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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

もしも戦艦大和が日本海海戦にいたら

掲載日:2026/06/17

疲れた

 第1章:宿命の出撃前夜(前編)

 昭和二十年四月六日、夕刻。山口県徳山沖、周防灘。 鏡のように穏やかな海面に、夕闇を切り裂くような巨大な影が横たわっていた。 全長二百六十三メートル、公試排水量六万九千トン。世界最大最強の戦艦「大和」である。その威容は、衰退の一途をたどる大日本帝国海軍が残した、最後の希望であり、最後の幻影でもあった。 艦内は、異様な熱気と、それとは裏腹の冷徹な静寂に支配されていた。 昼過ぎ、全乗组員に対して「天一号作戦」の命令が正式に下ったのだ。沖縄へ突入し、自らを砂浜に乗り上げて陸上砲台となり、米軍を迎え撃つ――。生還の可能性はゼロ。実質的な「巨艦特攻」の命であった。「如月きさらぎ少尉、何を考えている」 第一艦橋の窓から、夕日に染まる徳山の街並みを見つめていた如月少尉は、背後からの声にハッとして振り返った。 そこにいたのは、第一主砲塔の砲術長である。如月は若き砲術士官として、大和が誇る「四十六センチ主砲」の照準管理を任されていた。「……いえ。故郷の山が、妙に綺麗に見えるな、と」 如月は小さく苦笑した。まだ二十一歳。本来なら学問に打ち込んでいるはずの年齢だった。「そうだな。だが、我々にはもう、あの山を振り返る時間は残されていない」 砲術長は静かに、しかし力強く言った。その視線は、艦首にそびえ立つ、三連装三基・計九門の四十六センチ砲塔へと向けられていた。 一発の弾丸だけで一トン半を超える巨弾。それを四十キロメートル先まで正確に飛ばす、人類の造船史上、最高傑作の鉄の塊。しかし、この大和がこれまでその主砲を「敵戦艦」に向けて放った機会は、実質的にレイテ沖海戦の一度きりだった。「せめて一度でいい。米軍の最新鋭戦艦と、正々堂々と砲火を交えたかった。航空機にいたぶられて沈むのは、この大和には似合わん」 砲術長の本音が漏れた。如月もまた、同じ悔しさを胸に秘めていた。今や空の王者は航空機であり、大和のような巨艦は「時代遅れの遺物」と囁かれている。それを証明するかのように、今夜、大和の主砲弾は、満載ではなく「片道分」の数量しか積まれていなかった。 その夜、艦内では臨時の「酒宴」が催された。 明日は死ぬ。それが分かっている男たちが、配給された僅かな清酒を酌み交わし、軍歌を歌う。泣く者はいない。皆、大和とともに死ねることを誇りと思おうと、必死に自らを奮い立たせていた。 深夜二時。如月は主砲塔の内部に入り、最後の点検を行っていた。 冷たい鉄の匂い。世界最強の技術が詰まった水圧式の装填機構。如月は、巨大な砲身にそっと手を触れた。「お前を、ただの鉄屑として海に沈めさせはしない。必ず、お前の本当の力を世界に見せてやる」 それは、叶わぬと知りながらも、大和に命を懸けた若き士官の、魂の誓いだった。 そして、運命の四月七日、午前六時。 大和は、軽巡洋艦「矢矧」、そして八隻の駆逐艦を従え、ゆっくりと徳山沖を抜けて豊後水道へと進頭を開始した。 主機タービンが唸りを上げ、大波を蹴立てて大和が加速していく。これが最後の航海になる。誰もがそう信じて、決戦の地である南の空を睨み据えていた。 ――しかし、運命の神は、大和をただの悲劇では終わらせなかった。 午後十二時過ぎ、坊ノ岬沖。敵艦載機の第一波が襲来する直前。 大和の頭上に、突如として不気味な「紫色の巨大な雷雲」が立ち込めた。電探レーダーは一瞬にして狂い、羅針盤の針が激しく回転を始める。「なんだこれは!? 天候が急変したぞ!」 艦橋が混乱に陥ったその瞬間、空間を引き裂くような大閃光が大和を包み込んだ。 爆音はない。ただ、世界のすべてが真っ白に染まり、如月たちの意識は、深い闇の中へと引きずり込まれていった――。(第1章・前編 読了)

 第1章:宿命の出撃前夜(後編)

