絡まる人たち
しんと静まり返った古民家の居間。
時刻は深夜二時を回っている。
あれから、男たちは小鳥遊が呼んだ本物の警察官らに引き渡された。未成年の初犯なので、親を呼び出して後日示談になるだろうとそのとき告げられた。
居間には小鳥遊と未央の二人きり。
事情聴取がやっと終わって、この時間である。
未央は、気絶した男らを前に警察を呼ぶのを躊躇ったが、小鳥遊は即座に通報した。
『自分たちがやったことが犯罪だって、悪いことをしたら捕まるんだっていうことを教えておかないと、また軽い気持ちでやるかもしれないから』
厳しい口調でそう話す小鳥遊は、未央以上に怒っていた。
男たちが気絶していたのはぬらりひょんの仕業だが、警察には「暗闇の中飛び出していって転んで側溝に落ちた」ということにした。
信用してもらえないかも……という未央の不安をよそに、ぬらりひょんが警察官らの意識をうまく操作をしてくれて疑われることなく事情聴取は終わる。
テーブルには、麦茶の入ったグラスが三つ。
未央はぬらりひょんの分も用意したのだが、台所から居間に戻るとすでに小鳥遊だけが座っていた。「ちょっと出かけてくる」とだけ伝言を残して……。
コチコチと柱時計の音が響く中、二人はしばらくぼんやりと過ごした。
壁にもたれ、二人並んで足を投げ出して座っている。
「疲れましたね」
小鳥遊が何気なく口を開いた。
「そうですね……」
ぐったりとした声を出すのは、どちらも同じだった。
「小鳥遊さんて、怒ることあるんですね。びっくりしました」
「あれは怒るでしょう、絶対。犯罪ですよ」
正論で返され、未央は「確かにそうだな」と思った。
「俺、もしかして怖かったですか?」
おそるおそる尋ねると、未央はすぐに否定した。
「意外だっただけです。あんなところ見たことなかったですから」
打ち合わせでも飲みの席でも、温厚なイメージがあったと未央は言う。
「よかったです。先生が無事で」
柔らかな表情に優しい口調はいつもの彼だ。未央は居心地のよさを感じた。
(この空気感が好きなんだよね……安心できるというか信頼できる感じ)
「ありがとうございました。来てくれて、本当に……助かりました」
お礼を言うと、小鳥遊は苦笑した。
「いえ、結局は俺が来なくても白狐さんの結界があったなら未央先生は無事だったわけで」
しかし未央は、真剣な表情で訴える。
「家の玄関に死体が三つあるのは、一生のトラウマになります」
「あ、確かに……」
家と未央は無事かもしれないが、残酷な事件が発生するところだった。
(いくら自業自得でも、さすがに若者三人の命を奪うのは遠慮したい)
ただでさえあやかしの出る古民家が、死人を出しては本当に呪いの館になってしまう。白狐が帰ってきたら結界について聞かなくては。未央も小鳥遊もそう思った。
「よかったです。間に合って」
「はい、小鳥遊さんのおかげです」
予想外のことが起こりすぎ、二人は少しずつ笑いが漏れる。
「ぷっ……、ははっ、ははははは」
「なんで笑ってるんですか、未央先生」
「小鳥遊さんこそ。私は、なんていうか、こんなことあるんだなって思って。おかしくなってきちゃって」
「俺もです。三カ月前には、まさかこんなことになるって思ってもなかったというか」
「ですよね。小鳥遊さんはファンタジー系のヒロインにありがちな巻き込まれ体質ですか?」
未央の言い草に、小鳥遊は笑いながら「そうかもしれません」と呟いた。
ひとしきり笑った後、小鳥遊は自分がここにいる理由をふと思い出す。
隣をちらと見れば、未央が穏やかな表情をしている。この居心地のいい空気を手放すのかと思うと、想いを口にするのが躊躇われた。
何も言えないまま時間が過ぎていく。
「あ」
突然何かに気づいた未央は、隣に座る小鳥遊を見て言った。
