32話 ご挨拶
四月、新しい出会いの季節。
会社にも後輩が入って、私は早くも先輩になった。といっても最近は広報の仕事よりもモデル業の方に人気が出てしまって、あまり社内で仕事をしないで外で打ち合わせをすることの方が多くなってしまっている。
その原因は、公式SNSで私のコスプレがちょっとしたバズを引き起こしたせいも大きい。そこまでバズとかに興味がなかった私は、なんか最近妙に声を掛けられるな、くらいにしか思っていなかったから、会社の人に今後はもう少ししっかりカモフラージュするようにと言われてしまった。
香奈も無事大学へ入学をして、壮絶なサークル勧誘を乗り越えて天文サークルに入った。
香奈がサークルに入って大丈夫なのか? と思ったけど、天文サークルには香奈にとっての前生徒会長……香奈が高校一年の時お世話になった先輩がすでに所属していて、その関係で誘ってもらったらしい。
今回も大学に入っていろいろと教えてもらっているようで、香奈にとって頼りになる先輩のようだった。
そんな天文サークルの話を聞きながら、私は自分の家で鏡を前にしていた。
着ているのはきっちりとしたスーツ。今日の日のためにオーダーメイドした。というかオーダーメイドしないと男性用しかなくてサイズが合わなかった。
「……」
そんな高かったスーツを着ている自分を目の前に笑いかけてみる。その姿は見れば見るほど変な違和感が生まれてくるような気がした。
「香奈、大丈夫かなぁ。変じゃない?」
「どっちかと言われれば変かと。それはそれとして、もう少しだけ撮らせてください」
香奈は私のベッドの上に座ってスマートフォンのカメラを構えていた。私はフォーマルな格好だけど、香奈は普段着のままだ。
「行くの怖いなぁ……」
「大丈夫ですよ、私もいますから。というかあゆみさんも普段着で良いです、スーツはやりすぎですよ」
「そうかなぁ」
「そうですよ、しかもこの手土産も持っていくんですよね?」
香奈の右手には、有名なカステラ屋さんの袋が下がっていた。私が街中で買ってきたものだ。
「確かにルームシェアをする相手に会いたいって言ったのはうちの母ですけど、婚前の挨拶じゃないですし、そこまでかしこまらなくてもいいんじゃないですか?」
「でも実質的にはそうならない?」
「それはあくまで私達の中では、です。母にとってはそうじゃありません」
香奈の説得に、私はスーツのボタンを外す。私も本当は少しでも武装したかっただけで、もっと自然な恰好で行かないと不自然なのはなんとなく分かっていた。
「あ、ちょっと待ってください。ちゃんと正面から撮影したいので」
「え、さっきから撮ってたじゃん」
「上一枚脱ぐと印象変わりますね……目線いいですか?」
カメラマンみたいなことを言っている香奈にちょっとサービスしながら、私は今ある服を頭の中で組み合わせていた。
香奈のルームシェアは、お母さんから条件付きのOKを貰った。
その条件というのが一度会ってお話したいという、要するに面談だ。私は香奈のお母さんとはしばらく会ってなくて、最後に会ったのは恵奈の友達として家へ遊びに行った時くらい。お母さんの顔や姿もぼんやりイメージできるけど、その程度だった。
香奈と知り合ってからそのイメージは少し悪い方向に傾いていて、香奈の管理具合からちょっと束縛気味のお母さんといった感じ。香奈から聞くと大学生になった今ではそこまででもないらしいけど、私にとってはそのお母さんから香奈を取り上げるようなものだから、緊張しないわけがない。
服装はガチガチのスーツからちょっと軽めのオフィスカジュアルにして、香奈の家までの道を歩く。今日は恵奈と愛莉ちゃんもいてくれるみたいで心強くはある。
「あっ、指輪はさすがに外しておいた方がいいか」
「……そうですね、そうしておきましょう。私のは自分の部屋にあるので、お母さんも知らないとは思いますが、念のために」
私は基本つけっぱなしの指輪を、バッグの中にある小さなポーチへと入れておく。少しだけ寂しくなった指を見ていたら、香奈の手が添えられた。
「なにも心配ありませんよ、私ももう大人ですし。自分のことは自分で決めます」
「そうだね」
そうだった、隣にいるのは中学生の香奈じゃないんだ。私はその手を優しく握って、香奈の隣を歩いた。
「いらっしゃい、あゆみさん。しばらくぶりね」
「お、お邪魔します」
出迎えてくれたのは、愛莉ちゃんを抱っこしたお母さんだった。
抱っこされたままの愛莉ちゃんは機嫌が良さそうで、私もその様子に自然と笑顔になる。
「あの、これつまらないものですが」
「ありがとう、あとで一緒に食べましょう。香奈、居間に案内してあげて、恵奈もいるから」
「わかった」
カステラを受け取ったお母さんは、愛莉を抱えたまま奥へ行ってしまう。とりあえずファーストコンタクトはなにも問題なさそうだった。私と違ってお母さんは私のことをしっかり覚えていたらしい。
「あゆみさん、こっちです」
「おー、来たねぇ」
香奈の後ろについて居間に入ると、恵奈が寝転んでいた。
「おねーちゃん、一応お客さんだよ?」
「私は育児で疲れているの……あゆみ相手に外面を被る余裕なんてないんだよ」
「もー、そう言ってしょっちゅう帰ってくるじゃん。愛莉ちゃんお母さんに取られてもしらないよ?」
「三日間くらいなら取られてもいいな」
