに照準を合わせた。飛行する人間カラスに向けて稲妻の弾丸を発射した。

またしても、人間カラスは弾丸をすり抜けたが、今度は違った。仮面の男は人間カラスが弾丸をすり抜けて飛び去る方向へ立て続けに三発、打ち込んだ。その内の一発が、人間カラスの頭に命中した。人間カラスは黒い羽根を撒き散らしながら、きりもみ状態となり、エレベーターボックスに激突して、バウンドしてからエレベーター前へ落ちて動かなくなった。雄多郎の鼻先へ黒い羽根が舞っている。

「そうか、奴の動きのパターンを読んで発射したんだ」

雄多郎がつぶやいた時にはすでに、仮面の男は棒を腰にしまって立ち上がっていた。

その時、エレベーターが屋上へ到着して開く音がした。雄多郎は「ギョッ」としてエレベーターを振り返った。

エレベーターの中から眼鏡に手を当てた安河内がゆっくりと出てきた。

「もう、逃げ場は無いぞ」

安河内の足元に転がった、人間カラスが少しづつ人間の姿に戻っていくのが、雄多郎の位置からもわかる。雄多郎は又も悲しい気持ちになった。

「よくもまぁ、我々の大切な実験体を次々と殺してくれたものですね、どうですか、同じ人間を殺す味は、これからはもっとこういう事が世界規模で起こるのです」

雄多郎には返す言葉がなかった。自分の命が危険とはいえ、同じ人間なのだ。いくら正当防衛でも、殺人は殺人、雄多郎は仮面の男を見た。しかし、仮面の上からではその表情を読む事は出来ない。

「しかし、これで終わりです、あなたがた二人を帰すわけにはいきません」

安河内は、指を「パチン」と一つ鳴らした。安河内の出てきたエレベーターから、勢い良く何かが飛び出した。

「行け、奴らの息の根を止めろ!」

飛び出したのは、先程中野を襲った豹である。豹は豹でも元は人間である。豹人間。

四つん這いで、雄多郎と仮面の男目掛けて疾走して来た。すごいスピードである。やはり動物の中で一番速いだけあって、あっという間に二人との距離をつめてきた。

仮面の男は、つっ立っている雄多郎の側へ行き、腕を引いた。

「こっちだ!」

仮面の男に引っ張られながら、雄多郎も走った。男が向かっているのは、エレベーター方向とは全く逆方向である。逃げ道は無い。二人は、胸元まである屋上を囲む手摺にすぐ行きついた。仮面の男は言った。

「飛ぶぞ!」

「ハッ?」雄多郎は身を乗り出して下を見た。地上より50メートルはあるだろうか、下の道路に止めてある車がやけに小さく見える。

「バカ!死んじゃうじゃないか!」

「死にたくなかったら、俺にしっかりつかまれ!」

雄多郎は後を振り返った。豹人間がすぐ目前に迫って来ていた。男は手摺りに昇った。

雄多郎も半泣き状態で必死で手摺りに昇る。

「行くぞ!俺の手を絶対に放すな!」

二人は飛んだ、雄多郎の叫び声と共に。

すぐ後、豹人間が激しい音をたてて手摺りに飛びついたが、二人の姿はすでになかった。

安河内も来て、手摺りから下を見下ろしたが、落ちた二人の姿は確認できずに舌打ちした。

「くそ!逃げましたね」

安河内の足元で豹人間がまるで本物の豹の様に伏せの格好をして、安河内を見ている。

安河内は豹人間の頭を撫でながら

「あの男が社長の言っていた奴でしょうね。ふふ・・・殺しがいがあります」


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