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風纏いの流転、二ノ瀬真治

 風が吹いた。

 草が揺れている。

 まぶしいほどの空の下、俺はただ、立ち尽くしていた。


 俺は――全裸だった。


 どうするべきか悩んでいると、遠くに何かの影が見えた。

 大きさからして、たぶん人だ。でも距離がありすぎてよくわからない。ただ、そっちに向かってまっすぐに歩いてきているのは確かだった。


 俺は一瞬、本能的に「逃げるか?」と考えた。でも見渡す限りの草原で、隠れる場所なんてどこにもない。なにより裸だ。

 あっという間に追いつかれるのは明白だった。


 影はだんだんと輪郭を持ち始め、人の形をしているのがわかる。なぜだか、ほっとする。

 が、すぐに我に返る。見知らぬ世界、見知らぬ人間。何が起きても不思議じゃない。


 それでも――どう考えても逃げられない。あきらめて、いい人であることを願いながら、両手でなんとなく股間を隠して、その場に立ち尽くす。


 人影はやがて目の前まで来て、静かに立ち止まった。

 仮面をかぶり、ローブを着たその人物は、映画に出てくる魔法使いみたいな格好だった。性別はわからない。声も中性的だった。


「安心してください、危害は加えません。近づいてもいいでしょうか? 私はあなたを保護しに来ました」


 そう言って、その人――仮に今は“仮面さん”とでも呼ぼう――は背負っていたリュックから、ローブやら水筒やら乾いたパンのようなものを取り出して、俺の前に置くと、数歩下がって両手を上げた。


 この状況で無言を貫くほど俺は肝が据わっていないので、素直にローブを拾って羽織る。思った以上にあったかくて、布にくるまれてるだけなのに不思議と安心できた。


「え、えっとありがとう。それで……ここってどこなんだ?」


「その前に自己紹介をしてもいいでしょうか?」


「あ、うん。俺は……二ノ瀬真治、です。よろしく」


「ニノセ シンジ様ですね。ありがとうございます。私の名前はアイとお呼びください。本名ではありませんが、その理由も含め、後ほどご説明いたします。今はここから離れ、安全な場所へ移動するのが先決です。近づいてもよろしいでしょうか?」


「は、はい。大丈夫です」


 やっぱ危険なんだな……と心の中で思いながら答える。


「本当に申し訳ないのですが、早急に移動したいので、おんぶかお姫様抱っこ、どちらか選んでいただけますか?」


 ……え?


「え……えっと……じゃ、じゃあ、お、おんぶで」


 もはやよくわからないけど、少なくとも姫扱いされるよりはマシだ。


「ありがとうございます。では、どうぞ。落ちないようにしっかりとおつかまりください」


 そう言って、アイはリュックを前に抱え直し、背を向けてしゃがんだ。話し方や名前からして女性のような気もするが、確信はない。

 緊張しながら背中に体を預けると、アイは軽々と俺を背負い、すっと立ち上がった。


「では行きます。シンジ様、舌を噛まないようにお気をつけください」


 次の瞬間、世界が跳ねた。

 地面を蹴ったアイの身体が、ほぼ無音で10メートルほど前方に移動していた。


 ありえない。

 この時点で俺はようやく、ほんのりと「もしかしてこれ、異世界かもしれないな」と思い始めていた。


 そこから数時間、アイは定期的に休憩を挟みつつ、信じられない速さで草原を駆け抜けた。

 途中、見たことのない植物や空の色を見て、ようやくここが“現実ではないどこか”であると受け入れ始めた。


 やがて、遠くに町のような建物群が見えてきた。

 アイはその少し手前で止まり、振り返って言った。


「シンジ様。信じていただきたいのですが、あなたが町に入るのは非常に危険です。ただ、少し連絡を取る必要があるので、ここで5分ほどお待ちいただけますか?」


「え? わ、わかった。待ってる」


「ありがとうございます。一応、危険がないよう結界を張っておきますので、この範囲から出ないようにお願いします」


 そう言って、アイはふわりと姿を消した。


 4分後、何事もなく戻ってきたアイは、リュックから果物の干物のようなものと水筒を差し出してきた。


「1時間ほどで、転移の準備が整います。よろしければその間、少しお話をさせてください」


 そう言ってアイは、俺の前に静かに座った。


「まず、ここがどこなのかという話からいたしましょう。……この場所は、あなたのいた世界とは異なる、“別の世界”です」


 その言葉で、俺の中でぼんやりしていた現実感が、ようやく形を持ち始める。


「およそ二百年前から、この世界では“女の子しか生まれなくなる”という現象が起きています。理由はわかっていません。研究も重ねられましたが、いまだ原因は不明です」


「女の子しか……?」


「はい。そして、約六十年前から、“外の世界”から突然男性が転移してくるようになりました。その方々を、私たちは“流転者”と呼んでいます」


 流転者。どこかSFっぽいというか、中二っぽい響きのある単語だ。


「転移場所がランダムなので、過去には危険な場所に現れて命を落とす方もいらっしゃいました。そうした事態を避けるため、私たち監視員が配置されております。私はそのひとりです」


