9話 ソウエイ
次の休みの日、私と香奈はかさねの家へお邪魔することになった。
「普通のアパートですね」
大学から三つ離れた駅、そこから徒歩15分のところにあるアパートは所々年季が入っているようで、オートロックもなく女の子が一人で住むには少し心配な物件だった。
「あゆみさんのマンションとは大違いですね」
「……そうだね」
少し言いよどんだのは、私が自分の住むマンションの家賃を一切負担してないからだ。香奈には言っていないけど、実家がちょっと太い私は、自分の小遣いだけは自分で稼ぐ約束をし、大学の費用と家賃周りは全て払ってもらっている。
もし家賃を自分で稼ぐことになっていたなら、私はもっとバイトに明け暮れてここと似たようなアパートに住んでいたことだろう。
アパートの階段を上って、教えてもらった202号室のインターホンを鳴らすと、すぐにかさねが出てきた。
「い、いらっしゃい……散らかってるけどどうぞ」
上下ジャージ姿のかさねは化粧も特にしていないし髪も寝ぐせばかりで、完全にオフスタイルだ。まぁ女同士ならあんまり気にすることでもないし、かさねはオンオフで見た目そんなに差がないのもあって私は気にならなかった。
「お邪魔しまーす」
「お邪魔……うわぁ」
そうして部屋に一歩踏み込み、はさっそく苦言を漏らしたのは香奈だった。
かさねの散らかっているというのは言葉通りで、床には様々な布の切れ端が積み重なっていた。
布だけではなく何に使うかわからない小物や、作りかけの服のようなものまで転がっていて、一見するとゴミ屋敷……いや、布屋敷というところだろうか。正直私の部屋でもここまでなったことはない。
そんなキッチン兼リビングの隣にはもう一つ小さめの部屋があって、そっちの部屋は比較的片付いているようだ。片隅にミシンと大きな棚、その反対には完成済みと思われる衣装が掛けてあって、主にそこで服を作っているんだろう。
かさねは部屋の真ん中にある小さなテーブルにザブトンを二枚出して進めてくれる。布の上だけど座ってもいいのかな……。
「なんで私の周りにいる人は、こう……」
「いや、うちはここまで酷くなくない?」
「同じようなものです!」
これと同じといわれてしまうと少しショック……もう少し片づけようかな。
香奈は座りながらうずうずしているけど、まだ出会ったばかりの人に対して片付けますとは言いださない。部屋を見る視線が落ち着かないから、次来るタイミングがあれば片付け始める気もするけど。
「も、もう少しだけかかるから……コレ読んでてほしい」
コレというのは、テーブルの上に用意されていた漫画だ。上から一巻、二巻と積まれていて、十冊程度の山が二つできている。私はその一番上を手に取った。
「『久遠の先に光を灯す』?」
「り、略して『のにをす』。今回するコスプレの原作……少年漫画だから読みやすい。アニメ化もしてる」
「あー、なんか聞いたことあるかも」
「私も聞いたことはありますが、内容はほとんど知りませんね」
「お、オススメ」
「あの、ところでなんで同じ漫画が2冊ずつあるんですか?」
「自分用と、布教用、オタクなら当たり前」
当たり前なんだ、まぁ取り合いにならなくていいか。かさねにいわれた通り、私達が一巻目を観察していると、テーブルの上に二つのカップが置かれる。そのカップにも漫画のキャラが描かれていた。
「カ、カフェオレ……温めただけだけど」
「ありがとー」
「ありがとうございます」
「じ、じゃあもうちょっと待ってて。すぐ終わるから」
かさねはやることは終えたと、隣の部屋でちくちくと針仕事始める。不器用ながらもかさねなりの気遣いを感じた私達は、素直に漫画を読んで待つことにする。えーと、全ての始まりは闇だった……。
「お、お待たせ」
「……」
「せ、先輩、衣装出来た」
