誇り高き愛、アレクシアーナ・フォン・クロイツェンベルク
アレクシアーナ・フォン・クロイツェンベルク――23歳、フィルゼン帝国の名門貴族の後継者。長い金髪は陽光のように輝き、整った顔立ちには冷たさと気高さが共存している。深紅のドレスは彼女の白い肌を一層際立たせ、引き締まった背筋と優雅な立ち居振る舞いは、貴族社会の華として生きてきたことを物語っていた。生まれたときから期待を背負い、周囲からも「完璧なお嬢様」と囁かれてきた彼女だが、その心の内にあるのは、家のためではなく、ただ自分の理想を叶えたいという純粋な願いだった。
控え室の奥、重厚な扉の向こうで、彼女は深呼吸をひとつして背筋を伸ばす。ゆっくりと歩みを進め、光に包まれた舞台の入口へと向かう。会場中から歓声が巻き起こるが、舞台に足を踏み入れた瞬間、魔法の膜によってその音はすべて遮断された。まるで世界にふたりだけが取り残されたような静寂。彼女の視界の中、たった3メートル前に、異世界から来た流転者、シンジが立っている。
(ここで……私のすべてをぶつける。この想いを、余さず伝えるのよ)
優雅なドレスの裾をつまみ、気品ある一礼。視線を上げ、彼女は微笑んだ――その瞬間。
(……っ!)
胸の奥がぐらりと揺れた。
映像で憧れてきた男――その気配を、体温を、間近で感じた途端、心が予想外の反応を見せた。
欲しい、触れたい、抱きしめたい――
いや違う、守りたい、愛されたい、全部あげたい――
言葉にならない感情が胸の奥でぐちゃぐちゃに絡まり、嵐のように押し寄せる。
(こんなの……こんな気持ち、知らない……!)
息が詰まり、震える指先をぎゅっと握りしめる。顔が熱くなる。涙がにじみそうになる。
それでも笑みを保ち、唇を震わせながら言葉を紡ぐ。
「私は、アレクシアーナ・フォン・クロイツェンベルク。この世界で、あなたと出会えた奇跡に、心から感謝しています」
声が、わずかに揺れた。それでも彼女は顔を上げ、視線を真っすぐに合わせる。「……こうして近くでお会いして、気づきました。私は……ずっと、この瞬間を夢見ていたんだと」
(落ち着け、私。これは……一世一代の舞台なのよ)
「私は……あなたと未来を歩みたい。あなたの笑顔を、ずっと見ていたい」
そっと手を胸元に当てる。
「それがわたくしの、ただひとつの願いです。
この胸に宿る愛を、すべてあなたに捧げます――
どうか、わたくしを見てください」
彼女の声は微かに震えていたが、その瞳は決して逸らさなかった。
*******
この世界で“正統なハーレム候補”として流転者に選ばれるには、地位、財力、そして高度な魔法能力のすべてを備えていなければならない。選ばれた者は、万を超える候補の中から「世界の宝」である男に寄り添う者として名を刻まれる。しかしそれは、名誉と引き換えに、国や家、時には自分という存在さえも捨て去るような生き方だった。
アレクシアーナは、そのすべてを備えていた。魔力も、血筋も、人格も、すべてが帝国からの推挙にふさわしい存在だった。
だが彼女は、その「栄光」を望まなかった。
選ばれた瞬間から、国家の名門も、誇り高き血筋も、意味を失う。ただ「流転者のための一人」となるだけ。それは、多に溶けること。個性を失い、役割になること。
そんな生き方を、彼女は拒んだ。
たった一人の女性として、たった一人の男に選ばれたい――その願いだけを胸に、用意された安泰の道を自ら棄て、苛烈な舞台へと足を踏み入れた。
あの日、画面の向こうで煌めいた魔法に、心を撃ち抜かれた。
第1回・告魔フェス。参加者たちが放った告白魔法の数々――胸の奥でしか知らなかった想いが、あんなにも鮮やかに放たれていた。
そのとき、はっきりとわかったのだ。――これが、自分の進む道だと。
彼女は、告白魔法の開発に本格的に取り組みはじめた。
「炎と光を組み合わせて……違うわ、もっと……胸の奥に届くような……」
呟きながら光の弾を指先に作る。だが弾は数秒後、ぱちんと弾けて消えた。
「っく……またダメ……!」悔しさに奥歯を噛みしめる。
机の上には破れたノート、焦げ跡のついた試験管、散らばる書類。
第2回・告魔フェス。
彼女は本気で出場を考えた。だが――まだだった。
魔法は形になりかけてはいたが、思いを託すにはあまりにも未熟だった。
だから彼女は、参加を見送った。その代わり、演武の記録を何度も見返し、技と想いのかたちをひたすら研究した。
そしてそのたびに、ひとつの場面で、いつも心が止まる。
演武の舞台に立つその姿。
ただの映像のはずなのに、視線も、佇まいも、なぜかまっすぐ心に刺さってくる。
心臓が跳ねる。指が震える。胸の奥が熱を帯びていく。
やっぱり、この気持ちだ。
迷いなんて、最初からいらなかった。
想いはさらに強く、鮮やかに燃え上がっていった。
第2回からは、流転者の“好み”に合わせて参加条件が設けられるようになった。
そのとき提示されたのは――「巨乳」。
だから条件については特に気にしていなかった。アレクシアーナは――Fだ。
「……ふふ、問題ないわ」