 昭和二十年四月七日、十二時。鹿児島県坊ノ岬沖。 豊後水道を抜けて東シナ海へと進出した大和特攻艦隊の頭上に、ついに不吉な駆動音が響き渡った。「敵機襲来! 方位三一〇、高度三千! 機数、およそ百五十!」 第一艦橋に響いた見張員の絶叫が、大和の最後の戦いの幕開けを告げた。 空を埋め尽くすのは、米海軍の最新鋭戦闘機ヘルキャット、そして魚雷を抱いたアベンジャー雷撃機の大群だ。かつて大和が一度も見たことのない、圧倒的な質量。「対空戦闘、始め!」 有賀艦長の怒号とともに、大和に搭載された百五十門以上の高角砲と機銃が一斉に火を噴いた。バリバリバリと大気を引き裂く重低音が艦体を震わせ、空に無数の黒い炸裂煙が広がっていく。 しかし、米軍の攻撃は冷徹かつ正確だった。 波を蹴立てて迫る魚雷が、大和の左舷へと次々に突き刺さる。 ――ズズーン! ズズーン! 内臓を揺さぶるような大爆発。数万トンの巨体が大きく左へと傾き、艦内に大量の海水が流れ込んでいく。「第一主砲塔、損害報告!」 如月少尉は主砲発令所で、狂ったように点滅する計器のライトを見つめていた。「左舷水雷防御隔壁、突破されました! 第九バラスト注水、間に合いません!」 伝声管から聞こえる部下の声には、死を覚悟した者の悲壮感が満ちていた。 傾斜はすでに十五度を超えている。このままでは、自慢の四十六センチ主砲を一度も敵戦艦に放つことなく、ただ空からのなぶり殺しに遭って海に沈むことになる。「馬鹿な……こんなところで、大和が終わってたまるか……!」 如月は操縦盤の鉄壁を強く殴りつけた。その時、艦橋の窓の外の景色が、突如として異様な変化を見せた。 敵機の爆音をかき消すように、バリバリと空間が軋むような怪音が轟いた。 見上げれば、昼間であるはずの空に、不気味な「紫色の巨大な雷雲」が急速に渦を巻いて広がっている。羅針盤の針は狂ったように回転を始め、大和が誇る一三号電探レーダーの画面は、真っ白なノイズで埋め尽くされた。「なんだ、あの雲は!? 米軍の新型兵器か!?」 艦橋が混乱に陥ったその瞬間、空間そのものがグニャリと歪んだ。 大和の巨体を包み込んだのは、爆発の炎ではなく、視界のすべてを奪い去る「純白の光の渦」だった。 衝撃が消えた。 傾斜していく艦体の不気味なきしみも、米軍機のエンジンの爆音も、部下たちの叫び声も、すべてが深い静寂の中に吸い込まれていく。