反撃
小鳥遊が駅前から古民家へ向かった頃、未央は二階の自室にいた。
(寝すぎた……ごめん、小鳥遊さん)
ついさきほど、小鳥遊に返信したばかりだ。もぞもぞとベッドから起き上がると、目を擦りながらスマホを見つめる。
(既読、つかないな。金曜だし、私が返信しなかったから諦めてフットサルでも行ってるのかも)
まさか小鳥遊が駅前にいると思わない未央は、スマホをベッドの上に放り投げる。
(お腹すいた)
未央は、箪笥の引き出しからパーカーを出し、それを羽織る。そのとき、ハンガーにかけてあった黒いスーツの上着が視界に入った。
「あ……」
前回、小鳥遊は上着を忘れて帰っていた。
これを返すという口実でまた会うことができる、でも何をしていても打ち切りのショックが頭によぎり、愚痴や自虐が口から洩れそうだと思ったら会う気になれない。
(いっそ夏目さんに預けるとか? いや、でもそれはちょっと不自然か)
好きになる前だったなら、何でも言えたし、何の躊躇いもなく会えたのに。
ついため息が漏れる。
「あぁ~、もう……」
未央は顔を顰める。
(なんでこんなに好きになっちゃったんだろう)
仕事も恋もうまくいかない。しかもそれらが見事に連動しているなんて。
漫画の中だと、悩んでいる時間もすれ違う心もすべてがハッピーエンドに向かうスパイスだと思えるのに、いざ現実になってみるとまったくおもしろくない。
未央は悩むこと数分。半ばやけになって、勢いよく顔を上げた。
(あぁ、もう悩むのも疲れた! 女として見られていない可能性は高いし、漫画家と編集者だから敬遠される可能性もあるし、やっぱり三次元の恋は私に向いていないかもしれない。でも応募しなきゃ賞は取れないように、小鳥遊さんにも言ってみなきゃ始まらない!)
ここでがんばらなきゃ、と心の中で自分を無理やり鼓舞し、ふんっと気合を入れた。ベッドに放っていたスマホを拾い、外出用の小さなリュックを背負う。
「白狐さーん! コンビニ行くけど何かいりますかー?」
しんと静まり返った部屋。
高い天井に反響した未央の声は、何にも届かずに消えた。
「今日って集まりだったかな」
白狐は出かけているらしい。
今日、小鳥遊がフットサルをやっているなら、アポなしではあるけれど彼に会いに行こうと未央は思った。
(まだ既読になっていないってことは、フットサル行ってるのかな。私が返信しなかったから……ほんとごめん小鳥遊さん!)
白狐にコンビニだと言ってしまったのは、未央なりの照れ隠しである。
小鳥遊に会いに行こうと決めた未央は、急かされるようにして階段を下りた。まっくらな廊下に出ると、雨戸を閉め切っている縁側を通って玄関へ向かう。
が、玄関脇の灯りをつけようとしたとき、外で何かが光っていることに気づいた。
「ん……?」
玄関扉のすりガラスに強い光が当たり、上下左右に揺れている。
――ガタガタガタガタ……!
「っ!?」
扉の向こう側には、スマホのライトを手にした男の影が三人分。しかも彼らが扉を開けようと揺すり始めた。
思わぬ出来事に、未央は恐怖で息を呑む。
(何!? 誰!?)
乱暴に扉を開けようとしている男たちは、口々に文句を言い始めた。
「えー、開かないじゃん! やっぱ無理なんじゃない?」
「廃屋って言ったの誰だよ、おまえ? 幽霊が出るって言ってなかったっけ」
「俺じゃねーし! ってーか、誰も住んでないなら壊せば? どうせバレないっしょ」
そこにいたのは若い男たち。
近くの大学の学生だろうか、あまりの物言いに未央は呆気に取られてしまった。
(ここお化け屋敷じゃないから! あやかし住んでるけれど! そもそも人ん家に勝手に来て扉を壊すって何!? よりによって、何で白狐さんいないときにこんな頭のおかしなのが来るの!?)
