最終話 いつか一緒に住むまでのお話
「はぁー、疲れた」
「コーヒーでもいれますか。まだ台所も片付いてないですけど、インスタントならできますよ」
新しい部屋の中はダンボールで埋まっていた。家具も一人用のものは捨ててきちゃったから、前より少し大きい部屋はずいぶんと殺風景だ。
部屋は2DK、東京郊外とはいえこの大きさじゃ家賃は少し高め。これでも私の会社のツテで紹介してもらったから、周りの相場と比べると安い方。
「ゴーデンウィークのうちに出来るだけ片付けるつもりでしたけど、大丈夫でしょうか」
「居間だけはなんとかしたいね。自分の部屋は自分でってことにして……」
「でもそれだとあゆみさんの部屋、ずっと片付かなくないですか?」
「そんなことないでしょー。二か月くらいすればさすがに」
「もう少し早く頑張ってください」
シェアハウスといっても、別にシェアハウス用の家じゃない。普通のマンションの一室、リビングの他にある二つの小部屋を各々の部屋とする計画だった。お互いの気持ちを知っているとはいえ、やっぱりお互いのプライバシーは大事だし。
「私は寝室だけあれば自分の部屋はいらなかったんですけどね」
「それもし香奈のお母さんが来たらなんて説明するの」
香奈はそういうけど、困ったのは寝る場所だ。香奈は絶対に一緒の部屋で寝たいらしく、最初はダブルベッドを希望した。だけどそんなもの買ってどこに置くのかという話だし、香奈のお母さんが来た時にベッドが一つだとごまかしようがない。
いろいろ話し合った結果、私の実家の時のように敷き布団にすることで落ち着いた。……まぁ結局その布団も香奈の部屋に並べることになるから、香奈の部屋が実質寝室という扱いになってしまうんだけど。
「どうぞ、あゆみさん」
「ん、ありがとー」
香奈はインスタントコーヒーを用意してくれて、色違いのマグカップの片方を受け取る。
朝から動き続けたおかげで、コーヒーの苦さがとても心地いい。
「今日はリビングで休憩できるようになるまでを目標にしますか。そうしないと普通の生活もままなりませんね」
「さんせー」
「もちろん余裕があれば他の部屋もやりますが」
「はんたーい」
「早く終わったほうがいいに決まってるでしょう、飲み終わったら再開しますよ」
香奈が仕切ってくれるおかげで進みは早い。私が初めて引っ越した時なんて二か月経っても部屋にダンボールがあって、それが全部なくなったのなんて半年過ぎてからだった。
それを思うと、香奈と一緒に暮らして私は大丈夫なのかな、と思ってしまう。呆れらないようにしないと……。
でもマグカップを手にあれをこうして、そこにはそれを置いてと、楽しそうに計画話す香奈を眺めていると、そんな不安はどこかに行ってしまって。
楽しい日々を過ごすためにも、いっちょやったりますかーと残ったコーヒーを飲み込んだ。
夜は家の近くに気になる居酒屋さんがあったから、そこに入ってみた。
日本酒の種類が豊富でメニューも豊富、昼は定食も出しているみたいで重宝しそうなお店だった。新しい家の周りにはこうした居酒屋が多くて、しばらくは楽しめそう。
「それ、まだ持ってたんですね」
「入れっぱなしだっただけだよ」
家までの帰り道、香奈と歩きながら私はそのカードを空に掲げてみる。それは居酒屋でお金を支払う時に、サイフからたまたま出てきたカードだ。
少し傾けると東谷香奈ファンクラブという文字が月明りを反射させる。
「恥ずかしいから捨ててください……」
「えー、いいじゃん。まさに香奈のファン1号の証だよ」
「そういわれてしまうと、私も辻あゆみファンクラブを作るしかなくなってしまいますが」
「いや、いらないでしょ……」
「私がいるんです、あとかさねさんもきっと欲しがりますよ」
「そうかなぁ」
とはいったものの、香奈の言う通りかさねなら喜んで受け取りそうな気がする。
「そういえばさぁ、前から思ってたんだけど、このカードってファンクラブ創始者が持ってるはずって、美空さん? が言ってたんだけど、なんでそれを香奈が持ってたの?」
「今あゆみさんが言った通りですよ。私が創始者のうちの一人なので」
「え、自分のファンクラブを自分で作ったってこと?」
「そういわれると凄い自意識過剰みたいですね……でも結果的にはそういうことです」
歩きながら、香奈はその時の話をしてくれた。
香奈は高校の入学式で、特待生としてステージに上がり、全校生徒から強烈な認知を受けてからすぐに、当時の生徒会長……今、香奈の大学の先輩でもある人が接触してきた。
その生徒会長が言うには、学校規則の外側に規律を作らないと、香奈のこれから先の高校生活は大変苦労することになるだろう、といった話だ。
