クリスマス
瞬く間に日々は過ぎ、クリスマスイブの朝がやってきた。
未央は頭痛とだるさを感じつつ、居間で味噌汁を飲んで身体を温める。
昨夜、酒は飲んでいない。となると、理由は単純明快で……。
「風邪ひいた」
気が緩めば落ちてくる瞼。重力に抗わず、目を閉じたまま味噌汁をすすった。
風邪薬を飲み、着替えてから仕事部屋に篭る。
今日の夜、小鳥遊とクリスマスツリーを見に行く約束をしていた。すでに編集部の繁忙期は終わっているが、忙しい未央に合わせて夕方からの予定を組んでくれたのだとわかる。
(午前中にセリフ全部入れて、来週公開分だけ明日真くんにメールして、いったん寝よう)
頭の中で計画を立て、パソコンに向かい作業を始めた。
今日のデートのためにひかりと服を買いに行ったのだが、体調不良で顔が死んでいるとすべてが台無しである。自分の運のなさ、そして体調管理の甘さが悔やまれる。
小鳥遊とはどことなくぎこちない雰囲気が流れていて、デートらしいデートは久しぶり。
フットサルがあった夜、なぜ佐山と密着していたのかを尋ねることもできていない。
(聞きたいけれど、せっかく会えたときにそんなこと話題にするのもなぁ)
出不精で外出なんてしたくないけれど、今日という日を楽しみにしていた。
だからこそ、あえて佐山のことを口にして嫌な気分になりたくない。
(遅れないように、ちゃんと出かけられる状態にまで持って行かなきゃ)
未央は両腕を上げて伸びをして、再び作業へと戻った。
(そういえば、白狐さんいないな)
昨日はぬらりひょんと三人で夕食を摂った。和服のあやかしが焼肉を食べる様子は、なかなかシュールな画だったと未央は思う。
あやかしが気まぐれなのはいつものことだが、今日に限って未央を冷やかしにも来ないのは気になった。
(まぁ、そのうち顔を出すよね。ケーキは買って帰ろう)
静まり返った古民家。
カチカチと鳴るクリック音に、ときおり低く唸るファンの音だけが聞こえる中、未央は予定より少し早く仕事を終えた。
久しぶりに都会へ出ると、どこもかしこも人だらけ。イブともなれば、カップルや家族連れ、友人同士のグループなどとにかく人が多い。
(これは予想以上にキツイ)
人混みを避けるように生活している未央にとって、まさに人波といえる都会の駅は気を抜くと流されてしまい目的地にたどり着けなくなる。
白のニットワンピにライトグレーのコートを羽織った未央は、地下の暖房熱でふらふらになりつつも待ち合わせの場所に何とか到着した。
間に合った、と安堵したのも束の間、あまりの人の多さに小鳥遊を見つけられるか心配になる。
もたれている壁には、次々と画面の変わるデジタルサイネージ。
クリスマスらしい装飾が施された駅の改札前で、未央は落ち着かない様子で小鳥遊を待つ。
ゆるく編み込んだ黒髪が乱れていないか気になりだしたが、この混雑の中で手洗いに行って帰ってこられるほどの余裕はない。周囲にせわしなく視線を巡らせ、小鳥遊の姿を探した。
そして待つこと五分。人混みの中でも目立つ、背の高い彼を視界にとらえた。
まだ随分遠いが、未央の目はすぐに小鳥遊の姿をとらえる。
(やっぱりカッコイイ……! あそこだけ空気感が違う!!)