ここで灯りをつければこの人たちは帰ってくれるのか、でも声をかけたり姿を見せたりすると、女一人とバレるかもしれない。
壁際に座り込み、これからどうすべきか必死で思考を巡らせる。
(け、警察! そうだ警察! あ、でもとりあえず家の奥に逃げなきゃ……)
這うようにして居間へ逃げ、リュックからスマホを取り出した。
襖にもたれ、震える指先で画面をタップするが、焦りから暗証番号のロック解除に失敗する。
(うわぁぁぁ! 早く! 早くっ!!)
半泣きでスマホをいじる未央。
ガタガタという音はまだ聞こえていて、この時間がとてつもなく長く感じた。
ところが通話ボタンを押そうとした瞬間、ひと際響いた声が未央の震えを止めた。
「何してるんですか!」
怒鳴り声にも聞こえたそれは、間違いなく小鳥遊のもの。温厚な性格から想像できないほど、その声は鬼気迫るものがある。
「この家に何の用ですか!?」
突然のことに男たちはしんと静まり返り、玄関前は緊張感が高まる。
(小鳥遊さん!?)
未央は慌てて立ち上がり、居間と廊下の灯りをつけた。
急に明るくなった室内。玄関に走ると、扉のすりガラスに男の背中が映っている。
「やべっ……! 人が住んでんじゃん!」
「逃げろ!!」
一瞬にして駆け出す男たち。小鳥遊の脇をすり抜けて、あぜ道に出る。
「おいっ!」
三人は暗闇に消えたと思われたが、姿が見えなくなってすぐ悲鳴やくぐもった呻き声がした。
「うっ!」
「ぎゃあっ!」
「うわぁぁぁ!」
玄関扉のつっかえ棒を投げ捨て、外に出る未央。そこには悲鳴の方を見つめる小鳥遊の背中があった。
「小鳥遊さん……?」
「未央先生! 大丈夫ですか!?」
振り返った小鳥遊は、未央の顔を見て安堵の表情を浮かべる。
未央は、自分の肩の力が抜けていくのがわかった。
(よかった……!)
二人が顔を見合わせていると、暗闇から三人の男を引きずった警察官風の男が現れる。
「もー、最近の子ってどうしてこう弱々しいのが多いのかねぇ」
姿は日本人男性のイケメン警察官だが、その声は確かに聞き覚えがあった。
「「ぬら、さん?」」
「こんばんは!」
男たちを地面に投げ捨てると、ぬらりひょんはニコニコと笑って手を振る。
今日は、警察官のコスプレだった。
「未央の感情が振れたから、気になって来てみたんだよ。おもしろいことになっているね~」
呑気な声を上げるぬらりひょんは、警棒で倒れている男の頬を突いて楽しそうにする。
さすがの未央も、写真を撮る余裕はない。
「感情が振れたって何……? あ、でもありがとうございます。あのまま中に侵入されていたらどうなってたか。本当に危なかったです」
しかしぬらりひょんは、きょとんとした顔で未央を見た。
「危ないのはこの子たちだよ? 白狐が出かけるときに何もしないわけないよね」
「「え?」」
「未央の知らない人間が侵入したら、結界に触れて感電するよ」
「「は?」」
何も知らずにいた二人は、この事実に目を瞠る。
「しかも即死レベル」
「即死レベル!?」
ぬらりひょんは、まるで何でもないことのようににっこり笑って言った。
「家の前に死体が転がってるとかホラーだよね~、自業自得だけれど。白狐って、昔から加減しないんだよ。『死んだらそいつが弱いせいだ』なんて言ってね」
「あはははは、えーっと、ぬらさん。それはどこまでが冗談ですか?」
冗談であってくれ、という未央の願いはあっさりと打ち破られた。
「何が? 全部本当だけれど」
柔らかな笑顔を振りまくぬらりひょん。
未央と小鳥遊は返す言葉が見つからず、しばらく立ち尽くしていた。




