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14/31

恋も仕事もむずかしい

 打ち切り予告から一週間。

 未央はひかりと一緒に、都内にあるフットサル場へやって来ていた。

 受付の建物の隣は、すぐに屋外のコート。真っ暗な空に、ライトが煌々と輝いている。ここにはスポーツウェアを着た青年が溢れていて、普段着の女性も何人か見学に来ているのが見えた。

「未央先生! ひかり先生!」

 フットサル場の入り口まで迎えに来てくれた小鳥遊を見て、未央は息を呑む。

 グレーのアンダーシャツに黒の半袖ウェアを重ね、普通のジャージパンツなのになぜかオシャレに見えた。

(これがリア充の世界!?)

 シューズが鮮やかなコバルトブルーなのも、やけにかっこよく感じる。

「わ、若者……」

「未央先生、一つしか年齢違わないから」

 ひかりに突っ込まれ、未央ははっと気づく。

(今日は落ち込むために来たんじゃない! 私のこと恋愛対象には入ってるのか、探らなきゃ)

 差し入れのチョコが入った紙袋をぎゅっと握りしめ、未央は気合を入れた。

 小鳥遊は、ケガの影響があるので本格的なサッカーはやっていないが、こうして月に二度は仲間たちとフットサルをやっているという。メンバーはほとんど社会人なので、集まれるのはどうしても夜になるらしい。

 小鳥遊に連れられて場内に入ると、緑色の人工芝が敷き詰められた観覧・休憩ゾーンの向こう側にフットサルコートがあった。コートは緑のネットで囲まれているので、ボールがこちら側に飛んでくることはない。

 コートサイドのベンチに着くと、そこには小鳥遊の友人らがいて、一様にウォーミングアップや柔軟体操を行っていた。

 ベンチには何人か女性が座っていて、誰かの妻か彼女だろうと想像できる。

 未央とひかりも小鳥遊の友人らに挨拶をして、ベンチに座った。

「「「明日真が女を連れてきた」」」

 一斉に注目され、ふたりは愛想笑いでごまかす。

「どっちだ、どっちだ……?」

 ヒソヒソ声が耳に届くが、未央もひかりも聞こえないふりをした。

(小鳥遊さん、どれだけ女っ気なかったんだろう)

