13話 お互いの転機
「お、おつかれさま」
「おつかれー」
とあるマンションを出たところで、わたしはかさねとそう言い合う。
四年生になって早二月が経ち、だからといって特別生活は変わることなく。
内定も未だにないまま、取得単位が少ないからむしろ暇を持て余している合間に、かさねと三枚目のROMを作成するためにカメラマンのマンションにお邪魔した後のこと。
「スムーズにいってよかった」
「先輩、やっぱり才能ある。私も楽しかった」
今日もかさねとの合わせで、今回の衣装はとあるゲームのキャラだった。私は刀を守護する后で、かさねは私の護身をする小さな女剣士のコスで、どちらも可愛いよりの衣装で合わせていても楽しかった。今ではすっかりコスプレが趣味といってもいいかもしれない。ほんとに着るだけだけど。
「せ、先輩。まだ時間ある? 遅くなったけど、この間のお礼渡したい」
「大丈夫だよ。そこのカフェにでも入ろうか」
マンションからほど近いカフェに二人で入る。六月というのにもう夏の兆しがあって、少し汗ばむ陽気だったからカフェの中の涼しさが気持ちいい。
案内された席に座り、私はアイスティーを、かさねはアイスココアを注文した。
「さ、さっそく、これ」
「ありがと」
机の上に出された茶封筒の中身をちらりと見る。一瞬見ただけでは数えきれない一万円札があるのに少し動揺して、鞄の中にさっとしまう。
「評判よかった、SNSでもコスプレ界期待の新星って言われてる。露出が少ないから憶測を呼んでるのもあるけど」
「あはは……凄いね」
私はSNSでエゴサしたりしないのもあって、自分の評判についてはかさねが教えてくれるくらいしかわからない。かさねのサークルは本当に大手らしく、撮影を楽しむだけで馬鹿にできない臨時収入が入るのもあって、かさねに誘われるままに続けていた。
「で、できれば夏のお祭りに参加してほしいけど……」
「ゴメンね、それはパス。一応就活生の身だし」
「ざ、残念」
私の返答は予想していたみたいで、かさねは特に気を落とさずにいう。この問答も何回かしていて、かさねはどうにかして私にコスプレイベントデビューをさせたいようだった。最近は就活生のSNSを企業も見るというし、余計な情報は減らしたい。
飲み物がきて、かさねから最近のコスプレ界隈の話を聞く。かさねと話すときは私はだいたい聞き役になる。かさねは私のまったく関わりのない世界の話をしてくれるから、それが意外と興味深い。
「そ、そういえば話は変わるけど」
ふと、かさねがスマートフォンを取り出し一枚の画像を見せる。
「こ、これ、香奈ちゃん?」
そこには廊下を曲がるところであろう制服の後ろ姿があった。場所は学校内っぽくて、少しだけ覗く横顔は間違いなく香奈だった。
「香奈だと思う、どうしたのこれ?」
「わ、私の妹、誠英高校で。とんでもない一年生が入学してきたって話題になってる」
まぁそりゃ話題になるだろうなぁと素直に思った。私がもしその時の高校生なら、噂を聞きつけて絶対見に行くと思うし。
「な、なんか主席で、入学生代表の挨拶でみんなをとりこにして、すぐにファンクラブが出来て、隣の席になったちょっと態度の悪かった生徒は改心させて、天使って呼ばれていて、画像を持っているだけ運気が上がって、宝くじは買うそばから当たって、世界から戦争が消え失せるとか」
「えっと、どこからつっこめばいい?」
そんななら私も宝くじ買いに行くけど。
「さ、最後の方は冗談だとして、画像を持ってると運気が上がるっているのは迷信になってるみたい。私の妹もそれで撮ったって」
「いや、隠し撮りはよくないと思うよ」
「もちろん、よくない。コスプレイヤーの隠し撮りももってのほか。叱った」
かさねもちゃんと考えてくれたようで、そこは少し安心した。
「も、もしも香奈ちゃんがこの状況知らなかったら、伝えてほしい。知ってるのと知ってないのじゃ結構違う」
「それでいろんな画像が出まわっちゃったら怖いしね。ありがとう、伝えておくよ」
意外な姉キャラを出してきたかさねに私はお礼を言って、ちょうど週末会うタイミングがあったから高校生活のことをもう少し深く聞いてみようと思った。
香奈と会うのは少し久しぶりだった。
四月は何かとお互い忙しかったし、五月はタイミングが合わなかった。
週一回は通話をしているから声は聴いているけど、高校生活の話を聞くとなんとなく話を逸らされる感じがあって、もしかしてあんまり上手くいってないのかな? と思って追及しずらかった。
かさねから聞いた話じゃ、天使扱いされてるみたいだし、話しづらいとしても別方向の理由だろう。いきなり香奈が「私、天使って呼ばれてて」と言い出しても、冗談としか……いや、全然呼ばれててもおかしくないか。
金曜日の午後、香奈の学校は行事かなんかで午前のみの日に、ファミレスの前で一人待つ。
