31話 好きだよ
「着いたー」
「横浜ですか、ますます電車でもよかったと思ってしまいますね……」
香奈のそんな呟きを聞き流して、私達は横浜に来ていた。都民なら気軽に行ける旅行場所として人気で、首都圏と比較したら比較的空いている。
「横浜といったらやっぱり中華街?」
「そうですね、そんなイメージが強いです」
「今日は車もあるし、行きたいところ全部行こう。とりあえずお昼近いし中華街行こうか」
中華街と言ったら食べ歩きだけど、まだ少し寒いから適当な中華料理屋さんに入って、いくつか二人で食べれるようなものを注文をする。
「そういえば香奈とどこかで食べ歩いたこともあるよね」
「『やっておきたい100のコト』ですよね?」
「そーそー、そんなのもやったな」
「やったって、今でも私は継続中ですよ」
と、香奈のスマートフォン内のメモ帳を見せてくれる。
「え、まだカウントしてたんだ」
「いつか100まで行けるかなと思いまして、実は密かにカウントしていました。もともとはあゆみさんの就活用に始めましたけど、今は私の趣味ですね」
「チェックついてるのは……27コ? まだまだ先は長いね」
「30代になったらまた100増えますし、ちゃんとやらないと残っちゃいます」
「……残っちゃうって言われるとなんか宿題思い出す」
「冗談です、気づいた時に埋めるくらいの気持ちでやってます。宿題というよりは、目標のようなものでしょうか」
宿題も目標も、私にとってはそんなに変わんないけど……香奈がやりたいならいいか。
「ちなみに高そうな中華料理屋さんに入るという項目もありますので、今日また一つチェックできますね」
「確かに内装は高そうだけど、高級店ではないよ?」
「そこまで気にしなくていいんですよ。あっ、きました」
注文したのはいくつかの点心、チャーハンやエビチリで、運ばれてくるにつれテーブルの上が一気に華やかになる。
「うわ、これ美味しい」
「やっぱり中華料理屋さんで食べるとちゃんとした香辛料使ってる感じしますよね……スーパーでも買えるんでしょうか」
「考えてたら美味しくなくなっちゃうよ。早く食べる食べる」
じっくり味わいながら食べる香奈に、いつか家で作ってくれたりするのかと思いながらも、私は次々と箸を進めた。
「クラゲ好き?」
「私はあんまり好きじゃないんですよね、ちょっとグロテスクに見えてしまって。こうして展示している分には綺麗に見えますけど」
中華街の次はほど近い水族館に来ていた。クラゲエリアはうす暗く、水槽の中だけライトアップされていて、その雰囲気になんとなく男女二人組が多い気がした。香奈は少し見ただけで満足したようだけど。
「小さいころに、海で姉がクラゲに刺されたことがあって」
「恵奈が?」
「その時刺されたところが凄く腫れたんですよね。病院で処置してもらって何日かしたら治ったんですけど、その腫れ方が印象に残ってしまって。それからは近づかないようにしてますし、海に入るのもちょっと苦手です」
「へぇー、香奈にも苦手なものあるんだ」
「あゆみさんは私をなんだと思ってるんですか?」
少し歩くと、イルカショーの看板が出ていた。時間的にも今から行けばちょうど良さそうだ。
「見るなら魚類よりも哺乳類の方がやっぱり楽しそうですね。あちらに行きましょう」
「イルカのこと哺乳類って呼んでるの?」
「今のはさすがに例えです」
でも香奈の言う通り、水族館の中ではイルカショーが一番楽しかった。
水族館は見るところが多くて、出るころにはすっかり暗くなってしまった。二人で車に乗り込んで、次の場所を目指す。
「もうホテルの方に行くんですか?」
「いや、今日はもう一か所寄ってからだね」
そしてその場所が、私にとって今日のピークだ。
近づくにつれ緊張してくる気持ちをごまかしながら、安全運転でその場所へ向かう。
たどり着いたその公園は、きっと普段はもっと賑わっているはずなのに、まだ春前のせいか人は少なかった。少し奥に進むと公園の中なのに海に面した砂浜がある。夏は海水浴場になる場所で、冬でも公園の一部として開放されていた。いくつかのグループがはしゃいでいるけど、暗くなってしまえばそこまで気にならない。
そして海の向こうには、さっきまでいた水族館の光が見えた。
「……綺麗ですね」
「うん」
ここに着いてから、会話はあまりない。香奈もきっと、私が緊張していることが分かっていて、その理由も察しているはずだから。
