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海固めの法

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 科学の発達。現代におけるそれは、ほぼ人類の営みといっていいだろう。

 USBメモリひとつとっても、10年とそこらが経てば、10年前にひいこらいいながら詰め込んでいた容量を、なんの造作もなく組み込めるようになっていく。同じくらいのサイズ、あるいはもっと小さいものにおさめることができる。

 大は小を兼ねるというが、世界変われば小が大を兼ねることも可能、というのが不思議なところだ。果てしなく広がるように思える世界でも、そこに存在できるものには限りがある。コンパクトにおさめるのは、他のものたちの可能性を残すためにも大事かもしれない。

 僕たちが生まれるより前から、すでにコンパクト化の傾向があった可能性もあるね。図体が大きくなれば強い、というのは自然界ではままあるけれど、小さいながらも強い毒を秘めた個体も多い。

 最近、僕が聞いた昔話なのだけど、耳に入れてみないかい?


 むかしむかし。

 とある漁村の近くで、魚釣りをしていた男の子がいた。

 まだ齢6つになる若さだったが、自らの空腹に耐えかねて食べられる魚を求めていたらしいのさ。

 自分の食べる分は、自分で釣ってこい。ならば、こちらも文句はいわない。

 その家族の言を守り、彼はお腹が減ると竿と餌を片手に、釣りに適した近くの岩場まで頻繁に足を運んでいたのだそうな。

 その日は朝から波も穏やかで、子供はいつもの定位置につくと竿を垂らし始めたのだけど……。


 ほどなく、思わぬ手ごたえを覚えた。

 取り付けていたウキがぐっと沈んだから、すぐに力を込めたのだけど、びくともしない。

 かといって、竿を強引に引っ張られるような力も感じない。どこぞの岩か、もっと硬いものの下へ針が引っ掛かり、自分は独り相撲をしているかのように思えたのだそうだ。

 以前、似たような経験をしただけに、子供は敏感に反応した。

 ただ竿をまっすぐ引っ張るのではなく、そろりそろりと軽く回しながら、引っ掛かりが取れないものかと、探り出したんだ。


 何度ほど、手元で竿を回しただろうか。

 ふっと、頑強なおさえが外れて、糸を手繰り寄せられるようになってきた。

 まったくのハズレでもない。糸の先、針のあるところにはずしりと重みを感じる。かといって魚が引っ掛かったような、暴れ具合は伝わってこなかった。

 用心しながら子供が引き上げたものは、まるで延べ棒の形をした赤褐色の塊だったという。

 ぱっと見ただけならば、錆によるものに思えるが特有の嫌なにおいとは無縁。顔を近づけてみても、漂う香りはこの一帯を包む磯のものと大差がなかった。

 誰かの落とし物だろうかと、延べ棒の裏と表を丹念にあらためてみたものの、文字や記号が刻まれているわけでもなし。アテがさっぱり分からない。

 しかし、このまま海に沈め直すのも気がひけると、子供は延べ棒を持ちかえって家族に相談。もし、しかるべき持ち主が現れたときにはすぐ渡すことができるよう、家の棚の上へ寝かせて置いたのだそうだ。


 それから数日。

 漁村まわりで、少し妙なことが起きた。

 波打ち際が、いつもより遠ざかっているんだ。熟練の漁師たちが気づき、皆へ注意を喚起したらしい。

 実際に、ずっと停め続けている船は満潮時の海からも、一定の距離がとれるようはからっていたが、ここのところその距離に開きが生まれつつあったんだ。

 原因は分からない。実際、干潮の差に対応できないのか、魚が浜に打ち上げられることも増えてきていたらしい。戻ってきた船を運ぶ手間も増えてくるし、どうしたものかと皆が頭をひねっていた。


 が、浜がそれなりに引いたところで。

 夜明けごろ、網の手入れをしていた漁師たちは、引き気味になっている波打ち際へふと目をやって、それに気が付いた。

 押しては引いてく波の中に、わかめのような海藻を思わせる軟らかい先端がのぞいているのを。

 一本や二本ではなかった。波打ち際全体にずらりと並ぶ様は、あたかも戦場での槍衾を感じさせたとか。

 漁師たちがいぶかしがっている間に、そいつらは一瞬にして伸び、こちらへ迫ってきたんだ。

 直接、触れるところまでは来ていない。奴らはこの連日の引き際の潮の中で、取り残されている魚たちを、あやまたず捕まえていったんだ。

 このとき、浜へ寝転がっていた20尾あまりの一尾も逃すことなくからめとり、すぐさま海の中へと帰っていく。


「おお……ヌシ様のおいでじゃ」


 見ていた漁師の老爺のひとりがそう言ったのを聞き、若い者たちが尋ねる。

 老爺自身も、自らが小さい時に親から聞いたことだが、海にはヌシ様がおわし、海の様子を見守っている。

 普段は人の目につかないが、もし異状があったりすると、あるべき姿を取り戻そうとああして動かれるのだと。

 今回はおそらく、取り残された魚たちを助けるにとどめているのだろう。しかし、機嫌を損ねるときが来たならば、それにとどまらない。

 老爺が聞いたところによると、あれらの海藻の先らしきものが人家の大半にへばりつき、あっという間に海の底へ引きずり込んでしまったこともあったのだそうだ。


 潮が異様な引き方を見せるようになった前後で、おかしなことはなかったか。

 村中に行われた調査で、例の子供が見つけた銅の延べ棒の話が持ち上がる。老爺はそれを手に取り、しげしげと眺めたのちにいった。


「こやつは、大海の『栓』じゃな。満ちる潮と引く潮の調整を行うときにヌシ様が使うとされる、と父は言っておった。返してやるといいだろう、海にな」


 ほどなく、銅の延べ棒が海の中へ沈められると、もう次の満ち潮から波打ち際は元の位置へ戻っていたのだそうだ。


 いまでこそ潮の満ち干は、引力の関係であると広く知られている。

 しかし、それがすべてとは限らず、場所によっては話の延べ棒のような小さくも、大きな役目を担った調整弁を設けているかもしれないね。

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