9.アリスとディランの関係
女子寮へと戻ると、もうすぐ夕食の時間帯だからか、一階の食堂近くの共有スペースには寮生のみんなが集まっていた。
ちなみにみんな私と同じクラスの子達だ。
そもそも貴族たちはほとんどが王都内にタウンハウスを所有しており、大体の生徒がそちらから通うため、それに平民であっても王都に居を構える子達ばかりなので、結構豪華な設備があるにも関わらずこの寮はあまり使用されていなかった。特に私が入った時は、先輩も同期も誰一人としておらず、広い寮内に私一人、という状況だった。
だけど途中から同クラスの子達が、続々と寮に入ってきた。理由は、少しでも勉強の時間をたくさん確保するためだという。自宅だと誘惑や邪魔が多いそうだ。
例えば、娘に構いたい父親が何かとディナーや観劇に行こうと誘ってきたり、妹離れできない兄が事あるごとに部屋に押し掛けてきたり、可愛い盛りの幼い妹弟が一緒に遊ぼう? とお誘いをしてきたり、自身を厭う継母があれやこれやと家の用事を押し付けてきたり。
みんな本気で上位クラスを打倒しようと思っているらしく、わざわざ住まいまで変えるなんてかなり気合が入っている。
あと、私が一人だと寂しいだろうから、というのも理由の一端にはあるみたいだった。
みんなすごく優しい。その優しさを知った時は、内心ほろりと涙が零れそうになった。
勉強に集中するのにはもってこいの環境だけど、広すぎる故に寂しさが募っていたから。
「お帰りなさいアリス。今日は結構ギリギリじゃない」
寮の部屋も教室の席も私の隣であるカトレアに笑顔で声をかけられたので、私も言葉を返す。
「ただいま。パシフィック様に勉強教えてもらってたら遅くなっちゃって」
「そういえば昨日寮のキッチン借りてお菓子作ってたものね。パシフィック様には喜んでもらえた?」
「ええ、とても。これもカトレアが私の為に美味しい甘蜜芋を用意してくれたおかげだよ。ありがとう」
「あれくらいお安いご用よ。必要なものがあったらまたいつでも言ってちょうだい。まだまだ在庫はたくさん抱えているから」
彼女の家は主に食材を扱う大きな商家だ。
みんなの家には劣るとはいえ、我が家はものすごく貧乏ってわけではないし、当然お金は払うよって言ったけど、私が勉強を教えたおかげで成績が大幅に上がったからそのお礼として受け取ってと無償で甘蜜芋を提供してくれたのだ。
と、ここで、カトレアが自分の隣に座れとばかりにソファの開いた空間を指さしてきたのでなんだろうと首を傾げながら座ると、ずいっと私の瞳を覗き込む。
「で、実際のところはどうなの?」
「え? どうって……」
すると反対の隣にいつの間にかメイニーが座り、にんまりしながら私の肩に腕を回す。
「そんなの決まってるじゃない! パシフィック様のことよ!」
筋トレの成果だろうか、黄色い声を上げながらバシバシ肩を叩くメイニーの力の強さに顔をしかめながらも、彼女たちが何を言いたいか察した私はそれを否定する。
「パシフィック様のことは人として好きだけど、別に二人が思っているようなのじゃないから」
「本当に?」
「本当に」
確かに、甘いものを頬張るディラン様を見てうっかりときめいてしまうことはあるけど、それはなんというか、推しやアイドルを見て喜ぶとか、萌えとか、そういった感情に近い。
けれどそれ以上に、私はディラン様に尊敬の念を抱いている。
彼のことをきちんと知る前は、どんなこともなんでもできてしまうただの天才だと思っていた。けれど、本人のスペックの高さも当然あるけどそれだけじゃなくて、裏ではしっかりと努力しているから今の彼があるんだと気付いた。
例えばディラン様が持ってきてくれる参考書などの書籍。
発行されてまだそんなに年月の経っていない本なのに、相当に読み込んだ跡があったり、それに彼の筆跡のメモも、ページの至る所に刻まれていた。
他にも色々な分野の知識も幅広く持っていて、尋ねれば大抵のことを知っている。逆に、ごく稀に私が知っていて彼が知らないことがあると、私に対して素直に尋ねてくる。
自分よりも年下の人間に何の躊躇いもなく教えを乞うなんてことができるディラン様は普通にすごいし、私もディラン様のようになりたいって思う。
そう答えていたら、いつの間にか他の子達も周りを取り囲んでいて、えらく真剣に話を聞いていた。
どうもみんな、私がディラン様のことをどう思っているのか気になっていたみたいだ。
だけどそれもそうかもなぁと、理解もできる。
この世界では婚約者や恋人がいない異性同士が、一緒にいたり出かけるのはそこまで異質だとは取られない。現にあのザイル様だって、メイニーと出会うまでは、助けてもらったお礼をしたいからという理由で異性から食事に誘われていたし。
それでも、公爵家の跡取りであるディラン様と平民の私が一緒にいるのは、そこに人の目があろうとなかろうと、色んな推測が飛び交うのは当然のことだ。
本当なら要らぬ誤解を生まないように離れるべきなんだろうけど、一緒に過ごす時間があまりにも心地よくて、私はその時間を手放せなかった。
だからせめてまだ彼がこの学園の生徒でいる間だけは、友人として彼の傍にいたい。卒業してしまえば、きっとディラン様と顔を合わせる機会なんてほとんどなくなってしまうから。
「お嬢さん方! 夕食の用意が出来ましたよ」
と、ここまで自分の気持ちを言い切ったところで、ちょうどいい頃合いで寮母さんが呼びに来たので、この話は終わり! と言って立ち上がると、早く食べに行こうとみんなを促す。
「食べ終わったら、昨日の続きしよう! あの問題を解くのにぴったりの公式を見つけたんだよね」
その言葉に、ちょっとだけ重かった空気が霧散し、みんなも私に続いて立ち上がる。
「よかった、さっきもずっと考えていたんだけどさっぱり分からなくて」
「ねえアリス、ついでに今日の外国言語学の授業で分からないところがあったから、教えてもらってもいい?」
「あー、もしかしてクロギア語の文章問題に出てきた最後の部分かな。あそこ難しかったもんね。全然いいよ」
そんな会話を交わしながらみんなで食堂へと向かい、いつものように食事をとって、既に日々の習慣となっている勉強会を全員で行い自室に戻った。
勿論戻った後は自分の分の勉強だ。来週は授業中にいくつか小テストがあると告知されている。
ちょうど今日ディラン様から借りた本の中に、その科目に適したものがあったなと思い出し、鞄からそれを取り出す。私がテストがあるからと言ったからだろう、よく見ると参考になりそうな箇所に付箋がしてあって、その部分を開くと小さなメモが一緒に挟まれていた。
『きちんと休憩も取るように』
たった一言だけど、短い一文に私を気遣うディラン様の優しさが込められていて、自然と口角が上がる。こういうところもディラン様の好きなところの一つかもしれないなと、そんなことを思いながら私は机に向かった。