如月は、自分が光の洪水の中で、あてどなく浮遊しているような奇妙な感覚に囚われていた。(ああ、俺は死んだのだな……大和とともに、逝くのだ……) 如月は静かに目を閉じた。 ――だが、意識の闇の向こうから、聞き慣れた重厚な駆動音が再び耳に届き始めた。 キーンという高いタービンの回転音。そして、床から伝わってくる、大和の心臓部(レシプロ機関)の力強い振動。「……おい、起きろ! 如月少尉!」 激しく肩を揺さぶられ、如月は目を覚ました。 視界に飛び込んできたのは、煤で汚れた第一艦橋の鉄壁だった。床は傾いていない。完全に水平を保っている。「私は……生きているのか?」「分からん。だが、敵機は一機もいない。それどころか、信じられないことが起きている」 有賀艦長が、血走った目で双眼鏡を覗き込んでいた。その顔は、米軍の襲撃の時とは全く違う、純粋な「困惑」に支配されている。 如月はよろめきながらも立ち上がり、艦橋の窓から外を見つめた。 空は驚くほどに青く、澄み渡っている。激しい空襲の煙もなければ、米海軍の影もない。ただ、穏やかな、しかしどこか見覚えのある海が広がっていた。「報告します! 水路測定! ――本艦の現在位置は、対馬海峡、東水道です!」「対馬海峡だと!? 豊後水道から南下していたはずだぞ!」 航海長の悲鳴のような報告に、艦内が騒然となる。 大和は死の淵から生還した。しかし、ここがどこなのか、そして「いつ」なのか、誰にも分からなかった。「艦長! 前方に多数の煤煙を視認! ――本艦へ向かって接近中!」 見張員の鋭い叫び声に、如月は慌てて15メートル二重測距儀を覗き込んだ。レンズの向こうに、水平線から現れた数隻の戦闘艦のシルエットが結像する。 中央に高くそびえ立つ二本の煙突。船体は黒と白に塗り分けられ、前後に一基ずつの連装砲があるのみ。それは、昭和の海には存在しない、教科書でしか見たことのない「前ド級戦艦」の陣形だった。 そして、その先頭を走る旗艦のマストには、色鮮やかな四色の旗が翻っていた。 黄、青、赤、黒。――『Z旗』。「艦長……あれは、我が海軍の記念艦……いや、現役の旗艦『三笠』です。我々は、明治三十八年の日本海海戦の真っただ中にいるんです!」 昭和二十年の敗戦の淵から、明治三十八年の栄光の海へ。 世界最強の四十六センチ砲を持つ孤高の超戦艦「大和」が、今、歴史の濁流へとその艦首を突き進めていった。(第1章・後編 読了)