黒いモッズコードを着た小鳥遊は、ゆっくりと歩いてきていた。
時間は六時ちょうど。自分たちと同じように待ち合わせのカップルでにぎわっていて、小鳥遊はキョロキョロと周囲を見回している。
そして未央を見つけると、彼の目元が和らいだ。
「未央!」
その笑顔にドキリとする。
歩く速度を上げて駆け寄る小鳥遊は、まっすぐに未央のもとにやってきた。
「ごめん、遅れて」
「ううん、時間通りだよ」
笑い合うと、これまで沈んでいた気持ちが嘘のように明るくなる。
(大丈夫、ちゃんと彼女をやれる)
この近くには大きなツリーが海岸沿いにあり、今日はそれを見に行く予定だ。
嬉しそうに目を細めた小鳥遊は、躊躇いなく未央の手を取る。
「行こうか」
「うん」
人混みに紛れ、いつもより近い距離で寄り添うと急に気恥ずかしさがこみ上げた。
触れた指先に力が篭り、まるで縋っているようだと未央は自分自身に困惑する。
しっかりしろ、と自分を鼓舞すること数分。
着いたのは、川沿いに設置されたウッドテラス。キラキラと輝くクリスマスだけのイルミネーションは、集まった人々の心を楽しませている。
巨大なクリスマスツリーの前には多くの人が立ち、スマホを手に撮影を行っていた。未央は風邪気味だということをすっかり忘れ、煌めくツリーを前にはしゃいでしまう。
「ここってこんなに人気のスポットだったんだ! BLの聖地だと思ったら、一般人もいるんだね」
「未央、BLファンも一般人だから。雑誌にも載ってたし、夏目さんも来たって言ってたよ」
写真を撮る未央のすぐ後ろで、小鳥遊も同じようにツリーを見上げてそう話す。
「よかった、未央が楽しそうで」
この年になるまでクリスマスにデートをしたことがなかった小鳥遊は、内心ほっとしていた。未央がインドアで出不精なことはわかっていたので、果たしてクリスマスツリーを見て喜ぶのだろうかという懸念があったからだ。
ただしここは、人気BL作品で主人公らが立ち寄った場所。
小鳥遊にとってそれはある意味で"保険"でもあった。
「ああっ……! ここに、ここにカズトとユウヒが向かい合って告白を……!!」
案の定その策は当たり、未央は大興奮で写真を撮っていた。さっきまでの沈んだ様子は鳴りを潜めている。
ツリーを前にはしゃぐその姿に、小鳥遊は思わず笑みが零れた。
「明日真くん見てっ! これこれ、この板が抜けてるところに足を引っかけて、つまずいたところをカズトが支える神シチュが……はっ!?」
ひととおり撮影を終えた後、未央は自分が暴走していたことに気づく。
(しまった! BL脳が暴走を……!)
そっと振り返ると、小鳥遊が穏やかな笑みを浮かべてこちらを見ていた。冷や汗が背中を伝った感触は、気のせいではない。
(私ってばクリスマスイブに! 初めてのクリスマスに! BLのことばっかり!)
おそるべし、推しの威力。
ぎこちない笑みを返せば、小鳥遊は未央のスマホを覗き込んだ。
「いい感じに撮れた?」
「ひっ!」
小鳥遊は未央のためにこの場所を選んだのだが、まさかBLの聖地ということで彼がここを候補にしたとは知らない未央はスマホを落としそうになる。
「撮れました……」
「ん? どうかした?」
さっきのテンションから一転して、暗い表情になった未央を見て小鳥遊は訝しげな顔をする。
(ちゃんと彼女をしなきゃ……! 明日真くんが浮気しないように、BLは封印しないと!!)
しかし未央は気づいていなかった。
今日のデートコースが、すべてBL関連に紐づけられて組まれていることを。白狐が言っていたように、未央のBL好きはすでに小鳥遊の中では普通のこととして昇華されているのだ。
それに気づかない未央は、自分の欲望との葛藤を繰り返すことになる……。
「次はあっちの屋台の方に行こうか」
屋台にはスイーツやクリスマス限定のターキーなどが並んでいて、寒い屋外にも関わらずカップルや女子グループでにぎわっていた。
小鳥遊は未央の決意や動揺に気づかず、手を引いて歩き出す。夢中で撮影していた未央の手はすっかり冷えて、白くなっていた。
(普通に手を繋げるようになったなぁ)
白狐には嘆かれるが、二人にとっては大きな進歩だ。
二人はいくつかの料理とビールを買い、空いていた席に座る。
未央は「何か話さなくては」と思うが、普通のカップルや彼女らしさにこだわるあまり言葉が出てこない。
(こういうとき何を話すの? 私って明日真くんと何を話してたっけ!?)
もぐもぐと無言で食べるしかない未央。
ぎこちない空気に、小鳥遊も沈黙を続けてしまう。
こういうとき、一体何を言えばいいのだろう。小鳥遊には、流れているクリスマスソングがやけに大きく聴こえた。
「未央は……」
「え?」
「未央はこれまでクリスマスってどんな風に過ごしてたの?」
小鳥遊の言葉に、ここ数年のクリスマスが頭に浮かぶ。
好きな声優のライブに行ったり、BL作品のゲームで徹夜したり、締切に追われていたり、どれもクリスマスだからという特別なものではない。
(はっ!? もしかして、過去の彼氏とどう過ごしていたかってこと!?)
二人の間には沈黙が流れる。
「えっと……普通に」
時間をかけて考えたわりに、そっけない返答になってしまった未央は焦りが募る。
(どうすればいい!? 私、何を言ったら正解なの!? ごめん、明日真くん、私は普通の彼女じゃないから正解がわかんないよ!)
周囲の喧騒が嘘のように、自分たちの周りだけがしんと静まり返っているように思えてくる。
困り果てた小鳥遊が「そろそろ行こうか」と口にするまで、二人は喧嘩でもしたかのように沈黙を続けるのだった。




