酔っ払いのBL談義
九月の終わりも、残暑は厳しい。
まだ秋というにはほど遠いこの日、未央は小鳥遊に呼ばれて地元の駅前にいた。
明るい白のトップスに緑のカーディガン、ショート丈のデニムを履いた未央は、いつもよりきちんと化粧もしている。髪も下ろして丁寧にブローした。
今日は「絡新婦を祓ってくれたお礼がしたい」という小鳥遊からの誘いで、二人で呑みに行くことになったのだ。
白狐にこそ礼を、と思ったのだが小鳥遊は高価な日本酒を宅配便で送ってきた。おそらく、家に来たらまた殉職だと警戒されている。
(なんか色々ごめんなさい)
未央は残暑を感じる西日の中、駅前の居酒屋に到着した。
金曜日の夜、すでに客はいっぱいで、先に待っていた小鳥遊の姿を見つけると未央は手を上げて微笑んだ。
「お待たせしました」
「いえ、さっき来たところなので」
十五分前に来ているところは、さすがの真面目さだ。
白い半袖シャツに紺色のズボン、会社帰りの小鳥遊は街で見てもイケメンだった。
(眩しい! 絡新婦の呪縛が解けて、もう彼女ができていたりして)
未央はビールを注文し、さっそく乾杯をした。
「本当にありがとうございました。未央先生の担当にならなかったら、一生呪縛が解けずに孤独死していたかもしれません」
「そんな大げさな……ってそうでもないかもしれませんね」
「はい、呪いのようなものですから」
小鳥遊は苦笑する。ビールジョッキを持ってゴクゴクと飲む様は、意外にも逞しい。
四人席の正面に座った未央は、そんな小鳥遊を見て目を細める。
(この先誰とどうなるかは知らないけれど、役に立ててよかった)
ジョッキの残りを飲み干すと、おかわりを注文した。
「そういえば、あれからどうですか? 出会いとか……って何ですかその悲しげな顔は」
小鳥遊の顔が一瞬で曇ったのに、未央は驚いた。
健全な二十六歳男性であれば「もうこれからは自由だ!」と浮かれ、手あたり次第に女性を口説いていてもおかしくはない。しかもイケメンとあれば、世の女性の方が放っておかないはずだ。
だが、どう見ても小鳥遊は悲壮感たっぷりに肩を落としていた。
白狐がいたら、面白がっていじったに違いない。
「どうしました? 私でよければ聞きますよ」
「実は合コンに行ったんですが」
先週末、小鳥遊は友人に誘われて合コンに行った。未央のファミレスに来た、あの祥吾という友人と共に。
「祥吾と二人で飲むつもりで店に行ったら、女性二人もいて」
「知らない間に合コンをセッティングされていたと」
小鳥遊はその場で帰るわけにもいかず、まんまと祥吾の企みにハマった。
「場が盛り上がらなかったんですか?」
「いえ、話は弾んだと思います。でも、どうにも落ち着かないというか、緊張するというか。それに、服とか香水の匂いが苦手で……」
拗らせ歴、二十六年。小鳥遊に、今風のイケてる女子は別世界の人間だった。
聞けば中学から男子校育ちで、大学は未央のバイト先近くにある工科大学。男ばかりの環境で育ったため、積極的な女性が苦手だという。
「こんなことじゃいけないってわかっているんですが」
小鳥遊はビールを飲み干し、うなだれた。絡新婦の呪縛が解けても、本人に経験値が足りなかったのだ。
(そりゃ、安定した職業についているフリーのイケメンなんてどんなボーナスステージだって思われるだろうな)
祥吾は社交的でモテるため、これまでも合コンや紹介といった話を持ちかけてくることはあったという。
「これまではあやかしのせいで回避されていたというか、できていたというか。絡新婦の存在を知ったとき、悩みが解決したような気になったんです。でも結局、俺自身に問題があったことが発覚して動揺しています」
たった一回の失敗で自信を失くしてしまった小鳥遊に、未央は同情した。
「別に小鳥遊さんに問題があるようには思いませんけれど?」
本心からそう思ったが、小鳥遊はお世辞に受け取ったようだ。
「ありがとうございます。ただ、この業界にいたら普通のことも一般の人からすると異常なんだなって思い知ったというか。ほら、一週間に連載中の漫画を三十以上読むって社会人だとあり得ないじゃないですか? 雑誌代やゲーム代も、毎月けっこう使っていますから」
確かにそうだ、と未央は大きく頷いた。
「普通の会話っていうものを心がけると、うわべだけの会話になるというか」
「すごくよくわかります」