 第2章:新旧連合艦隊の邂逅

 対馬海峡の白波を蹴立てて接近してくる艦隊は、紛れもなく、かつて日本を世界の一等国へと押し上げた「東郷連合艦隊」そのものだった。 旗艦『三笠』を先頭に、戦艦『敷島』『富士』『朝日』、さらに装甲巡洋艦『出雲』『磐手』が美しい単縦陣を形成している。「本当に……明治の海なのか」 如月少尉は測距儀から目を離し、自身の震える手を見つめた。 昭和二十年四月の坊ノ岬沖から、明治三十八年五月二十七日へ。大和は四十年もの時を遡り、ロシアのバルチック艦隊を迎え撃つ歴史の特等席へと放り出されたのだ。『電信室より艦橋! 敵、いや、前方艦隊よりモールス信号を受信!』 ヘッドセットを抑えた通信兵が、信じられないものを見たという顔で叫んだ。『「コチラ連合艦隊旗艦三笠。貴艦ノ国籍及ビ艦名ヲコタエヨ」……平文、暗号は使われていません!』「……艦長、どうされますか」 副長の問いに、有賀艦長は一度深く目を閉じ、そして決然と目を開いた。「我が大和は、大日本帝国海軍の戦艦である。それは昭和であれ明治であれ変わりはせん。通信兵、発光信号および手旗にて返電せよ」「ハッ! 文面は!?」「『ワレ、大日本帝国海軍所属、戦艦大和。これより連合艦隊の指揮下に入り、バルチック艦隊を邀撃せんとす』……これだ」 大和の巨大な艦橋から、強力な発光信号が放たれた。それは三笠の持つ信号灯よりも遥かに鋭く、白昼の海を正確に貫いていった。 一方、連合艦隊旗艦「三笠」の艦橋は、未曾有のパニックに陥っていた。「司令長官、あれは……一体何なのですか」 作戦参謀の秋山真之少佐が、いつも握りしめている木の実をポロポロと床に落としながら、唖然として前方を見つめていた。 海霧の向こうから突如として現れたその「城」のような巨体。 三笠の倍以上、全長二百六十メートルを超える圧倒的な船体。そびえ立つ一六〇センチ探照灯、そして何より、三笠の三十センチ主砲がまるで玩具に見えるほどに太く、長い、三連装の巨砲が三基、静かにこちらを睨んでいる。 世界中のどの海軍の資料にもない、文字通りの「怪物」だった。「ロシアの秘密兵器か……いや、待て。あの旗は」 加藤友三郎参謀長が双眼鏡を指先が白くなるほど強く握りしめた。 その怪物のメインマストには、三笠と同じ、赤と白の光条が鮮烈な「旭日旗」が悠然と翻っていたのだ。「長官! 相手より発光信号! ――解読します!」 信号兵が声を裏返らせて叫ぶ。『ワレ、大日本帝国海軍所属、戦艦大和。これより連合艦隊の指揮下に入り、バルチック艦隊を邀撃せんとす』「大和、だと……」 司令長官の東郷平八郎大将は、微動だにせず、ただじっとその巨艦を見つめていた。その鋭い眼光の奥に、言葉にできない衝撃と、深い思索が宿っている。「日本の名を持つ戦艦……。しかし、我が海軍にあのような計画は存在せん。秋山、どう見る」 東郷の問いに、秋山真之は急速に頭脳を回転させていた。「長官、信じがたいことですが、あの艦の造船技術、そして発光信号の鋭さは我が方の数十年先を行っています。塗装の形式も、今の我が軍の黒白塗装ではなく、戦時を想定した見事な軍艦色グレー。……彼らは、我々の『未来の子供たち』です」 未来の日本海軍。その言葉が、艦橋の幕僚たちの胸に突き刺さった。未来の日本は、これほどまでに凄まじい、世界の頂点に立つような巨艦を造り上げる国になっているのか。『三笠』から、すぐさま返電が放たれた。『大和の合流を歓迎する。本職の指揮下に入れ。共に皇国の興廃を背負って戦わん』 大和の艦橋でその返電を受け取った有賀艦長は、小さく笑みを浮かべた。「連合艦隊長官、東郷平八郎大将より、指揮下への編入を許可された。これより本艦は、連合艦隊の一員として戦う!」「おおおっ!」 艦橋内の兵員たちから、地鳴りのような歓声が上がった。 昭和二十年、航空機に追いつめられ、片道の燃料で死に場所を求めていた大和。その大和が今、戦艦が海の王者であった時代へと引き戻され、歴史上最も輝かしい艦隊の一翼を担うことになったのだ。「如月少尉、第一主砲塔へ戻れ」 有賀艦長が如月の肩を叩いた。「本艦の四十六センチ砲の初陣だ。明治の先輩方に、我々未来の海軍の実力を見せてやれ」「ハッ! 第一主砲塔、全力をもって大御心を確実にお支えします!」 如月は力強く敬礼し、艦橋を飛び出した。 通路を駆け抜けながら、如月の胸はこれまでにない熱い高鳴りに支配されていた。 米軍機に一方的に殴られるのではない。世界最強の戦艦として、正々堂々と敵の「艦隊」を相手に主砲を放つ。その最高の舞台が、今、目の前に整おうとしていた。 大和の九門の四十六センチ主砲が、ゆっくりと、しかし圧倒的な威圧感をもって、北の水平線へとその銃身を向け始めた。(第2章・了)

