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後悔

 鉄は熱いうちに打て、というが、唆した編集者も早いうちに抱き込むべし。

 新しい編集者の小鳥遊に白狐の存在を知られてから、早三日。今、彼は未央の仕事部屋で畳の上に押し倒されている。

もちろん相手は白狐。未央がそんなことをすればセクハラや強姦未遂だと訴えられかねないが、妖狐から押し倒されても訴える先はない。

計画的あやかしセクハラだった。

「ちょっ……これはさすがに」

 仰向けに寝かされ、白狐に指で顎をくいっと持ち上げられた小鳥遊は苦しげな声を出した。紺色のポロシャツ、グレーのズボンを履いたイケメンが押し倒されるこの状況に、未央は悶える。

「小鳥遊さん、めちゃくちゃいい感じです!」

 どのあたりがいい感じなのか、小鳥遊にはわからない。

『我慢の足りない男だな』

 にやりと笑い、白狐はわざと顔を近づけた。あわやキス寸前という距離に、小鳥遊は顔を引き攣らせる。

『おまえ、衆道の心得は?』

「しゅ、衆道? 男同士のってことですよね、ありません」

『遊びの足りない男だな』

(きゃあああ! 小鳥遊さんやっぱり受けだわー!)

 未央は興奮していた。

 Tシャツにデニムというラフな格好の彼女は、まるで学生のよう。

 ただし、カメラを手に「はぁはぁ」と言いながら男の周囲をうろつく様子はどう見ても変態だ。

「先生……、ちょっと助けてくれませんか」

 縋るような声もまたスパイスにしかならない。未央は左手で口元を押さえ、歓喜に震えながら返事をする。

「ごめんなさい、小鳥遊さん! すぐに助けるから」

――カシャッカシャッ!!

 静かな古民家に、異様な熱が発生していた。

『未央、よい画は撮れたか』

「もうばっちり~! ありがとうございます、二人とも」

 ご機嫌の未央はすぐにパソコンにカメラを繋げる。ふわりと浮いた白狐は、ようやく小鳥遊を解放して未央のそばで画面の確認を始めた。

「写真に写るんですね、あやかしって」

 起き上がった小鳥遊は、乱れた襟元を整え、ズボンについたイ草を手で掃う。短い黒髪にも緑の筋がところどころに付着しているが、本人は気づいていない。

「私もびっくりしましたよ、最初は」

 カチカチッとマウスの音がなる。未央の細い指がクリックするたび、撮りたての画像がパソコンに保存された。

『我が写っているのが見えるのは、おぬしらだけだ。他の人間が見ると、小鳥遊が一人で寝転がっているようにしか見えん』

「え、そうなんですか? じゃあ、今まで私が撮ったのは?」

『もちろん、それは未央が一人でおかしな格好をしているように見える』

 自分でその写真を見ても狩衣姿の白狐が見えるのだから、これまで深く考えたことはなかった。

絶対に人に見せられないな、と思いつつ未央は作業の手を動かし続ける。

『未央。他のポーズはよいのか? こやつはたまにしか来んのだろう』

「はっ!?」

 イケメンよりBL。未央は好奇心のまま、小鳥遊に熱い視線を送る。。

「小鳥遊さん、お願いできますか!?」

「…………先生の頼みでしたら、仕方ありません」

 時刻は昼過ぎ。まだまだ一日は長い。

「白狐さん、次は後ろから抱き締めてる感じの画が欲しいんですが……」

 部屋の中を見回した未央は、この部屋じゃないなと悩んだ。

「二階へ行きましょう。私の部屋ならソファーがあって雰囲気もいいんで」

 居間を通り過ぎ、縁側に出ると真夏の暑さが一気に体を包む。

廊下にはエアコンがないため、この不快感はどうしようもない。

 未央も小鳥遊もすぐに汗ばんで眉根を寄せるが、白狐に気温は関係ないため、一人涼しい顔をしている。

「こっちが階段でーす。ちなみにここがトイレ」

 縁側のつきあたりにある古い階段。角度が急なのは、昭和の頃に二階を増改築したからだ。

「先生はいつからここに?」

 階段を上りながら、小鳥遊が尋ねる。

「二か月前です。先祖がこの古民家を持っていたんですが、ちょっと色々あったらしくて手放して、それで去年になって父が買い戻しました。でも父本人は仕事の関係でここには住めなくて。ただ保有しているだけだと税金が高いから、家賃なしで光熱費だけでいいって言われたので私が住んでいます」