「ちょっと今いいところだから」
「む、三巻目の最後……なら仕方ない」
「私も三巻目を読み終わったところですけど、思ったより楽しめました。漫画ってこんな感じなんですね」
「ま、まるで初めて読んだみたいな感想……」
「いえ、初めてですよ。漫画読む時間があるなら活字を読んでいたので」
「……私には考えられない」
「ふぅ」
パタンと手元の本を閉じる、そして一言。
「面白い」
それは現代日本の裏社会で、妖怪退治を続ける家系の物語だった。
大昔から日本を守っていた四代家系のうちの一つ、『紫導』。その跡取りである紫導ソーマは、父であり当主であったゲンロウが行方不明になったことで、突然次期当主に抜擢されてしまう。しかしまだ中学生で修行中であったソーマでは実力が足りず、妖怪も満足に退治できないため、当主が初めに行う試練に失敗してしまい、四代家計の中で地位を酷く落としてしまう。
父の行方不明と自身の実力不足に落ち込んでいるソーマの元に、どこからか派遣されてきたのが『封』の眼を持つソウエイである。
ソーマとソウエイの師弟コンビが妖怪に立ち向かい、徐々に実力を上げていくというのが大体のストーリーだ。
「ふふ、ここに同士が生まれた……」
私の感想に、かさねは嬉しそうに答えた。
「それで、私がコスプレするのはソウエイね」
「ご、ご名答……着るの手伝うからこっちにきて」
「いいだろう」
「あゆみさん、なんかキャラ変わってません? 大丈夫ですか?」
同じ三巻まで読んでいたはずなのに、残念ながら香奈にはあんまり刺さらなかったらしい。わからなかったか……ソウエイの、ソーマに対する秘めたる熱い想いが。
「ふ、服脱いで、下着は脱がなくても大丈夫」
別に女同士で恥ずかしいこともないので、ぽんぽん脱いでいく。香奈はなぜか見づらそうにしていたが、かさねはじっくりと見ていた。なんならぺたぺた触ってくる。
「足長い……やっぱり高身長はコスプレ映えする……少しやせ気味?」
「なんか基礎代謝が高いみたいで、食べても太んないんだよね」
「羨ましい……けど今回は丁度いい」
下着姿の私に、どれから着るかテキパキ指示していく。ソウエイは陰陽服? のようなデザインの服を着ていて、アクセサリーも多い。漫画のシルエットを再現するためにいくつか重ね着をしていく。
ある程度内側の衣装を着てから化粧をする。ソウエイは修行だけではなく『紫導』の会計役も担っているから、とても忙しく徹夜が当たり前、いつも少し顔色が悪い設定だから、化粧では普段塗らない首辺りまで白めの下地をのせていく。
人に化粧されるのは初めてでなんだか落ち着かなかったけど、すぐ近くにあるかさねは真剣に私を見つめていて、その熱が私にもなんとなく伝わっていきていたから、じっと我慢をした。
化粧が終わるとさらに上から服を足す。漫画だとその服のまま激しく動いているけど、重ね着するにつれて身体にかかる重さは普段着ている服の比ではなくなっていく。
「あとウィッグと……カラコンは平気?」
「コンタクトはしたことあるから大丈夫、鏡ある?」
「じゃあこれよろしく……あと、錫杖」
「おー武器まであるんだ……って軽いね」
「紙粘土に色付けただけ。その方が振り回しやすい」
その割に結構な完成度だ、遠目から見ればそれが紙粘土製とは思わないだろう。
その後はかさねが全体的な仕上げをしていく、なにせアクセサリーが多い。それぞれ退魔の役割があるけど、一部の用途は三巻までではまだ明かされていない。
かさねが一つ息をついて全体を見る。
「……想像以上」
かさねは大きな姿見を持ってきてその姿が映してくれた。
その鏡の中にいたのは、私じゃなかった。紛れもないソウエイが、そこにいた。