 第3章:皇国の興廃、ここにあり

 対馬海峡の波は、秋山真之参謀が書き残した通り、高く、そして白く泡立っていた。 旗艦「三笠」の後方に陣取った戦艦「大和」の艦内では、明治の海軍将兵が誰も見たことのない、未知の戦闘準備が進められていた。「電探室より艦橋! 一三号電探および二一号電探に感あり! 方位〇四五、距離約四万五千(約45キロメートル)! 多数の艦影を捕捉!」 第一艦橋のスピーカーから、電探員の張り詰めた声が響く。「四万五千だと!?」 有賀艦長をはじめ、艦橋の幕僚たちが一斉に目を見開いた。 明治三十八年の現代において、戦艦の最大射程はおよそ一万メートル、有効射撃距離にいたっては五千メートル前後が常識だ。水平線の彼方、肉眼では影すら見えない四十キロメートル以上先の敵を「目に見えるように捉える」など、この時代の人間には神業にしか思えないだろう。「間違いない。ロジェストヴェンスキー中将率いる、バルチック艦隊だ……」 如月少尉は主砲発令所の暗がりの中で、緑色に光るレーダースクリーンを見つめていた。画面の上で、規則正しく並んだ数十個の光点が、じわじわと南下してくるのが分かる。「通信兵! 三笠へ発光信号を送れ。『ワレ敵艦隊ヲ電探ニテ捕捉。方位〇四五、距離四万五千、巡航速度十二ノットにて接近中』だ!」「ハッ!」 大和の艦橋から、超高輝度の探照灯による発光信号が明滅した。 それを受け取った旗艦「三笠」の艦橋は、再び震撼していた。「長官、大和からの信号です。敵の正確な位置、速度、進路が……我が方の信濃丸(通報艦)の報告よりも早く、しかも詳細に届きました」 秋山真之が電文を東郷平八郎に差し出す。その手は興奮でわずかに震えていた。「距離四万五千か。我が三笠の目(肉眼)にはまだ何も映らん。未来の『電探』とやらは、千里眼の類いか」 加藤参謀長が驚嘆の声を上げる。東郷平八郎は、その白髪の交じった顎髭を静かに撫で、水平線の先を見つめた。「大和の報を信頼する。……電信員、大本営へ打電せよ」 東郷が静かに口を開いた。歴史にその名を刻む、あまりにも有名な電文が、今、対馬海峡から東京へと発信された。『敵艦見えたりとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し』 そして、東郷は無線帰投のスイッチを入れ、大和へ向けて返電を命じた。『大和の千里眼に感謝する。これより我が艦隊は敵の頭頭を抑えるべく、敵前大回頭(ト号回頭)を行う。大和は我が陣列の最後尾より、その圧倒的なる巨砲をもって、敵の旗艦を破砕せよ』「最後尾から旗艦を破砕せよ、か……」 大和の艦橋でその命令を聞いた有賀艦長は、不敵な笑みを浮かべた。「面白い。東郷長官は、本艦の主砲射程が自分たちの数倍あることを見抜いておられる。如月少尉! 聞こえるか!」『発令所、如月少尉! 完全に聞こえております!』 受話器から如月の力強い声が返る。「三笠以下の前ド級艦が敵の射程内に飛び込む前に、本艦が先制パンチを喰らわせてやる。第一主砲塔から第三主砲塔まで、全九門、仰角を上げろ。ターゲットは敵の第一戦隊旗艦『クニャージ・スヴォーロフ』だ!」『了解! 主砲、仰角開始!』 ギィィィィン――。 大和の甲板上で、一基あたり二千トンを超える三基の巨大な主砲塔が、重々しい金属音を響かせながら旋回を始めた。 太く長い三連装の四十六センチ砲身が、まるで天空を衝くかのように、次々と仰角を上げていく。 主砲発令所の中では、如月が最新の九八式射撃盤のダイヤルを回し、電探からのデータを入力していた。「距離、三万八千! 仰角、二十五度! 水路、風向、すべて計算完了!」 一発の重量一・四六トン。中の炸薬が爆発すれば、明治時代のいかなる装甲戦艦であっても一撃で消し飛ばす破壊力を持つ、タイプ九一徹甲弾。それが今、水圧式の装填機によって、暗い砲身の奥へと滑り込んでいく。「真壁砲術長、いつでもいけます!」「よし、各砲塔、装填完了のランプを確認。如月、お前が引き金を引け。昭和の海の雪辱を、この明治の空へぶちまけろ!」「ハッ……!」 如月の前に、赤く塗られた主砲発射レバーが静かに現れた。 肉眼ではまだ、バルチック艦隊の姿は煙の筋としてしか見えない。しかし、大和の未来の技術は、すでに敵の旗艦の息遣いまでをも完全にロックオンしていた。 皇国の興廃、ここにあり。二つの時代を背負った、世界最大最強の主砲が、ついに火を噴く瞬間が迫っていた。(第3章・了)