出会ってばかり、それもぶしつけにされたその話は、最初は不信に思ったものの大部分が香奈にも想像できるものだった。『学校の外側に規律を作る』、それを実行するために、ファンクラブという非公式集団にまとめてしまうのは都合がよかった。
「規律は集団によって生まれると、当時の生徒会長はよく言っていました」
そして匿名で学校SNSにファンクラブを立ち上げ、集団を作り、コントロールしやすく、リーダーシップもある生徒をまとめ役にして……香奈の行動を邪魔しないような規律を作っていく。そうして、香奈のファンクラブは出来上がった。
「このNo0001の会員証は本来生徒会長が持つものだったんですけど、いらないと言われてしまって。仕方なく私が持っていたんですけど、結局あゆみさんの手に渡りましたね」
「へー、その先輩が策士だったんだ」
「頭の回転が早い方ですよ。今考えれば、あれは私を生徒会に引き入れる呼び水だったような気がしますけど、そのおかげで生活しやすくなったのは確かですし」
「今も香奈の先輩なら、そのうち会ってみたいな」
「え、うーん……どうでしょう」
「なんでそんな反応なの?」
「結構変わっている方なので」
話しながら歩いていると、私達の家である比較的新しめのマンションが見えてきた。まだこうやって二人で並んで帰ることが新鮮だけど、そのうちきっと当たり前のようになる。
だからこうやって笑い合って帰れる日々を、大切にしようと思った。
家の中はまだダンボールだらけで辟易としてしまう。意外と時間も遅くなってしまったから、続きは明日にして寝る準備を済ませた。
荷物が少ないのもあって比較的片付いている香奈の部屋に布団を敷く。いつものように二組敷くけど、香奈は今日も私の布団にもぐりこんできた。もはやそれに疑問もない。
「明日はリビングのダンボールを無くすのを目標にしましょう。掃除用具も少し足りないんですよね……近くのホームセンターにも行きたいですし。あゆみさんが車持っててやっぱりよかったです」
「……」
横で明日の計画について話す香奈に、ふと疑問が浮かぶ。
「ねぇ、香奈ってさ。私の恋人なんだよね」
「な、なんですかいきなり。……そうですけど」
「なんでまだ敬語なの? 呼び方もさん付けだし」
「へ?」
出会った時から、私に対しての話し方に変わりはない。でも恵奈には普通に話しているのを聞いたことがあるし、高校生の時だってある程度気心が知れていれば敬語なんて使わないだろう。私は確かに香奈よりちょっと年上だけど、今は対等な関係だと思っている。
「ためしに普通に話してみてよ、さん付けもなしで」
「……えーと」
そう言ってみるけどなぜだか戸惑いがあるみたいで、香奈はなかなか口を開いてくれない。
「あの、私にとってはこれが普通で……あゆみさんはあゆみさんなんです。今更そう言われてもどう直せばいいのか……」
「じゃあ今だけでいいから、恵奈と話してるみたいに話して」
「えぇ、そんなに聞きたいですか?」
「聞きたい」
すっごく聞きたい。
恵奈と香奈の言い合いはたまに見てはいたけど、その物言いは一人っ子の私にはちょっと憧れがあった。
だからその一端を、私も言われてみたい。
凝視をしている私に、香奈は口を開いたり閉じたりして、なんとか言葉を出す。
「……明日はたくさんお掃除するからね。あゆみ……」
「おぉ……」
「……さん」
「なんでぇ!」
「やっぱり無理です! 敬語はまだなんとかなりますけど、あゆみさんはやっぱりあゆみさんなんです!」
「私も香奈さんって呼んじゃおうかな」
「うぅ、あゆみさんの意地悪!」
布団の中で二人、そんなことでじゃれ合う。それはとても幸せな時間だった。
その日、夢を見た。
それは香奈が宇宙服を着て、ロケットで宇宙旅行に行く夢だった。
香奈の隣には私もいて、同じように色違いの宇宙服を着ている。
大きな地球が見えるまでロケットで進んだ私達は、ある星へと着陸する。
その星に降り立って、香奈は『あゆみ星』と書かれた大きな看板を、地面に指して言った。
「誕生日プレゼントです! あゆみさん! ここに私達の国を作りましょう!」
「はっ!」
眼が覚めると、外はすでに明るかった。二人で選んだデザインの可愛い目覚まし時計はまだ早い時間を指していて、すぐ隣で丸まって寝る香奈もお目覚めはもう少し先のようだった。
「……まさかね」
妙に覚えているその夢――もちろん宇宙旅行は難しいだろうけど、そのくらい大きな夢を、香奈がいつか叶えられるように。
私達の生活は、まだ始まったばかり。
最後までお読みいただいた方はありがとうございました。
本編はこれで最終話になりますが、あと閑話を一話投稿して完結となります。
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