花火
あっという間に金曜日の夜がやってきて、二人は一週間ぶりに顔を合わせる。
古民家にやってきた小鳥遊は、白いシャツが長袖になっていた。穏やかな笑顔は変わらず、未央は心が浮足立つのを感じる。
縁側には、ビールやつまみを用意していた。白狐はすでに晩酌を始めていて、日本酒をぐい呑みに入れて一人で楽しんでいる。
『小鳥遊、おまえが送ってきた酒はうまいぞ』
絡新婦から助けてくれた礼に、と宅配便で送られてきた日本酒だ。小鳥遊は「いえ」と笑って、テーブルのそばに座った。
「小鳥遊さん、お腹空いてますよね? 庭で花火する前に、七輪でも出してお肉とか焼こうかなって思ってます」
台所から着火剤を持ってきた未央は、小鳥遊に向かってそう告げる。
炭焼きができるのは、田舎暮らしの特権だ。一人ではさすがにやらないが、白狐とはたまに七輪で鶏や野菜を焼いて食べている。
小鳥遊はカバンを置くと、七輪を見て目を輝かせた。
「いいですね! さすが古民家」
「こんな楽しみくらいしかありませんから」
三人は縁側に座り、揃って食事を始めた。
九月にしては蒸し暑いが、頬を撫でる風は心地良く、夏の終わりを感じられる。
「風鈴、外したんですね」
キャンプ用のライトに火をいれた小鳥遊は、いつもの音がないことに気づいて顔を上げる。
「はい、もう秋ですから」
未央は七輪の中で真っ赤に燃える炭を、火ばさみでいじりつつ答える。
五十センチほどの四角い七輪は、未央の父親が古民家の納屋に入れてあった物で、網を変えればすぐに使えた。
パチパチと火の粉が上がり、すでに暗くなった庭で未央の顔が赤く照らされる。
「小鳥遊さん、嫌いなものは?」
鶏やししとう、たまねぎなどを載せたトレイを手に、未央は尋ねた。
「ありません。何でも食べます。未央先生は?」
「いえ、特には。あぁ、でも納豆は食べられません」
未央がそう答えると、縁側に座る白狐が首を傾げる。
『人はなぜ、わざわざ腐ったものを食べるのか』
「白狐さん、腐ったものはおいしいんですよ。BLも然り」
『おまえ、今しがた納豆は嫌いだと言ってなかったか』
あははと笑う未央。だがここで、白狐がにやりと笑ってからかう。
『未央も腐る前に、小鳥遊にでも食らってもらえ』
「白狐さん!!」
慌てて声を上げる未央。白狐は楽しそうにクックッと笑い、盃を傾けた。
『人の一生は短いというに、呑気なことだな』
千年以上生きるあやかしからすれば、人の一生なんて一瞬に過ぎない。
未央もそれはわかっている。
ただし、だからといって『それでは今すぐに』なんて、行動に移すことはできないのだ。
「人には人のペースがあるんですよ。小鳥遊さんはこんなにいい人なんですから、そのうち美女を好き放題侍らせることができます。今日だってたまたま、花火が余っていたから来てくれたんですよ」
「侍らせるつもりはないんですが……。そんなつもりも能力もないです」
「せっかくあやかしの呪いが解けたんですから、いい人が見つかるといいですね」
未央は無理やり笑顔を作り、さっさと網に肉や野菜を並べて夕食の準備に勤しんだ。
(やっぱり無理だ。友達でいるのが一番いい)
恋愛モードになれない未央は、逃げ腰のままだった。
が、白狐の発言により話題はまったく別のところに向かう。
『一夫一妻というのも効率が悪い。この国が本当に子を増やしたいのなら、多妻多夫でよいだろう。自由が一番だ』
「ええ~! その考え方には賛同できません」
「俺もです。無駄な争いが起こりそうじゃないですか」
突拍子もない白狐の言葉に、二人は苦笑いになる。
「第一、そんなことしたらお金持ちと美女に相手が偏っちゃいますよ」