 第4章:46センチ砲、火を噴く

 距離、三万六千(約36キロメートル)。……全門、連動固定!」 大和の主砲発令所に、如月少尉の張り詰めた声が響き渡った。 緑色のレーダースクリーンの中央、敵の第一戦隊を率いるロシア旗艦『クニャージ・スヴォーロフ』を示す光点に、大和の電子的照準ロックオン・シグナルが完全に重なっていた。 明治時代の海戦常識では、三十キロ以上先から敵を狙うなど、夜空の星を狙い撃つような妄想に等しい。しかし、昭和の結晶である大和の射撃盤は、波の揺れ、地球の自転、風の抵抗までも計算し尽くし、冷徹にその解を導き出していた。「有賀艦長、いつでもいけます!」 発声管を通じて、砲術長の声が第一艦橋へ飛ぶ。 有賀艦長は、双眼鏡を構えたまま深く息を吸い込み、右手を力強く振り下ろした。「――主砲、てーッ!」 如月が、目の前の赤い発射レバーを渾身の力で手前に引いた。 ――ズ、ドォォォォォォォンッ!! 大和の艦体が、数万トンの自重を震わせて激しく横揺れした。 第一から第三主砲塔、計九門の四十六センチ砲口から、巨大なオレンジ色の火炎が爆発的に吹き出す。猛烈な爆風が対馬海峡の白波を周囲数百メートルにわたって押し留め、海面に巨大なクレーターのような窪みを作り出した。 一発につき一・四六トン。合計十トンの鉄の塊が、音速の二倍を超える凄まじい速度で、一瞬にして雲の上へと突き抜けていった。 大和の放った重低音は、十数キロメートル前方を航行していた旗艦『三笠』の艦橋をも直撃した。「……な、なんだ!? 爆発か!?」 加藤友三郎参謀長が思わず耳を塞ぎ、振り返る。 三笠の背後、数キロの距離を保っていたはずの大和の周囲が、凄まじい黄色い爆煙で完全に覆い隠されていた。その煙の壁の向こうから、天を割るような轟音が遅れて響いてくる。「大和が……主砲を放ったのです」{1}秋山真之が、空を見上げたまま唖然と呟いた。「しかし、敵はまだ水平線の向こう。我が方の三十センチ砲では、影すら拝めぬ距離ですぞ! 一体、どこを狙って……」 その頃、北から南下を続けていたロシアのバルチック艦隊、旗艦『クニャージ・スヴォーロフ』の艦橋。 ロジェストヴェンスキー中将は、日本の連合艦隊を肉眼で捉えるべく、穏やかな表情で水平線を睨んでいた。ロシアの誇る最新鋭のボロジノ級戦艦四隻。これだけの戦力があれば、東洋の小国の艦隊など一揉みで潰せる。誰もがそう確信していた。 ――その傲慢を、大空を引き裂くような不気味な「鳴動」が切り裂いた。 ヒュルルルルルルルル――ッ!! それは、今までに聞いたこともない、巨大な怪物が空を削りながら降ってくるような、悍ましい風切り音だった。「なんだ!? 上空に何か来るぞ!」 ロシアの士官が叫ぶ暇すら、運命の神は与えなかった。 ドォォォォォォンッ!! 『クニャージ・スヴォーロフ』のわずか数十メートル右舷に、見上げるような巨大な水柱が三本、同時に垂直に突き上がった。三笠の主砲が作る水柱の数倍、ビルの一棟にも匹敵するような巨大な水の壁だ。「至近弾……!? バカな、日本軍の艦隊はまだ遙か彼方だぞ!」 ロジェストヴェンスキーが驚愕に顔を歪めた、まさにその瞬間だった。 ――ズダァァァァァンッ!! 残る巨弾が、ロシア旗艦の第一煙突の直下に、完璧な『直撃』を果たした。 一トン半の鉄徹甲弾は、明治時代の旧式な装甲など存在しないかのように容易く貫通し、艦の心臓部である第一ボイラー室のド真ん中で炸裂した。 凄まじい爆炎が甲板を突き破って天へと吹き上がり、二本の巨大な煙突が一瞬にして消し飛んだ。さらに爆発の衝撃波によって、スヴォーロフの誇る前部連装主砲塔が根元からへし折れ、海へと転落していく。 たった一発。 大和が放った、わずか一発の四十六センチ砲弾によって、バルチック艦隊の最高旗艦は、戦いが始まる前に完全にコントロールを失い、大火災を起こして陣列から落伍していった。「め、命中……! 敵旗艦、大火災! 速度低下!」 大和の電探室から、狂喜に満ちた報告が響いた。 測距儀を覗いていた如月少尉の目にも、はるか遠くの水平線の先で、真っ赤な炎の柱が立ち上がるのがはっきりと見えた。「やったぞ……」 如月は拳を固く握りしめた。 昭和の海では、空からの攻撃に晒され、その牙を戦艦に向けることすら許されなかった大和。しかし今、この明治の海で、大和は世界最強の戦艦としての真価を、完璧な形で証明してみせたのだ。 水平線の向こうから届いた、敵旗艦爆発の閃光。 それを見た『三笠』の東郷平八郎は、静かに右手の双眼鏡を下げ、背後の巨艦へと視線を送った。その顔には、未来の子供たちがもたらした圧倒的な力への、深い畏敬の念が浮かんでいた。

