9話 ソウエイ
次の休みの日、私と香奈はかさねの家へお邪魔することになった。
「普通のアパートですね」
大学から三つほど離れた駅にあるアパートは所々年季が入っているようで、オートロックもなく女の子が一人で住むには少し心配な物件だった。
「あゆみさんのマンションとは大違いですね」
「……そうだね」
少し言いよどんだのは、私が自分の住むマンションの家賃を一切負担してないからだ。香奈には言っていないけど、実家がちょっと太い私は、自分の小遣いだけは自分で稼ぐ約束をし、大学の費用と家賃周りは全て払ってもらっている。
家賃を自分で稼ぐなら、私はもっとバイトに明け暮れて、きっとこんな感じのアパートに住んでいただろう。
アパートの階段を上って、教えてもらった202号室のインターフォンを慣らすと、すぐにかさねが出てきた。
「い、いらっしゃい……散らかってるけどどうぞ」
上下ジャージ姿のかさねが出迎えてくれる。化粧も特にしていないようで、完全に自分の家スタイルだ。
「お邪魔しまーす」
「お邪魔……うわぁ」
そうして部屋に一歩踏み込み、香奈はさっそく苦言を漏らす。
散らかっているというのは言葉の通りで、床には様々な布の切れ端が積み重なっていた。
布だけではなく何に使うかわからない小物や、作りかけの服などが掛けてあって、一見するとゴミ屋敷……いや、布屋敷というところだろうか。正直私の部屋でもここまでになったことはない。
そんなキッチン兼リビングの隣にはもう一つの部屋があって、その部屋は比較的片付いていた。片隅にミシンと大きな棚、その反対には完成済みと思われる衣装が掛けてあって、主にそこで服を作っているんだろう。
かさねは部屋の真ん中にある小さなテーブルにザブトンを二枚出して進めてくれる。布の上だけど座ってもいいのかな……。
「なんで私の周りにいる人は、こう……」
「いや、うちはここまで酷くなくない?」
「同じようなものです!」
これと同じといわれると少しショック……もう少し片づけようかな。
香奈もうずうずしているけど、まだ出会ったばかりの人に対して片付けますとは言いださない。部屋を見る視線が落ち着かないから、次来るタイミングがあれば片付け始める気もするけど。
「も、もう少しだけかかるから……コレ読んでてほしい」
コレというのは、テーブルの上にあった何冊かの漫画だった。
「『久遠の先に光を灯す』?」
「り、略して『のにをす』って言ってる。今回するコスプレの原作……少年漫画だから読みやすい。アニメ化もしてる」
「あー、なんか聞いたことあるかも」
「私も聞いたことはありますが、内容はほとんど知りませんね」
「お、オススメ」
「あの、なんで同じ漫画が2冊ずつあるんですか?」
「自分用と、布教用、オタクなら当たり前」
当たり前なんだ、まぁ取り合いにならなくていいか。
私達が漫画を手に取ると、テーブルの上に二つカップが差し出される。
「カ、カフェオレ……温めただけだけど」
「ありがとー」
「ありがとうございます」
「じ、じゃあもうちょっと待ってて」
かさねはやることは終えたと、隣の部屋でちくちくと針仕事やり始めた。
かさねなりの気遣いを感じた私は、素直に漫画を読んで待つことにする。えーと、全ての始まりは闇だった……。
「お、お待たせ」
「……」
「せ、先輩、衣装出来た」
「ちょっと今いいところだから」
「三巻目の最後……なら仕方ない」
「思ったより面白かったです。漫画ってこんな感じなんですね」
「ま、まるで初めて読んだみたいな感想……」
「いえ、初めてですよ。漫画読む時間があるなら活字を読めという家系でしたので」
「……考えられない」
「ふぅ」
パタンと手元の本を閉じる、そして一言。
「面白い」
それは現代日本の裏で、妖怪退治を続ける家系の物語だった。
大昔からそうして日本を守っていた家計の跡取り、紫導ソーマは、父であり当主であったゲンロウが行方不明になったことで、突然次期当主に抜擢されてしまう。しかしまだ中学生であるソーマでは実力が足りず、妖怪もうまく退治できないため、当主になるテストに挑むも失敗し、家系の地位を酷く落としてしまう。どうにかしてソーマを育てようと、派遣されてきたのが『封』の眼を持つソウエイである。
ソーマとソウエイの師弟コンビが妖怪に立ち向かい、徐々に実力を上げていくというのが大体のストーリーだ。
「ふふ、ここに同士が生まれた……」
私の感想に、かさねは嬉しそうに答えた。
「それで、私がコスプレするのはソウエイね」
「ご、ご名答……着るの手伝うからこっちにきて」
「いいだろう」
「あゆみさん、なんかキャラ変わってません? 大丈夫ですか?」
残念ながら香奈にはあんまり刺さらなかったようだ。
わからなかったか……ソウエイの、ソーマに対する熱い想いが。
「ふ、服脱いで、下着は脱がなくても大丈夫」
別に女同士で恥ずかしいこともないので、ぽんぽん脱いでいく。香奈はなぜか見づらそうにしていたが、かさねはじっくりと見ていた。なんならぺたぺた触ってくる。
