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「過去形なのですね」
ルルーシアがそう言うと、キリウスがニヤッと笑った。
「そりゃそうだろう? あの子がやらかしたことを思えば当然の感情だ」
肩を竦めて見せるルルーシア。
「それができればここまで苦しくはないと思うのです。殿下のことを考えると、悲しくなりますし胸が苦しくなります。なのにキリウス殿下とかキース様と観劇に行きますでしょう? そうしても同じような気持ちになるのですわ」
「ざまあみろって思わないの?」
「思えませんわ。私が感じた痛みを殿下も感じておられるかもしれないと思うと辛いです」
キリウスがキャロラインを呼んでお茶のお代わりを頼んだ。
「まだ好き?」
「どうなのでしょう……」
「好きと未練と執着は違う。あのね、恋って求めるものなんだよ。そして愛は与えるものだ。アマディは君に恋をしているんだろうね。でも簡単に許しちゃダメだよ? あの子はそれだけのことをした。バッサリ切って捨てられても文句は言えないさ」
「殿下と私の婚姻は政略的なものだと承知しておりますので」
「政略かぁ……まあ、そう言えばそうだけど、違うと言えば違う。アマディがルルちゃん以外とは結婚しないって言い張ったのがそもそもの始まりさ。メリディアン侯爵はあまり乗り気では無かったよ。そしたら兄上が古い話を持ちだしてね。兄上も親ばかなんだろうねぇ」
「古い話ですか? 私は父からただ政略的な婚約だとしか聞いておりませんわ」
「ははは! 言いにくかったのだろうよ。なんせ自分たちの結婚が原因みたいなものだし、それをかわいい娘に押し付けるようなものだもの。君の母上は、本当なら兄上に嫁ぐはずだったんだ」
「まあ! 初耳ですわ」
「顔合わせに来た時の案内役がメリディアン侯爵でね、まあ後は分かるだろ? 要するにローレンティア王家はロマニアに貸しがあるんだ」
「そんなことが……」
「そしてモネ公爵が握っている交易路は、我が国の生命線ともいえるほど重要だ。機嫌を損ねたくない。しかもモネ公爵は孫娘のルルちゃんがこの国の王妃になることを望んでいた」
「なるほど、それで政略ですか」
「まあそうなるね。でも、さっきも言ったけれどロマニアには貸しがあるから、もしルルちゃんが嫌ならやめても大丈夫だよ。この婚姻の始まりはアマディの一目惚れなんだから」
「アマデウス殿下は本当にお優しくて、いつも私を気にかけて下さって……でも王太子教育が始まるとお互いに時間がとれなくなってしまいました。それでも恒例のお茶会にはなんとか時間を作ってくださいました。少し遅れたりすると、汗をかいて走ってこられて……」
ルルーシアがその光景を思い浮かべて、はにかんだような笑顔を浮かべる。
「そうか。まあ、あの子も兄上の厳しい指導を受けていたから苦しい毎日だっただろう。でもねルルちゃん。何度も言うが、一番大事なのは君の気持だ。そこは間違えちゃだめだよ」
「はい、ありがとうございます」
キリウスがお茶を飲み干すと、キャロラインがすかさずお代わりを注ぎ足す。
「そう言えば、面白い話があるんだ」
「何ですか?」
「もし君が崖の上にいて、下を覗いたらふたりの人間が引っ掛かってるとしよう。1人はアマディでもう一人はアリアだ。アリアが掴っているのは太い枝で、すぐには折れたりしないだろう。でも足元には何もなく、もし落下したら真っ逆さまで命はない」
「恐ろしい例えですわね」
「アマディの指は岩に掛かっているが、いまにも外れそうだ。でも1メートルほど下には大きな岩が突き出ていて、そこに落ちれば助かる可能性がある。さあ、君はどちらに手を伸ばす?」
ほとんど即答のようにルルーシアが答えた。
「もちろんアマデウス殿下です。まず殿下をお助けして、ふたりで協力してアリアを救いますわ。アリアもそうしろと言うでしょう」
「完璧な回答だ。でもね、アマディの答えは違っていたんだ」
「やはりサマンサ嬢を先に……」
「アマディの答えは、まず友人を助けて救助要請に走らせる。その間に自分は婚約者のところに降りて安全な岩の上に避難させるんだってさ。そして助けが来るまでずっと抱きしめて励まし続けるのだそうだ。万が一落ちたとしても、一緒なら本望だと言っていた」
「それは……」
「君は優先順位をつけながらも、両方が助かる確率が高い方法を選んだ。アマディは友人は自分の期待を絶対に裏切らないと信じて、愛する人と運命を共にすることを選んだんだ。君の答えは一国の繫栄を担う者として最適解だ。アマディの答えは繫栄というより、敗戦国の将のような答えだよね」
「……」
「でも俺は、迷わず愛する者と運命を共にすることを選ぶあの子がとても好きなんだ。国王としてはどうかと思うけれど、俺にはない考えだったからちょっと感心した」
「わかります。殿下はとてもお優しいですもの。私にだけ優しいのではなく、人としての優しさをお持ちだと思います」
「そうだね。優しい人が好きってよく女性が言うんだけれど、それって当たり前だよね。好きな女に優しくない男はいないさ。そういう女性って、優しい男が好きなんじゃなくて、男が唯一優しくする女である自分が誇らしいのだと思う」
「なるほど」
「もっと言えば、好きという感情と優しくされるという行動が正比例していると思い込んでいるから、男の方に優先できない状況が発生すると、女は愛情が減ったって感じるんだ。仕事もあるし、いろいろな事情が重なるってこともあるのに、それは考慮してくれない」
「そうかもしれませんわね」
「アマディは人として優しいって君は言ったね。言い換えれば、アマディは誰にでも優しいってことだ。好きでもない相手にも優しくあろうとする。でもそれってものすごく大きな愛じゃないかな」
「ええ、そう思います。自分にだけ優しいという愛は、錐で穴を穿つようなイメージですが、人として優しいというのは、まるで澄んだ湖面のような感じがいたします」
「ルルちゃんは錐のような愛が欲しい?」
「いいえ、私は穏やかな湖面に時々石を投げ入れて、広がっていく波紋を見たいですわ」
「ははは! なかなか悪女の素質があるね。将来が楽しみだ」
ふたりは笑顔でお茶の時間を終えた。