「あゆみさん、お待たせしました」
「いや、待ってない……よ」
「? どうしました?」
制服姿の香奈がそこにいた。
少しだけ伸びた髪は片側だけ編み込んでいて、少しだけ髪を気にするようになったらしい。制服には慣れたみたいでしっかり着こなしていて、機能性を重視したリュックには目印のために小さなキーホルダーがついている。そこにいたのは疑いようのない女子高生で、その輝きが私には眩しかった。
「……いや、なんか若いなって思っちゃって」
「あゆみさんも四年前は高校生だったと思いますが」
「もう四年も前のことなんだよ」
いつかわかるさ、香奈が大学生になったらね。
「暑くなってきましたし、早く入りましょう」
戻らない時を感じてしまって少しだけ気を落としてしまった私を気にせず、香奈はファミレスに入っていく。平日とはいえ、昼時なので店内は少し込み合っていた。忙しそうな店員に案内されて席につく。
「何にする?」
「冷製パスタとかがいいですね」
「暑いしね」
タッチパネルで注文しながら、近況を報告する。
最初に話題になったのは恵奈のことだった。恵奈は卒業後に引っ越して啓介さんと住む予定になっていて、それもあってか今は料理の練習をしているらしい。
「最近のお弁当は姉作です。だんだんと上手になってきているので、上達具合が楽しいですね。たまに変なものを入れて失敗してますけど」
「確かに最近お弁当のこと多いなと思ったけど、そういうことなんだ」
この間も食堂で一緒にお昼をしようとしたら、お弁当だからゼミ室で食べるわと断られたことがある。
四年生になると、卒業研究のためにそれぞれ興味ある分野を選んで、先生のもとで研究を行う。それは先生の研究室で行うことが多く、通称ゼミ室と呼ばれていた。もしかしたら恵奈も、自分で作ったお弁当を見られるのが恥ずかしかったのかもしれない。
「だんだんと自分の部屋も綺麗になっていますし、結婚するとなると性格も変わるんだなと少し感動しました」
「そっかー。恵奈は意外と頑張る性格なんだね」
普段会う恵奈は変わらなかったけど、見えないところで変化はあるらしい。
「あゆみさんは……恋愛したりしないんですか?」
「恋愛ねぇ」
ゼミにも何人か男はいる。けどその誰もが私より背が低いし、初めの挨拶の時には明らかにでけぇな、みたいな顔をされたことを覚えている。必要があれば普通に話すけど、恋愛に発展しそうな人はいない。
「あの、深い意味はないんですけど」
「ん?」
「あゆみさんって、女性も恋愛対象だったりします?」
「え」
なんだか少し緊張した表情で、香奈がそんなことを言ってくる。
女性、女性か。考えたことなかった。付き合うのなら男だと自然に思っていたから……例えば、香奈のことを想像してみる。もし香奈のような女の子が、私の彼女になったら。
……まぁ、アリか。
というか男性が私の隣にいる、ということが考えられなすぎて、逆に女性がいる方がバランスはいい気はしてきた。背の高さ的に私が男性側っぽいのはちょっとがっかりだけど。
「ん~、どうして?」
「え、えっとかさねさんから女性同士で付き合っている人たちのことを聞いて」
「あぁ、もともとソウエイやる予定だった人ね。私も聞いたよ」
「それで、あゆみさんはどう考えてるのかなって思って……すみません、変な質問をしました。やっぱり忘れてください」
私が答える前に、香奈は質問を取り消した。そしてその質問の意図を、私はあえて気づかないふりをした。それに気づいて私が口にしてしまったら、その瞬間になにかが変わってしまう気がしたから。
『お待たせしました! ご注文の商品です!』
そんな機械音に沈黙が途切れる。いつのまにか席の隣には猫の耳をつけた配膳ロボットが待っていた。
「あ、あゆみさん、お料理取ってください。この子が戻れないですよ」
「そうだね」
自分が頼んだハンバーグはまだじゅうと音を立てていて、その煙に考えていたことはどこかに行ってしまった。
「そういえば、天使って呼ばれてるの?」
「う」
冷製スープパスタを食べていた香奈が、少しせき込む。
「……誰に聞きました?」
「かさね。かさねの妹が誠英高校らしいよ」
「あゆみさんだけには聞かせたくなかったのに」
なにかをぶつぶつ言っていたが、観念したようでそれを認めた。
「といっても、普段は苗字や名前で呼ばれます。そうやって呼んでるのは他のクラスの人とかですね」
「一緒にお昼食べる友達とか……いる?」
「心配されなくてもいます、隣の子とはすぐに仲良くなりました」
「あー電話で言ってた初日に絡んできた子か、その子にはなんて呼ばれてるの?」
かさねから聞いた話では少しだけ素行が良くないと聞いた人のはずだ。その質問に香奈はとても言いづらそうにしながらも。
「ちゃんと名前で呼んでくれてますよ。私もそうしてますし」