自分を相手にしてくれる男など、それこそいなくなってしまう。未央は本気でそう思った。
しかしここで未央の頭にふと新作のイメージが湧く。
イケメン主人に仕える、数多のイケメン小姓の図が……。
「一主多従、みたいな恋はいいかもしれませんね。美青年からロリまで、幅広い趣向のファンを獲得できるかも?」
真剣な目で白狐を見ると、彼もまた「ふむ」と真剣に思案を始める。
「あぁ、でも節操がないのはマイナスかな」
『節操がないのではない。懐が深く、甲斐性があるのだ』
「物は言いよう!」
『ふん、倫理観などその時代によって変わるのだ。一主多従も戦国の世なら当然。僧侶であっても、おなごとの色事を禁じられた結果、稚児を侍らせたのだからな』
「え、ちょっとその話を詳しく」
食いついた未央。
小鳥遊はかすかに笑い、未央の手から火ばさみを無言で引き取る。
『我が住み着いていた院の僧侶は、武将と違い誰が誰の男ということはなかったな。複数の僧が、複数の稚児と関係した。表向きは女を禁じておきながら、相手が男に変われば不問とするなど、人はおかしな生き物だ』
「多夫多妻っぽい状況ってことですか?」
『妻ではないがな。武将の時代だと、男色は出世のための手段にすぎん。嗜みだ』
「「嗜み」」
『今のように敬遠されることもなく、ごく普通の光景だった。小鳥遊だって上司とゴルフや野球観戦に行くだろう』
「すみません、それと同じでその……え? ちょっと俺には」
言葉を濁しつつも、自分にはできないと頭を抱える小鳥遊だった。
未央はスマホにメモを取り、次回作の構想に没頭する。
『まぁ、人の趣味趣向は生まれ持っての場合もあれば、途中で変わることもある。小鳥遊も男色のよさを知るといい』
「えええ」
苦い顔をする小鳥遊に、白狐は日本酒を勧めた。自分の盃を彼に渡す様子を見て、未央のBLセンサーが働く。
ドキドキしながら動向を見守っていると、ふいに顔を上げた小鳥遊が未央に笑いかけた。
「未央先生、あまり注目されると緊張します」
「はっ!?」
思わずスマホを落としそうになるが、何とか堪える。
七輪の上では、鶏が香ばしいにおいをさせている。
「し、失礼します」
未央は小鳥遊の隣に座り、ようやく晩酌を開始した。
そしてすっかり辺りが暗闇に染まった頃。食事が終わりつまみを片手にビールを飲んでいると、白狐がすくっと立ち上がった。
『我はこれから寄り合いに向かう。それでは小鳥遊、また来るのだぞ』
「え? 白狐さん、今日は寄り合いの日でしたっけ?」
未央は縁側に小鳥遊と並んで座り、白狐を見上げた。
「寄り合い?」
『親しいあやかしたちとの集まりだ』
未央と白狐が暮らし始めて約三か月、こうしてときおり白狐が夜に出かけていくことはあった。いずれも、その「寄り合い」というものに参加するためだ。
『あやかしは気分屋ばかりだからな。今日は誰が来ておることか』
白狐は楽しそうに目を細めた。数百年から数千年生きるあやかしも、仲間との会合は楽しいらしい。
「え、白狐さんは花火やらないんですか?」
忘れかけていたが、今日の目的は花火をすることである。
未央が思い出したようにそう尋ねると、白狐はふんと鼻で笑った。
『なぜわざわざ火薬で火をつけねばならん? 火など指先からいくらでも出せるわ』
「自家発電ならぬ自家発火!」
白狐の右人差し指に、紫色の炎が揺らめく。
『我がおらんと退屈か?』
「いえ、そういうことじゃなくてですね」
『仕方がない。こやつらを置いて行くとしよう』
白い狩衣の袖の中から出てきたのは、三匹の小さな鼠。
――キュイ!