あんまり先延ばしにしてしまうと、ますます切り出しにくくなってしまう。香奈は十分待ってくれていたし、その間香奈の気持ちに変化がないことは会う度にアピールしてくれた。そして私の香奈を思う気持ちも、今ではしっかりと名前がついている。
長く、息を吸い込んだ。
「香奈」
「はい」
遠くの景色を見ていた視線を、香奈に向ける。
「出会った時は、こんな関係になると思ってもみなかったね」
「そうですね、たまたま姉の体調が悪かったから、私が代わりに行ったのが始まりでした。あれから繋がりは途切れずに、今もあゆみさんの隣に私はいます。そしてその気持ちも……あゆみさんが好きという気持ちは、ずっと変わっていません」
「……全部言っちゃうじゃん」
「すみません、待ちきれなくて」
確かに今更、気持ちを確認する言葉はいらないか、と私はポケットから小さな箱を取り出す。
「香奈、保留にしてた返事をするね。……私も、香奈のことが好きだよ。もちろん、恋愛的な意味で。よかったらこれからもずっと隣にいてほしいし、香奈の隣にいたい」
「はい、誓います。これからもあゆみさんの隣に」
「……私達、まだ付き合ってもないはずだけど、誓いますって言われるといきなり結婚みたいな流れになっちゃう気がする」
「ふふ、私は全部飛び越えて結婚ってことにしてもいいですけど。とりあえずお付き合いからですね」
私は箱を開いて、二つあるうち一つの指輪を取り出す。それを香奈の右手の小指に――
「左手の薬指じゃないんですか?」
つける前にそう問いかけられる。
「いや、流石にそこは目立つでしょ」
密かに測った指輪のサイズも、香奈の右手の小指の大きさにしてある。それは普段でもファッションとしてつけれるようにと思ってそうした。薬指の指輪は、やっぱり重要な意味を持つからそれはちょっと早いかなと思って。
「んー……まぁいいです。あゆみさんがくれるならどこでも」
若干不満げな香奈に私は笑って、右手の小指に指輪をしてあげる。
「私もあゆみさんにしてあげますね」
箱の中に残ったもう一つの指輪を香奈は取り出して、同じように右手の小指にしてくれた。二人の指に同じ指輪が光る、その指輪には確かな繋がりを感じた。
「えへへ、あゆみさんっ!」
「うわっ!」
飛び込んでくる香奈を抱き留める。ぎゅっと手を回されると香奈の暖かさも伝わってくる。
「私、幸せです。幸せが身体から溢れちゃいそう」
「私も」
近くを人が通り過ぎる。けどそんなことが気にならないほど、今は目の前の存在を抱きしめていたいと思った。
「あの、そういえばこのペアリングって婚約指輪ですか? 結婚指輪ですか?」
場所は変わって、今日宿泊するホテルの部屋。先にシャワーを浴びた香奈は髪を乾かしながらそんなことを聞いてきた。
「え、どっちでもないけど……それはあくまで待たせちゃったお詫びと、これからの約束ってことで選んだから」
「その割に指輪は重い選択だったと思いますが」
うっ、と痛いところを突かれる。
最初はとくに指輪って決めているわけではなくて、ただ何か今までの分を形にしてあげたかったというだけだった。イヤリングとかもいろいろ見たけど、指輪ならチェーンがあれば首からかけることもできるし、店員さんに相談しているうちにいつの間にかペアリングになっていた。
「ふむ、そうですか……。でも私達、結婚式っぽいこともしましたし、これはもう結婚したといっても良いのではないでしょうか」
「文化祭の時の事? あれも素敵だったけど、もっとちゃんとしたところでもやってみたいな」
「あゆみさんもウェディングドレス着たいですか?」
「……着たい」
私だって一回くらい着てみたい。
「わかりました。今度は私がタキシードでやりましょう」
「でもその前に! まず考えるのは大学生になってからのことじゃない?」
「一緒にシェアハウスをするって計画ですよね。いくつかの物件にはすでに目をつけています。あゆみさんの職場も、私の大学の間くらいで、駅が近くて……やっぱり家賃は結構しますけど」
「物件も大事だけどさ、お母さんの許可とった?」
「……とってないです」
香奈の卒業後、私と香奈とで一緒に住む計画。それは以前から話していたことではあったけど、今となっては直近にある現実で、そのためにいろいろと動かないといけない。
そのための一歩が、香奈のお母さんの了承だった。シェアハウスという建前にしたって、親元を離れて暮らすならそれは必須だ。