思い当たる節のある未央は、さらに深く頷いた。
未央からすれば小鳥遊も普通の男性だが、やはり世間からはズレているらしい。
「あぁ、でも元気出してください! 誰にだって気の合う人間とそうでない人間はいますよ。大丈夫です、きっと何とかなります。小鳥遊さんは本当に素晴らしい人だから、そのうち彼女ができます。私が保証しますから!」
ひかりには、未央と小鳥遊が付き合ってほしいと期待されたが、本人を目の前にするとどうにも積極的になる気などなかった。
編集と漫画家という立場もあるが、それ以上に未央までがそういう目で見ていると知られ、嫌われたくない。
「すみません、未央先生にお礼をって言っていたのにこんな愚痴みたいなこと聞かせてしまって」
「いえいえ! こちらこそお礼を……あのとき守ろうとしてくれたじゃないですか!」
二人の視線がばちりとぶつかる。非常事態とはいえ、抱き合っていたことを思い出し、途端に気まずさがこみ上げた。
「……よかったです。無事にあやかしから解放されて」
「はい。先生のおかげです。本当にありがとうございました」
焼き鳥に目を向けたま、未央は次の言葉を探していた。
「そういえば、小鳥遊さんってどうして編集に?」
あやかしを通じて尋常ではない速度で交流しておきながら、未央は小鳥遊のことをよく知らないと思い出した。
なぜこの仕事をしているのか。それを問うと小鳥遊は気まずさを振り払うように話し始める。
「ずっとサッカーをやっていたんです。ありきたりですが、サッカーの漫画が好きで。ジュニアユースのクラブに入っていて、高一でケガするまでずっとプロのサッカー選手を目指していたんです」
ユースは、国内のプロサッカーチームの養成所のようなもの。サッカーが好きだというだけでは入れてもらえず、試験があってそれに合格したエリートだけが入所できる。
サッカー青年は、いよいよこれからというときにケガをした。左の膝前十字靭帯損傷という大けがをし、手術をしたが九十分間フルで走れる足には戻らなかった。
高校では帰宅部。勉強はしていたが、漫画を読む時間もたっぷりあった。
「漫画もゲームも、夜遊びも、これまでできなかったことを一気に全部やりました。それこそ、不規則な生活をして」
やけになり、箍が外れた時期もあった。そこで女遊びを覚えなかったのは、絡新婦のおかげではあるのだが……。もう、すべて過去のことだと小鳥遊は笑う。
「サッカー漫画って、やっぱりいいなって思ったんです。大学は理工学部でしたが、少年誌の編集になりたいと思って」
「そうなんですか~」
しかし配属されたのは、まさかの少女漫画。今に至ってはBLである。
なんでこうなった、と未央は心の中で呟いた。
「最初こそ戸惑いましたが、少女漫画も読んでみたら奥が深くて。少年誌にはない細かい心理描写があり、おもしろいですよね」
「そうなんです! 私が特に好きなのは……」
二人は漫画の話で盛り上がり、いつしか入店してから三時間が過ぎていた。
酒が入って饒舌になった二人は、まだ話足りないとばかりに帰り時間をどちらからともなく延ばす。
「サッカー漫画でいうと、有名なのはあれですよね。ボールは友達、仲間は恋人の」
少し頬を赤く染めた未央は、酔っているからではない。
「私としては主人公×先輩のカプに注目していました」
「先生、意外に読み込んでますね。でもカップルじゃないです、先輩後輩です」
「それはもう、恋人同士ですよ小鳥遊さん。そこに男子が二人以上いる限り、必ずカプは発生するんです」
日本酒に切り替えた小鳥遊は、一人ちびちびとそれを呑む。
「あぁ、でもここ数年は監督やコーチにクローズアップした作品にも夢中でして」
「あぁ、俺も好きですよ」
「コーチと選手のカプもいいですが、監督とクラブGMの友情に見せかけた禁断の恋、あれは互いに必要とするリバだと思っています」
「目線は絶対的にBLなんですね」
好きなサッカー漫画でカップリングを語っても、小鳥遊は寛容だった。未央はへらりと笑って、持論を展開する。
「スポーツ漫画ってBLの最前線なんですよね~。親友やライバル、お互いにしか分かち合えない想い……心を許し合うまでの喧嘩とか、秘密の共有。恋が芽生えていないはずがありません」
「勉強になります」
「本当に?」
「すみません、適当でした」
あははと笑う小鳥遊は、酔っているので冗談も返す。