 ログハウスのロフトに近い構造の二階は、狭く天井が低い。

焦げ茶色の壁に、同色の板の間。そんな純和風の雰囲気には不釣り合いだが、その広い空間の奥の方にソファーやテレビ、ベッドがある。

 エアコンを切っていたため、あまりに蒸し暑い。

「早くから冷やしておけばよかった」

「仕方ないですよ。一人暮らしなんですから」

 小鳥遊は嫌な顔一つせず、誘導されるがままにソファーに座る。

『未央。我らはどうすればいい?』

 ふわりと宙に浮く白狐。未央はもう見慣れているが、小鳥遊は興味深そうに白狐を目で追う。

「そうですね、小鳥遊さんを後ろから抱き締めるシチュエーションで」

『承知した。が、いかんせん衣の違いが気にならんか』

「そこはもう想像力でカバーします。次回作は、白狐さんの意見を参考に江戸時代にしようと思うんですよ。麗しい主従BL……考えただけで萌える」

「でしたら、実家にある神主の衣装でも借りてきましょうか? 役立つかはわかりませんが」

「いいんですか!?」

「兄が実家を継いでいますから、俺は正月の手伝いくらいでしか着ませんが、一応自分のものがありますので大丈夫です」

 未央は神に感謝した。申し訳ない気持ちもあるが、編集だっていつまた異動になるかわからない。作品ごとに担当が変わる出版社もあるくらいだ。

それならば、この機会を逃さないのが腐女子の歩むべき道だと思われた。

「ありがとうございます! では、さっそく次のポーズいきますね!」

 未央の言葉に、ソファーに座る小鳥遊の顔が微妙に引き攣る。まだ慣れていない彼は、緊張気味に待機していた。

『男も女もしょせんは人の子。睦み合うも自由、なんら気負うことはない』

「やだっ、白狐さん、いいこと言う!」

 白狐は後ろから小鳥遊の肩に腕を回し、妖艶な笑みを浮かべる。

「あああ! いい! いいですよ、その感じ!」

 興奮した未央は、スマホを手にして連写した。

 遠慮などない白狐は、小鳥遊のシャツの中に手を忍ばせようとする。

「うわっ! 白狐さん、それ以上はやめて、くだ、さい!」

 白い手を掴み、ぐぐぐっと押し返す小鳥遊は必死だ。

が、白狐は抵抗をものともせず、首筋に口付ける寸前まで顔を寄せる。

「きゃぁぁぁ!!」

 小鳥遊は己に何が起こっているかわからず、縋るような声で未央に尋ねた。

「先生、俺もしかして今えらいことになっています?」

「は、はい……! それはもう。私、腐っててよかったって思いました」

 その後も小鳥遊の被害は続き、未央のテンションは上がり続けた。

 ようやく撮影が終わった夕暮れ、小鳥遊は一階の作業部屋で畳に倒れていた。

「ゴロゴロしておいてください! 私は画像を今すぐ処理しますから!」

「は、はい……失礼します」

 小鳥遊は最初こそ遠慮していたものの、古民家の居心地の良さにだらんと力を抜いて寝転がる。

「ふと気づいたんですが、これって編集の仕事なんでしょうか……?」

「小鳥遊さん、そこは気づかないでいて欲しかったです」

 しばしの沈黙の後、小鳥遊は無理やり自分に納得させるように呟いた。

「先生の仕事が捗るなら、やむを得ないですね」

「ありがとうございます!」

 白狐は未央の隣で、原稿のチェックに勤しむ。

 小鳥遊は疲労困憊の放心状態から回復すると、すぐそばに積んである雑誌を取り何気なく言った。

「そういえば、今度の新作は人気が出そうな学園ものですし、パプリカ・マルゲリータ先生らしい繊細な恋が描かれていますね」

「……すみません、その名前を口にするのはやめてください」

 さっと振り返った未央は、これまでにない低い声で告げる。苦笑いの小鳥遊を見て、拗ねたように目を細めた。

(なんであんなペンネームにしたんだろう。でも今さら変更できないしなぁ)

 若気の至りは、実に恐ろしい。未央は教訓として胸に留めようと思った。


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