腐る女
ぼんやりとした門灯の下、小鳥遊ははらはらと雪が降る中で白狐を見上げた。
「突然何があったんですか?」
連れて来られた理由を尋ねる小鳥遊に、白狐は遠い目で答える。
『命があればすべてよし、とはならなかったんだ』
「は?」
『打ち切りとは、作品の命を取られるようなものだそうだ』
「あ、正式に打ち切り宣告されたんですか」
そろそろそんな時期か、と小鳥遊は眉根を寄せた。地面から伝わる冷えに身体を震わせ、彼はゆっくりと立ち上がる。
『入れ』
「……失礼します」
何もしていないのに、玄関の扉が自動で開いた。小鳥遊はすぐに中へと入る。
三匹の小玉鼠が出迎えてくれ、足元をくるくると回って歓迎の意を示していた。
「未央? いる?」
頭や肩についた雪を手で掃うと、中にいるはずの未央に声をかける。
反応はなく、小鳥遊は靴を脱いで廊下に上がり、様子を伺うように襖を開けた。
現代家屋に比べて古民家は寒い。
以前のように台所で寝ると、確実に風邪を引くだろう。
未央のことを尋ねようと振り向くと、白狐の姿はなかった。
居間には誰もおらず、台所ものぞいたが未央の姿はない。古民家の中は橙色のランプの灯りが幻想的だが、人の姿がないと侘しさを感じた。
居間から仕事部屋に続く襖は閉まっている。小鳥遊はゆっくりとそちらに向かい、襖越しに声をかけた。
「未央?」
――バサバサッ!!
紙が滑る音がした。
「明日真くん!?」
慌てふためく声。小鳥遊が開けていいかと尋ねると、これまでに聞いたことのない全力の拒否が返ってくる。
「絶対開けないで! ダメ! 今だけはダメ!! お願いぃぃぃ!!」
その尋常ではない拒絶に、小鳥遊は驚いた。
「わかった。じゃあ、こっちで待ってるから」
襖越しに、未央がどたばたと何かを片付けている気配と音は聞こえていた。
「新作の原稿?」
「えっと、そんな感じです。他社さんのだから、さすがに見せられなくて」
が、現実はそうではない。
(やばいやばいやばい!! 新作のタイトル案、こんなの見せられないぃぃぃ!)
表紙にタイトルキャッチを配置し、実際にプリントして雰囲気を確かめていたのだった。そのタイトルが完全に十八禁すぎる露骨なものばかりで、さすがにそれを恋人には見せたくないと未央は思ったのだ。
(いくら小鳥遊さんがBLに寛容でも、作品になっていない状態でこんなの見たら引く! おまえの頭の中、どうなってんだって思われる!)
白狐がいれば「今さらだろう」と一蹴されそうなことだが、未央にとっては大問題だ。散らばった紙を乱雑に集めると、とりあえず引き出しにすべて収納した。
――パタンッ……。
「お、お待たせ」
仕事部屋から出ると、すぐに襖を閉める。
暖房をつけっぱなしだった居間は温かく、小鳥遊はコートもジャケットも脱ぎ、居間の座布団の上に胡坐をかいて座っていた。
ネクタイは黒い鞄に仕舞っていて、襟元はボタンを一つ開けている。
「ごめん、また急に来て」
申し訳なさそうにそう言う小鳥遊に向かって、未央は笑顔で首を振った。
「ううん。ありがとう、遠いのに。でもどうしたの? いつもLIMEくれるよね」
そう言って、彼女は小鳥遊の斜め右にある座布団に座る。
「はっ!? もしかしてまた何かに憑りつかれた!?」
焦る未央を見て、小鳥遊は苦笑いで首を振る。
「違う違う。どちらかというと白狐さんに憑りつかれて、かな?」
そこまで言うと、未央は彼がまた拉致されたんだと察した。
「未央が元気なかったから、白狐さんは俺を連れてきたんだと思うよ。戦国、打ち切りだって白狐さんから聞いた」
今朝メールが来たばかりで、未央はずっと家にこもっていた。
あははと笑った未央は、無理やりに笑顔を作る。
「うん。そうなの。打ち切りになっちゃって。でもあるあるだよね、こんなこと。漫画家なんていっぱいいるんだし、打ち切られる作品なんていくらでもあるし! 仕方ないよ」
無理していることが明らかで、小鳥遊は言葉を探す。けれど、何を言えばいいのかわからず、ただ彼女のことを見つめて話を聞いていた。
「ほら、まだ私には『ハンサムビッチ学園』あるし? だから大丈夫だよ……」
未央は、自分の体温がだんだんと上がってくるのがわかった。喉がヒリヒリして痛い。意思とは関係なく涙が頬を伝い、ぐっと息を詰まらせた。
小鳥遊を見ていると、ホッとして気が緩むのがわかった。
「ごめん」