「足長い……やっぱり高身長はコスプレ映えする……少しやせ気味?」
「いや、なんか基礎代謝が高いみたいで、食べても太んないんだよね」
「羨ましい……けど今回は丁度いい」
下着姿の私に、どれから着るかテキパキ指示していく。ソウエイは陰陽服? のようなデザインの服を着ていて、アクセサリーも多い。漫画のシルエットを再現するためにいくつか重ね着をしていく。
ある程度内側の衣装を着てから化粧をする。ソウエイは徹夜が当たり前で、いつも少し顔色が悪い設定だから、普段塗らない首辺りまで白めの下地を載せていく。
人に化粧されるのは初めてで、なんだか落ち着かなかったけど、すぐ近くにあるかさねの目が本当に真剣で、私はじっとしていることしかできなかった。
化粧が終わるとさらに服を着る。漫画だと激しく動くけど、重ね着するにつれて身体にかかる重さは普段着ている服の比ではなくなっていく。
「あとウィッグと……カラコンは平気?」
「コンタクトはしたことあるから大丈夫だよ、鏡ある?」
「じゃあこれよろしく……あと、錫杖」
「おー武器まであるんだ……って軽いね」
「紙粘土に色付けただけ。その方が振り回しやすい」
その割に結構な完成度だ、遠目から見ればそれが紙粘土製とは思わないだろう。
その後はかさねが全体的な仕上げをしていく、なにせアクセサリーが多い。それぞれ退魔の役割があるけど、一部の用途は三巻までではまだ明かされていない。
かさねが一つ息をついて全体を見る。
「……想像以上」
姿見を持ってきて私を写す。
その鏡の中にいたのは、私じゃなかった。紛れもないソウエイが、そこにいた。
長く煌めく銀色の髪、若干やつれているようにも見えるが、意志の強い紫の視線。衣装も紫が基調となっていて、白い家紋とのコントラストが美しい。肩幅は少し広めにとっていて、シルエットは男性そのもの、私の高い身長が十分に生かされていた。私が少し動くと鏡の中にいるソウエイも同じく動くことが信じられなかった。
「ソウエイは男性のわりに細いし、綺麗な顔してるから、コスプレするなら女性の方が映える。狙い通り」
「……凄い」
ふと、いつも自然にしてしまっている猫背が似合わないことに気づく。ソウエイは堂々としているから、それに合わせて背筋を伸ばしたらさらにかっこよく映った。ソウエイは猫背なんてしない、もっと堂々としないとソウエイじゃない。
「……うん。香奈、どうかな?」
「え、う、に、似合っています。なんだか声まで違うような」
香奈に感想を求めると、心なしか頬が赤くしている香奈がいた。
「一巻五十四ページ、ソーマのピンチ……」
ふと、かさねがそんなことを漏らす。ページ数まで覚えてないけど、ソーマのピンチは……。
座っていた香奈まで近づいて、ずいと顔を近づける。
「か、かかか香奈さん、なにを……」
慌てる香奈の肩をつかみ、顔をぐっと近づける。
「まったくこれで当主なんざ、紫導家も落ちた物だ……俺が先を照らしてやんねぇとな」
それは初めての妖怪退治を満身創痍で倒したソーマのところに、ソウエイが助けにくるシーンだ。ソーマはすでに気を失っており、初対面から厳しく当たっていたソウエイの優しさが垣間見える重要な場面。
一回読んだだけだからセリフを完コピできたわけじゃないと思うけど、それは私の中のソウエイから出たセリフだった。
「……きゅう」
「ん? 香奈? かーな?」
支えていた手に体重がかかる。いや、気絶したとこまで再現してくれなくていいのよ?
「ソウエイが美少女抱えてる……解釈違いだけどこれはこれで尊い……鼻血出そう」
後ろにいたかさねはなぜかティッシュで鼻を押さえていた。
無事試着を終えた私達は、陽が沈む前にかさねの家を出た。
この後かさねがもう少し衣装を改良して、友人のカメラマンに撮影してもらう予定だ。カメラマンもソウエイ押しの女性みたいで、あゆみさん見たらぶっ倒れますよと言われた。ぶっ倒れたら撮影できない気がするけど。
「そんで、なんで香奈はそんな遠いの?」
帰り道、いつもはすぐ隣を歩いている香奈の距離が微妙に遠い。
「いえ、なんか恥ずかしくて……」
「私のソウエイそんなによかったかー」
「えぇと、カッコよかったです」
歯切れの悪いお褒めの言葉を頂いた。どうやら漫画は刺さらなかったけど私のコスプレは刺さったらしい。
口数の少ない香奈を気にしながら、私は今日のことを思う。
あれが他人になる感覚、自信のない自分じゃなくて、ソウエイのように、自分をしっかりと持っている人物になったら。それは今まで縮こまって生きてきた私にとって、まったく未体験の経験だった。
そしてソウエイになった時の視線の高さは、今まで見てきた視線よりずっと高い気がして、それは自分の意志で調整できることに気づいた。
通りがかった店先のガラスに、自分の姿が映る。
その中にいる私は猫背なんかじゃなくなっていて……私が成りきったソウエイに恥ずかしくないように、しっかりと背筋を伸ばして帰り道を歩いた。