 第5章:アウトレンジの圧倒

 対馬海峡の海に、ロシア将兵の絶叫がこだましていた。 海戦が本格的に始まる前に、最高旗艦『クニャージ・スヴォーロフ』が大和の一撃によって大破落伍。バルチック艦隊の陣列は、指揮官を失ったことで急激に乱れ始めていた。「左十五度! 敵の第二戦隊、戦艦『オスラビヤ』および『インペラトール・アレクサンドル3世』を捕捉!」 大和の主砲発令所に、如月少尉の容赦のない指令が響く。「三笠以下の連合艦隊、敵前大回頭(ト号回頭)を開始したぞ!」 有賀艦長の声が伝声管から轟いた。 大和の艦橋から前方を見つめれば、東郷平八郎大将率いる『三笠』をはじめとする第一戦隊が、敵の目の前で大きくUターンする「敵前大回頭」を敢行していた。歴史に名高い「東郷ターン」である。 回頭中の数分間、日本の艦隊は舵を固定され、敵に向けて大脇腹を晒すことになる。本来なら、ロシア艦隊からの集中砲火を浴びる最も危険な時間帯だった。「連合艦隊(先輩方)を傷つけさせはせん。我が大和の全火力を以て、回頭を援護する!」 有賀艦長が叫ぶ。「主砲、交互打ち! 第二、第三目標へ照準固定! ――てーッ!」 ズ、ドォォォォォォンッ!! 再び大和の九門の巨砲が、今度は時間差を置いて次々と火を噴いた。  三万メートル以上の超遠距離から降り注ぐ、一トン半の徹甲弾の雨。 回頭する『三笠』を狙おうと主砲を向け始めていたロシアの戦艦『オスラビヤ』に、大和の第二主砲塔から放たれた二発の巨弾が、正確に突き刺さった。 ドゴォォォォォン!! 明治の装甲技術で作られた『オスラビヤ』の水線部装甲は、大和の46センチ砲の前には、まるで薄いブリキ板のようだった。砲弾は艦体を容易く貫通し、水面下で大爆発を起こす。 一瞬にして横腹に巨大な破孔を開けられた『オスラビヤ』は、大量の海水を飲み込み、わずか数分で左舷へ大傾斜。そのまま、海戦の最初の犠牲者として対馬海峡の冷たい底へと沈んでいった。「『オスラビヤ』、轟沈! 敵艦隊、完全にパニックを起こしています!」 電探員の報告通り、ロシア艦隊の無線からは、恐怖と混乱に満ちた叫びが飛び交っていた。『どこから撃たれている!?』『見えない敵がいる! 悪魔の砲撃だ!』 ロシアの砲術士官たちは、必死に測距儀を覗き、射程五千メートルの自軍の主砲で反撃しようとしていた。しかし、彼らのレンズに映るのは、遙か水平線の先で悠然と煙を吐く、見たこともない「黒い山のような超巨大戦艦」の姿だけだった。 ロシア側の砲弾は、どれだけ仰角を上げて放っても、大和の手前十数キロメートルの海面に虚しく水柱を立てるだけ。文字通りの「アウトレンジ(射程外からの圧倒)」だった。 回頭を無傷で終えた『三笠』の東郷平八郎は、大和の圧倒的な戦いぶりを双眼鏡で見つめていた。「真之、あれが未来の『大和』の力か」「はい。長官、大和の砲撃は、もはや戦いではなく『処刑』です。バルチック艦隊の戦意は完全に粉砕されました。……我が連合艦隊も、これより突撃に移ります!」 秋山真之が歓喜に震える声で叫んだ。 大和が作った圧倒的な有利。それに乗じ、三笠以下の連合艦隊が、射程内に引きずり込んだロシアの残存艦隊へ向けて猛烈な砲撃を開始した。 大和の46センチ砲が敵の主力戦艦の息の根を止め、連合艦隊の30センチ砲や副砲が巡洋艦や駆逐艦を掃討していく。日露戦争の命運を賭けた日本海海戦は、大和という「未来の怪物」の介入によって、歴史以上の圧倒的なワンサイドゲームへと変貌していった。 主砲発令所の中で、如月少尉は汗を拭いながら、次々と装填される主砲弾のランプを見つめていた。「昭和の空では、戦うことすら許されなかった……」 如月の目に、熱いものが込み上げる。 航空機に追い詰められ、片道の燃料で沈むはずだった大和。その大和が今、最高の舞台で、その真の力を世界に見せつけている。大和の咆哮は、まるで「時代遅れ」と笑った未来への、誇り高き反撃のようだった。「次が最後の一隻だ! 敵戦艦『ボロジノ』、照準ロック!」 如月は力強く叫んだ。対馬海峡を血と炎で染めた世紀の海戦は、いよいよ最終局面へと向かおうとしていた。(第5章・了)