「上着、ありがとうございました! 今日、取りに来てくれたんですよね? 二階にあるので、忘れないうちに取ってきます」
二人はここでようやくLIMEのメッセージのことを思い出す。
小鳥遊に至っては、ここにきた目的はすでに上着ではなくなっていたのだから頭からすっぽり抜け落ちていた。
立ち上がろうと膝をつく未央。
しかし小鳥遊の手が未央の手を掴み、それを阻む。
「未央先生、違うんです!」
膝立ちで小鳥遊を見下ろす未央。なぜ止められたのかわからず、目を瞬かせる。
「え? 違うって、あれって小鳥遊さんの上着ですよね?」
「あ、それはもちろんそうですが……いったん座ってもらっていいですか?」
「はい」
なぜか正座で向き合う二人。
小鳥遊の鬼気迫る顔に、未央は首をかしげる。
「未央先生。俺、前に……この家にいつでも来られる権利が欲しいって言ったの覚えてますか?」
フットサルの帰りに、駅の改札で別れたときのことが未央の頭に浮かんだ。
二人を包む空気が一気に緊張感のあるものに変わる。
「覚えています」
「俺は今も、そう思ってます」
「はい……、えっと、それはむしろ大歓迎です」
かろうじて笑みを浮かべる未央。大歓迎だと言ったのは精一杯の意思表示だった。
小鳥遊はグッと拳を握りしめ、突然大きな声で叫ぶ。
「未央先生!」
驚いた未央はビクッと肩を揺らした。
そして小鳥遊の真剣な顔を見て、一気に鼓動が速まったのを自覚した。
「俺は編集者としてまだまだで、特に未央先生の領域はさっぱりわからないこともあり、でもこれから支えていきたいって思ってます。先生が落ち込んだときも、白狐さんやぬらさんみたいに励ますことはできないしアイデアも湧きませんが、未央先生が漫画を描き続けるのを守りたいっていうか」
(なぜこのタイミングで、この話?)
混乱しつつも、彼の気持ちはうれしい。未央は口元に笑みを浮かべる。
「えっと、小鳥遊さんみたいに熱い編集さんに担当してもらえるのはありがた」
しかし、その声は途中で遮られた。
「違うんです、こんなことが言いたいんじゃなくて……」
身振り手振りで説明する小鳥遊に、未央はますます混乱する。
「俺が言いたいのは仕事の話じゃなくて、いや、仕事も大事なんですが、でもそうじゃなくて」
目を瞬かせる未央は、じっと彼の話に耳を傾ける。
(何が言いたいのかまったくわからない)
が、次の瞬間、瞬きすら忘れるほど未央は驚いた。
「俺……未央先生が好きです」
己の耳を疑ったが、まっすぐな瞳に本気であることはすぐにわかった。反らせない視線に、縫いとめられたように未央は動きを止める。
「一生懸命で、楽しそうに笑っている未央先生を好きになりました。自分の立場はわかっているつもりですが、どうしても伝えたくて……」
小鳥遊の声にさきほどまでの動揺はなく、そこには決意だけがあった。
「俺に、理由がなくてもここに来る権利をくれませんか」
静寂に包まれる部屋。
やっと意味を理解した未央は、体の内側から迫り上がってくる熱さを感じていた。
(好きって言われた……。好きって、言われた)
黙り込んでしまった未央は、俯いてひたすら頭の中で彼の言葉を反芻する。
じっと未央を見て返事を待つ小鳥遊。その心中は、わずかな達成感と不安が占めていた。
コチコチという時計の音がやたらと大きく聞こえ、息遣いまで伝わってしまいそうな張り詰めた空気が二人を包む。
未央は驚きのあまりしばらく固まっていたが、胸の奥から湧き上がる感情に感極まって涙ぐんだ。
喉が痛み、息がつまる。
早く返事をしなくては、そう思うほどに唇が震えた。
息を大きく吸って気持ちを落ち着かせようとするが、うまく言葉が出てこない。
(見れば見るほど信じられない……! この人が私を好き!?)