 柔軟を始める小鳥遊は、ざわつく友人らに白い目を向け無言を貫いていた。

 二十分ほどアップや練習が続いた後、ゲーム形式でのプレーが始まる。

 一チーム五人ずつ、本当に試合ではないため交代は自由にするらしい。試合時間も短縮で前後半・十分ずつ、計二十分だと教えてもらった。

「サッカーよりコートが狭いから、スピード感があっておもしろいね~」

 ひかりはまったくスポーツを見ないし、スポーツ漫画も読まない。それでも目の前で繰り広げられる攻防には、一喜一憂して興奮状態だった。

 小鳥遊は膝が良くないとはいえ、群を抜いてうまい。

 普段は落ち着きのある優しい編集者だが、こうして仲間と楽しそうにしているのを見ると普通の青年に見える。

 未央もひかりも、想像していた以上に楽しんでいた。

 ただし、夜の屋上は寒い。

 座って見ているだけの未央は、だんだんと体が冷たくなっていく。

「私もひかり先生みたいにマフラー持ってきたらよかった」

「夜だからね、未央先生に会ったとき薄着でびっくりした」

 まさかここまで寒いとは。最近、日を追うごとに気温が低下している。

「ううっ」

 首を竦めて目を閉じる。

 ひかりが背中をさすってくれるが、どうにも寒さに負けそうになり、未央はちょうどゲームが終わったときに温かいコーヒーを買いに行くことにした。

 ぞろぞろとコートから戻ってくる人のそばを通り、未央は自動販売機のあるフットサル場の奥に向かって歩き出す。

「未央先生! 俺も行きます」

 ゲーム終わりの小鳥遊が声をかけ、二人は一緒に自動販売機まで向かった。

「未央先生、飲み物を買いに?」

 首からかけたスポーツタオルで汗を拭きつつ、小鳥遊が尋ねる。

「はい。こんなに寒いと思っていなくて、ホットドリンクを求めて……」

 自動販売機の前に着くと、さすがに半分はホットになっていて未央は安心する。

 ――ピッ。

 ICカードを翳して、ホットミルクティーとホット珈琲の微糖を購入した。

「先生、珈琲好きですね」

「はい。飲みすぎくらいがちょうどいいと思っています」

「ははっ、そこは適量にしましょうよ」

 小鳥遊はスポーツドリンクを買い、二人はゆっくりとコートの方へ足を進める。

 自動販売機のある建物からコートのある外に出ると、冷たい空気に未央は目を閉じた。

 あまり寒そうにすると「もう帰ればいいのでは?」と言われそうで、未央は必死で我慢する。今日を逃せば、次にいつ会えるかわからない。未央も小鳥遊も、次の約束は口にできずにいた。

「未央先生、ベンチに戻って珈琲飲んだら、あったまりますよ」

「ですね」

 あはは、と笑いながら何となく未央は言った。

「今日は薄着ですけれど、次はあったかい服で来ます」

「はい。お願いします」

 しばらく無言で歩く二人は、同じことを考えていた。

(次、あるんだ)

 未央はアツいほどの缶を握りしめ、手を温めることに集中しているふりをする。

 そうしていなければ、自分からまた来ると言ってしまったことに動揺し、意味なく絶叫しそうだった。

(私、なんでさらっと次って言っちゃんだんだろう!? 押しかけ女みたいに思われていない!? 大丈夫かな)

 つい考えが悪い方向に行くが、それではダメだと頭からもやもやを振り払う。

(がんばれ私! 次もあるって思ったら仕事ががんばれる!)

 心の中で自分を鼓舞する未央。

 隣を歩く小鳥遊はというと、未央の方を見ることができず、ずっと前を向いてベンチまで歩いていくのだった。

 あたたかい飲み物を手にベンチに戻ると、ひかりが小鳥遊の友人に囲まれていた。

 かわいいを具現化したゆるふわな二十二歳は、あっという間に狼に狙われる。

 ただし、性格が見た目通りとは限らない。

 ひかりが羊の皮をかぶった狼だということは、未央だけの知るところだった。

「ひかりちゃん! 寒くない? 俺の上着貸そうか?」

「おまえのぜってー臭い。俺のは洗濯してるよ?」

「帰りって時間ある? 俺らメシ食いに行くんだけど一緒にどうかな?」

 三人の男性が我こそはとアプローチする様子を見て、未央はくすりと笑う。

「ふふふ、今日はマフラーがあるから、また今度寒いときに借りちゃおうかな! ありがとう、そんな風に気遣ってもらえてうれしい」

(さすがひかり先生。誘いにのるでもなく断るでもなく、ふわりと躱してる!)

 座る場所をなくした未央は、少し離れたベンチに腰を下ろした。

 ひかりは完全に外向きの笑顔と口調で、内面の凛々しさはうまく隠していて、未央は観察しながら感心する。

 これが世渡り上手な女子か、とつい漫画に生かせないかと考えていた。

 すると目の前に、ダークグレーのジャージの上着がスッと差し出される。

「?」

 目を瞬かせて見上げると、気まずそうに目を伏せた小鳥遊がそれを持っていた。

「これ、俺は動くので、寒くないので……着てください」

「へっ!? あ、ありがとうございます」

 動揺で声が上ずるも、何とか礼を述べて未央はそれを受け取った。おそるおそる袖を通すと、ナイロンの生地がシュッと擦れる音がする。

「……あったかいです」

 裏地がフリースで着心地がいい。柔軟剤の匂いがする。未央はジャージの中にすっぽりと収まって温かさに目を細めた。

 手のひらからは珈琲のぬくもりも伝わってくる。

 指先だけが長い袖からちょこんとのぞき、改めて体格差を実感した。

(はぁぁぁ……なんか彼女みたい。好きな人ができるって、こんな幸せなこともあるんだ)