しかし、聞き流せばいいものまですべて真面目に聞いて答えるところはブレない。
(あぁ~、こんなにも居心地のいい人は初めてかも)
うっとりと目を閉じた未央は、幸せそうに笑った。
「小鳥遊さんが担当で本当によかったです」
未央の言葉に、少し驚いた表情をする小鳥遊。酔っ払ってにこにこと笑う未央に、優しい目を向けて微笑んだ。
「……そうですか」
「はい。頼りにしています!」(色んな意味で)
頼られることをうれしく思う小鳥遊。
二人の解釈にややズレはあるが、関係性は前進していた。
「未央先生となら、普通に話すことができるんですけれどね」
「あははは、会話の内容は普通じゃないですけれどね」
自分たちは担当編集と漫画家。あくまで仕事上の関係で、そこに浮ついた気持ちを持っていけないとどちらからともなく自制する。
しかしここで、未央がほんのり頬を染めて言った。
「ところで小鳥遊さん」
「はい。なんでしょう」
「古代ギリシャで行われていた、油ぬるぬるレスリングって知っていますか?」
「は?」
未央は、とことん気づいていない。
酔っ払いのBL談義が、恋を遠ざけるということを。
二人が店を出たのは、二十二時を回ってからだった。
最寄駅は、居酒屋から徒歩五分ほど。ところがこの駅は本線ではないため、終電は二十三時すぎという早さだ。
小鳥遊は、未央を家まで送ると当然のように言う。
「終電、乗り過ごしますよ! うちまで二十分くらいかかるし、往復したらギリギリです」
未央はきっぱりと断る。
が、彼は絶対に引かなかった。
「何言ってるんですか。側溝にハマるとか痴漢に遭うとか、あるかもしれないでしょう? とにかく一人で帰すなんて絶対にできません」
歩きながら押し問答は続き、長い商店街の終わりまで来てしまった。
まったく引かない小鳥遊に、最後は未央が折れた。
「真面目ですか、小鳥遊さん」
「頑固ですか、未央先生」
商店街を抜けるとすぐに暗い夜道が続き、人通りはまったくなくなる。
涼しい風が通り抜け、秋らしい虫の音が聞こえていた。
「こんなところを、一人で帰せるわけないでしょう」
子どもを叱るように笑う小鳥遊。心から案じてくれていることが伝わってくる。
「でももう、終電間に合いませんよ」
「そうなったら、また泊めてくれますか?」
不意打ちに、未央は言葉に詰まる。
「冗談です。終電を逃したら、隣の駅までタクシーで行けばいいだけです」
一駅先は、本線だからまだ終電はある。タクシーに乗っても千円程度で行けるはずだと未央も知っていた。
「あぁ、なるほど」
タクシー代がない学生や、稼ぎの不安定な自分とは違う。少し期待した自分が恥ずかしくなった未央は、家の方に向かって足を動かした。
「「…………」」
店ではあれほど会話が途切れなかったのに、今は何を喋っていいかわからない。
未央は、ときおりため息に似たものを飲み込む。
古民家が近づくと街灯もほとんどなくなり、砂利道を踏みしめる音がやけに大きく聞こえた。
もう家に着いてしまう。未央の心に、残念だという思いが湧き上がる。
「夏、終わりましたね完全に」
小鳥遊がふいにそんなことを言い出した。
「そうですね」
刈り取り真っ最中の稲が干された田畑や遠くに見える山を眺めながら、未央は答える。
「未央先生、そういえば花火したんですか?」
「あぁ、編集部の暑気払いで当たったアレですか?」
八月に開かれた、編集者や漫画家らの呑み会。そのときのビンゴで、未央は花火セットを当てていた。
「よく覚えてましたね。まだ玄関にあります。タイミングを逃してしまって」
来年まで湿気ずに置いておけるだろうか、と未央は思う。
そして、何気なく聞いた。
「小鳥遊さんも花火一緒にしますか? 来週にでも」
「いいですね。やりましょう」
あまりに即答で、未央は目を見開いた。
「え? 本当に?」
小鳥遊はきょとんとした顔になる。
「え? しないんですか?」
未央は自分から言い出したのに、あっけなく了承されて戸惑ってしまう。
黙り込んだ未央を見下ろし、小鳥遊は彼女が口を開くのをじっと待っていた。
「えっと……やりましょう」
「はい。来週のいつにしますか?」
見上げれば、穏やかに微笑む小鳥遊がいる。彼はまた、金曜日にここへ来ることが決まった。
(あれ、次の約束がこんなにスムーズに決まってしまった……何これ、ご都合主義の漫画みたい)
久しぶりの恋愛に、未央はついていけずにいた。