肉食系女子の本気
クリスマスが近づいたある日、未央は二回目となるフットサル見学へとやってきていた。
今日は白狐とぬらりひょんも一緒である。
未央が出かけようとしたら、二人がついてきたのだ。
『ねぇ、ボールを蹴ってゴールに入れてもまた真ん中からやり直すじゃない? 意味あるの?』
ぬらりひょんはサッカーを初めて見たらしく、興味津々という風にキョロキョロしている。
「そういうことを言うと、すべてのスポーツに意味なんてありません」
未央は苦笑いでそう答えた。
隣では、小鳥遊がシューズを履き替えている。
まわりから見ると、未央と小鳥遊が二人で仲睦まじく喋っているようにしか見えないが、実はあやかしと未央がずっと会話をしていた。
何気ない話をしているうちに、小鳥遊がコートに入る順番がやってくる。
未央が膝に置いたフリースから手を出し「いってらっしゃい」と手を振ると、彼も手を上げてそれに応える。
(あああ、まさか彼女として見学できる日が来ようとは)
十一月の終わり、さすがにダウンを着こんだ未央は寒さに耐えつつも、恋人らしくベンチで彼の活躍を見守った。
(今日はひかり先生が勧めてくれたアイシャドウとアイラインでちゃんとメイクしてきたし、ちゃんと女子に見えるはず!)
ゲームはすぐに始まり、小鳥遊は普段は見せないハツラツとした笑顔でコートを駆ける。
『小鳥遊は、男の群れで生き生きとしておるな』
「男の群れって、その言い方は語弊がありますよ白狐さん」
こっそりと白狐と会話する未央。一人で喋っている怪しい人、という扱いはされたくない。
気をつけなければと思っていると、グランピングで出会った佐山が笑顔で声をかけてきた。
「こんばんは、小鳥遊くんの彼女さんよね?」
彼女は、白いコートを着てスカートにロングブーツを履いている。大きめのバッグに紙袋を持っているところから、仕事帰りだとわかった。
「こんばんは」
もう会わないと思っていた未央は、どきりとしつつも笑顔で挨拶を返す。
佐山は、当然のように未央の隣に座った。
「祥吾がね、今日ここでフットサルやってるって教えてくれて。それで小鳥遊くんに会えるかなって思ったの」
同じ大学の出身者だけあり、フットサルのメンバーも半数は佐山と顔見知りらしい。親しげに声をかけたり、かけられたり、まるでアイドルのようだと未央は思った。
「小鳥遊くんって、本当にかっこいいよね~。一番うまいから、遠くにいてもすぐにわかる」
「そうですね」
はしゃぐ佐山に付き合わなければいけない義務はないが、未央は場の空気を乱したくない一心で笑顔を返す。
「私、仕事が忙しくてなかなかここに来られないのよ。病院の先生ってけっこう忙しくて、一緒にお食事することも仕事のうちだし」
未央は適当な相槌を打ちながら、妄想を繰り広げた。
(MR……! 病院の先生と診察室で強引にっていうシチュエーションなら、やっぱり白衣の腹黒メガネ医師が攻めだな。あ、でも新人MRの天然っぷりに翻弄される腹黒医師っていうパターンもありか。いやいや、私生活では立場が逆転っていうのもおいしいよね)
悲しいかな、マウントを取られようが敵意を向けられようが妄想が止まらない。
未央はどこまでも未央だった。
佐山は未央の思考など気づきもせず、得意げに話を続ける。
「大学の頃からモテてたから、小鳥遊くんって。ゼミの子も何人か告白してフラれてたな~。あ、私とはずっと友達で、恋愛関係じゃないから安心して?」
「はぁ……」
今のところ安心できる要素がないな、未央は心の中でそう呟く。
そんな未央の傍らで、白狐は佐山を見て不快そうに眉根を寄せていた。
『なんだこの無礼な女は』
無意味な話が延々続き、未央がぐったりと疲弊した頃、ようやく小鳥遊らがコートから出る。
「小鳥遊くん! かっこよかったぁ! すっごくうまいね!!」
「佐山、来てたんだ」
タオルで汗を拭きながら、小鳥遊は息を整えた。
飛び出すようにベンチから離れた佐山に対し、医療系BLの妄想に耽っていた未央は出遅れてしまう。
両手で握りこんだミルクティーはすっかり冷めてしまっていて、未央は積極的な佐山を遠目に眺めることしかできずにいた。
コートの出口付近で小鳥遊に密着する佐山は、上目遣いに擦り寄っている。
「こないだ会ったら、また小鳥遊くんに会いたくなっちゃって。祥吾に聞いたら、今日ここに来るっていうから来ちゃった!」