 落ち込むことの方が多かったこれまでだが、今この瞬間だけは間違いなく幸せだと未央は思った。

「「……」」

 いつのまにか小鳥遊も隣に座っていて、二人はぼんやりとコートを眺める。そこでは別のチームが試合をしていて、激しくぶつかり合うのも見られた。

「小鳥遊さん、膝は大丈夫なんですか?」

 ふと気になったことを未央は尋ねる。

 小鳥遊は左の膝に触れ、曲げ伸ばしして笑った。

「まぁ、ほどほどに動くくらいなら。サッカーは九十分なんでさすがに無理ですが、仲間内でやるフットサルなら気軽に交代できるし、痛みが出たらすぐに休めるので大丈夫です」

「痛くなったら言ってくださいね。白狐さんを呼んで、お姫様抱っこで運んでもらいますから」

「ははっ、それは遠慮します」

 以前なら、沈黙に耐えかねて何か話そうとしただろうが、不思議とこの日はそんな気分にならなかった。

 隣にいるのが随分としっくりきたものだ、と未央は思う。

 会うための理由が欲しい。

 そんなことを考えるばかりの毎日だが、口実さえあれば会ってくれるのだとようやく確信が持てたのは未央も小鳥遊も同じだった。

 人に話せば「友達以上、恋人未満の今が一番いい」と必ず羨ましがられるが、恋人の方がいいに決まっていると未央はもどかしさを抱く。

「あの、小鳥遊さん……」

 彼女を作る気はあるのか。勇気を出して口に出そうとしたとき、休憩時間の終わりを告げる笛が鳴り響く。

 未央は慌てて笑顔を取り繕い、「がんばってくださいね」とだけ伝えた。


 フットサルが終了したのは、午後十時。

 小鳥遊を含め八人いた仲間たちは、これから食事に行くという。未央とひかりも誘われたが、終電の時間があるので遠慮した。

 ひかりは笑顔で手を振って、フットサル場のすぐそばにあった地下鉄への階段を下りていく。

 金曜の夜、居酒屋やレストランのある場所に人が集中しているせいか、あたりにはあまり人が歩いていない。

 ドラッグストアや美容室のスタッフが、各々店じまいを始めるのをぼんやりと眺めつつ、小鳥遊を未央は駅の方向に向かって歩いた。

「寒くないですか?」

 今、未央が借りていた上着は小鳥遊が着ている。ジャージ姿に斜めがけの黒いナイロンバッグの彼は、学生のようだった。

「大丈夫です。屋上ってやっぱり風が強いんですね」

 未央は隣を見上げて笑う。

 下ろしている長い黒髪が、歩くたびにさらさらと揺れていた。

「未央先生が寒くないように、次はカイロでも持ってきます」

「さすがにそれは早くないですか? あれ、次っていつあるんでしたっけ」

「月に二回なんで、月末です」

「月末かぁ」

 さすがに二連続で行くのは気が引ける。周囲からがっついていると思われたくない、と未央は躊躇った。

 沈黙する未央を見て、小鳥遊は仕事で忙しいのかと思っていた。

「漫画とか他の予定に差し障らなければ、来てもらえると……あ、でも退屈でしたか?」

 しゅんとした小鳥遊を見て、未央は慌てて否定する。

「そんなことないです! すごかったです! かっこよくて妄想が捗っちゃいました!!」

 そして口が滑った。

(絶対に言わなくていいこと言ったー! もぉぉぉ! なんでもっとかわいげのあることが言えないの!? 漫画のセリフならスラスラ出てくるのに!)

 嘆いてももう遅い。

 小鳥遊は「やっぱりか」という風に呆れて笑っている。

「まぁ、楽しかったんならよかったです」

「はい、楽しんでごめんなさい」

 今度は未央がしゅんとしてしまい、その姿を見た小鳥遊がクスリと笑う。

「未央先生」

 俯く未央の姿を見ていると、頬にかかる髪を無意識に払いそうになり慌ててその手を引っ込める。

「はい、なんでしょう?」

 じっと見つめられると、何の言葉も出て来なかった。逃げるように視線を外すと、信号待ちをする人の群れが見える。

「また、連絡します」

 その言葉に、未央は自然に頬が緩んだ。

「はい、待ってます」

 未央たちが来るのを見計らったように、タイミングよく信号が青に変わる。

(駅、もうすぐだな……)