「それに私もね、香奈と一緒に住むなら香奈のお母さんともちゃんとお話ししなきゃと思ってるんだ。その方が安心してもらえるでしょう?」
「それはそうかもしれませんが……本当はあゆみさんと母をあんまり会わせたくないのですけど」
「そうなの?」
「万が一私とあゆみさんの関係が知られたら、どうなるかわかりませんし」
「詳しいことまで言わなければ大丈夫」
「そうですけど、接触すればその危険性が上がってしまうような気がして」
「もしそうなっても、もう香奈を離すつもりはないから」
私がそういうと、香奈はドライヤーを髪に当てたままポカンとしていた。と思うとドライヤーを素早く置いてきて、私の膝の上にダイブする。
「うわっ、危ないよ」
「あゆみさん、実は天然ジゴロだったりしますか?」
「ジゴロ? なにそれ」
「知らなければいいんです。でも、今みたいなことは私にだけ言ってくださいね」
膝の上にある熱がまだ残る髪を撫でると、香奈はくすぐったそうにしていた。
「そういえば香奈は大学に行って、将来何になりたいの?」
「まだはっきりと決めていませんが、本格的に宇宙を研究するならやっぱり一度は留学した方がいいんですよね」
「そうなんだ」
「でも今はあゆみさんとの生活を十分楽しみたい気持ちが強いです。ライフプランは一度練り直しですね。あゆみさんの分も作っていつか見せますので」
「えー、私はいいかな」
香奈が作ったライフプランを見せられたら、本当にそうなってしまいそうで、いわば未来予知になりそうだから遠慮しておいた。
「そういえば、私もあゆみさんに聞きたいことがあって」
「なに?」
「えっと……もちろん、私が高校を卒業した後のことなんですけど」
珍しく香奈はそれを言いづらそうにしていた。
「性交渉ってどこまでしますか?」
「せい……ん?」
香奈の顔は真っ赤で、その熱が膝に伝わってくるみたいだった。
「いえ、えっと、もしあゆみさんが私を求めてくれるなら、勉強しておこうと思いまして。女性同士でも欲求は十分満たせると本で読んだこともありますし、いずれそういうことをするなら知識があることに越したことはありません。だから、その、えっと」
「……さすがにまだ早すぎるでしょ」
という私も香奈の慌てようになんだか恥ずかしくなってしまった。いや、そこまで考えたことなかったけど、付き合ってればそんなこともある? 男女ならまぁ普通なんだろうけど、私も勉強しておこ……。
「そういうのは自然と……なんかこう? そういう雰囲気になったらすればいいの。事前にこの予定で進めます! ってものじゃないんだし」
「そう、ですね。さすがあゆみさん」
そんなしどろもどろな説明でも香奈は頷いてくれる。でも、それで一つ思い出したことがあった。
「けど、香奈には保留していることが一個あったね」
「保留? なんでしたっけ」
香奈を起き上がらせて座らせる。そして香奈の唇に、あくまで自然を装って私の唇を合わせた。
「んっ」
香奈の小さな声に、すぐに唇を離す。
初めてのキスは絶対に主導権を握ってやろうと前から考えていた。それは年上の意地とか、香奈にばっかり世話されるような関係にはなりたくないから、どこか私が優位な場所があってもいいと思っていた場所だ。
それにあんまり香奈に好きなようにさせると、どこまでも許してしまいそうだし……。
そういう理由から、キスが終わっても私は平然としていた。本当は心臓の音が凄いけど、ちょっとお仕事モードな気持ちで香奈を見つめる。
「……あの、もう一回、いいですか」
でもそんな香奈の可愛いお願いを、断ることなんてできるはずもなくて。
結局その日は、香奈に求められる分だけ、キスを交わした。
次の日、起きた時は気恥ずかしかったけど、奮発した朝食ビュッフェを済ませれば元の空気感に戻っていた。
「チェックアウトまでまだ少しあるけどすぐに出発する?」
「いえ、すみません。ちょっと食べすぎたので休ませてください」
「珍しいね、香奈が食べ過ぎるなんて」
「魅力的なものが多かったので……あとやっぱり、気分が上がっていたのもありました」
そうしてベッドに倒れこむ香奈はうー、とうめき声をあげていた。
私はその姿に苦笑しながら、食後のお茶を入れる。香奈との卒業旅行日程は今日も盛りだくさんで、計画的にはすぐに出た方がいいんだけど。
「ま、いっか」
この旅行で一番大切なことはもう済んだから、得意の後回しを決め込んだ。
小指にある指輪がそれに同意するように、きらりと光を反射させた。