第五話「抗う者の選択」
本当の“死”を見たとき、僕の中の何かが壊れた。
同時に——何かが、生まれた。
帰宅してすぐ、自室のカーテンを閉め、鍵をかけた。
親には「眠いから先に寝る」とだけ伝えた。
これからやろうとしていることが、もし知られれば——あの人たちは、きっと僕を“矯正”しようとするだろう。
優しい声で、笑顔で、僕の心を壊しながら。
机の引き出しから古い携帯型端末を取り出した。今はもう使われていないタイプだけど、ナナが渡してくれたチップにはこの型に対応した記録データが入っているらしい。
スロットにチップを差し込むと、画面が揺れ、砂嵐のようなノイズが数秒間続いた。
そして——再生が始まった。
画面の中には、泣いている人がいた。
病院のベッドで、白いシーツの上に横たわる女性の手を、少女が握っていた。
少女は、ひたすらに泣きながら、「行かないで」「ごめんね」「好きだよ」と繰り返していた。
誰も拍手をしていない。
誰も「よかったね」なんて言っていない。
次の映像では、火葬場の前で、男が叫んでいた。
「なんでだよ……戻ってきてくれよ……」
その声は途切れ途切れで、膝をついたとき、周囲の人々も皆、涙を流していた。
それは、ひとつの真実だった。
本当の“死”だった。
「誰かを失ったとき、泣いていい」
「怖いと思っていい。拒んでもいい。それが人間らしいということだ」
そう語る、今はもう存在しない学者の映像もあった。
彼の最後の一言が、画面の向こうから僕に突き刺さった。
「死を祝えば、楽になれる。でも、楽になる代わりに、“心”を失う」
映像が終わったあとも、しばらく何もできなかった。
ただ、端末を抱きしめるようにして、ベッドの上で膝を抱えていた。
心臓が、ずっと痛かった。
胸が締めつけられて、息が苦しくて、でもそれが……心がまだ“生きている”証のように思えた。
♢♢♢
翌日の夜、両親の目を盗み僕は再び旧市街へ向かった。
ナナは、あのときと同じように街灯の下にいた。
まるで最初から、僕がくると知っていたみたいに。
「見たんだね?」
僕は黙って頷いた。
「どうだった?」
「……もう、戻れない。
あの映像を知ってしまったら、この世界の笑顔は全部、嘘に見える」
ナナは微かに笑って言った。
「それが、“目覚めた”ってことよ」
ナナに案内されて、地下鉄の使われなくなった通路を通り抜けた。
封鎖された改札、薄暗い非常灯、崩れかけた階段——その先に、重い金属の扉があった。
彼女がパスコードを入力すると、扉はゆっくりと開き、コンクリートの地下空間が現れた。
そこには十数人の人たちがいた。
少年も、老人も、女性も。
全員が、僕と同じ目をしていた。
恐怖と、怒りと、希望と——そして、覚悟。
「ここが、“無祝者”の拠点よ。この国で“死を悲しむこと”を、まだ諦めていない人たち」
その中の一人——黒いロングコートの青年が前に出てきた。
「君がソウタか。噂は聞いてる。“通知”を受け取ったのに、恐怖を失わなかった少年。歓迎するよ。ようこそ、真実の側へ」
彼の声は落ち着いていて、でも芯の通った熱を感じた。
「君には、一つだけ確認したい。——祝われたくないか?」
僕は、迷わず答えた。
「祝われたくない。笑われたくない。死ぬときには、誰かに泣いてほしい。……それが、僕が最後まで持っていたい“願い”なんだ」
青年は満足げに頷いた。
「なら、君はもう“同志”だ。君の“祝日”は五日後。その日、君には“祝われること”を拒否してもらう」
「どうやって?」
「全国家中継の式典映像。あれを乗っ取って、“本物の死”を晒す。ナナのチップには、強制上書き用のウイルスが組まれている。君がステージに立つと同時に、映像が切り替わる。君の言葉、君の涙、君の恐怖——全部、この国中に流してやろう」
僕は、少しだけ唇を噛んでから、力を込めて言った。
「分かった。やるよ」
「命を捨てる覚悟がいるぞ。君の抗いは、確実に“処理”の対象になる」
僕は、真っすぐに言った。
「死ぬのは怖い。でも、“心を殺されて生きる”方が、もっと怖い」
その言葉が、誰かの胸に届いたのか。
沈黙の中で、小さな拍手が起きた。
それは祝福じゃない。
“決意”に対する、ほんのわずかな共鳴だった。
ナナが僕の隣で言った。
「……いいね。君が泣くなら、私はきっと、笑わないよ」
その言葉に、僕は初めて——
この世界で、本当の意味で“誰かに分かってもらえた”気がした。
僕の“祝日”は、抗いの舞台に変わる。
この命を、ただ終わらせないために。