「え、呼び捨てで?」
「そうですけど……」
私の中では、香奈は会った時からずっと敬語キャラだったから、普通に話しているのが想像しにくい。
「香奈って敬語以外で話せたんだ……」
「どういう意味です?」
香奈はもう隠すことを諦めたのか、学校生活に関するいろいろなことを教えてくれた。
隣の席の子は勉強に対する意識が高めで、主席で特待生であった香奈を全然良く思ってなかったらしい。しかしその後のテストで対決をして、香奈が満点で完勝した後は、なにかと張り合ってはくるけどいいお友達になっているようだ。
あと自分のファンクラブがあることや、自分の写真がお守りのような扱いを受けていることも香奈は知っていた。
「正面からお願いしてくる人もいるので、そういう時は断っているんですけどね。遠くから撮られるのはわからなくって。最近は徐々に少なくなっていますが」
「そうなの? さすがに先生から注意入ったかな」
「いえ、ファンクラブの方々が秩序を作ってくれているようで」
「そうなんだ。誠英高校って偏差値高くて有名だし、みんな勉強にしか興味ないのかなーって思ってたけど、普通の高校なんだね」
「普通の高校ってファンクラブあるんですか?」
そう聞かれると……普通かも怪しくなってきたな。
「部活動とかは入らないの?」
「学ぶためを思うと、部活動は余計な要素ですのであまり考えていませんね。その代わりですけど、生徒会に入らないかという打診がありまして」
「一年生から入れるの? 生徒会って」
「現生徒会の推薦があれば問題ないみたいです。どのように生徒会が運営されているかは少し興味がありますね。生徒会長が少し不思議な方で、いろいろと教えてもらっています」
かさねから話を聞いた時は少しだけ心配したけど、香奈は意外と学校生活を楽しんでいるようだった。こうしてランチをしながらお互いの話を聞くのはとても楽しくて、香奈が北海道の高校に行かなくてよかったなと考えてしまう。
「それより私の話ばっかりじゃなくて、あゆみさんの話も聞きたいんですよ。これです」
と、鞄から出てきたのは一枚のROMだ。
「あ、これ私の二枚目の」
「そうです! 変装して買いに行きました! すっごくカッコよかったです」
それは前のイベントで配布された私の二作目のROMだった。コスプレに関しては香奈にもほどほどに伝えているけれど、まさか現地にまで買いに行くとは。
その時コスプレしたのは一枚目とは別のキャラクターで、私の知らない作品だった。女性向けノベルの攻略対象の一人だとかさねに説明してもらって、本を貸してもらったけれど普段読まないジャンルを読みこむのは時間が掛かったことをよく覚えている。
結局そのキャラについてはあんまり没入できずに、かさねとカメラマンの言われるがまま撮影したから、私的には少し心配なROMだった。
「私、そのイベントに午前中お邪魔しましたけど、結構売れているみたいでしたよ」
「そっか。こないだ三作目も撮ったから、香奈用に貰っておこうか?」
「そうなんですか! ……いえ、あゆみさんの気持ちは嬉しいですけど、やっぱり自分で買いに行きます」
「そうなの? かさねもいいって言うと思うけど」
「違います。これはその場に行って買わなきゃいけないものなんです。そんな気がします」
まぁいいけど、次のやつは夏のお祭りで配布する予定って言ってたから、香奈が行くなら心配になるな。
その後はそのROMのどこが良かったかを香奈が熱弁してくれて、私は恥ずかしいやら嬉しいやら複雑な感情でそれを聞いていた。
高校生になって相変わらず香奈には門限があって、今日は予定通りに帰っていった。
私も久しぶりにたくさん話して楽しかったなぁと鼻歌混じりにオレンジ色に陽が指した道を歩く。
そんな時、スマートフォンに着信があった。
「はーい、かさね?」
「せ、先輩。今大丈夫?」
電話越しのかさねの声色は少しだけ焦っているような気がして。なにか起こったのかと心配になる。
「大丈夫だけど、どうしたの?」
「あの、えっと、先輩って就職活動終わってる?」
グサリと遠慮ない言葉が私を刺す。
「今週もお祈りメールを一つ貰ったところだよ……」
香奈とはその話題にならなくて少しほっとしていたのだけど、私は未だに内定が一つもなく、ちょっと焦っているところだった。四年にもなると周りでは内々定をもらっている人が結構いる。
「よ、よかったら、メルキューレでモデルしないかって連絡きた」
「え?」
「コ、コスプレ雑誌でメルキューレっていうのがあって、そこの人からあゆみさんを紹介してくれって! 良かったらモデルとして紹介してくれないかって」
かさねはずいぶん興奮しているようで、どうやらそれが凄いことだとなんとなく感じた。けど、メルキューレのメの字も知らない私は、その突然の内容に、なんて答えていいかわからなかった。