自信を持って、胸を張れた。
だがそれから2年後、第3回の発表を聞いたとき、思わず頭を抱えた。
「筋肉質……ですって!?」
さすがに予想外だった。今からでも筋トレをして間に合わせようかと真剣に悩んだ。けれど告白魔法はまだ納得できる完成には至っていなかったし、年齢的にも、まだギリギリ余裕がある。悔しかったが、歯を食いしばり、挑戦を見送った。
「……次こそは……!」
それからさらに3年。ついに第4回告魔フェスの正式発表。
流転者の好み――「トマトが嫌いじゃない人」。
彼女はそっと口元に手を当て、くすっと笑った。
「ふふ……真っ赤なトマト、ホント大好き」
*******
舞台上。彼女はそっと後ろへ大きく下がり、舞台の端近くまで移動して、シンジとの間に大きな距離をつくった。そして大きく息を吸い込み、両手を前に出し、♡の形をつくる。
「あなたに……この燃え上がる愛を……
ファナティック・フレイム・オブ・ハート! 」
次の瞬間、アレクシアーナの両手から、燃えるように輝く♡型のピンク色の魔炎が次々と放たれた。
それは小さな輪の形をとりながら、まるで王宮の舞踏会のような華麗な軌道を描いて空を舞い、放射状にシンジへと降り注ぐ。
輪は飛ぶごとにサイズを増し、中心からは金と紅の粒子が飛び散る。ひとつ、またひとつと爆ぜるたび、花火のような♡の閃光が舞台全体を彩り、まるで夜空を焦がす祝祭の演出のようだった。
そして輪がシンジに届くその瞬間――
全てが一斉に炸裂した。
眩い♡の爆風とともに、数えきれないほどの小さな♡の火花が弾け飛び、空間を埋め尽くすようにふわふわと浮遊し始める。淡いピンクの光をまとったそれらは、まるで命ある蝶のように、舞いながらシンジの周囲を包み込む。
ときおりひとつ、またひとつが彼の肌に触れ、優しい残光を残しながら静かに消えていく。
その様は、まさに――高貴なる炎の告白。
――実況席。
「きました!告白魔法名は『ファナティック・フレイム・オブ・ハート』です!」
「解説します。この魔法は光素子と火素子の複合制御で構成され、エネルギー体の形状形成と動的演算によって空間演出を実現しています。特にこの♡型の安定形成は、魔力密度の高度な均衡が必要で、非常に高度な技術です。さらに注目すべきは、舞台システムとは関係なく、流転者であるシンジさんに一切の影響を及ぼさないように制御されている点でしょう」
「それは、どういうことでしょうか?」
「皆さんもご存じの通り、舞台に立つシンジさんには最高峰の魔法結界によって一切の魔法が通じません。しかし、アレクシアーナさんは自らの魔法を、あえてシステムに頼らず完全に制御し、物理的に彼に影響を与えないよう設計しています。しかも、炎系統……この年齢でここまでの精密制御ができるとは……まさに天才です」
「なるほど……“ファナティック”という名に反して、そこには彼女の繊細なやさしさが詰まっているというわけですね……!」
舞台の外では観客の歓声が最高潮に達していたが、舞台内ではただ静かに、アレクシアーナの想いだけが、しっかりと響いていた。
「いやー、ついに始まりましたね!改めてご紹介します。解説は魔法都市マラブリー、魔法理論研究の第一人者、カルディナ・ルーさん。そして実況は私、世界魔法連盟公式アナウンサーのセリオ・ミカです!どうぞ最後までお楽しみください!」
――――――
視界が、染まっていく。
ピンクの火花が舞い、金と紅の粒子が空を彩り、空間そのものが“熱”に包まれていく。♡の輪が舞台を漂い、やがてふわりとシンジの肩に触れ、静かに消えた。
それは、物理的な影響は何も持たない――はずだった。
この舞台では、流転者に対する魔法干渉はすべて遮断されている。告白魔法は高度に制御され、どんな爆発も、接触も、直接の効果はないよう設計されている。
……それなのに。
心が、ぐらりと揺れた。
何かが――内側に、飛び込んできた。
熱い。息が詰まる。胸が痛い。鼓動が、いつもと違うリズムを刻んでいる。
目の前に立つ彼女から、何かが溢れていた。言葉じゃない。熱でもない。けれど、たしかにこの身体の奥に、直接、触れてくる何か。
(……魔法の影響、じゃない。……なのに……)
理解が追いつかないまま、ただ見つめる。
アレクシアーナ。
この世界で初めて“人間”と、真正面から目を合わせた。仮面も、認識阻害も、フィルターも何もない。むきだしの感情が、視線となって、まっすぐにぶつかってくる。
それだけで、全身の感覚が塗り替えられていく。
生まれて初めて、人の“想い”を、真正面から受け取った。
告白というものが、こんなにも暴力的で、こんなにも美しいだなんて――知らなかった。
彼女の中にある愛が、炎のように揺れていた。誇りも、覚悟も、願いも、全部その奥に抱きしめたまま、それでも「ただひとりの男」として、自分を選ぼうとしてくれている。
眩しすぎて、苦しくなる。見ていられないのに、目が離せない。
……この人は、いま、俺に恋をしている。
その事実が、雷みたいに胸に落ちて、静かに、確かに、焼きついた。