右手をぐっと強く握った未央は、とうとう決壊した涙をゴシゴシと擦った。
「うれしい、です」
かろうじて出た言葉。泣きながら笑う未央を見て、小鳥遊はようやく息ができた心地になった。
「私、小鳥遊さんが好きです」
言ってしまえば、胸につかえていたものが一気になくなってしまった気がする。
「はぁぁぁぁ~」
未央は脱力し、両手で顔を覆って喜びを噛み締めた。そんな彼女を見て、小鳥遊もホッと肩の力が抜ける。
右手で頭を掻くと、膝を立てて座った。
「あぁ~、緊張しました!」
そう言って笑えば、未央も顔を上げて微笑む。
「私も、緊張しました」
和やかな雰囲気が戻り、互いに目を合わせて笑い合う。
「これから、よろしくお願いします」
ペコッと頭を下げる未央。小鳥遊は目を細めて「はい」と答えた。
そしてそのとき、突然に二つの声が響く。
『これは先が思いやられるな』
『本当に。そのまま口吸いとでもいかないかなぁ。こんなにもたもたしているなんて、公家のいた時代も令和も大して変わらないと思わない? 白狐が見本を見せてあげなよ』
未央が驚いて廊下の襖を開けると、そこでは一升瓶を握って胡座をかく白狐と、グビッと盃をあおるぬらりひょんがいた。
ぬらりひょんは、最初に会ったときの青年の姿になっている。
「白狐さん!? ぬらさん!? いつからそこに!?」
まったく気づかなかった、と未央は唖然とする。
小鳥遊は苦い顔で、額に手をやる。
「全部聞いてたんですか!?」
悲壮感を漂わせる小鳥遊を見て、白狐は鼻で笑った。
『ヘタレだな。さっさと押し倒せばいいものを』
ぬらりひょんまでが、うんうんと頷いて同調する。
『女は心が通えば強引な男に惹かれるものだぞ? 未央は頼りないからな、おまえがしっかりせねばやっていけんぞ』
白狐は一升瓶をラッパ飲みし、小鳥遊を見てニヤリと笑った。
そして未央にも苦言を呈する。
『あと未央。涙を拭う仕草が男らしすぎる。もっと淑やかな色気を身につけろ』
ダメ出しは余計なお世話だと思いつつも、思い当たる節があるので助言だと受け止める。
二人のおかげですっかり涙がひっこんだ未央は、一部始終聞かれていたことに羞恥心がこみ上げた。
それを見た白狐は、辛辣な言葉を投げかける。
『未央、今さら何を恥じることがある。おまえの強烈なBL作品を世間に公開していることに比べれば、こんなこと恥でも何でもないぞ』
「そんなことわかってますけれど!? でもそれを同じ感覚で作ってる白狐さんにだけは、言われたくありません!」
怒りなのか照れなのか、顔を真っ赤にして未央は叫んだ。
小鳥遊は気まずそうな顔で沈黙している。
『さぁ、ヘタレ坊主が一歩踏み出した祝いだ』
「それ言わなくていいですよね!?」
白狐に差し出された盃を、小鳥遊は躊躇いがちに手にする。
ぬらりひょんが溢れるほどに日本酒を注ぎ、それはポタポタと畳に溢れた。
小鳥遊は慌てて口をつけ、未央は滴が溢れた床板を急いでタオルで拭う。
『ねぇ、未央。小鳥遊のどこがよかったの? 顔だけなら僕や白狐の方が数倍美しいのに』
ぬらりひょんが意味ありげな笑みを浮かべてそう言うと、未央は苦い顔で否定する。
「二人は人間じゃないでしょう? それに別に、顔で小鳥遊さんを好きになったわけじゃ」
『ないって言いきれる? 』
「……顔も性格もすべてがその人の人となりですので」
タオルを握り締め、悔しげに答える未央。ただし、その後の言葉はきっぱりと言い切った。
「優しいところがいいんです」
『おや』
『……』
人を好きになる理由としては、特段変わったものでもない。だがなぜか、二人のあやかしはぴたりと動きを止めた。
「どうしたんですか? おもしろみのない答えだと?」
未央が不思議そうに二人を見ると、彼らはすぐにふっと耐えかねたように笑う。
『くくくっ……そうか。どうもせん、ただ』
「ただ?」
盃になみなみと注いだ酒を、白狐はいっきに呷った。
『血は争えんと思っただけだ』
「血?」
小鳥遊と未央は二人で顔を見合わせるが、白狐がそれ以上この話題について話すことなかった。
ぬらりひょんが早々に小鳥遊の肩に寄りかかり、わざとらしく泣きまねをする。
『あんなに相手をしてやったのに、あっさりと僕からおなごに乗り換えるなんて。君は僕との関係をすっかりなかったことにする気なの?』
「何もないですよね!? ぬらさんとの関係って、ポージングで絡んだだけですよ!」
『絡んだ、だなんてそんな恥じらいもなく』
「そう言う意味の絡みではなくてっ!」
いいようにあしらわれる小鳥遊に、どう見ても勝ち目はない。ぬらりひょんは衣に隠れた手を口元に当て、くすくすと笑う。
未央は目を見開き、二人がべたべたする様子を見つめている。もちろん、止める気配はない。
どんどん迫ってくるぬらりひょんに必死で抵抗する小鳥遊を横目に、白狐は豪快に宣言した。
『さぁ、今宵は飲むぞ!』
「「白狐さん、もう二時半です」」
事情聴取の疲れか、告白の緊張か。
二人は日本酒を少しだけ飲んだ後、その場に倒れ込むようにして眠ってしまうのだった。