「かわいい! ハムスターみたい」
手のひらサイズ鼠たちは、半透明で地面が透けて見える。鼻をヒクヒクさせて周囲を見回す姿が愛らしい。
『小玉鼠だ。こやつらは、本来は人には見えない弱いあやかしだ。我の気を与えたから、未央や小鳥遊にも見えておる。番犬代わりにもならん矮小な存在だが、暇つぶしにはなろう』
白狐は長い爪でひょいと小玉鼠をつまみ上げ、未央の両手の上に置いた。
『さて、朝には戻る。後は知らん』
にやりと笑った白狐は、縁側から庭に飛び出るとすぅっとその姿を消した。
小鳥遊はそれを見て、改めて驚きを露わにする。
「白狐さん、やっぱりあやかしなんですね」
当たり前のように、古民家で暮らしていた白狐。いざこうして妖狐らしい行動を目の当たりにすると感慨深いものがある。
未央はそんな小鳥遊の横顔を見て、くすりと笑った。
「ふふっ、そうですね。白狐さん、わりと人間っぽいから」
こうした現場を見なければ、ただのBL好きなコスプレ兄さんだとしか思えない。
置き土産のように放たれた小玉鼠は、すでに庭や縁側を駆けまわっている。
初秋の静かな夜、心地いい風が吹き、虫の音がリンリンと響く。
(二人きりだ……)
手元のビールに視線を落とし、気の利いた言葉を探すも何も見つからない。
会話がなくなると、隣にいる人間の体温がやけに近く感じられた。
「あの」
最初に口を開いたのは小鳥遊だった。
ゆっくりと隣を見る未央。そこには、週末の疲労感を漂わせない端整な顔があった。
「花火、やりますか?」
「あ」
忘れるところだった、と未央はすぐに立ち上がって居間に置いてある花火セットとライターを手に取った。
季節外れの花火。一日限りのチャンスでも、未央はその存在をありがたく思った。
庭では小鳥遊が待っていた。花火を持って出てきた未央と目が合うと、穏やかな笑みを浮かべる。
編集部の打ち上げで当てた花火セットは、手持ち花火の詰め合わせ。打ち上げ花火などは入っていないが、二人で楽しむには十分すぎる量だった。
「未央先生、最近花火したのっていつですか?」
水色のライターを未央から受け取り、小鳥遊は言った。
やけどの可能性を案じ、さりげなくライターを取るところに未央は好感を持った。
「もう五~六年くらいしていないです。最後にしたのは大学生のときかな。小鳥遊さんは?」
「似たようなものですね。就職してからは一度もやっていません」
二人とも、手持ち花火はおろか花火大会にすら行っていないことが発覚し、自嘲するように笑い合う。
「今年は花火大会の情報すら仕入れなかったなぁ。引越ししてすぐだったし、行くとしても白狐さんとじゃ私が一人で行ってるように見えちゃいます」
「ですね。花火大会の人ごみに一人で参加するのは、さすがに遠慮したい」
未央は花火を少し離した位置に置き、数本を手に取った。
「はい、小鳥遊さん。もしかしたら二十代最後の花火になるかもしれないので心して楽しみましょう」
「わかりました。次にやるのが五年後なら、確かにそうなりますからね」
手持ち花火を受け取ると、小鳥遊はその先端にライターで火をつけた。
「あ、ろうそくがないや。実家でやるときは、仏壇のろうそくに火をつけて、それを置いてやるんですけど」
未央は居間を振り返るも、この家にろうそくがある記憶はない。
「あぁ、そうですね。うちもです。七輪の炭はもう消しちゃいましたから、ライターでやるしかないですね」
――シュボッ……。
勢いよく火の粉を上げる花火は、あたりをパッと明るく照らす。
次々と変わる炎の色、花火特有の煙のにおいに未央は懐かしさを感じた。
「涼しいし、秋の方がいいかもしれませんね。花火」
「あれ、小鳥遊さん童心に返ってハマりました?」
先に火花が消えた未央は、新しい花火を手にし、それを小鳥遊のものに近づける。火をもらうだけなのに、自然に手を寄せ合う仕草に少しだけむず痒い気持ちになった。
(楽しい……)
シュウシュウと音を立てて、静かな庭に華やかな火花が散る。
「楽しいですね。花火って」
「そうですね。私、人生半分損していたかもしれません」
目を合わせると、どちらからともなく笑みが零れる。
「半分って、そんなに?」
「ええ、間違いなく」
(大した人生じゃないしな)
花火に視線を落とす未央。その横顔を、小鳥遊はじっと見つめていた。
「なら、今日で未央先生の人生を半分埋められたってことになりますね」
「ふっ」
思わず吹き出す未央。
「だったらいいですね。ありがとうございます」
何気なくそう返せば、小鳥遊は屈託のない笑顔を見せた。
「では、来年もやりましょう」
未央は驚いて、小鳥遊の言葉を繰り返す。
「来年も?」
「はい。来年も」
「ここで?」
「はい。ここで」
見つめ合うと、胸の奥がざわざわして落ち着かない。
「「…………」」
どちらも口を開くことなく、シュウシュウという花火の音だけが辺りに響く。
(来年も、二人で……?)
一体、何を話せば正解なのか。
ぎこちない空気の中、時間だけが過ぎていくのだった。