「アイ……さんも?」


「ええ。“アイ”というのは、監視員が流転者様に名乗るためのコードネームのようなものです。由来は単純で、“どこに転移してきても見つけ出す目”という意味です。私たち個々の本名は、原則お伝えしておりません」


 その言い方が妙に穏やかで、ちょっとした軍隊っぽさを感じた。


「それと、私たちが仮面をつけ、姿がぼやけて見えるようになっているのは、“シンジ様に対して女性として意識されないようにするため”です。本名をお伝えしないのも、個人として意識されないためです」


「え?」


「私たちは契約魔法によって行動を制限されていますので、シンジ様に危害を加えることは絶対にありません。ただ、容姿で好意を抱かれてしまうと、判断を誤らせてしまうことがありますので、こういった処置をしています。すべては、流転者様の保護を確実に遂行するためです」


 つまり、監視員はどこまでも“中立で安全な案内人”ってことか。


「今後は、ある“島”へ転移していただき、そこで生活してもらうことになります。

 シンジ様は、たいへん幸運な方です。私たち監視員は、世界中におよそ百万人近く配置されていますが、それでも見つけられていない流転者様は、今もどこかに……。シンジ様が転移された場所は、危険ではありますが比較的人類の生活圏に近く、早期に保護できたのはとても稀な例です。ここまでスムーズに島へご案内できるのは、ここ数十年でもほとんど例がありません」


「……そんなに運が良かったのか、俺」

 保護されて、服や食料をもらって、今こうして案内までされてる。

 でも、見つけられなかった人たちは……そのまま、だったのかもしれない。

 現実味のない話だけど、妙に重かった。


「そ、その、島での生活っていうのは、自由とか……あるんですか?」

 どんな場所か想像もつかないけど、とりあえず草原で全裸よりはマシか。

 でも、“生活してもらう”って言葉が引っかかった。何を、どこまで許されるんだろう。もう戻れないのかもしれないという思いが、じわりと胸の奥に染みこんでいく。


「はい。何不自由ない暮らしができる環境は整っております。ただし、いくつかの“義務”がございます。詳細は現地で担当から説明がありますので、そちらでお聞きください。

……心配なのはわかります。ですが、外にだって出られますし、やりたいことがあれば、大抵のことは手配できます。良識の範囲内なら、わがまま言い放題ですよ」


 言い終えると、アイはすっと立ち上がった。

 最後にかけてくれた言葉は、マニュアルじゃなくて、きっとあの子自身の気持ちだったんだろう。そのことに気づいたら、少しだけ肩の力が抜けた。


 そして、ちょうど1時間後。


 目の前に、アイとほとんど同じ背格好の人物が、何の前触れもなくふっと現れた。

「シンジ様、ここからは私がご案内します。……といっても一瞬なので、すぐにお別れになりますが」


 声は同じだが、わずかに話し方の癖が違う。やっぱりこの人も“アイ”なんだろう。


「わかりました。えーと、どうすればいいんですか?」


「では、こちらへお願いします」


 その人――新しいアイは、何やら小声で呟きながら地面に手をかざす。すると足元に青白い光が広がり、複雑な紋様の魔法陣が現れた。


 完全に異世界だな……と心の中で思いながら、俺は素直に誘導されるままその中心に立つ。


「では、シンジ様。私はここでお別れです。きっと、これから色々と戸惑うこともあると思いますが……心から、応援しています」


 少し間を置いて、アイはやわらかく笑うような声で続けた。


「そして、この世界に来てくださって……本当にありがとうございます」


「あ、ああ。助けてくれて、本当にありがとう。でも、名前……教えてほしかったな。助けてくれた人の名前くらい、知っておきたいよ」


 少しだけ、名残惜しい気持ちを込めて言ってみたが――その瞬間、仮面や名前を隠している理由が、なんとなく理解できた気がした。


 アイは何も答えず、ただ静かにうなずいた。

 その直後、足元の魔法陣が強く輝きはじめ、視界がぶれる。


 次の瞬間、俺はもうそこにいなかった。


 そこは、白を基調にした落ち着いた雰囲気の部屋だった。

 過剰な装飾も、奇抜なデザインもない。ただ、丁寧に整えられた室内。

 見知らぬ場所なのに、どこか安心感のある空間だった。

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