 第6章:新たなる夜明け

 対馬海峡を真っ赤に染めていた夕日が、激しい戦闘の煙に遮られながら、ゆっくりと水平線の向こうへ沈んでいこうとしていた。 かつて世界を震撼させたロシアの誇り、バルチック艦隊の姿は、もはやどこにもなかった。主力戦艦群は大和の四十六センチ砲によってすべて海の底へと叩き落とされ、残された巡洋艦や駆逐艦も、連合艦隊の猛烈な追撃によって完全に壊滅していた。『敵艦隊、旗艦『ニコライ1世』より白旗! 降伏を要求しています!』 大和の電探室から、涙声の混じった報告が艦橋へと響き渡った。「……勝った。本当に、勝ったのだな」 有賀艦長が双眼鏡を下げ、深く息を吐き出した。その端正な顔には、昭和二十年のあの絶望的な出撃の時には決して見せることのなかった、本物の指揮官としての安堵と、誇りが満ち溢れていた。 主砲発令所の中で、如月少尉は赤く染まった発射レバーから静かに手を離した。 周囲を見渡せば、砲術員たちが互いに泥や煤で汚れた顔を見合わせ、言葉にならない男泣きをしていた。 大和は死ななかった。航空機にいたぶられて無念のまま沈むはずだった巨体は、この明治の海で、歴史上最も完璧な勝利を飾るための一翼となったのだ。大和の九門の巨砲は、ゆっくりと、しかし確かな達成感とともに、静かに水平の角度へと戻されていった。 海戦の終結とともに、波高き対馬海峡に奇妙な静寂が訪れる。 燃え盛るロシア艦の残骸が点在する海の上を、大和はゆっくりと航行していた。そのすぐ側には、激戦を潜り抜け、無数の弾痕を体に刻んだ連合艦隊旗艦『三笠』が並走していた。 三笠の全長は、大和の半分にも満たない。しかし、その小さな前ド級戦艦から放たれる威厳は、大和の将兵にとっても等しく敬意を払うべき、偉大なる「祖父」の姿そのものだった。『三笠』の第一艦橋。 司令長官・東郷平八郎大将は、自艦の真横にそびえ立つ、城郭のような大和の艦橋を見上げていた。「真之、あの艦は我々を助けるために、遥かな未来から神が遣わされたのかもしれんな」「はい、長官。彼らのおかげで、我が連合艦隊の被害は奇跡的なまでに最小限に抑えられました。歴史に『もしも』はありませんが、彼らが紡いだこの勝利は、日本の未来を大きく変えることになるでしょう」 秋山真之が深く頷く。 東郷は静かにヘルメット(軍帽)を小脇に抱え、大和に向けて真っ直ぐに背筋を伸ばした。そして、その白髪の混じった右手を、厳かに額へと掲げた。 それを見た加藤参謀長も、秋山真之も、三笠の甲板に立つすべての将兵が、未来から来た超巨大戦艦へ向けて、全力の敬礼を捧げた。「長官……東郷長官が、本艦に敬礼を……!」 大和の艦橋でそれを見た有賀艦長は、熱いものが胸に込み上げるのを抑えきれなかった。「総員、東郷長官および連合艦隊の先輩方へ、敬礼ッ!」 有賀艦長の号令が艦内に響き渡る。 如月少尉も、機関室の兵士も、大和の二千名を超える全乗組員が、一斉に三笠へ向けて挙手敬礼を返した。 昭和二十年の敗戦の闇を知る若者たちと、明治三十八年の栄光の坂を駆け上がる男たち。二つの時代が、対馬海峡の夕焼けの中で、固い敬礼によって一つに結ばれた瞬間だった。 その時、再び大和の頭上に、あの不気味な「紫色の巨大な雷雲」が渦を巻き始めた。 空間が軋み、純白の光の渦が、大和の巨体を優しく包み込んでいく。「艦長、またあの光です! 時空の歪みが始まります!」「慌てるな!」 有賀艦長は笑っていた。「我々の任務は終わった。この大和の咆哮は、必ずや歴史を書き換えたはずだ。我々が還る未来は、きっと……あの敗戦の焦土ではない、平和な日本になっているはずだ」 如月は、消えゆく明治の海を見つめながら、主砲の鉄壁をそっと撫でた。(ありがとう、大和。お前の本当の強さを、俺は一生忘れない) 純白の光が爆発するように大和を飲み込み、次の瞬間、巨艦の姿は対馬海峡から完全に消失した。 あとに残されたのは、ただ静かに波打つ美しい海と、未来の子供たちが遺していった、日本の大いなる夜明けの光だけだった。(第6章・完)



感想オナシャス

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