 スーツ姿の人の波に紛れ、二人はゆっくりと歩いた。

 改札へ繋がる地下は、ガヤガヤと人の声や足音が反響する。

 皆同じ方向に向かって進んでいて、普段は引きこもっている未央にとってこの波に乗るのは身構えることだった。

 慣れた様子の小鳥遊と違い、小走りで彼に隠れるようについていく。

「うわぁっ!」

 後ろから追い抜いてきたスーツ姿の男性のカバンがぶつかり、未央は斜め前を歩く小鳥遊の背中に突っ込む。

 しがみつく姿勢になり、慌てて手を離した。

「ご、ごめんなさい!」

「いえ、大丈夫ですか?」

 立ち止まるわけにもいかず、歩きながら小鳥遊は未央を振り返る。

 そして、左手で未央の手を掴んだ。

「俺の後ろにいれば人よけになると思うので」

「はい……!」

 不意打ちに未央の声は裏返るが、小鳥遊は前を向いたまま歩き続けた。

 繋がれた手を凝視する未央は、彼の顔がいつになく緊張感を漂わせていることに気づかない。

「先生」

「はい」

「手が冷たいです」

「すみません」

 反射的に謝る未央に、小鳥遊はちらと振り返る。

「いえ、そうじゃなくて! やっぱり寒かったんだなって、すみません」

「そんな! 私が冷え性だから悪いんです! すみません!」

「すみません」

 謝り合う二人は、どちらも早口になっていた。やたらと鳴る心音は、地下通路の喧騒にもかき消されない。

 もうすぐ駅に着いてしまう。焦っていたのは二人とも同じだった。

 改札近くに着くと、立ち止まった瞬間にどちらからともなく手を離す。

 バッグからICカードの入った定期入れを出した未央。終電には余裕で間に合う時間だった。

「ありがとうございました」

 顔を上げてそういうと、小鳥遊は真剣な顔で未央を見ていた。

「未央先生」

「はい?」

「今、誰かに告白されたら付き合いますか?」

「え?」

 脈略がないにもほどがある質問をした小鳥遊は、そのことにまったく気づいていない。

(誰かって誰!? そんな予定も兆候もありませんけど!?)

 未央はきょとんとした顔になる。

「そんな奇特な人はいないと思いますが……相手もいませんし漫画が忙しいですから。それに、いくら想像しても誰かと付き合ってる自分がイメージできません」

 あははは、と笑ってごまかす。ただ、心の中では一つの結論に達していた。

(小鳥遊さんとなら、付き合いたかったなぁ)

 やっぱり自分は、この人のことが好きなんだと改めて自覚する。本人にだけは気づかれまいと、泣きそうになりながらも笑顔を保った。

 そんな未央を、小鳥遊はまっすぐ見つめて話を切り出す。

「未央先生。その、なんて言っていいのかわからないんですけど」

 混雑する改札脇。二人はどこにでもいる恋人同士に見えた。

「その……あの家にいつでも行ける権利が欲しいというか」

 意味がわからず、未央は首を傾げる。

「用があるわけじゃないんですが、何をっていうのでもなくて」

 自分でも何を言っているのかわからなくなり、小鳥遊はだんだんとトーンダウンしていく。

 しかし先にしびれを切らしたのは未央だった。

「お酒ですか?」

「は?」

「飲みましょう! またいつでも来てください!」

「え、あ、はい」

「白狐さんも小鳥遊さんが来ると喜びますし、私もいろんなつまみを食べられますし、いろんなパターン見られますし」

 前のめりになった未央は、両手を握りしめて熱弁した。圧倒された小鳥遊は、「はい」と返事をすることしかできない。

「あ! 電車がもう出ますっ! それじゃ小鳥遊さん、皆さんによろしく、では!」

「はい! 今日はありがとうございました!!」

 定期入れを形が変わるほど握りしめた未央は、柄にもなくハツラツとした口調で小鳥遊に手を振った。

 そして逃げるように改札を通り、ホームへの階段を駆け上がる。

(うわぁぁぁ、どういうこと!? 古民家好きなの? お酒好きなの? それとも……)

 突然のことに、未央は動揺していた。期待してもいいのだろうか、と思う反面、そんな都合のいいことがあるわけないと警戒してしまう。

 駆け込む必要のないのに駆け込み乗車した未央は、はぁはぁと息を切らして銀色のパイプを両手で持ってそれに縋った。


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