新作のタイトル案を考えたり、推しの二次創作に精を出したり、気分転換はしたつもりだった。
それでも消化しきれない想いが、未央の中に渦巻いている。
小鳥遊は未央の目や頬を指でなぞり、涙を拭った。
「ううっ……」
「打ち切りはつらいよな」
泣かずに、このまま気持ちを消化するつもりだった。でも優しい声で名前を呼ばれてしまえば、いとも簡単に涙腺は決壊する。
ぐすっと鼻をすする未央を見て、小鳥遊は優しく目を細めた。
「俺、未央の気持ちがわかるとは言えないけれど、泣いてもいいし怒ってもいいし、文句を言ってもいいから」
「ふっ……そんなこと」
誰にも怒っていない、文句もない。未央はただ、一言だけ言った。
「もっと、描きたかった……!」
「うん」
堰を切るように泣き出した未央を、小鳥遊はそっと背を撫でて宥める。細い肩が小刻みに揺れ、目の前で泣く未央を彼は恐る恐る抱き締めた。
「ううっ」
「未央」
「葵が里帰りしたときに忍びに襲われかかって、逆に迎えに来た義隆に襲われるところとか、楽市にいったときに納屋で『俺だけを見ろ』って詰められるところとか……助け出された葵の手首が赤くてそこを義隆に舐めて癒してもらうところとかぁ!」
「………………うん」
プロットやシチュエーションをぶちまけ続ける未央に、小鳥遊はただ黙って聞いていた。
わんわん泣き出した未央は、小鳥遊には理解できない専門用語も連呼していた。ただし、どういう意味かは尋ねる勇気はない。
「未央、えっと、ちょっと落ち着こうか」
「ぐすっ」
溜まっていたものを吐き出した未央は、しばらくするとすっきりしたのかスッと小鳥遊の胸に手をついて離れようした。
「ごめん、明日真くんに話す内容じゃなかった。これは墓場まで持っていくべきだった。恥の上塗りがすごい」
「いや、そこまでは」
急に冷静になった未央は、真顔で彼に詫びを入れる。
「本当にごめんなさい。腐女子でごめんなさい。こんな話聞かせてごめんなさい」
「未央、大丈夫だから!」
無言の時間が流れ、二人は向かい合って気まずそうに過ごす。かろうじて繋いでいる指先から、気まずさが伝わってくるようだった。
(何か、言わなくては)
未央がちらりと視線を上げると、小鳥遊は悲痛な顔でじっとこちらを見つめていた。その顔があまりに悲壮感たっぷりで、ついおかしくなってくる。
「ふっ……ふふふ……」
「え、何?」
「いや、あの、そんな顔しなくても」
どこまでいい人なんだ、と未央は思う。
突然笑い出した未央を見て、小鳥遊は動揺を隠せない。
「未央、酔ってる?」
「酔ってない。これから酔う!」
そう言って笑った未央は、台所へと向かう。
「こないだお父さんが来たときに持ってきてくれたんだ~。ひかり先生との忘年会で飲もうって思ってたけれど、フライングで飲んじゃおう」
彼女の手には、一升瓶が握られている。切子グラスも二つ持ってきた未央は、居間のテーブルの上にそれを置いた。
「付き合ってくれる? 日本酒飲めたよね?」
小鳥遊はグラスを受け取り、透明な酒が注がれるのを眺めた。
「よくわからないけれど、未央、元気になった……?」
勢いよくグラスを呷る未央を、小鳥遊は探るように見つめる。
「ん~! 泣いた後の日本酒は沁みるな~。ほら、明日真くんも飲んで!」
さぁさぁ、と急かすその姿はいつもの未央だった。小鳥遊は勧められるままに酒を飲み、気づいたときには終電のない深夜にまで及んでいた。
古民家で朝を迎えたことは過去にもあるが、白狐とぬらりひょんがいない夜は初めてだ。そこに気づいてしまった小鳥遊は、緊張の面持ちになる。
だが、ちらりと隣を見ると、未央は小玉鼠を両手で掴み必死でBLの魅力を説いていた。
「忍ぶ恋ほど萌えるものはないの。わかる? 警察もヤクザも医者もIT社長も大学生も、そこに男がいる限りすべてはBLの可能性があるの。傷ついた心を慰め合うもよし、生意気男子を屈服させるのに燃えるのもよし、主従の垣根を超えた愛は尊死に値するの……」
「キュイ?」
「でも武将が美形で男ばかりだから寵の奪い合いになるのよね。小指や髪を送ってくるくらいなら、寝所に忍び込んででも抱かれに来いっての。衆道は勢いが大事だ、わかる小玉ちゃん?」
ここに恋人同士の甘い空気などない。
小鳥遊の淡い期待は見事に霧散し、またもや広い居間で二人並んで酔いつぶれることになった。