そんなことを言う恵奈は相変わらずだった、実家なのもあって完全にだらけモードだ。
「あゆみ、これ終わったら久しぶりにご飯行かない? 香奈も一緒でいいし」
「この後は特に予定ないから、無事終わったらね」
「おねーちゃんなんか私がついでみたいなんだけど」
「ついでだからね」
まったくもう、と香奈は文句を言いながら恵奈に起き上がってもらおうとするけど、恵奈にはそのつもりはないみたいで。その姉妹のじゃれ合いを私はただ座ってみていた。
「恵奈、飲み物運んでくれる?」
「香奈お願いー」
愛莉ちゃんを抱えたままお母さんが恵奈を呼ぶけど、恵奈は絶対に立ち上がらないという意志を示していた。
「……香奈」
「はーい」
その仕方なさそうに香奈を呼ぶお母さんの仕草は、なんだか香奈によく似ていた。どっちかというと香奈の方がお母さんに似たんだろうけど。
紅茶と私が持ってきたカステラが四人分テーブルの上に並んで、全員が席につく。愛莉ちゃんは恵奈の腕の中に戻った。
「まず……本題から話しましょうか。香奈は家を出てあゆみさんとルームシェアするということだけど」
「お許しいただけますか?」
「私としては、ここにいてもらいたいんだけどね」
お母さんはテーブルの上に紙束を出す、それはずいぶんと分厚い紙束だった。
「なんでしょう? 『大学生からのルームシェアの有用性について?』」
「香奈が作った資料よ、昔からだけど親相手にプレゼンなんてどんな親が育てたのかしらって感じよね」
「えぇ……」
それをお母さんが言っちゃうの? どう反応すればいいかわからないけど。
「でもこの資料を見て思ったわ。香奈はただ私から離れたいがために家を出たいわけじゃないってこと。私、ちょっと嫌われてるんじゃないかと思ってたのよね。香奈、この容姿でしょ? 小さい頃から危険が多くてね。気を付けていたけど、私と恵奈だけじゃどうしても手が回らないこともあって、だからあゆみさんがいろいろと連れ出してくれて本当に助かったわ」
「いえ、私は特に……私も楽しかったですし」
「私、別にお母さんのこと嫌いじゃないよ。理由は分かってたから」
「でも煩いなとは思ってたでしょ?」
「それは――まぁ、そうだね」
「お母さんは香奈を束縛しすぎなんだよ。私はそうでもなかったのに」
「恵奈は言うこと聞かないから早々に諦めたからね」
「ひどー」
「孫を生んでくれたことだけは感謝するけど」
「それだけ?」
恵奈はカステラを食べながら文句を言う。
「話を戻して……ルームシェアの件ね。こうしてあゆみさんの顔も見ることが出来たし、認めます。香奈の話だと、あゆみさんもしっかりしているみたいだし。今も一人暮らしで、丁寧な暮らしをしていると聞いてるから、恵奈みたいに世話されるばっかりでもないでしょう」
そんな話に私は思わず香奈に目を向けるが、香奈は明後日の方向を向いていた。恵奈はちょっと笑いをこらえているし、流れに乗るしかない。
「香奈はよく出来た娘だから心配してないけど、これまで通り、あゆみさんもよろしくね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
香奈があらかじめ外堀を埋めていたこともあって、ルームシェアはすぐにOKを貰えた。私の勝手な想像で、お母さんの厳しそうなイメージを作っていただけで、実際に会って話してみると普通のお母さんのように見えるし、なんだったら私のお母さんより温和なようにも思える。
なんにせよ、特に波風が立たなくてほっとした。そうなったら少し話しやすくもなって、いろいろと雑談して、ポットの紅茶がなくなるとお開きになった。
「よし、あゆみ。ご飯いこう」
「恵奈そればっかりじゃん」
「だって外で食べるの久しぶりなんだよー」
「いいけどさ、今って何食べても大丈夫なの?」
「ちょっと制限はあるけど、そこは自分で選ぶから大丈夫」
「あの、おねーちゃん私あそこ行きたい。ビルの下にあるパスタ屋さん」
「いいね、近いしそこにしよう」
恵奈と香奈がそんな会話をしながら、姉妹はぱぱっと準備をして先に出ていく。私も大仕事が終わってかなり気が抜けていた。本当はビールでもいっぱいやりたい気分……。
「ねぇ、あゆみさん」
「なんでしょう?」
私も靴を履いていると、愛莉ちゃんを抱えたままのお母さんに呼び止められる。もう二人は扉の向こうで、その時は私とお母さんの二人きりだった。
「あのね、香奈のことなんだけど……最近出かける時小指に指輪しているのを見かけるの」
「え……ハイ」
「香奈ってそういうアクセサリーに興味なかったから、珍しいと思って。でももう大学生だから、そういうこともあるわよね……それだけ。今日あゆみさんと話してみて知りたいことも分かったから、とりあえずいいわ。香奈をよろしくね、またお話しましょう」
「はい、また……ではお邪魔しました」
香奈のお母さんは手を振って見送ってくれる。指輪のこと、知ってたんだ。普通のアクセサリーだと思ってくれればいいけど。
ふと自分がさっきまで指輪をしていた自分の小指を見る。そこにうっすらと指輪の跡が残っていることに私は気づいた。……もしこれにお母さんが気づいていたとしたら、帰り際の会話は。
「あゆみさーん。早く行きましょう」
「あゆみー、どしたー」
これを香奈に伝えるべきか、私は少し迷いながら二人の元へ駆け寄った。




