腐女子脳は恋を遠ざける
ある日の午後、未央の姿は地下鉄直結のショッピングモールにあった。
古民家から一時間半。ここには、人気アパレルブランドの店舗が入っている。
「未央先生、こんなのどう?」
明るい声で笑いかけるのは、ゆるふわヘア―の美女。あいざわひかり、というペンネームで有名な少女漫画家だ。
「ん~、ちょっとフリルが……」
未央は、鏡を見ながら苦笑する。
「デニムに合わせたらこれくらい甘くても大丈夫!」
見た目の愛くるしさに反して強気なひかりは、未央にフリル袖が短めのトップスを押しつけた。着て見せろ、という圧が伝わってくる。
午前中、二人は二.五次元舞台を鑑賞し、ランチをして買い物に来ている。
「未央先生、素材はいいんだから加工しなきゃ。漫画だけじゃなくて、現実世界でもあらゆる手を使って加工して可愛さを盛るのよ」
ひかりと知り合ったのは、三年前の出版社による合同忘年会。それ以来、月に一度はこうして二人で出かける仲だ。
連載をやっと獲得した未央と違い、ひかりは女子高生漫画家として華々しくデビューし、二十二歳になった今やアシスタントを雇わなければとても仕事が回らないほど連載を抱えている。サイン会を開けば、女子中高生が列をなす人気ぶりだ。
今日のランチで、担当編集が小鳥遊に変わったことを話すと、「かわいい服を買わなきゃ!」とひかりのスイッチが入ってしまった。
もともと小鳥遊は少女漫画の担当だったため、ひかりとも面識がある。
「小鳥遊さんってものすごく人気だったのよね。社内外問わず」
試着室で着替え中、カーテンの外からひかりが話す。
「でもまさかBLに異動するとは……長万部先生が泣いてるわね」
「え、少女漫画界の重鎮が?」
新作が次々とアニメ化・実写映画化される人気漫画家、長万部はるか。六十歳前後の女性だが、ひかりは彼女が小鳥遊に夢中だという情報を仕入れていた。
「ほら、長万部先生って未だにほぼ手書きでしょ? だから編集はしょっちゅう通わないといけないのよね。小鳥遊さんは先生のお気に入りなの」
漫画家に翻弄される小鳥遊が目に浮かぶ。未央は自分のあやかしセクハラを棚上げし、彼を憐れんだ。
――シャッ……。
「どう?」
「わぁ! やっぱりよく似合う!」
ひかりは未央を見て、にっこりと笑った。似合わないものは似合わない、そうきっぱり言うひかりの意見だからこそ、未央は信用している。
「じゃあ、これにしよっかな」
「うん。これで小鳥遊さんもメロメロ!」
「んなバカな」
小鳥遊という若いイケメンが家に来ても、いつもTシャツにデニムという未央を心配してひかりは買い物を決行した。
どうやら長年恋人のいない未央を心配し、小鳥遊と恋が芽生えれば……と思っているようだ。
着替えた未央は、ひかりにくぎを刺す。
「あんなイケメン、すぐに彼女ができるって。私じゃ釣り合わないよ」
「そんなことないよ! 未央先生はかわいいって!!」
ひかりがそういうのは本心からだ。
普段は動きやすさ重視のシンプルなTシャツやくたびれたデニムしか着ていない未央だが、いざオフィスカジュアルな服を纏えば、いいところのお嬢さんに見える。
「小鳥遊さんと付き合って、未央先生!」
彼女は知らない。未央が小鳥遊に、度重なるあやかしセクハラを繰り返していることを。
(恋愛感情なんて絶対持ってもらえない。いくらなんでもやりすぎた)
今さら反省しても、後の祭りというものだ。
「まぁ、服は買うよ。だってあまりにズルズルの恰好じゃ失礼だもんね」
遠い目をする未央を見て、ひかりは目を細める。
「ズルズルって、どんな服で会ってるのよ。あ、未央先生、化粧品も見に行こう!」
結局この日、トップス三枚にひざ丈のスカートを一枚、ヘアトリートメントとアイシャドウ、チークも買った。
その夜さっそく、ひかりおすすめのヘアトリートメントを使った未央は、鏡を見て驚く。
「おおっ、髪に照り返しが……!」
照り返しとは、ベースの色をのせてからハイライトなどをいれる加工のこと。
手入れをさぼっていた髪は、たった一度トリートメントをしただけで前髪やサイドに艶が出ていた。
「すごい、本当にこんな感じになるんだ」
カラーリングも一切していない未央の黒髪は、手入れをしたことで美しくなった。
白狐は長い髪を一房とり、においを嗅ぐ。
『変わった香りだな』
未央は嫌がりもせず、うれしそうに言った。
「ホワイトローズだって~! ひかり先生が教えてくれたトリートメントですっごくツヤツヤになりました!」
髪がきれいになると、洋服も選び甲斐がある。
未央はひさしぶりに気分が高揚した。ここ数日、仕事に追われて疲労がたまっていたのだ。
(そっか、これなら髪を下ろすのもいいかな。今日買ったチークとアイシャドウは、ハイライトみたいなもんね。確かに、明暗のメリハリがないと絵がぼんやりするからな)
白狐は髪から手を放すと、満足げに頷いた。
『男を惑わすには匂いがもっとも有効だ。着飾るのは止めないが、体臭はなるべく放置しろ』
「体臭って言わないでくれますか?」
言葉選びに文句をつける未央。が、白狐はニヤニヤと笑っている。
「何か?」
『何も』
「それならなんで笑ってるんです?」
膨れる未央に、白狐は優しく微笑んだ。
『ようやく未央が、女として己を磨き始めたかと思うとな』
ときおり、娘の成長を喜ぶかのような顔をする白狐に、未央はくすぐったい気持ちになる。
『もっと己を磨いて、小鳥遊をしかと誘惑しろ』
「なっ……!? 小鳥遊さんは関係ないから! これは最低限の身だしなみですから!!」
『BLに耐性のある男はそうおらん。逃すな、あれはからかい甲斐のある男だ』
「私のためじゃなくて白狐さんの暇つぶしじゃないですか」
夏の夜は長い。ついでに言えば、夜型人間の漫画家と寝る必要のないあやかしの夜はもっと長い。どうにかして小鳥遊を未央のそばに置きたい白狐のプレゼンは、夜更けまで続いた。