12.正体不明の黒いもやもや
このお店のシステムは、日本にあったブッフェのお店とそう変わらないものだった。
二時間という制限付きで、店内中央に並んでいるメニューから、自分で好きな物を取りに行く。
友人達が言っていたように、ブッフェコーナーには様々なお菓子たちがずらりと並んでいた。
まるで宝石店のようにとにかく色とりどりのスイーツが並んでいる様は、圧巻の一言だ。一つ一つはそこまで大きくないとはいえ、これらを全制覇しようと思うとさすがに甘いものが好きな人でも難しいんじゃないだろうか。加えてお腹の容量的にもなかなかに厳しい気がする。
勿論私のお目当ては、女性たちが黄色い声を上げて群がるスイーツコーナーとは少し離れたテーブルにある、ごはん系のコーナーだ。
スイーツよりも量は少ないけれど、そちらもなかなかのラインナップだった。
香ばしい香りにつられて自然とそちらへ引き寄せられた私は、その中からパスタやソテーされた肉や魚など数種類を選んで席へ戻ると、そこには美しく盛りつけられたスイーツのお皿が、既に何枚も置かれていた。
焼き菓子、スポンジのケーキ、タルト、ムースとゼリーといった感じでお皿ごとにしっかり分けられていて、それを前にするディラン様の顔は食べる前だというのに目が子供のように輝いていて、既に満足気だ。
ブッフェといえばパーティーや夜会では定番なイメージだけど、パシフィック家の名を背負って出席する場で、社交そっちのけで端から端までお菓子を取って食べるなんて真似はできず、いつもなくなく我慢していたらしい。むしろ食事すらままならないほどに忙しいと。そりゃそうか。
これ全部食べ切れるのかなと一瞬心配したけど、この間だって、お礼にもらっていたスイーツたちはそれなりの量があったのに全てぺろりと食べ尽くしていたくらいだし、問題なさそうだ。
「ディラン様、いっぱい取りましたね……」
名前呼びになったのは、パシフィック様、とここで呼ぶと彼の正体がばれるので下の名前で呼んでほしい、という要望を受けたからだ。それに合わせてか私の呼び方も、下の名前のアリス呼びになった。
そんなディラン様は、目の前に大好きな甘いものが並んでいるからか、私の言葉にうっとりと頬を染める。
「ああ。どれも美味しそうなものばかりで選びきれなくてな。とりあえず種類ごとに取ってみた。これでもまだ全体の半分にも満たない。ところでアリス、君は何を取ったんだ?」
「私はこんな感じです。スイーツがなくても満足できそうなくらい、噂通りあっちも種類がありました」
「そちらも後で見に行きたいな。だが、まずはこちらの甘いものを全て食べてからにしよう」
うん、やっぱり彼なら全制覇も余裕そうだなと考えながら、私たちはそれぞれのお皿の物を口へ運ぶ。
私がトマトのパスタをフォークに巻きつけている間、いそいそとフォークとナイフを手にしたディラン様は、まずは目の前にあった葡萄のタルトを口に入れた。
その瞬間、彼の顔に満面の笑みが浮かぶ。
幸せでたまらないと言わんばかりの笑顔の威力はやはりここでも健在だった。
元々唯一の男性客で、とても一般人には見えない高貴なオーラを持ったイケメンが店に入った時点で、お客さんの視線はスイーツと同じくらいディラン様に注がれていた。
なのでタルトを食べるディラン様に注目していた方々はその笑顔に何とか悲鳴は抑えていたものの、ざわめきが広がっていた、
だがそんなものは気にも留めず、ディラン様は次々にお菓子を口に運んでいく。
柿のコンポート、洋ナシのレアチーズケーキ、オレンジのジュレ、リンゴのパウンドケーキ、ザッハトルテ、生チョコのロールケーキ、フィナンシェに紅茶のマフィンと、そのどれもを恍惚とした表情を浮かべて食べ進めていく。