「そう」
「それでね! ゼミの忘年会なんだけれど……」
じりじりと迫る佐山、少しずつ下がっていく小鳥遊。肉食系女子の強さを目の当たりにした未央は、茫然とその光景に見入っていた。
が、小鳥遊は意外に早く話を切り上げる。
「その話、祥吾にLIMEしといて? 俺はいつも連絡もらって参加してるだけだから」
「ええ~? 一緒にお店選びしようよ~」
「しないよ」
食い下がる佐山は、小鳥遊の腕をとって笑顔を見せる。
「あ、ねぇねぇ! 私、珈琲を買いたいんだけれどついてきてくれない? どこにあるかわからなくて」
「……あっちだよ」
小鳥遊は諦めたような顔で、仕方なく佐山と共に受付のある方向に歩いていった。
未央はその様子を眺めていたが、佐山からの勝ち誇ったような目を向けられイラっとしてしまう。
『未央、始末しようか?』
「物騒なことを言わない……!」
ニヤニヤ笑いながらそういう白狐に、未央は慌てて注意する。
彼氏が狙われている、こんなときどうすればいいのか未央にはわからなかった。俯いてミルクティーの缶を握りしめていると、スッと現れた祥吾が未央の耳元で囁く。
「いや~、肉食女子って強いね」
「しょっ……祥吾くん!?」
「早く助けに行かないと、明日真が食われちゃうかも~?」
その口ぶりからするに、未央と小鳥遊が付き合っていることを知っているらしい。未央が戸惑っていると、祥吾はにっこり笑って言った。
「明日真から聞いたよ、付き合ったその日に電話が来たんだ」
あまりに報告が早いと未央は驚く。
「俺が未央さんかわいいなって言ってたから、気にしてたんじゃない? 俺としては、明日真に彼女ができたことは単純にうれしいんだけれどね。ほら、俺って去る者追わないタイプなんで」
「いや、知りませんよそんなこと」
苦笑いになる未央に向かい、祥吾はわざと甘える声を出す。
「ほらほら、未央さんを明日真に取られちゃって傷心な俺に、あったかい珈琲買ってきてくれません? ミルクたっぷりのやつ」
祥吾はそう言って硬貨を差し出し、小さな手にそれを握らせた。
彼なりに、小鳥遊と未央を応援してくれているのだとわかり、未央はすんなり受け入れる。
「行ってきます!」
少し元気になった未央は、膝に置いたあったフリースをベンチに残し、早足で受付のある屋内へと向かった。
(明日真くん、どこかな)
小銭を握りしめた未央は、小鳥遊と佐山を追って自動販売機の方へ歩く。
あやかしはコートの中央で、若者集団のプレーを見て楽しそうにしていた。寒さも暑さも無縁の存在はいいな、と未央は横目に見てそう思う。
室内に入ると、暖房の熱で暑いくらいだった。
エレベーターホールの脇にある自動販売機コーナーは、すぐそこだ。
ところが、未央は信じられない光景を目の当たりにして動きをぴたりと止めた。
(なんでこんなことになってるの!?)
自販機の陰、二人は密着して向かい合っていて、佐山が小鳥遊に抱きついているようにも見える。彼女の右手は小鳥遊の肩にあり、彼もそれに抗うことなくじっと立っていた。
驚きのあまり声をかけることもできず、未央は少し離れた位置で立ち尽くす。
(え、え、え?)
心臓がバクバクと鳴り始め、呼吸が怪しくなってくる。ほんの数秒のことのはずなのに、目の前の光景に耐えられなくなった未央はくるりと踵を返してトイレに駆け込んだ。
――バタンッ!!
乱暴に個室の扉を閉め、この気持ちをどこにやっていいものかと思い悩む。
両手で顔を覆って上を向いたり下を向いたり、扉をむやみに叩いたり、「ぬああああ」と小さく声を上げたり……今ここで誰かが入ってきたら、なんて考える余裕はなかった。
(なんで!? 抱き合ってた!? いやいやいや、手は下がってた、セーフ、セーフ!!)
さっき見たものを懸命に思い出す未央。
抱き合っているように見えたが、二人とも顔は下を向いていて、情熱的に見つめ合っているわけではなかったとも思う。
(落ち着け、落ち着け私! きっと何か理由が……! 絡新婦ぉぉぉ! あんたなんでこんなときに限っていないのよ!)
白狐に祓ってもらっておきながら、絡新婦がいないことを恨めしく思う。
未央はしばらくトイレに篭り、衝動を少しずつ発散した。そして少しだけ落ち着くと、深呼吸をして自分を宥める。
(大丈夫。明日真くんに限って浮気なんてない! 大丈夫!)