長く煌めく銀色の髪、若干やつれているようにも見えるが、意志の強い紫の視線。衣装も紫が基調となっていて、白い家紋とのコントラストが美しい。肩幅は少し広めにとっていて、シルエットは男性そのもの、そして私の高い身長が十分に生かされ、映えていた。私が少し動くと鏡の中にいるソウエイも同じく動くことが信じられなかった。
「ソウエイは男性のわりに細いし、綺麗な顔してるから、コスプレするなら女性の方が映える。狙い通り」
「……凄い」
ふと、いつも自然にしてしまっている猫背が似合わないことに気づく。ソウエイは堂々としているから、それに合わせて背筋を伸ばしたらさらにかっこよく映った。ソウエイは猫背なんてしない、もっと堂々としないとソウエイじゃない。
「……うん。香奈、どうかな?」
「え、う、に、似合っています。なんだか声まで違うような」
遠巻きに見ていた香奈に感想を求めると、心なしか頬が赤くしている香奈がいた。
「一巻五十四ページ、ソーマとの出会い……」
ふと、かさねがそんなことを漏らす。ページ数まで覚えてないけど、一巻で初めてソーマと出会った時は……。
座っていた香奈まで近づいて、ずいと顔を近づける。
「あ、ああああゆみさん、なにを……」
慌てる香奈の肩をつかみ、顔をぐっと近づける。
「まったくこれで当主なんざ、紫導家も落ちた物だ……俺がお前の先を照らしてやんねぇとな」
それは初めての妖怪退治を満身創痍で倒したソーマのところに、ソウエイが助けにくるシーンだ。ソーマはすでに気を失っており、初対面から厳しく当たっていたソウエイの優しさが垣間見える重要な場面。
一回読んだだけだからセリフを完コピできたわけじゃないと思うけど、それは私の中のソウエイから出たセリフだった。
完璧、今この瞬間、私はソウエイだった。それは私が私じゃなくなったようで、不思議な高揚感。こんな気持ちは初めてで、それは気持ちのいいものだった。
コスプレ、凄いかも。香奈もきっと、私の変わりように凄いと思ってくれるはず……。
「……きゅう」
「ん? 香奈? かーな?」
香奈の背中に回していた手に体重がかかる。いや、ソーマが気絶したとこまで再現してくれなくていいんだけど……。
「ソウエイが美少女抱えてる……解釈違いだけどこれはこれで尊い……鼻血出そう」
後ろにいたかさねは、なぜかティッシュで鼻を押さえていた。
無事試着を終えた私達は、陽が沈む前にかさねの家を出た。
この後かさねがもう少し衣装を詰めて、友人のカメラマンに撮影してもらう予定だ。カメラマンもソウエイ押しの女性みたいで、あゆみさん見たらぶっ倒れるよと言っていた。でもぶっ倒れたら撮影できないんじゃないかな。
「そんで、なんで香奈はそんな遠いの?」
帰り道、いつもはすぐ隣を歩いている香奈の距離が微妙に遠い。
「いえ、なんか恥ずかしくて……」
「私のソウエイそんなによかったかー」
「えっと……かっ、かっこよかったです」
歯切れの悪いお褒めの言葉を頂いた。どうやら漫画は刺さらなかったけど私のコスプレは刺さったらしい。
口数の少ない香奈を気にしながら、私は今日のことを思う。
あれが他人になる感覚。いつも自信がない猫背の自分じゃなくて、自分の信念をしっかり持った芯のあるソウエイが見る世界。それは今まで縮こまって生きてきた私にとって、まったく未体験の世界だった。
ソウエイになった時の視線の高さは、今まで見てきた視線よりずっと高く、それだけで世界が広がったような気がして、その視線が今も焼け付いたように離れない。
通りがかった店先のガラスに、自分の姿が映る。その中にいる私は、いつの間にか猫背なんかじゃなくなっていた。でも今ではその方がかっこよく見える、いままでこんな風に思うことなかったのに。
『新しい自分を知る』香奈の本にはそう書いてあったけど、そのガラスに映るのは紛れもなく、新しい自分だった。