「いつも思うんですけど、ディラン様って見た目の割にかなり食べますよね」
次々と減っていくスイーツを見ながら、改めて私はディラン様の胃袋の大きさと胃もたれしない強靭さに感嘆の声を上げる。
これが普段から鍛錬を重ね、将来は父親の跡を継いで騎士団長になる、縦にも横にも大きい筋肉隆々のザイル様ならまだ分かる。
が、ディラン様は身長は高いけど全体的には細身の部類に入る。それに色も白いし、ものすごく鍛えている風にも見えない。……いや、もしかしたら隠れマッチョなのかもしれないけど、残念ながら服の下を見る機会はないので確認のしようがない。
では、一体摂取したカロリーと糖分はどこへ消えているのか。
「もしかして食べても太らない体質ですか?」
「それはないな。毎日甘いものを食べるのに何もしなければ、すぐに体重が増える。ザイル程ではないが、これでも多少は鍛えている」
なるほど、脱いだらすごい的な方だったか。勝手にそう解釈した。
そんな会話を交わしながらも彼はどんどん食べ進め、おかげで常時発動しているディラン様の笑顔にあてられたお客さんたちは、自分たちの手を止めて見入ってしまうほどだけど、それは彼女達だけじゃなかった。
「……食べないのか?」
同じように手が止まる私を見て、いったん食べるのをやめたディラン様が怪訝そうに首を傾げる。
「あっ──いえ、食べます」
うっかり見惚れていた私は、彼の言葉に慌ててカトラリーを動かすと、カットした魚の身を口に入れる。
ディラン様の笑顔もさることながら、だけど私が目を奪われていたのは別の理由だった。
ピンと伸びた背筋。音も立てずナイフで切り分けたものを口に入れる仕草。
どれだけ甘い雰囲気を醸し出していても、幼子のようにはしゃいでいても、蕩けるような笑みを浮かべていても、ディラン様は公爵家の人間なのだ。動きの一つ一つが洗練されており、隙がなく、その所作の美しさに無意識に視線が吸い込まれていた。
着ているものだって一目で一流の生地で仕立てられたものだって分かるし、やっぱりディラン様は生まれた時から貴族で私とは住む世界がまるで違うんだと、こういう何気ない時に痛感する。
それは私以外の人も当然感じることだった。
「ねえ、あの子、男の人と全然釣り合ってないんだけど、まさか恋人?」
「まさかでしょう。いいとこの坊ちゃんと使用人ってとこじゃない?」
ディラン様が席を立った時に聞こえてきたのは、そういった会話だった。
お坊ちゃんと使用人は言い得て妙だと思う。別に今の自分を卑下するつもりはないが、そのくらい私とディラン様はなにもかも釣り合いが取れていないのだろう。それが世間一般的な評価だ。
それはまあいい。別に彼と恋人同士に見られたいわけじゃないし。
それに恋人、ということであるなら、きっとこの後出てくるディラン様の未来の婚約者との方がしっくりくるはずだ。
ゲームではヒロインがディラン様を攻略しなかった時にのみ現れた、この国の侯爵家のご令嬢、セリーナ・ピクシミリン。
ゲームのことを思い出した時に登場人物のことを一通り調べた時、彼女の存在も確認できた。
ディラン様よりも一つ上で、今私たちの通う学園ではなく隣国の学園に通い、卒業した今はその更に上のアカデミーへと通うセリーナ様は、ディラン様に負けず劣らず優秀な人だ。美人な上、さっぱりとした飾らない性格で男女共に人気があるという。
現実でセリーナ様本人を見たことはないけど、ゲーム通りの見た目であるなら、一度だけ出てきたディラン様とセリーナ様が二人並んだ姿はどこからどう見てもお似合いだった。
そう思った時、不意に妙なもやもやが湧き上がる。
何とも言えない正体不明のそれに、思わず軽く眉をひそめる。けれど考えても分からないので、とりあえず私は無理やり食事と一緒にそれを喉の奥へと流し込んだ。