戻って二人になれたら話を聞いてみよう、そう思った未央はようやくトイレの個室を出た。
が、そこでタイミングよく入ってきた佐山と鉢合わせになる。
「「あ」」
二人の視線がぶつかる。
未央も佐山も目を見開いて驚き、互いのことをじっと見て沈黙した。
「「…………」」
とにかく手を洗って、早く戻ろう。
未央はなけなしの愛想笑いを浮かべ、なぜか「すみません」と言って洗面に手をつっこむ。
「未央さん」
手を洗っていると佐山に声をかけられ、未央はビクッと肩を跳ねさせた。
おそるおそる振り向くと、そこには荒んだ目をした佐山がいた。さきほどまでのふわっとした甘い雰囲気は皆無である。
「何でしょう?」
引き攣る口元。無理やり笑みを作るも、身体が強張る。。
「小鳥遊くんのこと、早く解放してあげてよね。私の方がずっと前から小鳥遊くんにと付き合いたかったんだから」
「は?」
突然にそんなことを告げられ、未央はぎょっと目を瞠る。これまで小鳥遊へのアプローチは露骨だなと思っていたが、まさか直接自分に恨み言を言ってくるとは思っていなかったのだ。
(急に何!?)
苛立った様子の佐山は、腕組みをして未央を睨みつける。
「大学時代からずっといいなって思ってたのに……! あなた、小鳥遊くんの担当の漫画家なんですってね? そういうのを利用して付き合うなんてずるいわ」
「ずるい……?」
「祥吾はあなたのこと詳しく教えてくれなかったけれど、小鳥遊くんってけっこう人気ある漫画家を担当してるってことは聞いたことがあるの」
それは長万部はるかのことでは、と未央は思う。
「あなた、漫画家なんでしょう? 脅して付き合えって言えるくらい、そんなに売れるの? 少女漫画って」
(違うー!! 私が描いているのは少女漫画じゃなくてBL! あぁ、でもそんなこと言えない!)
佐山は、小鳥遊がBL編集に異動したことを知らない。それでも出版関係というオブラートに包んだ表現から、未央の職業を推察していたのだ。
脅して付き合うなんてありえない、と未央は呆れて絶句する。
「私はずっと、小鳥遊くんに忘れられないように健気に連絡してきたの」
(自分で健気って言ってる……)
「どんな手段を使ったのか知らないけれど、未央さんはずるい! 普通にしてたら絶対にあんたなんて選ばれるわけないのに!」
「ずるいって……」
未央は呟くように、佐山に言われたことを繰り返した。
頭に浮かんだのは「もしも白狐さんがいなかったら」ということ。白狐がいなければ、小鳥遊は自分を好きになってはくれなかったかもしれないと思った。
(そうだよね。あんなオシャレのカケラもない姿で会ってて、BLで興奮してポージングまでさせて、酒飲んで雑魚寝する女に惚れてくれる人がいるわけないよね。明日真くんが私を好きだと言ってくれたのは、好きだと思ったのは、きっと絡新婦のことがあったから)
そこからは佐山が何かを言っているけれど、ほとんど耳に入って来なかった。
ただ、ずるいと言われた言葉が心と頭にずしんと残っていた。
「とにかく、小鳥遊くんは私と付き合った方がいいと思うの。だからできるだけ自然に、早く別れてよね。じゃないと、出版社に苦情を入れるわよ?」
「ええっ、それこそ脅しでは!?」
頭が回らないなりに、未央は引き攣った顔でそう尋ねる。
「私は脅して付き合ってもらったわけじゃないので……、だから、そんなこと言われても困ります」
そのとき、外から女性たちの明るい話し声が聞こえ、これ以上の押し問答は無理だと感じた。
「とにかく、期待には応えられません」
そう言い残して手洗い場を出た未央は、足早にフットサルコートを目指して歩く。
タイミングよく歩いてきた小鳥遊と合流し、二人は一緒に戻って行った。
未央を追いかけようとした佐山は、受付の手前で立ち止まり、幸せそうに笑いかける小鳥遊を見て苛立ちを募らせる。
子どもの頃からずっと可愛いと持て囃されてきて、大学時代もたくさんの異性から告白された。自分に興味を示さなかった小鳥遊は、めずらしい存在だと思った。
今、目に映っている小鳥遊の表情は、自分に向けられるべきもの。絶対に奪ってやる、そう秘かに決めた瞬間、佐山の耳に怪しげな笑い声が聞こえてきた。
『あの男が欲しいか?』
「誰!?」
佐山は慌てて振り向くも、そこには誰もいない。
『欲の多い女は嫌いではない。わらわが手を貸してやろう……。あの小娘をからかってやるのは一興じゃ、生意気な小娘が泣くところが見たいのぅ』
黒い靄のようなものが、溶けるように佐山の影に重なって消えた。




