第三話「祝福のない時代」
本当に“死”は祝うものなのか?
僕は知ってしまった。かつてこの国に“涙”があったことを。
死を告げる手紙が届いた翌日の放課後も地下室へ向かい、過去の記録を読み漁る。
ページをめくる手が止まらなかった。
地下室に積まれた古文書の山。その中に埋もれていた、革表紙の古いノート。
そこには、今の世界では考えられないような“死の記録”が綴られていた。
「姉が病で亡くなった。最期の言葉も、笑顔もなかった。気づけば、家中の時計の音だけが響いていて、それが怖くて仕方がなかった」
「父はその夜、酒に溺れ、壁に向かって一人で何かを叫び続けた」
「母は静かだった。けれど次の日、冷えた台所で包丁を握りしめていた」
「死というのは、誰かを壊す。心を、家族を、未来を。だから、誰も“祝おう”なんて考えなかった」
読みながら、僕は何度も息を飲んだ。
そこに描かれていたのは、血の通った“喪失”だった。
人が死ぬことが、どれだけの痛みと空虚を残すのか——僕は知らなかった。
この世界では誰も、そんな“本当の死”を語らないからだ。
けれどその日記は、確かにそれを伝えていた。
恐怖が、遅れてやってきた。
僕は初めて、“死ぬ”ことが怖くなった。
僕の祝日は一週間後。
その日、僕はステージの上で拍手されながら死ぬことになる。
誰かが僕の名前を読み上げ、祝福の鐘が鳴り、家族やクラスメイトが笑って見送る。
……それを、笑顔で受け入れられるわけがない。
その夜、僕は両親に話す決意をした。
リビングでは、母が台所でスープを温め、父がテレビで「明日の祝祭」の特集を見ていた。
意を決して、僕は口を開いた。
「ねえ、父さん、母さん。ちょっと、話がある」
二人がこちらを向く。
僕はソファに座り、震える声で言った。
「……死ぬの、怖いんだ。“祝日”って言われても、僕は……怖くて仕方ない」
母はスープをかき混ぜながら、にこりと笑った。
「なあに、ソウタ。緊張してるの? 大丈夫よ。誰だって最初は怖いものよ。でも、終わってみればきっと“最高の日”だったって思えるから」
僕は首を振った。
「違うんだ、母さん。僕は最近、昔のことを調べてて……昔の人は、死んだら泣いてたんだ。誰かが死んだら、家族は悲しんで、ずっと苦しんでた。それが“普通”だったんだよ」
父が眉をひそめた。
「ソウタ、それはどこで聞いた? そういう古い考え方は、今では“心の病”に繋がるって教わってるはずだろう」
「違うよ! それは本物だった。みんな、自分の感情で泣いてたんだ。僕は、死んで誰かに笑われるのが嫌なんだ。
祝われて、拍手されて、何も残さず消えるのが、怖いんだよ!」
母が少しだけスープの鍋から手を離し、静かに言った。
「私たちはね、ソウタ。そうならないようにあなたを育てたの。死を恐れないように、ちゃんと受け入れられるように。それが“正しい人間”なのよ」
父はうなずいた。
「お前の言うことは、分かる。感情だって分かる。だが、それを乗り越えるのが“大人”だ。感情に流されるのは、未成熟な心だ。祝福の儀式は、社会の理に基づいている。……分かるな?」
その瞬間、僕ははっきりと気づいた。
この人たちは、もう“本当の死”を知らない。
知っていても、それを忘れてしまった。
もしくは、忘れるように“矯正”された。
家族であるはずのこの二人と、僕の間には——もう埋められない溝がある。
「……もし、僕が“死にたくない”って言ったらどうする?」
母は、まるで微笑みながら誕生日ケーキのロウソクを吹き消すような口調で言った。
「きっと、立派な式になるわ。あなたは誇らしい息子だもの。みんな、笑顔になると思うわ」
言葉が、出なかった。
僕はそのまま席を立ち、自室に戻った。
ドアを閉める音が、いつもより重く響いた。
枕元に座り込み、頭を抱えながら息をついた。
もう、どこにも逃げ場はない。
この国の中に、死を“恐れる”者なんて、いないのだから。
……そう思っていた。
——ナナと出会うまでは。
僕はようやく本当の意味で“怖い”と思った。
それを伝えたかった――でも、家族には、もう何も届かなかった。




